11.謁見の間
王宮の最奥、国旗の鳥と剣が緻密に描かれたわたしの身長の何倍もある扉はこの国のどこよりも守りが堅い。磨き上げられた鎧を纏う衛兵が槍を引くと重厚な音とともにゆっくりと扉が開かれた。
わたしにはそれが、地獄の門が口を開けたように見えてならない。
「...ーー行くぞ。」
気を張り詰めた殿下の声に嫌でも背筋が伸びた。
扉から深紅の絨毯がまっすぐ伸びた先には2つの玉座、無論そこには周りを衛兵に固めたれた陛下と王妃様がいる。
ディオル殿下と大神官様の後ろを歩き2人まであと数メートルという所で殿下は臣下の礼をとり大神官は平伏したのでわたしもより深く頭を下げる。一瞬垣間見た姿は後ろのステンドグラスから漏れる光と相成り神がかったような美しさに思えた。
さすがはイケメンの血統、お二方とも子持ちとは思えないほど若い。どちらも輝くような金髪で、陛下は冷たくも威厳に満ちた迫力系美丈夫、王妃様は柔らかな面差しの超絶美女だ。現実逃避で眼福に浸るには十分すぎる。
「顔を上げよ。ーー久しいなディオル、息災な姿が見れたこと嬉しく思う。」
「顔色も良くなって、本当に安心したわ。」
「全てはここに居る聖女補佐シノを派遣された陛下のご指示の賜物で御座います。王妃様もご心配おかけしました。」
「ふむ。この子供が...話は聞いているが随分な性根らしいな。クリスを通じて苦情が来ている。なんでも暴言や中傷は日常的で、本来騎士団に依頼されるはずの魔物の討伐を肩代わりさせたり、全貴族へ浄化魔法をかけるよう強要したり。それはクリスによって阻まれたようだが。」
「陛下、どうか私に発言の許可を...」
「ならぬ。私はディオルに話がある。」
発言を許されず俯いた大神官様からこちらに一瞬だけ向けられた青い瞳は形も色も殿下と瓜二つだ。しかしそこに宿るのは冷たい光。
血管の脈打つ音がぐわんぐわんと頭を揺らす中、わたしは考えられる範囲で最悪の事態に陥ったことを知った。
「命を救われたお前は重宝しているようだが、お前の側にいるべき人間ではない。」
心臓が握りつぶされたような心地だった。
吹き抜けの謁見の間に張り詰めた沈黙が落ちる。発言が許されるはずもなく、俯いた視界が瞬く間にぼやけていく。目元が燃えるように熱くて、喉から込み上げてくるなにかを飲み下す。
早く、一秒でも早くこの場から立ち去りたい。もう嫌だ。
「...お言葉ですが陛下、私が側で見る限りこの者は国を支え弱きを助ける善行を数多くこなしています。貢献を評価されるべき人材です。」
「ほう...随分気に入っているようだが、その力も聖女より賜ったものだろう。実績ではなく本来感謝し心より仕えねばならん者に対し、傲慢に振る舞い無理難題を押し付けるその心を言っているのだ。」
殿下は言葉を尽くして誤解を解こうとしてくれている。大神官だって発言しようとしてくれた。もうその事実だけで十分だと思えたら、どんなにいいか。
もしこれで殿下と離れるよう言われたら...。出奔してソルキン村にでも逃げ込もうか。おばあちゃんの下で病人や怪我人を治しながら薬草茶を好きなだけ飲める生活...悪くないかもしれない。
髪や瞳の色を隠密スキルで変えて、偽名は...まあなんでもいいか。
姿も見えない、声も聞こえない、新聞や人伝の情報でほんの少しの近況を知る。
第二王子殿下と私の距離なんて、本来その程度。むしろ聖女の補助から解放されて、悠々自適なスローライフだって夢じゃない。
なのに、なんでこんなに人生に絶望しているんだろう。
「ーーでは、その性根の持ち主がいったい誰なのか、今からご覧にいれましょう。」
