176.三度目
「ねぇ、アイル。何があったんだろう?」
「そうだな。何か様子が奇しいな。普通じゃない。」
行き交っている侍女さんの表情が硬い。
騎士さん達も右往左往している。
明らかに様子が変だ。
「最近は隣国の諜報者が増えていますが……領主館の護りは固いと聞いてます。」
私達の周辺に目を配りながらリカルドさんが応えてくれた。
最近は隣国からのスパイが増えたらしいんだよね。お父さんのところと国務館で対処しているって話だったんだ。
排除しているって言ってたけど……それって絶対に殺害しているよね。
夜陰に潜む敵国のスパイ。それに対するのはアトラス領とガラリア王国の特務任務の人達。
深夜の暗闘……。
何か凄いことになってたりして。あぁ妄想が止まらない……。
それから間を置かずにメリッサさんがゆっくりとした足取りで私達のところに来るのが見えた。
あれ?慌てている様子は無いな。
ただ、メリッサさんが慌てているところは見たことは無いけどね。
何があっても微笑みながら余裕で対処するって感じなんだよ。
私の憧れの「くノ一」なんだ。
私達の元にメリッサさんがやってきた。
微笑んでいるけど……何があったのか良く分からない。
「何かあったの?」
「危険な事ではありません。お産が始まったそうです。」
な、な、なんと。お産!?
「それってお義母様?それともお母さんなの?」
「お二人供と聞きました。」
「えっ?」
思わずアイルと顔を見合せてしまった。
アイルも驚いている。
また、二人で仲良く出産って……どうなってるの?
私達の時をいれるとこれで三度目なんだけど、あの二人は何時も同じ日に出産しているって……。
危険な事は何も無いというのが分かったので、私達はそのまま産所として準備していた部屋に向かった。
近付いていくと、ナタリアおばさんの声が聞こえてきた。
「アウド様、ソド様。ジャマですから入口に突っ立ってないでください!」
「いや。心配で。」
「何か出来ることは無いのか?」
お父さんとお義父様の声がしてる。
仕事を抜け出して来てるんだろう。
前回と同じみたいだ。
「男性の方に出来ることはございません。」
あれ?今度はセリアさんの声だね。
お産を手伝ってるのかな?
背後からバタバタという音が聞こえてきた。
後を振り向いてみると、小太りのグルムおじさんが必死の形相で走っていた。後には騎士さん達。騎士さん達は早足で歩いてグルムおじさんの後を付いている。
私達の脇を通り過ぎて先にある角を曲がった。
「アウド様。はぁ。ソド様。ふぅ。お二人とも何をしているんですか!忙しいというのに。」
「いや、仕事どころでは無いだろう。」
「そうだ。そっちの事は適当に決めてもらえればそれで良い。」
「何を言っているんです。
ここに居ても何の役にも立ちません。さあ戻ってください。
ミネアからグロスも来てます。
グロスだって暇じゃないんです。明日にはミネアに戻るんです。」
「いや、そっちより、こっちの方が大事だ。」
「そうだ。大体戻っても仕事など手に付かない。」
「何を言っているんです。領地の将来に関わる重大な案件じゃないですか。
確保しろ!」
「おい!何をするんだ。」
「お前達、オレを何だと!」
グロスさんの名前が出てきたので、お義父様とお父さんが、今何をしていたのかが分かった。
最近コンビナートも海沿いのコンビナートも手狭になってきた。
グラナラ領のグラナラ川の河口付近とミネアのミネア川の河口付近に新しいコンビナートを造るって計画が持ち上がっている。
あんなに広大な敷地を準備してたんだけど、手狭になってきたなんてね。
それも仕方が無い。最初にコンビナートを造ったときのd60倍近い生産量になっている。
最初はマリムで必要なものを生産していただけだったからね。でも今では王国中に製品を供給しているからね。
飛行船が出来てから、マリムの産物は王国中に流通するようになった。
電力の供給も鉄道の沿線から段々と広がっている。
発電量もどんどん増えている。
新しいコンビナートの建設については色々相談だけは受けてたんだけど、私達は然程関わっていない。
何を作る工場を建てるのかは領地の問題だ。
私達が正式に関わるのは工場を建てる時かな?
