第4話:雨の路地裏で、君の手だけが温かった
目覚ました時、視界に飛び込んできたのは、無機質な白い天井だった。
消毒液の匂いが鼻を突く。
「……ここは、病院か」
身体を動かそうとした瞬間、脇腹と顔面に激痛が走り、思わず「あつっ」と声を漏らした。
「動かないで。肋骨にヒビが入っているのよ」
聞き覚えのある、しかし、いつもよりずっと柔らかく、そしてどこか張り詰めた声がした。
ベッドの脇を見ると、パイプ椅子に腰掛けた不知火怜奈が、じっと俺を見つめていた。制服は綺麗なものに着替えているが、目の下に薄いクマがあり、彼女がずっとここにいたことを物語っていた。
「不知火……。あの、ストーカーの男は?」
「警察に引き渡されたわ。佐藤くんが気絶させた後、私が通報したの。あの男の家からは、私の盗撮写真や、凶器になりそうなものが大量に見つかったって……。警察の人が言ってたわ。もし、あなたが来てくれなかったら、私は今頃……」
そこまで言って、怜奈は小さく唇を噛んだ。その肩が微かに震えている。
「そっか、よかった……。本当に、よかったな」
俺は心から安堵して、ベッドに深く頭を沈めた。
これで不知火怜奈の「失声バッドエンド」は完全に回避された。彼女の輝かしい未来は守られたのだ。モブとしての初仕事としては、満点以上の結果と言っていい。
「佐藤くん」
「ん?」
「お医者様から聞いたわ。あなた、制服の下に防犯用のベストを着ていたって。催涙スプレーも、スタンガンも、まるで最初から事件が起きることを知っていたみたいに準備していたって」
怜奈の切れ長の瞳が、俺の心の奥底を見透かすように細められる。
しまっ、と俺は内心で冷や汗をかいた。さすがに準備が良すぎて怪しまれたか。
「あ、あれはさ、最近この辺で物騒な噂を聞いたからさ。ほら、俺ってビビリだから、念のために護身用として持ってて……。そしたら偶然、君が襲われてるのを見つけてさ」
「……嘘ね」
怜奈はきっぱりと俺の弁明を否定した。
「偶然であんな狭い路地裏に来るはずがないわ。それに、あなたは『お前が笑って歌ってるところをまた見たい』って言った。学校での私の歌の活動なんて、誰もまともに応援してくれていなかったのに、あなたは私の活動の裏まで知っていた……」
彼女はゆっくりと立ち上がり、ベッドの縁に両手を突いて、俺の顔を覗き込んできた。
その距離、わずか数十センチ。彼女の美しい黒髪から、かすかに甘い香りが漂う。だが、その瞳の奥にある「光」が、ゲームの原作とは明らかに違っていた。
原作の相馬優斗ルートなら、ここで彼女は恥ずかしそうに頬を染め、淡い恋心を抱くはずだ。
だが、目の前の怜奈の瞳にあるのは、恋心というよりも、もっとドロドロとした、深い深い「執着」の光だった。
「誰も私を見てくれなかった。母親でさえ、私を金儲けの道具としか思っていなかった。世界中の全員が敵だと思ってた。……でも、違ったのね」
怜奈の手が、そっと俺の頬に触れた。
その手の平は、驚くほど熱かった。
「佐藤くんだけは、私のすべてを見ていてくれた。私の孤独も、私の歌の価値も、全部理解して、命をかけて守ってくれた。……ねえ、そうなんでしょう?」
「いや、それは……」
否定しようとした俺の唇を、彼女の細い指先が優しく制した。
「もう隠さなくていいわ。私は、あなたのものよ。あなたが命をかけて救ってくれたこの命も、この声も、全部佐藤くんのために使うって決めたの」
彼女の微笑みは、背筋が凍るほどに美しく、そして歪んでいた。