「...何?」
芯の通った強い声にはっと顔が上がる。
目の前の背中はしゃんと背筋が伸びているせいかいつもの何倍も大きく見えた。
その殿下の指示で動き出した大神官様は、懐から紙の束のようなものを取り出し陛下に提出する。目を通し始めた彼の冷たい瞳は徐々に、最後は遠目からもわかる程見開かれた。その後顎を指でさする陛下がおもむろに場所を変えるか、と片手を挙げて振る動作をすると、それが合図だったのか周りを固めていた護衛達が折目正しく部屋の外へと退却していく。
それをぽかんとして見送れば入れ替わりで入ってきたメイドさん達にさらに奥まった通路を抜けた応接セットがある部屋に通されて、座らされ紅茶が出される。
湯気から良い匂いがするんだろうけど今はそれを感知できる余裕もない。現状すら把握できてないのだ。
メイドさんが音もなく部屋から出ていき、ほんの僅かな扉の閉まる音を脳の片隅が拾った。
国王親子と聖職者の頂点の大神官様、そして糾弾されるはずだった場違いのわたしだけになった少し狭めな室内で陛下が書類をめくる音だけが続く。
「...これは真なのか。いや、こんな数の人間が私に虚偽の報告をするとは俄かに信じられん...。」
「今まで陛下のお耳に入らなかったのは、大神官とシノの間で聖女を信仰の象徴にする以上醜聞は許されないと話し合いがなされ箝口令を敷いたためです。今回は私の権限を使い証言させました。」
「クリスの側近のものまであるでないか...なに?菓子を口に詰め込み服に欠片をつけながら喋り、クリスに務めを命令させた?!なんの冗談だこれは!」
この内臓が震える怒号にとても遺伝子を感じる。
物凄い速さで紙が捲られていき、どんどん眉間の皺が深くなっていく様を見ていると危機が過ぎ去った気配が少しずつ侵食してくる。分厚い紙束をものの数分で読破したらしい国王陛下は眉間を指で揉みほぐしながらシノと言ったか、とうめくように声を出したのでひっくりかえった声で返事をした。もう胃までひっくり返りそうだ。
「大神官と話し合い補佐に回ったと言ったな。なぜこの状況に陥っても大神官に改善を求めなかった。いや、そもそもなぜ初めから自らを聖女だと示さなかったのだ。
大神官よ、報告書には聖女の力は微々たるもので全てこの者自身の力だと書かれている。顕現時パレードは実施前で聖女の交代は可能だったはずだな。」
「仰せの通りでございます。スキル確認の水晶のご用意もあります。」
国王陛下はもとより、その隣で挨拶以降一言も声を発さない王妃様の視線もひしひしと感じる。
魔法とスキルの事までバレたってことはこれ、一歩発言を間違えると大神官様の首が物理的に飛んでしまうのでは。
胃が痛すぎて吐けるのならこの場で吐きたい。
ごくりと生唾を飲み込む音さえ響きそうな応接室で縋るように大神官様を見ると、この期に及んでいつも以上に柔和な笑みを返されてしまった。
なんでそんな顔が出来るのか、今まさに詐称が露見してしまっているのに、何故。
「私から、申し出ました。初日に聖女様と接し2人の聖女という状態が好ましくないと判断したので、より国民の皆様に聖女として愛されるであろう容姿の彼女を補助する形にすれば、丸く済むと、考えまして...」
ここまで言って言葉に詰まった。
丸く済むだなんてどの口が言っている?多方面に箝口令を敷いて大神官様を巻き込んでバタバタ焦って、ディオル殿下にこんな、裁判の弁護人みたいなプレゼンまでさせて?証言を集めて書面に書き起こすなんて、どれほど面倒な事か。それもあんな厚さの束になるまで。