ガラリア王国への申請とか、場所の選定とかでお義父様達の仕事は多い。
お父さんは事務仕事を嫌がってるんだけど、グラナラ領の事はアトラス領に丸投げって訳に行かないらしい。
どうやらミネアから来ていたグロスさんと打ち合わせしていたのを抜け出してきていたらしい。
いやはや、大変だね。
騎士さん達が右往左往していた訳だ。
警護する人達が会議室から消えてしまったのが原因なんだろうな。
お義父様とお父さんを警護する騎士さん達は産所に近付くことが出来ないから、さぞかし困っていたんじゃないかな?
お義父様達は騎士さん達に囲まれて私達の方に戻ってきた。
気落ちしているみたいに見える。
「おっ、何だアイルとニケは戻ってきていたのか。」
お義父様が私達に気付いて声を掛けてきた。
「オレじゃなくってニケが居れば良いんじゃないか?」
「そうだ、アイル。お前に任せる。」
「何を巫山戯ているんです。アイルさんもニケさんも子供ですから決裁は出来ません。
良いから戻ってください。」
今度は、騎士さん達に引き摺られるように二人は連れ去られていった。
「フローラぁぁ!」「ユリアぁぁ!」
二人がお母さんたちを呼ぶ声が領主館に響いた。
前回に続いて二度目だね。
産所の部屋の前に行くとセド君もフランちゃんが二人の世話をしてくれている侍女さん達と一緒に居た。
私達に気付いたセド君とフランちゃんは私達の元に駆け寄ってきた。
布で覆われて中が見えなくなっているけれど、部屋の入口からはお義母様とお母さんの辛そうな声も聞こえている。
「ニケ姉ちゃん。お母さん大丈夫かな?」
セド君は目に涙が溜っていて今にも零れ落ちそうだ。
フランちゃんも言葉は無いけれど同じ様に目がウルウルしている。
周りに居る大人達が心配そうにしているから、子供は不安になるよね。
だけど大丈夫とは言いきれないんだよな。
前世でもそうだったけど出産って母子ともに危ないこともある。
アルコールで消毒して感染症を防いだり、ラマーズ法を伝えたりしているけど……私は経験者じゃないから本当のところは分からない。
前世の妹が出産したときの事を聞き齧っていたのを伝えただけだ。
そうは言っても幼ない弟を不安にさせたって良いことなんか何も無い。
「大丈夫よ。ナタリアおばさんが付いてくれているし、セリアさんも侍女の人も手伝ってくれているから。
ナタリアおばさんはセド君やフランちゃんが生まれたときも同じようにしてくれていたのよ。」
「そうなの?ボク生まれた時の事は覚えてないんだ。」
それは普通のことだよ。
私は覚えてるというか何と言うか……。
体が動かなかったり目が見えなかったのは、大怪我したんだと思ってたんだよね。
「それは仕方が無いわ。生まれたばかりの赤ちゃんは目も良く見えないし、音も良く聞こえないのよ。自分で見て考えたりなんて出来ないから記憶が無いのは当然なのよ。」
「そう……なんだ。ボクの時も今と同じだったの?」
「ナタリアおばさんがお母さん達のお手伝いをしているのも、お義父様やお父さんがジャマをしようとしていたのも、お父さん達がグルムおじさんに連れて行かれたのもそっくり同じよ。
今はお腹の赤ちゃんを産もうとしてお母さん達は頑張っているわ。
だから、ジャマをしないで応援してあげてね。」
「応援って何をすれば良いの?」
「そうね。神様に赤ちゃんが無事に生れることをお願いしてみたらどうかしら?」
「神様にお祈りすれば良いんだね。」
「そうなの?私もする。」
今まで黙って聞いていたフランちゃんも声を上げた。
セド君とフランちゃんはその場に膝をついて手を合わせた。
何やら二人でブツブツ言っているけど……カワイイ!
