第三話「追放配信は二億再生」
第三話 追放配信は二億再生
俺たちが世界指名手配された一時間後、ミオはコンビニのおにぎりを選べずにいた。
「鮭と昆布、どちらが正解?」
「食べたい方」
「それが分からない」
「両方買え」
「主役時代の栄養管理表では、朝は炭水化物一単位」
「もう主役じゃない」
ミオは二つを籠へ入れた。
それだけで、少し嬉しそうだった。
佐伯奏太は警察へ保護を求めたが、担当者の目には彼が映らなかった。
「そこにいるのは分かる。でも顔と名前が頭へ残らない」
舞台から削除された影響だ。
キューは俺のフードへ隠れ、誰にも見られないよう説明した。
「クレジットのない出演者は、現実側の記録からも薄くなります」
「戻す方法は」
「本人を必要とする、新しい物語を作ること」
そのとき、店内放送が歪んだ。
《臨時公演を開始します》
《舞台――深夜コンビニ》
《強盗役――鳴海零》
《人質役――佐伯奏太》
《正義の配信者――天城ミオ》
床から黒い幕が上がり、客と店員が人形のように止まる。
「また俺が悪役か」
「似合わない」
「褒めてる?」
「事実」
入口の外へ、数十台の配信カメラが現れた。
カイトの追跡部隊だ。
台本どおりなら、ミオが俺を倒し、奏太を救う。
そうすれば彼女は主役へ復帰できる。
コメントが画面を埋める。
《ミオ、今なら戻れる》
《零を捕まえて》
《人質の子を助けろ》
《追放配信、二億再生突破》
「正義の配信者を演じれば、力が戻るかもしれない」
俺が言うと、ミオは鮭おにぎりを開けた。
「今、朝ご飯中」
「緊張感」
「主役役を辞めて初めて自分で選んだ。途中で捨てたくない」
昆布も開ける。
「両方おいしい」
「よかったな」
追跡部隊が突入した。
俺はレジ横に浮かぶ役札を見る。
《強盗役》の敗北条件は、正義の配信者に顔を映されること。
俺が動けば、カメラが追う。
交換は一幕一度。
俺は《強盗役》を、店内の監視カメラと交換した。
《強盗役――監視カメラ七番》
《監視役――鳴海零》
天井のカメラから黒い腕が伸び、追跡部隊の武器を奪う。
「物とも交換できるの?」
「役があれば」
俺は監視役の視界で店内全部を見る。
冷蔵庫の裏。
従業員通路。
舞台装置の制御箱。
「奏太。電車以外に好きなものは」
「機械。お父さんと、防犯カメラを直したことがある」
「制御箱を止められる?」
奏太は走った。
人質役は、助けられるまで動かないはずだった。
だが本人が役より先に、自分の得意を選んだ。
配役札へ亀裂が入る。
「右の赤い線!」
奏太が配線を抜く。
黒い幕が落ちた。
止まっていた店員が動き出す。
「佐伯君!」
若い店員が叫んだ。
「夜勤の手伝い、今日も来てくれたのか!」
奏太の顔が現実へ戻る。
店員は彼を覚えていた。
《新規クレジットを確認》
《佐伯奏太――機械に詳しい近所の少年》
世界の記録へ、一人の名前が戻った。
ミオは配信カメラへ向き直る。
「私は鳴海零を捕まえません」
《洗脳されてる?》
《失望した》
《主役失格》
「主役失格で結構です」
彼女は昆布おにぎりを掲げた。
「それと、私は昆布が少し好きです。鮭も好きです。投票は取りません」
意味不明な宣言は、十分後には世界中へ切り抜かれた。
《元世界最強、逃亡中におにぎり二個食い》
《天城ミオ、初めて好物を自分で決める》
好意的な反応も、批判もあった。
ただ一つ変わったことがある。
彼女を見る視線はもう、力にならない。
それでもミオは、カメラの前から逃げなかった。
店を出ようとしたところで、ミオの端末が鳴った。
画面には《緊急復帰プラン》と出ている。
通話相手は、主役時代のマネージャーだった。
『今なら間に合う。事務所はあなたを被害者として扱う』
「被害者?」
『鳴海零に役を乱され、正常な判断力を失っていた。そう発表する。あなたは会見で謝罪し、主役役へ戻る』
会見台本が転送される。
第一項、ファンへの謝罪。
第二項、俺との接触を後悔していると説明。
第三項、昆布おにぎりはスポンサー契約上の演出だったと訂正。
「最後まで仕事が細かいな」
俺が言うと、元マネージャーは声を強くした。
『あなたは黙って。ミオ、今の登録者減少を見たでしょう。契約は七割が停止。自宅も装備も、事務所名義よ』
「分かっています」
『戻れば全部守れる』
ミオは、二つのおにぎりが入っていた空の袋を見る。
「私が剣を落とした場面の未編集映像はありますか」
『あるけれど、公開すれば主役ブランドが――』
「公開してください」
『話を聞いていた?』
「聞いたうえで決めています」
『あなたは今、正常じゃない』
ミオの指が止まる。
主役時代、彼女が台本と違う提案をするたび、同じ言葉を言われたらしい。
疲れている。判断力が落ちている。ファンが望んでいない。
本人の意思を否定するとき、心配する言葉は便利だった。
「私は正常かどうか、自分でも分かりません」
元マネージャーが息を呑む。
「怖いし、零を完全に信用しているわけでもない。明日、別の選択をするかもしれません」
