7.大臣への営業
「貴族に浄化魔法〜?なんであたしがそんなことしなきゃいけないわけ?アンタやりなさいよ。」
「...私は明日から郊外へ魔物駆除をしに行かなければなりませんので。」
「馬鹿なの?それが終わってからやればいいじゃない。雑用はアンタの仕事。」
ーーはあ?!お前これしか能が無いだろうが!!
クリス殿下が聖女に用意した王宮の一室。緩く波打った豊かな桃髪を弄る様子に苛立つのは卒業したと思ったのだが、さすがにコレは頭に来た。
依頼された貴族のリストを持つ手に血管が浮くのを感じながら意地でも紙にシワは寄せない。なぜなら苛立ちを見せようものならこの聖女、私が虐めるのだと外面王子にある事ない事尾ひれをつけてチクるのだ。パレードから3ヶ月経ちやっと言語を身につけたと思ったらこれである。これなら外面王子のゲロ甘ゼリフを通訳してる方がまし...でも無いのが微妙なところ。
「高貴な方々は、補佐などが行っても納得されません。ご本人様でなければ」
「あーもうほんっと役立たず!!
いい?アンタはあたしの代わりに聖女の仕事を全部やるためだけに呼んだの!出来なきゃ死ね!」
聖女は癇癪を起こしたのか手の横にあったティーカップを思い切り私に向かって投げてくる。体を横にずらして直撃を避け、風魔法で割れないよう受け止めたが貼り付けた笑みが引き攣るのが自分でもわかった。
元々ヤベえ奴だと思っていたが最近殊更ヤベえ奴になってきている。暴言はあったが物を投げてくるようになったのはついこの間からだ。
「聖女様、カップを投げては割れてしまいます。」
「五月蝿い!お得意の魔法でなんとかしなさいよ!」
「そう言う問題では...。もうそれで何個目ですか、体を壊しますよ。」
「五月蝿い五月蝿いうるさい!もうほんっとイライラする!体は重いし腰と膝は痛いし、クリス早く来てえ!」
考えられる理由はただ1つ、聖女が太ったから。
小枝のように華奢だった二の腕は動かす度に羽ばたくようになり、顎は一段数を増やし。あの愛らしい美貌は今や見る影も無い。その拡大率は、私が急ピッチで補正が要らないエンパイアラインのドレスを開発した程と言えば通じるだろうか。とにかく凄まじい。趣味枠で取っていた服飾・裁縫スキル等々が活きたのが唯一救いだ。
そして今この時も聖女はケーキを貪っている。
コルセットを付けるのが不可能になった体は、ウエストを締めないドレスでもパッツパツだ。たゆんたゆんの二の腕を隠すためのパフスリーブについたスポンジの欠片が残念感を助長している。
甘い物は中毒性があると聞くが、この世界の甘味は麻薬か何かなのか。ちなみに私がこの世界に来てからケーキを口にしたことは1度も無い。
意匠の凝られたケーキが数秒で消えていくあまりの光景に言葉もなく立ち尽くしていると、柔らかなノックが部屋に響いた。
「私の女神、王都に新しく出来たパティスリーのケーキがあるんだ。開けてもいいかい?」
「んご、くりふ!ほいっへ!」
咀嚼しながら喋るせいで口から生クリームが唾のように飛び出した。いよいよもって鳥肌ものである。
だが入ってきた外面王子ことクリス殿下は、顔色ひとつ変えないどころか満面の笑みで彼女に向き合い手に持っていた包みを優美な所作で生クリームが飛び散る机に置く。胸ポケットのチーフで聖女の口を拭いて「こんなに甘くして、食べて欲しいのかな?レディ」なんて言葉が耳に入ったものだから色々なものがすっ飛んで小さく拍手をしてしまった。
初対面でかまされた暴言を思えば胸が空く気持ちだ、この世で1番恐ろしい魔法は魅了魔法ではなかろうか。
外面王子呼びは撤回させて頂こう。
「もごっ、ごぐん。...恥ずかしい、人が見ているのに。」
「見せておやりよ、照れる君のその愛らしさを。」
甘やかな碧眼をいっそう緩めた殿下の細く長い指で所謂顎クイされた聖女は、それにクリームパンのような手を重ねて肉に埋もれてしまった瞳をうっとりと細めた。
