018 奇跡の代償 3/5:お友だちは、多い方が良いもんね
「妊婦……妊婦かあ」
ぶつぶつ呟くミキと似たことを、エリーも心の中で呟いていた。
(孕む……? 妊娠? って、あの、お腹に赤ちゃんできちゃうやつ? 私が? 私が妊婦? ええ?)
それを、何か高慢ちきな自我を得て、アルフレッドを自称するエリーの血が教えてきた訳で。
ああいや、それより先にヘーゼルが嗅ぎ当ててくれたのだから……。
(え、待って父親は? 本当にできてたとして、誰? ああもう、何でそんな大事な記憶まで思い出せないの、私!)
殺戮に加担し、氷漬けにされ、吐血が勝手にしゃべっている。ただでさえいっぱいいっぱいな状況に、衝撃的なばかりで何の脈絡もない情報をこう……。
(いっぺんにワッと伝えられても理解が追いつかないってば!)
思考の坩堝に叩き落とされて、エリーは目を回した。
ミキが銀の短剣を逆手に持ち直す。
「勘弁してよお」
短剣をエリーに向けて振りかぶる。
「もっと手を汚さなきゃいけなくなっちゃったじゃない」
冷酷に刃が降り下ろされる。刃の閃きで現実に引き戻されたエリーが悲鳴を上げる。
「むぅーっ!?」
切っ先が眉間を突く。裂けた皮膚から血が滲んで、銀に触れるとジュッと焼けた。
頭蓋骨で切っ先が止まっていた。間一髪、ヘーゼルがミキの手首を掴んで止めていた。
「むっ!? むっ……ごはっ! むぅ、ふぅー……! むふぅー……! んふぅー……!」
額に焼けた針を当てられたかのような熱。エリーは涙目、パニック寸前で、大袈裟に呼吸しながら我を保った。
ヘーゼルは疲れをにじませているものの、人狼の腕力は本物で、ミキが肩を震わすほどに力をこめてもビクともしない。
「何のつもりかな」
眼前の敵を捕捉したまま、背後の弟子に、平坦な声を投げる。
「ダメッス、若隠居」
ヘーゼルの声はぼやけていた。麻酔が抜けきっていない。ミキの腕を掴んだまま、ヘーゼルは身体を引きずるようにして、徐々に二人の間に割りこんでいく。
エリーを庇ってくれている。
ミキは力尽くでもエリーを刺すつもりで、弟子が相手でも手を抜かなかった。
「情に絆されちゃ、それこそダメだよ。吸血鬼につけ入る隙を見せちゃあね」
「赤ちゃんは……!」
「吸血鬼のハッタリ。君の勘違いじゃないの。それにご覧よこのお腹、ぺったんこ! 嫌みかってくらいだよ! ダメだやっぱ殺そう」
(私怨!?)
「匂いが」
「君はそれで納得できてもね。この子が妊婦かどうか見分ける方法なんて、アタシにはないし。証明できる?」
「若隠居なら吸血鬼だけ追い出せるッスよ!」
「無理だね。ご意見箱はこちらに設置中で~す。アイデアがあるなら、どしどし物申してごらん」
「……とにかくダメッス!」
うんざりと、ミキが溜め息を吐いた。
刃を納め、る振りをしてからの不意打ちが、ヘーゼルに阻止される。
「あのねえ、たとえ君の鼻が本当に嗅ぎ当ててたとしても、無事に生まれる保証もないんだから。吸血鬼の子なら猶更だね。生まれていなきゃ命の数に入ら……」
「だから!」
有無を言わさぬヘーゼルの語気が、ミキの二の句を遮った。
「だからみんな、無事に生まれたら泣いて喜ぶんじゃないスか!
生まれたときだけじゃない。赤ちゃん、あっと言う間に死んじゃうから、すくすく育ってくれるだけで奇跡なんだって、姉ちゃんが言ってたッス!
若隠居だってわかってんじゃないスか!
だから大切にするって!
精一杯お祝いするって!
幸せなことなんだって!
それなのに何スか! 何でエリーだけ冷たくすんスか!
エリーの子は自分の甥っ子か姪っ子の友だちになってくれっかもしんねえのに!
それを取り上げようってんなら、自分が許さねえッス!
