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5.第二王子の往診



この世界に来てもう3ヶ月が経つ。既に見慣れたウォールナットの扉を叩けばディオル殿下付きのメイドであるケイトさんがキリリとした表情を緩めて迎えてくれた。



「こんにちはケイトさん。往診に伺いました。」


「ありがとうございます、殿下は丁度朝食を摂られている所です。」



丁寧にお辞儀をされるのはまだ慣れない。10歳の子供に対して礼をつくす必要も無いと思うのだが、聖女補佐ともなると違うのかもしれない。指先まできっちりと揃えられた手に促された先では見違えるほど顔色の良くなった殿下が、治癒師のクリニークさんと朝食という名の経口免疫療法を行っていた。

ブドウさえ口にしなければ普通に生活できるのだが、ヨーロッパ文化に近いオルフェウスでは社交にワインが欠かせない。少しずつブドウを摂取することで体を慣らし、成人である16歳までにワインで反応しなくなるようにするのが当面の目標だ。



「こんにちは殿下、クリニークさん。」


「ああ、シノ様!ちょうどいい所に!」


「シノ、今からブドウを食べるんだがもう半粒に増やしてもいいだろう?」


食事が行われているテーブルに近づくと早々に意見を求められ、皮むきブドウが盛られた小皿を受け取る。すでに3分の1粒ではまったく反応しなくなったから量を増やしても問題は無いはずだ。

サイドテーブルに置いてある小さなナイフでブドウを半分に切ると、側に控えるクリニークさんが不安げに眉を寄せた。彼は殿下を思うあまりかなり慎重になっているようだ、半年間も苦しむ姿を見ているのでそれも仕方ない。



「そうですね。食べた後の安静時間を倍にして、何事もなければクリアです。」


「倍も欲しいか?今日からギャッツとの鍛錬があるんだ、遅れたくない。」


「殿下、シノ様がこう仰っているのですから...」



クリニークさんの小さな丸眼鏡の奥の瞳は今にも泣き出しそうだ。しかし鍛錬とは聞き捨てならない。



「ブドウを増やすのなら激しい運動は控えましょう。血が巡りすぎて症状が出やすくなります。」


「すぐビー近衛隊長に中止の連絡を入れて参ります。」



メイドとは思えない俊敏さを見せドアノブに触れたケイトさんを殿下が止めた。



「打ち合いや走り込みは止める。素振りと腹筋くらいなら構わないはずだ。」



それならいいだろうとばかりに見つめられ、見慣れたはずの美しさにしばし見惚れてしまう。

艶めいた黒髪の下にある猫のように大きく吊り上がった瞳の青さは、同じ碧眼の聖女を南国の浅い海とするなら研ぎ澄まされた北極海の青だ。

高いのに存在感の薄い鼻と小さな唇は子供特有のもので、大人びているのにどこか愛らしい。

じっと見据えられると絆されそうになるが、ここは治療に関わるのであまり譲歩はできない。



「どうしてもと仰るなら量はこれまで通り、鍛錬は消化が終わる昼過ぎで素振りのみにして下さい。」



ブドウを増やした初日に運動するのはリスクが高すぎる。しかも半年間伏せっていた殿下の体力はほぼ皆無と言っていい、疲労した体内でアレルゲンが暴れ出したら治療の意味が無いのだ。

殿下は納得のいかない様子で眉を寄せるが、こちとら譲るつもりもない。スンと表情を無にして待機すればやがて諦めケイトさんに時間を変更するよう言伝した。

切り直して半分より小さくなったブドウを口に放り込んだ殿下は苛立ちを吐き出すようにため息をつく。



「全く厄介な体だ。」


「制限が多いですがこれも数年の辛抱です。成人してからのご苦労を減らすためですよ。」


「わかっているから窘めないでくれ。年下のシノに言われると立つ瀬がないじゃないか。」



本当に10歳なのか?と訝しむ殿下に年上に見えますか?と聞き返すと無言になった。ディオル殿下は2つ違いとあって私よりも頭1つ分背が高いし本気で疑ってはいないようだ。精神面で言えばダブルスコアなのだが。



「まあシノが大人びているおかげで俺も信用して治療に向かえたから良いんだが。

...もう1人の聖女はどうもそうじゃなさそうだな。」


「...そのようなことはありませんよ。」


殿下の言葉に内心で大正解の涙を流すが表面は取り繕ってシラを切る。ここで愚痴れたらどれだけ心が軽くなることか。


「シノ様が補佐されている方ですよね、なんでもその名すらクリス殿下しか知らないのだとか。警戒心が強いのでしょうか?」


「それだけならいいんだがな。言語の習得状況が芳しくないという噂は俺まで届いているぞ。」



続く兄上が熱心に指導しているというのにという台詞には粘着質な感情が滲み出ている。外面王子を聖女に取られた気持ちなのだろうか、だとすると非常に可愛い。

いや、現実逃避している場合じゃない。



「聖女様は言うならば能力が突出型なのです。浄化魔法が人並外れているので代わりに学習方面は感覚が掴みにくいのでしょう。」


そんなものか?と首を傾げる殿下にそんなものですと大仰に頷く。我ながら苦しい言い訳なのはわかっている。だけど事実が周知されるくらいなら馬鹿かもと勘繰られるほうがマシだ。