わたしがはじめからめんどくさがらず彼女と戦っていたら、大神官様はもとよりディオル殿下やクリニークさん、ケイトさんに要らない心配ばかりかけなくて済んだのに。報告書を作る労力と時間を彼ら自身のために使えたのに。
自分で作り出した状況にイライラして無茶ばかりやってそれがカッコいいだなんて、心配されて嬉しいだなんで、馬鹿にも程がある。
罪悪感と、情けなさと、恥ずかしさで消えてしまいたかった。
「すみません、こんなたくさんの方のご迷惑になるとは考えもつかなくて...。ディオル殿下と大神官様はわたしの意向を否定することなくいつも身を案じ協力してくださいました。皆様に、なんとお詫びしたら良いのか...。」
申し訳ありませんでした、床に座り直し額を床に擦り付けるとし顔をあげよと声がする。
「そなたの仕事ぶりは既に把握していた。子供の身で聖女の鑑といえる数々に疑問を持った所に信を置くクリスからの報告を受け、事実確認を怠った我々に責がある。この私的な場に限りになってしまうがどうか、謝罪させてほしい。」
「その小さな手足でこなしてくれた務め、国民への気持ちを無碍にする行為でした。心から謝罪します、本当にごめんなさい。」
「そんな、偽っていたのは私の一存になります。陛下が謝られる必要などありません!」
むしろ私の勝手な無茶のせいで事態をややこしくした自覚がある。
顔色が悪くなっているのに気がついてか、ふ、と表情を緩めた陛下の目尻にほんの少しの皺が見えた。
「そなたの性根はわかった。その幼さでなんとも難儀な...。大神官よ、なぜ放っておいたのだ。子供の身で耐え得る負荷ではないぞ。」
わたしの肩をそっと抱き椅子に座り直させた大神官様は、穏やかながら芯のあるはっきりした口調で聖女様もまた聖女であるからでございます。と断言した。
「何もしない人間は我々からすれば疑問の残る存在、しかしながら選定は神のご意志であり、我々の都合で差し替えるなど許されません。」
「意思も力も持たずともか?聖女と補佐の入れ替えも?ただの穀潰しのために、これから聖女が死ぬまで民の血税を湯水のように消費し続けろと言うのだな?」
「聖女様はかの女性。それは違えようがありませんので...」
大神官様を睨む瞳には王としての怒りがありありと現れていた。大神官様が顔を青くして悲観していたのはわたしの能力の詐称じゃなくて、無力なヒキニート聖女を賓客待遇し続ける事に気づかれてしまうからか。
「しかし神は力を補うべく、このシノ様という聖女としての力と使命感に溢れる方を補佐として遣わして下さいました。」
「それとこれとは話が別だ。
神殿はこの国の民が必死の思いで納めた金をまるで小銭のように扱う。それでいて祈れば救済されるとふれ回るなど、鼻で笑い飛ばしたくなる話だ。」
「ーー神のご意志には逆らえませんので...」
「大々的に公表しろと言っているのではない、血税を使わせるのなら筋を通せと言っておるのだ。聖女の嗜好品と服飾費はクリスの私費だが生活費や教育費の出所は国庫だと知らなかった訳でもあるまいに。」
どんどん温度が下がっていく国王の声に胃が再びキリキリ痛み出した。滅茶苦茶に片棒を担いでいたのでわたしも同罪だ。
申し訳ございません、と椅子から立ち上がり深く頭を下げた大神官様に続けてわたしも深く深く頭を下げた。
「以後、聖女を神殿預かりとし居室を移す。大神官よ、これは貸しだぞ。」
「寛大なお心に感謝申し上げます。」
「お待ちください陛下。
兄上と事前に話し合うべきかと。聖女に関する際は精彩を欠くようでシノに何か危害を与える可能性もあります。」