「なあ、どうする?」
アイルが訊いてきた。
「どうするって?」
「いや、オレも父さん達と同じでここに居ても出来ることは無いだろう?」
「それはそうだけど……セド君とフランちゃんがここに居るから私も一緒に居るわ。」
「そうか……そうだな。」
それから私とアイル、セド君とフランちゃんは産所の入口脇でお産が終わるのを待っていた。
セド君とフランちゃんは、部屋の中でお母さん達が辛そうな声を上げる度に二人で神様にお祈りをしていた。
半時ほど過ぎた。
「ウギャー、ギャー、ギャー」
泣き声が聞こえてきた。
「フンギャー、ウンギャー」
それから時を置かずに、別な泣き声が聞こえた。
「産まれたの?」
セド君が私に訊いた。
「そうみたいね。」
「ボク会いたい。」
「私も。」
「今、ナタリアさんが色々整えているからまだダメよ。ナタリアさんのジャマになるからね。
整ったら教えてくれるから二人ともそれまで待っていてね。」
「そう……なんだ。早く会いたいな。」
「会いたいわ。」
それから程なくしてナタリアさんが外に出てきた。
「お二人とも無事に産まれました。二人とも男の子です。」
控えていた侍女さんにナタリアさんが伝えた。
侍女さんは小走りしながら去っていった。
「あら、アイルさん達はここに居たんですね。新しい弟に会いますか?」
「会う!」
セド君は勢い良く産所の部屋に駆け込んでいった。
私達はセド君に続いて産所の部屋に入った。
お母さんは少し疲れた様子だった。
「お母さんお疲れさまでした。」
「あら、ニケありがとう。今回は少し軽かったわ。無事に産まれてくれて良かったわ。」
赤ちゃんは、お母さんの右隣に布に包まれて口をパクパクしていた。
小さな腕を延ばして掌を広げたり握ったりしている。
うーん、シワクチャだな。
「ニケ姉ちゃん。ちっちゃいね。」
「そうよ。産まれたばかりの赤ちゃんは小さいの。セド君の弟なんだから可愛がってあげないと。」
「うん。そうする。」
セド君は赤ちゃんを見て嬉しそうにしている。
「うおー!」「おほー!」
雄叫びが聞こえてきた。お父さん達かな?
バタバタという音と供に、お義父様とお父さんが部屋に突入してきた。
「ユリア!出来した!男か!ユリア体は大丈夫か!子供は何処だ!」
「フローラ!大丈夫だったか?この子が息子か!」
それまで静かだった部屋が突然カオスになった。
まあ、仕方ないね。
「お目出当ございます。」
グロスさんの声がした。
グルムさんとグロスさんカイロスさんの親子が部屋に入ってきた。
皆嬉しそうにしている。
そう言えば……
「グロスさん話し合いはどうなりました?」
「まあ、こんな風ですからね。でも今日は工場の場所の最終確認だったのでそれは終わってます。
あとは細かなことですけど、今日はもうムリでしょうね。
それが決まったらお二人にお願いしなければなりません。」
そうか。バタバタしていたけれど大体は決まったのか。
あとは工場を建てる時にミネアに行くことになるんだな。
男子が二名誕生したことで領主館の中はお祝いモードになった。
二人の男の子は、アイルの弟はアラン、私の弟はナルドと命名された。
この世界では男子と女子だと大分扱いが違うんだよね。
ちょっとだけ不満もあるけれど、跡継ぎって男子になるから仕方が無い。
この世界には魔物が居るからね。
どうしても家や領地を護るのは男性が主体になる。女性の騎士さんが居ない訳じゃないけど極少数だ。
代りに女性は他所の家に嫁いで家計を管理する。
嫁ぎ先で新しい産業を興したりするのは主に女性だったりする。
適材適所ってことなのかも知れない。
お父さんもお義父様も大喜びだった。
アトラス家もグラナラ家も男子が二人になったからね。
これで両家とも安泰だってことなんだろう。
子供が死ぬことが多かったってのもあるんだろう。跡継ぎが死んで居なくなったりすると、養子を取ったりしないとならない。
色々大変らしい。