聖女の頭の回転は速い。側仕えのメイドや私をひっきりなしに揶揄ったり悪態をつけるのがその証拠だ。

それを学習方面に発揮してくれればいいのだがあの性格ではそうもいかず、クリス殿下との勉強会以外は机にも向かわない始末。今日は復習用に呼び寄せた家庭教師がクリス殿下に合わせる顔が無いと辞表を持ってきたので朝食も摂れずに対応に追われた。ちなみに彼で辞めたのは3ヶ月の間で5人目。大神官に箝口令を敷いてもらうよう頼んだがやはり人の口に戸はたてられなかったか。



「兄上が指導し続けているのも疑問だ。実らない策を放置するような真似、いつもはしないのに。」



それ、完全に聖女に篭絡されてるからです。

口にするのは耐えたが、あの現場にいれば猿でも気づくだろう。前回の勉強内容を1割しか覚えていないと上目遣いする聖女に、彼は桃色髪を指で梳きながら残りの9割の復習から授業を始めるのだ。ちなみに内容は幼児教育レベルの言葉の訓練、正解した後は飽和するまで砂糖を溶かしたような激甘セリフのご褒美つき。通訳するこちらの身になって頂きたいものだ。

あれが魅了魔法でなかったとすれば恐怖しかない。



「聖女の披露パレードも1ヶ月後に迫っていますし、クリス殿下自らご講義されているのでしょう。」


「パレードか、目玉行事が聖女のスピーチとなれば兄上が付くのも道理だな。」


無事納得してくれたようだ。クリス殿下以外やる気を見せない聖女を披露するにはこれしか無いのも事実、授業の半分はスピーチの丸暗記に充てられいる。

単語ひとつ言う度に褒めそやす彼には心からの賛辞であれさすがに同情してしまった。私が丸投げしたばかりに申し訳ない。


「シノ様は当日どのようなスピーチをなさるのですか?」


「いえ、私は参加致しません。」


「「...は?」」


クリニークさんの純朴な瞳とディオル殿下の怪訝な視線を同時に浴びながら居住いを正す。


最初は私も補佐として後ろに付く気でいた。しかし何を思ったのか聖女がそれを頑なに拒否し、彼女を溺愛するクリス殿下はパレード当日私に別の仕事を言いつけた。


「その日は王都の結界を貼り直すお務めがありますので。」


「聖女の披露パレード当日に、ですか?」


「あの聖女が民の歓声を受けている最中に、お前が人知れず聖女の務めを果たすのか?

...誰の指示だ。」


今まで聞いたことの無い低い声にひやりとする。

これにはクリニークさんも納得がいかないようで眉を顰めて思案顔だ。もちろん、私もあからさまだとは思う。

しかし指示を受けた時の私の気持ちは、歓喜。

もうそれはそれは嬉しかったのだ。別行動出来るので聖女に悪態をつかれることも無ければ大衆の面前に引っ張り出される事も無いし、仕事は得意な1人作業!

予定を聞いてから憂鬱で仕方なかった行事が聖女のワガママで無くなるとは思いもよらなかった。もし後から文句を言われてもクリス殿下の指示だから私に責任は無いんだもんね!



「聖女は例え補佐でも狙われやすいもの。聖女様はクリス殿下方がお守りするので私は狙われないよう欠席して身を隠すのが最善です。」


「間違ってはいないが、それではあまりにも...!」


「お気持ちはありがたく頂きます。しかし私もいつ狙われるか分からないパレードよりも、落ち着いた場所でお務めに励む方が気が楽ですから。」



健気アピールになってしまい苦笑いが漏れる。聖女と離れたいとも言えないのでこう言う他ないのだ。

重苦しい沈黙が降りる部屋の中、次の言葉を探そうと視線を彷徨わせたところで小皿のブドウが目に入る。


ああ、そういえば朝から何も食べていなかったっけ。

空腹を思い出した健全な10歳児のお腹は結構な音量で食糧を欲した。静寂に包まれた部屋で響けば、まあ発信源もバレバレなわけで。ブドウを見るんじゃなかった。


「...朝食は食べたのか?」


「そのはず、なんですが。成長期ですかね?」


じっとりとした瞳に射抜かれ恥ずかしさと嘘をついた気まずさで一歩足を下げる。今の空気で食べてないなんて事になれば大神官様が虐待を疑われかねない。



「ケイト。」


「畏まりました、軽い物をお持ちいたします。」



あれ?ケイトさんいつの間に戻ってきたんだろう。

振り返った時には既にドアが閉じていた。初めて会った時からそうだが、彼女はメイドよりも隠密が向いているのでは?



