第二話 主役を辞めた世界最強
第二話 主役を辞めた世界最強
舞台裏には、空がなかった。
黒い床。
黒い壁。
天井を走る無数の照明と、名前のない扉。
俺とミオは、手のひらサイズの少女を追って走った。
「右です。左は第六層の胃袋へ落ちます」
「先に言え!」
「先に言いました」
少女は《進行補助端末Q》と名乗った。
長いので、キューと呼ぶことにした。
「勝手な愛称登録を確認。異議はありません」
背後で、巨大な刃が床を突き破る。
処刑劇場が俺たちを敵役として追跡している。
《終幕未達成》
《敵役・鳴海零を舞台へ回収します》
「零、前!」
扉から首のない騎士が三体飛び出した。
ミオが剣を抜く。
いつもなら一閃だった。
今は、一体目の槍を受けた瞬間、身体ごと壁へ弾かれた。
「ミオ!」
「平気」
口元から血が落ちる。
主役補正を失った。
視聴者二千万人分の《スポットライト》も消えた。
世界最強と呼ばれた剣士が、ただの十八歳へ戻っている。
「退け」
俺は断頭王から奪った《敵役》の力を解放した。
黒い刃が床から生え、騎士三体をまとめて貫く。
強い。
同時に、喉の奥で笑いが漏れた。
「もっと来い」
敵を殺したい。
ミオも、キューも、逃げ道さえ壊したい。
敵役の衝動が、俺の考えへ混ざる。
「零」
頬を叩かれた。
ミオが俺の襟をつかんでいる。
「今、誰?」
「鳴海零だ」
「好きな食べ物」
「凪が作った焦げた卵焼き」
「私の好きな食べ物」
「知らない」
「正解」
彼女は手を離した。
「戻ってる」
「確認方法が雑だ」
「今度は私の好物を決めておく」
「自分で決めろ」
「だから一緒に探す」
こんな時に言うことではない。
だが敵役の笑いではなく、俺自身の息が戻った。
キューが非常口の前で止まる。
「この先は《幕間保管庫》。役の効力が弱まります」
扉を開ける。
中には、捨てられた衣装と小道具が山積みになっていた。
勇者の剣。
魔王の冠。
血のついた子どもの靴。
表彰台。
名前の消された墓石。
扉を閉めると、追跡音が止まった。
俺の頭上の《敵役》も薄くなる。
「ここに凪がいるのか」
「現在地は不明です」
キューは工具箱から一枚の紙を出した。
《舞台裏逃亡者一覧》
百二十七の名前。
先頭に鳴海凪。
「妹さんは、三年前に《最終犠牲者》へ配役されました」
「なぜ生きている」
「配役札を自分で破り、舞台裏へ逃げたからです」
ミオが紙を覗く。
「役札は本人が破れるの?」
「通常は不可能です。固定役を自発的に捨てた人間が、あなた以前にも一人だけいました」
凪だ。
「その後、舞台から削除された出演者を集め、《ノークレジット》を作りました」
「削除?」
「主役の勝利に不要な者。結末と矛盾する者。台本に名前を載せる価値がないと判断された者です」
保管庫の奥で、物音がした。
衣装の山から、少年が這い出す。
胸に《通行人B》の札。
顔が半分透けていた。
「助けて」
その声を合図に、照明が赤く変わる。
《無断出演者を検知》
《削除処理を開始》
少年の足から、文字が崩れ始めた。
「止める方法は」
「新しい役を与えること」
キューが答える。
「ただし、空いている役は一つです」
壁へ配役表が出た。
《幕間怪談》
《怪物――空席》
《最初の犠牲者――通行人B》
「また犠牲者か」
俺は少年の役札へ触れる。
「名前は」
「分からない」
「本名がなければ交換できない」
「みんな、僕をBとしか呼ばなかった」
削除が膝まで進む。
ミオが少年の手を握った。
「思い出して。好きだったものは」
「電車」
「誰と見た?」
「お母さん」
「呼ばれていた名前は」
少年が唇を震わせる。
「……奏太」
文字が一瞬止まった。
「名字は」
「佐伯。佐伯奏太」
俺は交換を発動する。
《交換元――敵役・鳴海零》
《交換先――最初の犠牲者・佐伯奏太》
「零!」
「大丈夫だ」
交換が成立した。
奏太の身体が元へ戻る。
俺の胸に《最初の犠牲者》の札が現れた。
代わりに、空席だった怪物役へ《敵役》が滑り込む。
