019 奇跡の代償 4/5:自分の立場とこっちの譲歩
ミキの指摘に、アルフレッドは沈黙を貫こうと構えている。人の揚げ足取りを生き甲斐にしていそうな、この吸血鬼が。
(私に寄生している?)
つまり、自分の血管に他人がいる。今の今までそれどころではなかったので気にも留めなかった物事に、急に実感が伴った。
元々氷漬けで鳥肌は立っていたけれども、エリーの全身にもう一段多く鳥肌が立った気がした。
「嘘……やだ、ちょっと! 出てってよ、気味が悪い! 私の身体よ!」
【寝ぼけたこと抜かすな恩知らずが! オレがいなきゃ、テメエは今頃あの世だったろうが!】
アルフレッドが唾の代わりに血を飛ばす勢いで罵倒する。
「ストーップ!」
ミキの手刀が二人の間に割って入る。
アルフレッドがミキの手を刺そうとする。だが、ミキの手は銀糸を織ったグローブで覆われて、刺す余地がない。
余裕の態度でミキが話を引き継いだ。
「積もる話もあるだろうけれどもね、こんなところで脱線ばかりしてたら夜通し話さなきゃいけないでしょ。そんな調子じゃ風邪引いちゃうよ」
二人が舌鋒を納めたと見て、柏手一つ。ミキが話を取り仕切る。
「手短にいこう。エリーさんはアタシたちで保護するよ」
「ッシ」話の外で、握った拳で手応えを表現するヘーゼル。
「本当に?」エリーが沸き立つ。「私、助かるんですか!」
「ぬか喜びさせたくないから言っておくけれど、それはアルフレッドの出方次第かな。こいつの拘束と監視も兼ねて、付きっ切りで看てあげようにも、面倒はお断りだからね」
それでも、助かる。かもしれない。
エリーは大口をわななかせて、目を熱く潤ませた。
ぼろぼろと涙に崩れた相好で、ミキさん、ありがとう。ヘーゼル本当にありがとう。
顔を赤らめようが鼻水を垂らそうが構わず、感謝を口にし、エリーはむせび泣く。
それにつられてヘーゼルも洟をすすった。
【オレにも礼を寄越せ。頭が高えぞボケ】
「うっさいわね!」涙が引っこんだ。
【命の恩人に向かって、口の利き方がなってねえな!】
「とっくに恩は帳消しで負債ばっかになってんの!」
ヘーゼルも「てめえ空気読めよ!」と同調してくれている。
けれども、同調しながら、慌てふためく視線はミキに向けられていた。
禁域に稲光と雷鳴が同時に轟いた。霧を破って光が瞬き、廃墟を一挙に漂白する。全員の身がすくむ。
ミキを除いて。
ミキの周囲に、微風が漂っていた。
「手短に、って言わなかったっけ」
その声は冷めていた。
「アタシはね、子守りだけは誰にも頼まれないんだ。四六時中酔っ払っているせいじゃないよ。ここさ……託児所だったっけ。アタシの勘違いかな。みんな大人ならさ、お話、できるよね」
ダメ押しの落雷が、ミキに影を落とした。
エリーはともかくアルフレッドまで絶句し、ヘーゼルは仕舞い忘れた尻尾を股間に挟んでキュウキュウ鳴いていた。
雷雲は散り、霧が元の静けさを取り戻す。
「ごめんね、怖かったよね」
抑揚の控えめだったミキの声が、微かに和らいだ。
エリーはキッと顔をしかめ、小声を張ってアルフレッドに言い含める。
「ちょっとあんた、今のみたいに滅多なこと言わないでよ!」
ヘーゼルも遮二無二頷いた。
【指図すんじゃねえ。テメエは母ちゃんか】
「そういうのを言ってんの!」
「ま、脅しに耳を貸すタマじゃないよね」呆れて頭を掻くミキ。
【……で、食用種風情が大きく出たな。殺されてえか】ミキを挑発するアルフレッド。
「できるならもうとっくにやっているんじゃないのかい?」