「あらまあ!ディオルが言うならやっぱりあの子おかしいのね。」
思うところがあったのか目を開いた王妃様の横で、陛下は物珍しそうに目を瞬いた。何故か少し嬉しそうにする王妃様を見てから顎をさするので、癖なんだろうかとぼんやりと考える。
「驚いたな...。いや、クリスか。確かに聖女に愛情を注いでいるという報告を受けているが部屋の移動は民の血税に関わるのだ、有無は言わせぬ。ああ、婚約を整えるつもりだったがそれも白紙に戻さねばな。」
待って、待って、ちょっと休憩させて。
さっきから焦りに安堵、驚愕絶望からの自分を振り返った情けなさそして怒られた恐怖でもう感情ぐっちゃぐちゃで整理ついてないんですけど。
というか、わたしにお咎めは無しということでいいの?聞きたくても、とても声を出せる雰囲気ではない。優しげな王妃様さえ眉を寄せている居心地の悪さにそっと机の下の指を擦り合わせる。
ーーそれにしても、愛情、ね。
魅了魔法にかかったせいと言ってもいいんだろうか。
クリス殿下は盤石の立場を築いている王位継承者だ。それが魅了魔法で聖女の言いなりというのは非常に不味い。
それを防ぐために王はどんな対処をするだろう。
魔法を解く方法は術者、すなわち聖女本人が解除するか死ぬかしかない。あの人が首を縦に振るような説得材料はなんだろう。
一生働かず豪遊できる保証?使用人がたくさんいる煌びやかな豪邸?どれもクリス殿下と結婚すれば自ずと手に入ると考えているはず。
つまり、彼の代わりが必要なのだ。
すこぶる贅沢な生活が出来て、なおかつ見た目がクリス殿下ばりに良く、しかしクリス殿下ほど権力が無いが優越感に浸れる立場を持つ人物。
ああ、そんなの一人しかいないじゃない。
「聖女シノよ、あの二人の近くにいてなにか気づく事はあるか?」
わたしをまっすぐに見る、冷たい海のように研ぎ澄まされた青い瞳。そして同じ色の目の彼とも視線が絡まる。
気難しそうな表情ばかりだけれど、中身はお兄さんが大好きで自分も働きすぎるくせに他人があくせくしていると見過ごせない優しい人。
高い志を持って努力していて、ありがとうと、心配していると、声と行動で示してくれる人。何故それすらあの聖女に捧げないといけないの。
じりじりと米神が熱いような、痛いような。
全部あの人の思い通りになるために、この国のために、何故私が何もかも我慢しなければいけないの?
「ーーー聖女様を、溺愛しているとしか。」
「溺愛か。しかし金品の催促は断っているというし...。」
...うん?そういえば大神官様もアクセサリーや観劇チケットをせびられても断っていると言っていた。魅了魔法というとそのへんも全部言いなりになってしまう認識だが、王族にも関わらず手持ちが無いのだろうか?いや、見るたびに手には高級品であるケーキを持っている。けれど値が張る贈り物は初見のネックレスと件のお茶会のドレスだけ。デートも断っていると聞くし...魅了魔法が一部分だけ適応されないなんておかしい。
「あの子、今までどんなに素敵なお嬢さんと会わせてもちっとも響かなかったのに。...まさか灰汁の強い性格が好みなのかしら?」
のほほん、と。そんな表現がぴったりな王妃殿下の言葉に部屋の空気がなんとも言えないものになる。
もしかしてがあるのか?アレを正気の状態で愛おしむとかあり得るのか?と目配せし合う私と大神官様の横で、ディオル殿下と国王陛下はよく似た眼差しを同じような角度に伏せ思案中のようだ。こうして見ると目元以外もよく似ている。むしろ髪色が違うだけで生き写しでは?