「ねえ聞いてクリス。シノが私に今すぐ貴族達の所へ行って全員に浄化魔法をかけて来いと怒ったの、すごく怖かった...。」
台詞の偽造はさておき、怯えた人間はケーキを口いっぱい頬張らないと思うのだが。魔法の前でそんな常識は通じないらしく、優しげな金の柳眉がきゅっと引き上がったかと思えば冷ややかな流し目を送ってきたクリス殿下は私に同じ命令を下してきた。即ち今すぐ貴族達に浄化魔法をかけて回れと。
これには殿下の後ろで気配を消していた従僕の男性も目を見開いた。体こそ直立不動だが瞳が右往左往したので狼狽えているのがよくわかる。
この現場を見せたくないがために聖女付きのメイドを削ったと言うのに努力が水の泡だ。
聖女が殿下に見えない角度で頬肉を醜悪に吊り上げたのを見て内心大きなため息をひとつ。
気が済んだようで何よりです。
「...畏まりました。」
「さあ、これで安心だよ。美味しいケーキをたんとお食べ。」
「わあ!ありがとうクリス!」
まだ食べるんかい。
王宮のコックに作って貰ったケーキを5つも平らげておいて、尚もいそいそと包みを開ける姿に薄寒いものを感じる。これで更に1日3食きっちり食べるのだから最早彼女の胃袋はブラックホールだ。
羨ましいとも思えず終いには胸焼けしてきたので、先程飛んできたティーカップに新しい紅茶を注いでからさっと退出する。かのロイヤルカップルは既に2人の世界へ旅立っていたので挨拶は従僕の方だけに留めた。
「もし私の行き先を尋ねられましたら文官の詰所とお答え下さい。」
「畏まりました。お気をつけて...。」
眉をこれでもかと下げた気遣わしげな視線から逃げるように部屋から距離を取った所でふと足を止める。
マズイな。勉強面などは大神官様が盾になって庇ってくれたが、クリス殿下が絡んできたせいで徐々に聖女の性格が露呈してきている。
ただでさえヒキニートなのだ。今はまだ私をいびって満足しているが、範囲が広がるようなら殿下の周りが黙っていないだろう。そうなると2人の結婚に反対意見が出てきかねない。
そしてクリス殿下との仲が引き裂かれた聖女が次に狙いを定めるのはーーー...。
「何か対策を立てないと...!」
プランを何個か考えているうちに文官の詰所に着いていた。
今回のリストはここで働いている人だけなので仕事自体はすぐに終わる。だからこそ聖女にやらせてキチンと仕事をしている証拠を作りたかったのに...。
どうやらあの体型で人前に出たくないらしい。非難する男を全員魅了魔法にかけるぐらいの気概があれば素直に尊敬するのだが、可笑しな所で純朴な人だ。
「失礼致します。浄化魔法のお務めに参りました。」
開け放たれた扉の入り口に立って声をあげると、中で忙しなく動き回っていた男性達はピタリと動きを止めて私を見る。キラキラ輝いていた目が急激に冷めていくのを目の当たりにして心の中で本日2度目のため息を漏らした。
「聖女様がいないじゃないか...」
「子供だけで何をするつもりなんだ?」
「せっかく近くで拝見できると思ったのに」
ヒソヒソ交わされる言葉は十割予想通りだ。
浄化魔法はその名の通り体の中に溜まった悪いものを浄化する魔法。主に疲労と魔物から受けた魔毒を対象とするが風邪くらいの感染症ならこれで治ってしまう。
聖女が健在のうちは国の上層部と権力者、そして実務にあたる文官武官に定期的に施されるもので元の世界でいう福利厚生の一部だが、披露パレード以来姿を見ていない彼らにとってはそれ以上に価値があるものだっただろう。
ここに彼女を連れてこなかったのはある意味正解なのかもしれない。
「聖女様はご多忙につき私が代行させて頂きます。ご了承下さいませ。」
「ーーーお待ちください。貴女は侍従と聞いています、そもそも浄化魔法という特別な術を扱えるのですか?」
進み出てきた男性は縁のない眼鏡がよく似合う美青年だった。