アルフレッドが口を開け閉めする。
「さっきの不意打ちが最後のチャンスだったね。ああいうのはもうネタが割れているから。はい残念」
アルフレッドが黙るや否や、ミキは保護、拘束、監視条件の大枠を決めにかかった。
求めるのは次の条件だ。破れば即刻駆除すると念を押して。
エリーの妊娠が終わるまで、エリーと胎児の安全を保証すること。
その間、人間や亜人種を攻撃せず、また殺さないこと。眷属を増やさないこと。
【呑めるかボケ】
「最後まで聞いておくれよ。えーと、後は、妊娠が終わると同時に、エリーを五体満足で解放し……」
【知らねえっての。話にならねえ】
「ちょっと!」エリーがたしなめる。
「ハッハ。こっちが下手に出たら良い気になっちゃったよ、こいつ。ヘーゼル、短剣!」
「ちょっとお!?」エリーが途方に暮れる。
ミキが得物を催促するのを、ヘーゼルはまあまあとなだめる。
「こいつを庇うつもりじゃねッスけど、それはちょい考えたげた方が良いッス」
「どうして?」
「何でか知らねッスけど、エリーと自分、襲われたッス。抵抗くれえはさせてやんねえと……」
ミキにも思い当たる節がある。崖上で氷漬けにした見張り、崖肌で見逃してやった射手、周りの死体。
どうやら、このエリーという女は命を狙われているのは事実らしい。何者かに追われている内に、こんなところにまで侵入した。
一応、筋は通る。
「エリーさん、どういうことか説明してくれるかい?」
できない。エリーには記憶がない。
そう正直に告白すると、ミキはヘーゼルの反応を伺った。
どうも本当らしいとわかると、大儀そうに腕を組んで首を捻り、ひとしきり悩んだ末に溜め息をついた。
「じゃ、護身のためなら実力行使しても良いよ。殺しちゃダメだけど」
【誰に断って話を進めてやがんだ。オレは納得してねえ】
「良い加減、自分の立場とこっちの譲歩を理解しなよ」
霧が凍って細氷となり、月明りを受けてきらめいた。
「ミ、ミキしゃん?」
エリーの表情も凍てつき、声がしゃくれた。和らいでいたはずのミキの声音に、冷徹さが戻っている。
「こっちはいつでも、親子諸共君を消しても構わないんだよ。駆除を延期したのは、師匠に歯向かった弟子の無謀さに免じてであって、決して君たちに情けをかけた訳じゃないのさ。不肖の弟子と違って、アタシは最初から覚悟を決めているし、本気だって、もうわかっているよね」
アルフレッドに向けた脅し、とは理解できる。
しかし、険のある言葉はエリーにも切れ味鋭く、思わず身体が強張り、生唾を呑んだ。
怯えたエリーがいないかのように、ミキは続ける。
「さて、エリーさんが死にたくないのは当然として、後は、一番の問題児くん、君の胸三寸にかかっているのがわかるね?」
【……ぎゃは。ごちゃごちゃ言っちゃいるが、人狼の小娘のせいにして、テメエだって殺したかねえくせによ】
「そうだね。君だって人を襲いたくてうずうずしてるだろうさ。けれども、死ぬまでそうしろ、って訳じゃない。これはね、時間稼ぎさ。アタシが吸血鬼を駆除するまでの、エリーさんが生き延びるまでの、子どもが生まれるまでの、そして、君がアタシたちの目を盗んで力を蓄えて、返り討ちにするまでの、ね」
【面白え冗談だ。からかってんのか。そりゃ暗に、隠れて血を飲んでも見逃す、つってんのも同然だぜ?】
仮面の奥から、静かな瞳が血を見つめている。
見下して笑う血が、次第にその表情を鎮めていく。本気を悟った。
【手付金を要求する、ミキ・ソーマ護律官。今ここで、テメエの血を四百㏄差し出せ】