誰だ不義の子と法螺を吹いた大馬鹿者は。
「一度話をしてもいいが...お前はどう考える。」
「シノの件を聞くと私が守れとの事でした。現状を把握した上の行動なら目的があるのでしょう、話をするべきと考えます。」
「今のところ実害はシノの境遇だけ、改善をディオルに任せる気なら何かしら思惑があるのだろうな。なぜ身内を騙すような振る舞いをするのか...」
一度場を設けるか、と顎をさする陛下におっとりと王妃殿下が口を開く。
「場を設けるだけでは足りないわ。白黒つけておかないとこの可愛い子がずっと虐められてしまうのではない?」
ねえ?とこちらに視線を向けた王妃殿下は優しく微笑んでくれているが、その可愛い子がどんな意味合いを含んでいるのかと勘繰ってしまい引き攣れた笑みになってしまった。
ほぼほぼ無意識にディオル殿下を見ると、いつもよりずっと強い瞳が私を射抜く。
「同意を得たので、これからは俺の側に置きます。」
「ふふ..瞳の色のネックレスまでつけておいてこれからなの?」
「近くご報告するつもりでしたが...諸々調整し結界の張り直しを一年で完了。淑女教育を二年、三年後俺と共に王立学園に入学させると決めました。」
その言葉に今度は殿下を見る両陛下の目がぐっと真剣味を帯びた。権力者というには血の通った温度を感じるそれを真っ向から受け止めた彼が、父親譲りの瞳で見つめ返す。
「...意味を理解した上での事だな?」
「勿論です。」
「本気なのね?」
「はい。既に養子縁組を頼む相手も見当をつけてあります。」
思うに、事が聖女補佐に貴族教育を施す以上な扱いではないか。私が学園に通う事に特別な意味が込められているとして、認識を確認したうえ、本気なのかと聞くほど覚悟がいる事案...?
私が認識していないのは危ないのでは?
ディオル殿下は両陛下と話中なので必死に大神官様に目配せすると、地母神のような微笑みの目尻にうっすらと光るものが...。
ちょっと待ってもらいたい。一緒に学園に入学するのは何の意味があるというんだ。
「あ、あの...」
「覚悟はわかった。認めよう。...しかし結界の貼り直しを一年で終わらせるとなれば相当な負荷をかける事になる。シノの心身を見極めながら慎重に進めるように。」
「重々承知しております。魔物の討伐など替えのきく依頼は報酬を工面し、冒険者ギルドへ発注する用意があります。」
「諸々根回しが効くなら良い。」
最後に、シノよ。と降りかかる声に視線が吸い寄せられる。身の縮む威厳は変わらないけれど、誤解が解けたからか眼差しが少し緩んだような気がする。
息子に弁護人みたいな事をさせてしまった訳だし、本当に気のせい程度だけど。
「...贖罪をしたいところだが、そなたの性根では逆に重荷になろう。私達はそなた達二人の意思を可能な限り尊重することにする。
どうかディオルを信じ、決して心身を壊すことのないよう努めてほしい。」
「無理をせず何かあったらディオルを頼って。勿論、私達で力になれることがあれば言って欲しいわ。」
ーーそなたはこの国になくてはならない存在なのだから。
その言葉が体に沁み込んでくるように、胸が熱くなる。
承認欲求を満たされるというのは、こんなにモチベーションが上がるのか。
ふと目が合ったディオル殿下の吊り上がった目尻が穏やかに下がるのを見て、じんわりと沁みてくる実感に先程とは違う感情からくる涙の膜が張った。
「....はい。」
「大神官も承知との認識で良いな?聖女の側からシノを離すのは神のご意志に反しないのだな?」
「ディオル殿下と共にあろうとも、聖女のお務めが滞らない限りシノ様は補佐様でございます。」
「なるほど。務めを怠らず聖女の椅子にあの娘を据えていれば良いのだな。ならばこちらも相応の配慮をしていこう。民達が混乱しないならそれに越した事はない。」
国王陛下がお飾りだと認定してしまった...。
いや、聖女のアラ隠しをしてくれる超強力な助っ人が現れたと言うべきか。