癖のない銀髪と冷涼な紫の瞳、陶器のような白肌が無機物じみた美しさを演出している。いちばん上等な上着を身につけているので彼がこの部署の最高責任者であるエトヴォス・シーガル侯爵で間違いないだろう。想像しているよりもずっと若くて驚いた、まだ20代半ばくらいに見える。
「特別な術により聖女様のお力を使える状態になっています。効果は寸分違いません。」
「何!?...それは誠ですか?聞いたことも無い能力ですが。」
能面のような顔が驚きに歪む、そりゃあそんなもの存在しませんからね。
聖女を失脚させない策として、私の能力は彼女から借りた力という事にしたのだ。これでどんなに聖女が遊び呆けようがきちんと役目を果たしていることになる。
あの人を助けるのは癪だが、何がなんでもクリス殿下と結婚させなければディオル殿下に毒牙が向くのだ。死にものぐるいにもなる。
「疑われるのも仕方ありません。つきましては、どなたかに確認をして頂く形で証明できればと思います。」
「見てもいないのに疑うなと。面白い、私が実験台になりましょう。」
眼鏡の奥で背筋が伸びるような眼光を宿すシーガル侯爵に、周りの文官達が良いのだろうかと顔を見合わせる。
部下に押し付けず自分で確かめるなんて上司の鑑だ、敬意を評して疲労のひの字も残さず消し去りましょう。
一言断りシーガル侯爵の手に触れ、浄化魔法を発動する。
彼の血流に乗るイメージで神経を集中させれば、全身、特に首肩腰の流れが信じられないくらい滞っていた。これは肩コリ腰痛どころではなく神経の損傷だ。
「首と肩、腰に痺れるような痛みがありませんか?」
「!」
「長時間同じ姿勢でいることが原因のひとつとされています。定期的に腕や背中を伸ばして体操すれば予防できますし、蒸したタオルなどで温めるのも効果的です。」
「なるほど...揉むだけでは駄目でしたか。」
患部を言い当てたのが効いたのか真剣な顔で頷いている。目もだいぶ疲れているようだけど眼鏡をかける人の宿命なので言葉にはせず、その全てを吹き飛ばすように力を込める。一瞬銀の髪1本1本まで淡い光に包まれた彼は、それが収まると呆けたように小さく口を開けた。
「...体が軽い。何処も痛みが無い。」
「ほ、本当ですかシーガル大臣?」
狼狽える部下達を後目に両手を開いたり閉じたりした後、シーガル侯爵はほんの少し柔らかな声色で丁寧な謝罪をしてくれた。冷たくて神経質な印象があったが美形が生真面目な雰囲気を纏っていただけらしい。
「重ねて名すら明かさなかった非礼をお詫びします。私はエトヴォス・シーガル、この詰所を任されている者です。」
「聖女様の補佐をしております、シノと申します。シーガル侯爵様、残りの方も宜しいでしょうか?」
「是非お願い致します。皆、シノ殿の前に一列に並ぶように。」
シーガル侯爵の鶴の一声で騒然としていた文官達は軍隊よろしく一直線に整列した。
部下の人達は皆体中ゴリゴリだったが侯爵ほど凝っている人はいなかった。終わるなり軽い!だの治癒師でも駄目だったのに!だの感動している姿を見ると凄腕マッサージ師になったようで気分がいい。治癒魔法は怪我には効果があるけど肩コリには効かないのだ。
リストには中々な人数が記載されていて全員の施術を終えた時には多少脱力感があったが、達成感で気持ちのいい疲労感と受け取れた。
「本当にありがとうございます、聖女様!」
「腕が上がらない程だったのに...聖女様のおかげです!」
「はい、あの...戻って聖女様にお伝えしておきますね。」
よもや私を聖女と呼んでいるんじゃあるまいな。
声を掛けた瞬間のキラキラな眼差しを一身に受けて手のひら返しの速さに慄いていると、シーガル侯爵が神殿まで送ると申し出てくれた。彼も大神官様同様、転移魔法が使えるらしい。
畏れ多いが明日の遠征の準備がまだなのでお言葉に甘える事にした。
彼の近くに歩み寄ると瞬きの間に景色が変わる。
見慣れた神殿の入り口に立ち頭を下げようとすると白い手で優しく制されてしまった。