「シノが心から納得しているのならこれ以上は言わない。だが思うことができたらすぐに言え。」



立ち上がった殿下に両手で肩を抑えられ整いすぎた顔が目の前に迫る。吸い込まれそうな深い青に何度も首を縦に振るとややあって殿下は席に戻った。

まったくなんて破壊力だ、呼吸すら止まってしまった。



「結界の貼り直しは今度が初めてか?」


「いえ、郊外で2度経験しています。」



実はディオル殿下の治療に携わる傍ら、この3ヶ月で貴族への営業以外の作業は全て経験した。王都の外まで出向き結界を貼り直すのはスケジュール的には厳しかったが作業自体は1時間ほどで終わったので結界点検はアタリの仕事だ。とんぼ返りしたので観光出来なかったのが唯一の不満だろうか。


「いつの間に...シノ様はお顔に出ませんね。」


王都との行き来だけでも疲れるのにとクリニークさんが目を瞬く。確かに長時間馬車に揺られるのは疲れたが、厄介な上司と2人で出張に行かされるよりは手配も話し相手もしなくていいので遥かに楽なのだ。


「軽食をお持ちしました。」



え、早くない?

振り返るといつの間に目の前に銀のワゴンが運び込まれており、瞬きのうちにテーブルの上に料理が並ぶ。


ベーコンと卵が挟まれたサンドイッチと瑞々しいサラダ、湯気の立ち上るコンソメスープにデザートのリンゴまで。元の世界では手軽に食べられる物だがこの世界で真っ白なパンと新鮮な野菜は超高級品だ。毎朝神殿で全粒粉のパンに干し肉を挟んだだけのものを食べている私には最早遠い世界の食べ物だった。ちなみに聖女はそれを嫌がり毎朝大量のフルーツを平らげている。



「これは...殿下のおやつですか?」


「馬鹿を言え、どれだけ性格の悪い男なんだ俺は。シノの朝食に決まっているだろう。」



これまたいつの間に用意されて椅子をクリニークさんが引いてくれて、殿下と向かい合うように腰を下ろす。

ふわりとスープのいい香りが鼻をくすぐり喉がごくりと生唾を飲み込んだ。


「あ、ありがとうございます。...いただきます。」


まずはスープをひと口。いつも食べている野菜だけのものと違うコクと脂を感じて思わずもうひと口。サラダは萎びやすい葉物もシャキシャキでドレッシングも絶品、サンドイッチのパンは勿論フワフワでベーコンの塩気が小麦の甘さが際立たせていた。途中でケイトさんが注いでくれたオレンジジュースも酸味がちょうどいい。

うーん、美味しい。幸せだ。


「そんな顔もするのか、お前。」


「...え?」


はたと目の前の殿下を見上げれば頬杖をついた彼の青い瞳は意外とばかりに見開かれていて、やがてゆっくりと満足げに細まった。


「意外と年相応の所もあるんだな。」


僅かだが確かに吊り上がった口角に今度は私が目をひん剥く。この3ヶ月でずいぶん打ち解けたつもりだったが笑顔を見たのはこれが初めてだった。


「私は殿下が笑ったことが意外でした。」


「さっきから無礼だぞ。」


仏頂面に戻ってしまった殿下にリンゴを奪われ柄にもなく憤慨すると肩を震わせたクリニークさんが宥めにかかりケイトさんがどこからともなく現れた追加のリンゴを剥いてくれる。


なんだろう、この暖かな空間は。ここが職場だなんて私は近々死ぬのかもしれない。

いや死んでここに来たのだから次は魂が消滅するのか?


「今私、ここに来てから1番幸せだと思います。」


ぽろりと溢れた本音に他の3人の動きがぴたりと止まる。

おっと、これも虐待案件だったか。


「いや。特に深い意味は」


「シノ、これから往診の時はここで朝食をとれ。」


大人2人と顔を見合わせ額に指を押し当てた殿下はため息混じりに命令する。それって3日に1回はこんな朝ごはんが食べられるってこと?


「そ、そんな身に余る...」


「もう見てられん。俺の矜持の問題だ。」


そんな不幸オーラが出ていたのか、ちょっとアピールっぽくなっていたのは自覚があったが普通に凹む。

大神官様が虐待容疑でしょっ引かれてしまったらどうしよう。子供にこんな医者の仕事をさせている時点でどうかとは思っていたが、どうせ罪を問うならあの外面王子を有罪にしてほしい。ブサイクだから診てこい発言は一生忘れんぞ。


「まあ断ったところで用意はするがな。」


「...お心遣い、本当にありがとうございます。」



一端椅子を引き、きちんと礼をするとおざなりに返事を返した殿下はまた一切れリンゴを口に入れた。


仕事中にこんな穏やかな気持ちになれるなんて、この世界はやっぱり素晴らしい。優しい空間にすっかり癒された私は、戻った途端聖女がパレードの衣装をド派手に変更しろと暴れていようが仏の顔で対応にあたれたのだった。



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