なにせ国のトップが直々に彼女を真っ当な聖女に仕立て上げてくれるのだ。
尻拭いをさせるようで胃が痛いが、それは私の部下力が足りなかったと反省するしかない。
神らしきあの少年からしたら、聖女の代わりではなくアシスタントとして私を派遣したにも関わらず彼女が全く動いていないこの現状は意に反しているだろうが...。
「シノの力は聖女より賜り、本人は神殿にて祈りに徹すると情報を国全体に広めよ。居室を移した後はそこから出さぬよう努めること。始末に困るようなら人を向かわせる。クリスに関しては、婚約者の選定が始まるまでは制限しないものとする。」
「お心遣い痛み入ります。加えて恐縮なのですが、部屋に滞在して頂くにあたり知恵をお貸し願えますか?クリス殿下もお忙しい身であられますし聖女様へと民から届く供物は花束や似顔絵といった物に限りますので...」
「花は好まないのか?」
女性は好むことが多いだろう、との言葉に大神官様と視線が絡む。
目に入ってると思いますか?いえ、気にした事ないと思います。
「ケーキやお菓子といった甘味をひどく好まれるようで...」
本当はドレスやアクセサリーが一番関心を引けるが、王家におねだり出来る範疇を超えるし清廉潔白な聖女に下心を疑われるお金や貴金属を捧げる人もそうそう居ない。大体が白い花束だ。神殿にはそこかしこに花瓶に生けられた花束があるが、彼女がそれを気にかける素振りは未だかつて見た事が無い。
「供物に菓子を選ぶ者はおらぬ。城の料理人にレシピを書かせよう。」
「ありがとうございます。王城の甘味はよく召し上がっていますので、引き留めるのも可能でしょう。部屋を飾りつけて見目の良い家具を用意するのに数日かかるかと思われます。」
...なんというか。もし仮に自分が預かり知らぬ場でされたらと想像するだけでぞっとなるやり取りだ。幼児のように甘いもので気を引かれ、外に出すと都合が悪いと部屋に隠されて。それが一生続く?
内心散々暴言を吐いてきた私が同情するのも変な話なのに、正しく飼い殺すという表現がしっくりくる処遇を聞くと言葉にできない気持ち悪さが渦を巻く。
お粗末な人物ではあるが、そんな、鳥籠に閉じ込めるような対処法が果たして許されるのか。
「陛下、申し訳ありません。シノの顔色が優れないのでひとまず下がらせて宜しいですか?」
背中に温もりを感じて肩がぴくりと跳ねる。
すぐ横から聞こえた声に顔をあげるといつの間にかディオル殿下が横に立っていた。
「ああ、あとは我々で話を進めておく。務めが続いていたな、ゆっくりと休め。」
「疲れているのに呼び出してごめんなさい。ディオル、お願いね。」
「お任せ下さい。」
頭を下げ、部屋を辞するとすぐに追いかけてきた大神官様が自室へと転移魔法で送ってくれた。もう自分で発動できるのだけどなんだか気力が湧かなかったので助かった。
大神官様が陛下との話し合いに戻り、神殿の自室前の廊下に殿下と二人きり。
背中に添えられたままの手のひらが、そっとドアに近寄るように誘導する。
「...疲れただろう、今日はもう休め。」
ドアまで開けてもらい部屋の中に入る。
このままベッドに飛び込んでしまおうかなんて考えが頭をよぎった時、後ろでヒュッと息の詰まる音がした。
「殿下?」
「...これがシノの部屋なのか?補佐とはいえ聖女の部屋だろう、なぜベッドと机と椅子しか無いんだ。」
眉を顰めた殿下の言葉に部屋を見渡すが、確かに殿下の言葉以上でも以下でもない、ベッドと机と椅子しかない部屋だった。
厳密に言えば窓にカーテンはかかっているがそういう問題ではない事くらいは把握できる。
以前殿下から頂いたワンピースや寝衣、身支度の道具は机の中に仕舞っているし、天蓋付きのキングサイズベッドで寝ている王族の彼からすればさぞ殺風景に映るだろう。
今までなんの不満も無かったから足すという考えもなかったが確かここに住み始めたくらいの頃、家具は好みに合わせて買い足してくれれば良いと説明された気がする。