「信用されてなかったのか」
「世界指名手配犯を一日で完全に信用する方が危険」
「それはそうだ」
ミオは通話へ戻る。
「でも、今は戻りません。戻るとしても、被害者役では戻らない」
『契約違反よ』
「違約金の明細を送ってください。払えるかは、その後考えます」
通話が切れた。
「俺を悪役にすれば、復帰できる」
俺が言う。
「自分から差し出さないで」
「事実として、俺が役を交換したせいで」
「私が剣を捨てたのは、私の選択」
ミオは端末を握り直す。
「失敗なら、私の失敗にしたい。あなたのせいへ全部移したら、また自分で決めていないことになる」
数分後、事務所ではなく、ミオ自身の個人回線から短い映像が公開された。
俺へ剣を向ける場面。
手が震える場面。
迷った末、自分で剣を落とす場面。
格好いい音楽も、字幕もない。
反応は割れた。
《裏切り》
《自分で決めたなら応援する》
《分からないから保留》
《昆布と鮭、結局どっちが好き?》
最後の質問へ、ミオは少し考えて返信した。
《今日は昆布。明日は変わるかもしれません》
「それでいいのか」
「変わったら嘘になる?」
「ならない」
「では、これでいい」
店を出る直前、端末へ匿名の地図が届いた。
送信者名は《N》。
地図には、明日開く《新人オーディション迷宮》と、短い文。
《正式チームを作って》
《役なしのまま舞台へ入れる入口があります》
追伸。
《チーム名は、お兄ちゃん以外に決めてもらって》
《昔つけた金魚の名前、ポチだったよね》
「凪は生きてる」
「うん」
「性格も変わってない」
「それは少し残念そうに言うこと?」
俺は地図を閉じた。
次の舞台は、明日の正午。
そこへ入るには、最低三人の正式チームが必要だった。
◇
正式チームの三人目探しは、想像以上に難しかった。
登録掲示板へ募集を出す。
《チーム名未定》
《主役なし》
《固定報酬なし》
《世界指名手配中一名》
《契約凍結中の元S級一名》
《舞台から消えかけている未成年一名》
応募はゼロだった。
「正直すぎる」
ミオが言う。
「後から知るよりいい」
「危険手当を書けば?」
「払う金がない」
奏太が遠慮がちに手を挙げる。
「僕じゃ駄目ですか」
「駄目だ」
「即答」
「保護対象だからではない。十二歳で、戦闘訓練がなく、自分の家へ帰れる可能性がある。今チームへ入る利益より危険が大きい」
「ちゃんと理由を言うんだね」
「本人へ聞かずに決めるなって、妹に怒られた」
俺は奏太へ選択肢を示した。
チームへ入らず、機械担当として情報だけ助ける。
安全な場所から離脱する。
家族捜索を優先する。
奏太は三つ目を選んだ。
ミオの配信を見た母親から連絡が届いたからだ。
待ち合わせは、小さな交番の前。
母親は息子を見つけても、最初は名前を呼べなかった。
舞台の削除が記憶を塞いでいる。
奏太が泣きそうになる。
「お母さん。僕、電車の窓を一緒に直した」
「え……」
「誕生日に工具箱をくれた。お父さんには危ないって怒られた」
母親の目から涙が落ちる。
「奏太」
名前を呼んだ瞬間、二人の間へ伸びていた黒い線が切れた。
母親は息子を抱きしめる。
「帰ろう」
「まだ完全には戻ってない」
「それでも帰る。思い出せないことは、もう一度聞く」
奏太は俺たちへ工具箱を差し出した。
「持っていって」
「大事な物だろ」
「貸すだけ。返しに来てください」
帰る理由を一つ預けられた。
工具箱の底には、オーディション迷宮の古い配線図が入っていた。
父親が設備会社で働いていた頃のものだという。
「役なし用の搬入口がある」
ミオが地図を読む。
「凪が言っていた入口だ」
問題は三人目。
掲示板へ一件だけ返信が来た。
《面接希望》
《場所――湾岸第七倉庫》
《特技――盾、料理、大声》
《前職――悪役》
「罠だな」
「誰か分かる?」
「分かりすぎる」
応募がないまま、三人の候補へ直接会った。
一人目はA級剣士。
「天城ミオと組めるなら」と来たが、ミオへ主役復帰を条件にした。
「役なしの私は?」
「今の実力では、荷物持ちでしょう」
面接は三十秒で終わった。
二人目は人気治療配信者。
「鳴海さんを治療する映像の独占権が欲しい」と言った。
俺が断る前に、ミオが扉を閉めた。
三人目は無名の盾役。
条件も性格も良かった。
だが契約直前、家族から電話が来た。
「世界の敵と組んだら、弟の役が下がる」
本人は迷った末、辞退した。
「責めないの?」
ミオが聞く。
「本人の選択だ」
「怖くて選んだのに?」
「怖さを無視して選ばせる方が、役と同じになる」
ミオは応募一覧を閉じた。
「私も、零を選んだことで誰かの役が下がるかもしれない」
「後悔してる?」
「怖い。でも今は変えない」
「ならそれでいい」
昼を過ぎ、匿名の応募が届いた。
技能欄は《盾・料理・大声》。
希望報酬は《殴られること》。
「一人しかいないな」
指定された湾岸倉庫へ向かった。
倉庫へ着き、シャッターの前へ立つ。
内側から轟音。
次の瞬間、鉄板が丸ごと吹き飛んだ。