「感謝など不要です。こちらが言い尽くせぬくらいですから。」
「そ、そんなにですか...?」
「今回も含めて、です。
先程までは信じていませんでしたが、ディオル殿下の不治の病も貴女が治療したと聞きました。殿下は王族の中でも民の声を聞き、身の危険を冒してでも問題を解決して下さる稀有なお方...病魔に侵されていると聞いた時は身の凍る思いでした。」
何も出来なかったのが悔しい、と握りしめた拳が叫んでいる。問題とは冒険者ギルドの件で、侯爵もまた、不当に搾取される立場の弱い人の為に怒れる心優しい誠実な貴族なのだろう。心から殿下を心配している様子に交流があったのか聞いてみると、国民の不満から不正の尻尾を拾い上げたのがシーガル侯爵で、件の摘発から後任人事まで殿下の右腕として付き添ったらしい。それなら彼を慕うのも頷ける。子供らしからぬ行動にさぞ驚いたことだろう。
そしてまだ少年のディオル殿下にそこまで働かせてしまったことを後悔しているのかもしれない、一文字に結ばれた口元が唇を噛んでいるのを見てなんとなくそんな風に思った。
「原因も判明してしていますし、今後病床に伏す事は無いと思います。」
「そうですか...!」
「ところで、つかぬ事をお聞きしまずが陛下とディオル殿下との関係はどのようなものなのでしょうか?」
「...唐突ですね、何か気になる事があったのですか?」
眼鏡越しの瞳から温度が消えていくのが如実にわかって、思わず生唾を飲み込んでしまった。
ディオル殿下をよく知っていそうだから頭の片隅に引っ掛かっていた疑問を投げかけてみたのだが、地雷だった?
「最初に謁見した際補佐の私が来たことに、陛下が自分など補佐で充分だといって寄越したのだと...ご自身を卑下したご様子だったので。」
「殿下がそんな事を...お労しい。」
視線を床に落とした瞳からは剣呑な光が消えている。
詳しく聞いてもいいか迷って声を掛けられないでいると、すぐにまっすぐこちらを向いた侯爵が誤情報であることを念押ししてから事情を教えてくれた。
要約すると両親である陛下と王妃様と髪の色が合わないだけで、不義の子だと騒がれた経緯があるそうだ。
瞳はしっかりと陛下の色を継いでいるし、何代か遡って黒髪の王妃がいたのは事実。よって陛下は殿下の髪色は隔世遺伝による先祖返りだと判断されたが、その後も水面下で続く心ない人達の心ない言動は幼い殿下の心を酷く傷つけた。
今でもその傷が残っているのだろうと推測したシーガル侯爵は一拍置いてから細く息を吐く。
「御恩に報いてお話しましたが、この件はすぐに頭から消し去って下さい。ゆめゆめ殿下の御前で口になさらぬよう。」
「勿論です!!...何かこう、私の力で証明できればいいのですが。」
DNA鑑定ってどのスキルで再現できるのかしら?
鑑定スキルは一発だけど目に見える結果が出ないし、理系スキルを総なめすれば何かあるだろうか。
いやたとえ血液の分析ができた所で遺伝子うんぬんの知識がこの世界の人達にあるのか怪しい。
あーでもないこーでもないとブツブツ呟く私に、何を思ったのか侯爵はその薄い手のひらを私の頭に置く。
そのぎこちない動きに不慣れさが見え隠れして、成人女性としての矜持を揺さぶった。
「貴女はどうかディオル殿下のお側に。それが一番です。」
しかし、怜悧な顔がほんのりと笑みを象ったのを見てしまえば文句も思考も幾星霜先の宇宙へ飛んでいく。
はっと意識をたぐり寄せた時には既に侯爵の背中は遠く、体は頭を下げた状態だったので別れの挨拶は済ませたらしい。
なんという威力だ。インテリ眼鏡の微笑みの破壊力よ。
ふらふらと神殿に戻ると大神官様が柔和な眦を見開いて駆け寄ってきた。まさか美形にあてられたなんていえるはずもなく、苦笑いで場を凌いで自室に戻る。
下着の替えや携帯食を鞄に詰める最中、ふと浮かんだ想像を思い切り頭を振って霧散させた。
大人になったディオル殿下にさっきのシーガル侯爵を重ねるなんてどうかしてる。