保管庫中の衣装が集まり、首のない巨大な人形になる。
《怪物――断頭王の残役》
《最初の犠牲者――鳴海零》
「結局、俺が死ぬ台本か」
「役を返して!」
「交換は一幕に一度だ」
怪物の腕が振り下ろされる。
主役補正を失ったミオが、俺の前へ立った。
剣は震えている。
それでも逃げない。
「私は主役じゃない」
彼女は怪物を見上げた。
「だから、勝たなくてもいい」
剣を床へ突き立てる。
吊られていた照明が落ち、衣装人形へ直撃した。
燃えた布が崩れる。
「倒す必要もない。出口まで時間を稼げばいい」
キューが初めて目を見開いた。
「台本にない攻略です」
「アドリブって言うの」
ミオは奏太を抱え、俺の手を引く。
三人で非常口へ飛び込んだ。
怪物の爪が背中を掠める。
次の瞬間、俺たちは地上の路地へ転がり出た。
朝日。
車の音。
コンビニの入店音。
帰ってきた。
俺の胸から《犠牲者》の札が剥がれ、灰になる。
奏太が泣きながら、何度も自分の名前を言う。
「佐伯奏太。僕、佐伯奏太」
ミオの端末が震えた。
画面いっぱいに速報が出る。
《天城ミオ、主役資格剥奪》
《ファイナル・キャスト、鳴海零を世界指名手配》
《罪状――舞台迷宮の終幕妨害》
その下で、カイトの緊急会見が始まった。
『鳴海零は、世界の台本を破壊する危険人物です』
幼なじみは、いつもの静かな顔で言った。
『私が必ず、彼を舞台へ戻します』
◇
会見は、俺たちが転がり込んだコインランドリーのテレビでも続いていた。
『処刑劇場の攻略判断は、私が行いました』
カイトは逃げなかった。
『鳴海零を犠牲者へ指定したことも事実です。残存時間、帰還人数、成功率を比較し、四名の生存を選びました』
記者が怒鳴る。
『人一人を切り捨てたことを、正当化するのですか!』
『正当だったとは言いません。私が選び、責任を負うと述べています』
『天城ミオさんは、あなたの判断を拒否しました』
『彼女は主役役の影響下にあり、正常な判断能力を失った可能性があります』
「役を捨てたのに、役のせいにされた」
ミオが乾燥機の回る窓を見ながら言う。
「腹が立つ?」
「少し。安心もした」
「なぜ」
「全部私の選択だと言われたら、世界中から一度に責められる。カイトは、私を守るつもりで言ったんだと思う」
敵になっても、昔からの関係は消えない。
それが余計に難しい。
テレビの下へ速報が流れる。
《天城ミオ出演契約、全社凍結》
《違約金総額、推定百八十億円》
「百八十億」
俺は数字を読み直した。
「払える?」
「役を続ければ、十年で」
「続けないなら」
「無理」
ミオは自分の端末を開いた。
スポンサーからの通知が並ぶ。
謝罪して主役へ戻れば、契約を維持する。
鳴海零の位置を知らせれば、違約金を免除する。
最後に、マネージャーから短い文章。
《ミオ。あなた自身は、どうしたい?》
彼女は長い時間、画面を見た。
「今まで、この人にも希望を言ったことがなかった」
「何て返す」
「まだ分からない。でも、零を売るのは嫌」
一文字ずつ打つ。
《逃げています。自分で決めました》
《ごめんなさい》
《でも、初めて少し楽しいです》
送信。
すぐ既読がつく。
返ってきたのは、住所と暗証番号だった。
《非常用の部屋。二日だけ使える》
《監視カメラは切った》
《三日目からは自分で何とかしなさい》
「仲間?」
「たぶん。今、決めてくれた」
佐伯奏太は乾燥機の前で眠っていた。
洗濯物の代わりに、キューが中へ入り、回転するドラムの軸を点検している。
「この機械は、舞台装置ではありません」
「当たり前だ」
「命令がなくても回転しています」
「電気で動くからな」
「役がなくても、動ける」
キューは小さく呟いた。
外でサイレンが鳴る。
俺たちは裏口から出た。
奏太の腹が鳴る。
ミオも同時に腹を押さえた。
「主役は空腹を見せない規定だった」
「今は見せていい」
角に、二十四時間営業のコンビニがあった。
俺たちは世界指名手配中にもかかわらず、朝飯を買うために自動ドアをくぐった。