そんなにエリーを殺したけりゃ、露術でも何でも使って、自分を倒してからにしろよ! おい! 黙ってねえで何とか言えよ、この飲んだくれ!」
ヘーゼルは一息でまくし立てた。言いたい放題声を荒げて、子どもがワガママを通すようだった。
興奮し開いた瞳孔、怒りと涙が混然とした激情で、ヘーゼルは縞からオオカミの一面を露わにしていた。
獣の膂力が、ミキの手を変色させるほど握り締める。
唸り声。ヘーゼルの本能が先走ろうとしていた。それに対抗するかのように、ミキがどす黒い覇気を放つ。
苦悶の息が、ミキから漏れたかに聞こえたかと思うと、ふと、覇気が鎮まった。
放した短剣が、水に落ちる。
「アッハハハハ!」
重く立ちこめる霧の中、快晴を呼びそうなほど闊達に、ミキは腹をよじって大笑いした。
「ヒー、お腹痛い、ヒー……!」
ヘーゼルとエリーが呆気にとられる中、ヘーゼルの拘束が緩んだ隙に、ミキはぬるんと手首を抜いた。
満足するまで笑い尽くしたミキは、仮面の下で涙を拭いて一息ついた。
「いや、ヘーゼル。すごいや。君ってば、学ばせてくれる弟子だね。うん、そうだね。お友だちは、多い方が良いもんね」
ミキが足元を指す。
「落としちゃった。拾っといて、ヘーゼル先生」
「あの、若隠居」
自由にさせて良いのか、ヘーゼルは迷う。遠慮がちに追い縋る手を、ミキはチョウの戯れに似た手つきでひらひらとすり抜けた。
「そういうことだからさ、吸血鬼くん」
水鉄砲が飛んだ。両手で包む中に水を満たし、ギュッと握って飛ばす、手遊びの水鉄砲だ。
ミキは短剣の代わりに、血の舌――吸血鬼を包囲させていた水の触手一本を呼び寄せ、それで手を洗う。
そのついでに撃った水鉄砲は、吸血鬼を狙っていた。
「おらっ! 死ねっ!」
【うおっ!?】
血の舌、アルフレッドがにゅるん、とエリーの喉に引っこんだ。エリーの顔に、水鉄砲が直撃する。
【いきなり危ねえだろ! イカレてんのか!】
再びエリーの身体から出血し、アルフレッドが文句を言う。血を通じて、その狼狽がエリーに伝わった。
「え、今私、どうなってます?」
声の出所を探し、困惑するエリー。
「右耳から出ているね」
執拗に水鉄砲で狙いながらミキが言う。また隠れ、今度は左耳から血が出た。
鼻、右目、左目……エリーばかりずぶ濡れになっていく。
【良い加減にしやがれ! ガキか! オレぁ射的台じゃねえぞ!】
「私だってモグラの巣穴じゃないんですけど」
【引っこんでろ泣き虫女!】
エリーと吸血鬼が言い合う隙に、ミキは顎に手を当てて軽く考えをまとめた。
「そうか。つまり、君……」
数刻、止まる。手を胸に、一礼。
「申し遅れたね。アタシは護律官ミキ・ソーマ」
護律官。ヘーゼルの言っていた、露術という技を使う人たちの名前。
(つまり、この氷が露術なの?)
【待て】とアルフレッド。
【ふざけてんのか? 偽名だろ、それ】
「何を疑っているのか知らないけれど、正真正銘の本名だよ」
【は? マジ?】
大仰にミキが頷き数瞬、腹がよじれそうな大笑いが上がる。
【冗談だろ! 親を恨むべきだぜ! ミキソーマ! ぎゃはは! 辞書引いて意味調べてみろよガハハ!】
「覚えていたらね。それで、ご婦人、君は?」
「え、エリー」
考える暇も尋ねる余裕もあったものではないものの、こんな場面で自己紹介。戸惑うエリー。
「エリーさんね。よろしく。自称胤族くんの方は?」
【ククク、良いぜ。最高のジョークの礼だ。そんなに聞きたけりゃ教え】
「そういうの間に合ってるから」
ミキは真剣に白けた。
【……アルフレッド・ヴァルケル】
しゅんとした切なさを感じた。ヘーゼルが怪物と同じ名前に小さく反応した。
「よろしい。では、エリーさん、アルフレッドくん。アタシたちのこれからを決めるにも、まずは君たちの置かれている状況、状態を整理しようじゃないか」
沈黙が続いた。ミキの発話を待っている内に、エリーと、続いてヘーゼルがくしゃみをした。
ミキが首を傾げる。
「そんなに聞きたけりゃ~、で解説してくれないかな? 一番詳しいだろう、アルフレッドくん」
【誰が言うか! 舐めてんのか!? さっきからよ!】
「ええ? 答え合わせが面倒なんだけれども……。じゃ、単刀直入に言うけど。エリーさんは人間。アルフレッドは寄生しているだけ。そうでしょ?」
ぎくり、とした何かが勝手に、エリーの胸にわだかまる。
「どういうことスか」
ミキがヘーゼルのために補足する。
「エリーさんの身体は水をかけても平気だったね。銀も平気だった。けれども、出血は銀と反応して発熱したね。
血液にのみ、吸血鬼の特性が現れている訳だよ。
加えて、アタシが君らを渦に閉じこめたとき、かわそうって必死さも感じなかったし。身体を血液化させて回避もしなかった。
なのに、どうして今のアルフレッドは水を必死で避けるんだろうね?
簡単さ。エリーさんの身体は人間のままだから水なんてどうってことない。血液にもなれない。アルフレッドは、エリーさんの身体を借りているだけなんだよ」
【ぼやき】
ミキソーマ=粘液腫という腫瘍らしいです。ググれば出ます。
本当の由来は「お神酒」と「ソーマ」の飲料縛りなんですけど、悲しいね。