でも魔法使いが産まれたかどうかは、もっと育ってからじゃないと分からない。
それでも安堵感は大きいみたいだ。
領地にも侯爵家と子爵家に男子が産まれたと布告があって、マリムの街は一気にお祭状態になったらしい。
これまでは、生後1年経たないとこんな布告をすることは無かったらしいんだけど、乳児の生後の生存率が大幅に上がったから、今回は産まれて直ぐに布告した。
それから1週間は領都マリムはお祝いで沸いていたそうだ。
その1週間の間、マリムの街中は大騒ぎだったんだって。
これは准教授達に聞いて知った。
私達は簡単に街に出てに様子を見に行く訳に行かないからね……。
司教様始め、主要な商店主や工房主がお祝いに領主館にやってきた。
無線機越しに宰相閣下のお義祖父様や近衛騎士団長のお祖父様達からお祝いの声が届いた。
近隣の領地からも来賓がやってきた。
弟が産まれたのは嬉しいけれど、その対応で大変な事になった。
アランとナルドに会いたいという人も居た。但し面会を本当に望む場合にはマスクの着用。履物は部屋の外で脱いで裸足で入室。入室前に手と足はアルコールで消毒してもらった。
万全を期すのに躊躇は要らないさ。
メーテスはマリムで御祭騒ぎが続いている1週間の間、臨時休校にすることにした。
まっ、そんな事もあるよ。
大騒ぎが収まったあたりで、グルムさんにアトラス領の文官を貸してもらえないか相談をした。
「ふーむ。難しいですな。」
「それは人手不足ってことなんですか?」
アイルがグルムさんに訊いた。
グルムさんは苦笑いをした。
「アイルさんとニケさんのところで次々と新しいものを考案されるので、担当者を工面するのにも苦労しているんですよ。
いえ、それがダメなんて事は無いんです。そのお陰でマリムには人が増えてますし、商売や加工品の販売や住民の収入が増えて税収入がどんどん増えているんです。
ただ、文官の人数は全然足りていないんです。マリムの人口の大半は6歳未満の子供達ですから。
その子供達が成人するまでは人手不足が続きそうです。」
子供達が成人するまで待つってことはあと10年近い時間が掛かるってことか。
ちょっと色々急ぎ過ぎたのかな?
それだったら、メーテスの学生を使った方が良いんじゃないかね。
「出来れば5人。ダメなら1人でも2人でも良いんですけど。」
アイルは縋る様にお願いをしている。
なんだか、ムリっぽいよな。
「流石に5人はムリです。アイルさんからの依頼ですから少し考えてはみますけれど。
ただ、アイルさんの難解な話を理解出来る人材ですよね?
うーん。困った。
少し時間を頂けますか?
人材を探すのも、移動させるとなると引き継ぎも必要ですから。」
「それで良いです。お願いします。」
これも自業自得というか何と言うか。
グルムさんは唸りながら私達の前から去っていった。
「何だか難しそうね?」
「そうだな……どうしようかな。」
「アイルがしたい事って、半導体の製造プロセスよね?」
「そうなんだ。だけど同時にプログラムの作成や処理速度の早いCPUの設計も進めたいんだよ。オレは本職じゃないから一人でやるのは結構辛いんだよな。」
「CPUの設計はちょっと無理かも知れないけれど、半導体の製造プロセスだったら化学的な処理が多いから化学研究所の准教授に相談出来るかも知れないよ。
でも専属って訳には行かないわね。」
「せめてプロセスの確立のところだけでも手伝ってもらえれば良いんだけど。
あとは作業員を雇うとかかな……。」
「これもアイルの自業自得なんだから、一気に進めるのは諦めるしかないわね。」
「うーん。これで地球での事故の検証が先延ばしになっちゃうな。」
「仕方が無いわよ。」
「だけど、あれって、絶対事故なんか起きっこなかったんだよ。」
「それはもう何度も聞いたわ。それに私からしたら今更なんだけど。」
「えぇえ。気にならないか?」
「気にならない事は無いけど、私には何が起こったか理解出来るとは思えないからなぁ。」
アイルは本気で悩んでいた。