...そしてそれを殿下が把握してるはずもない。
「誤解ですよ?買い足してくれと説明は受けていますからね?特に不便を感じなかったのでそのままなんです。」
「...」
はあ〜、と額を手で覆ってしまった。
そして私の目の前に回り込むとしっかりと目を見据えられる。
「お前は自分をおざなりにしすぎだ。」
はあ、と自分でも気の抜けた返事だったと思う。朝食が取れないことはあるが毎日二食は摂っているし隈が出来ない程度の睡眠時間は確保できている。生前に比べれば比べたくもないくらい自分を大事にしているつもりだった。
「今だって、陛下と大神官の会話に顔を強張らせていただろう。あの場で意見するのは憚られるだろうが一番の被害者はシノだ、必要なら俺が代わりに伝えるから一度感じたままに話せ。」
「...それが先ほどの言葉と関係するんですか?」
「自分の感情にむやみやたらと蓋をするなという意味だ。」
これだけ近くにいるのだからいい加減本音を出せと言って、殿下は私の手を取ってベッドへ腰掛ける。繋がれた私もその横に行かざるおえなくて、ベッドの端に隣同士膝を突き合わせて座るような形になった。
「同じ神殿内に居室があるのは息が詰まるか?」
「いえ、そうではなく...」
そうしろと殿下が言うなら、心のうちを晒すのに抵抗はないけれど。感じたままに話すとなると理路整然とはいかない旨を伝えてもそれで良いからと押し切られたのでさっきのやり取りで感じた気持ち悪さを素直に吐露した。
聖女に相応しくない人柄だという理由で、軟禁のような真似が許されるのか。
「彼奴の心配をしていたのか...。俺は、苦労もせず安全な神殿の中で豊かな生活をするだけなど許し難い。生温い、と怒鳴りたくなった。」
「心配ではないですが...ご自分が同じ環境に身を置くとしても、豊かな生活だと言えますか?」
世話人を含めて僅かな来訪者だけで構成される狭い世界。外に出ようとすれば焦ったように好物を出されドアから遠ざけられる。来訪者の訪れを今日は明日はと切望しながら生産性のない、ただただ美しい部屋で呼吸と食事と排泄と睡眠をくり返す生活。
数日数週間なら天国だろうが、幾年と続けば気が狂ってもおかしくない。
何も生み出さない自分に、いつまで来訪者が来てくれるのかという不安は想像しただけで心が折れる。
話し終わってふう、と息をつく。
自分の感情を外に出すのはあまり得意じゃない。伝わっただろうかと横を窺い見る。
真顔か、はたまた思案顔かと思った表情は眉も目尻も下がって口角だけが僅かに上がっていた。細められた瞳はずっと真っ直ぐに私を見ている。
...こんな顔は初めて見た。
「聞いてよかった。ずっと疑問だったが...お前は寂しがりやなんだな。」
「...はい?」
疑問だったって何が?
そもそも私が寂しがりやって...一体いつそんな小っ恥ずかしい自己紹介をしたというのか。
二の句が継げずに口を開閉する私。繋いだ手を握り込んだ殿下の親指がそっと手の甲を撫でる。
「誰にも必要とされず、部屋に一人取り残されるのが辛いんだろう?毎日誰か尋ねてくるのを切望するくらいに。」
「それは...実際他人との接触が制限されるわけですし。待つだけなんて、誰しも不安になるかと。」
「言っておくが、シノが留め置かれるとなれば来客はひっきりなしだぞ。...俺とこうして個人的な話をする時間すらとれない可能性もある。」
「ああ、行けば確定で浄化魔法が受けられるんですもんね。」
部屋に閉じ込められながら押し寄せる人波に忙殺される自分を想像してぐっと眉間に皺がよる。
「否定はしないが、皆が皆お前の能力目当てでもない。大神官をはじめとする神殿の者は様子を見に日参するだろうし、クリニークは体調管理を申し出る。身の回りの世話はケイトが焼きたがるな。シーガルあたりが待遇の変更を求めて動くからそもそも拘束自体短期間になるだろう。」
はた、と目を瞬く。
一回り大きなそれですっぽり覆われて見えない自分の両手。剣の素振りをするからか固い手のひらに痛くない強さで握られているのがひどく心地よくて、思わぬ本音が漏れた。
「殿下はいらっしゃらないのでしょうか?」
自分で言っておいて耳を疑う。これではさっきの殿下の言葉の通りである。
いい年(精神的)をして何を子供じみたことをと、じわりと頬に血が集まる感覚に顔を覆ってしまいたい衝動に駆られたが年上で体も鍛えている殿下に握られた手は抜けなかった。
くつくつと笑う声が耳を擽る。
視線をあげて見る殿下の表情はさぞ目の保養だろうに、今はまともに顔を見られる気がしない。
「側に置くと言っただろう。お前が留め置かれるのは部屋というよりは俺の元にだ。」
どうだ、それなら寂しくないか?だなんて揶揄ってくる声は笑いを含んでいてますます頬が熱い。背中がむず痒い。
なんだこれ、私は今何の話をしているんだ。
「話が見えません。今は聖女様の件を相談しているのであって、もし私が同じ状況下に置かれたらなんてタラレバを想像する意味なんて...」
「同じ状況下で何故ここまで違うかわかるか?」
顔をあげる。青い瞳に先程まで声に乗っていた揶揄いの色は微塵もなかった。
「聖女とて同じ条件なんだ。彼奴からの接触が制限されるだけで、事情を知る近しい者が自主的に部屋を訪れるのは制限を設けていない。」
その自主的に訪れる人間がクリス殿下しか思い浮かばないからこその気持ち悪さだというのに。
孤独を耐え難い苦痛とするなら、尚更聖女の処遇はそのまま陛下に委ねるべきだと殿下は言う。
「シノと彼奴の違いは性格と日頃の行いだ。もし聖女が孤独に苦しみ抜け出したいと願うなら、それが他者を慮るきっかけになる。
個人的には罪を問いたいが咎人じゃないんだ、行動が常識的になれば制限だって取り払われてお前が取り繕わなくても聖女の周りには人が集まるようになっているだろう。シノが心を痛めるような事態ではない。」
なるほど言うなれば、荒療治。
あの人が慈愛に満ちた笑みでもって人々を癒し皆に感謝される場面を想像する。
今は夢物語だとため息を吐きたくなるが、気がおかしくなりそうな孤独の中に放り込まれたら人間変わるのだろうか。
「...陛下にひとつだけお願いごとがあるのですが、良いですか?」
「伝える。言ってみろ。」
「彼女が心を病まないよう留意してほしいのです。」
心の病は一度かかると完治が難しい、治癒魔法だって効かないのだ。私を含め今まで聖女に関わった人の努力全てが無駄になる。
「まったくお前は...」
「心配ではなく、彼女の教育に関わった皆の努力を水の泡にしないためです。」
呆れたようでその実ひどく優しい顔をした殿下は、陛下に進言しておくと引き受けてくれた。
両手は未だに握り込まれたまま。こんなにも積極的に触れ合い、柔らかな目をする人だっただろうか。舞い降りた沈黙の中で息を詰めていると、シノの手は小さいなと囁くような声と共に殿下の指が手の平に入り込みするりと擦り上げた。
「ッで、殿下。そろそろお手をですね...」
「...ああ。」
力が緩みゆっくりと離された手の隙間から外気がすうと入り込む。しっとり柔らかくなった肌に部屋の空気は少し冷たく感じた。
「では俺は戻る。ゆっくり体を休めろ。」
「はい。ありがとうございます。」
殿下が腰を上げるときしとベッドが揺れる。続いて立ちあがろうとする前に手で制され、そのまま殿下は部屋を出て行った。記憶より広くなった気のする背中がドアで見えなくなり、完全に閉まったのを確認してベッドに倒れ込んだ。
「...寝よう。」
思い出すと身悶えたくなるのでもう今日は眠ることにした。疲労感は常にまとわり付いているので体を横にすれば必然的に睡魔が忍び寄る。食事は...起きたらにしよう。神殿のデキる料理番達は私が食堂に来ないとなれば廊下のワゴンに冷めても味の落ちない料理を用意してくれる。
布団に包まり胎児のように横向きに体を丸めると間も無く意識は暗闇に沈み込んだ。




