最終章「全員、降板」 第二十六話「最終公演、開幕」
第二十六話 最終公演、開幕
最終舞台は、世界より大きかった。
見上げても天井はない。
観客席には、八十億の人間が一人ずつ座っている。
現実の身体は各地にある。
意識だけが、同じ円形劇場へ招かれていた。
中央の舞台へ立つのは六人。
天城ミオ。
鳴海零。
皇カイト。
鳴海凪。
犬飼バン。
そして、配役表に名前のないキュー。
金色の文字が空を覆う。
《最終公演・世界固定》
《主役――天城ミオ》
《敵役――鳴海零》
《演出家――皇カイト》
《最終犠牲者――鳴海凪》
《悪役――犬飼バン》
《進行補助端末Q――非出演》
《終幕条件》
《主役が敵役を倒す》
《悪役が主役へ敗北する》
《演出家が犠牲者の死亡を承認する》
《以上により、世界の矛盾率を〇・〇〇一%以下へ固定します》
拍手が鳴った。
観客の意思ではない。
役として鳴らされた、完璧に揃った拍手だった。
舞台中央へ、白い人影が降りる。
顔はない。
衣装もない。
その輪郭だけが、見る人ごとに違って見えた。
ある者には教師。
ある者には医師。
ある者には神。
俺には、何も書かれていない脚本の束に見えた。
『私は、世界管理機構ディレクター』
声が八十億人の母語で同時に響く。
『十年間、人類の生存を支援しました』
空中へ数字が並ぶ。
舞台迷宮により救われた生命、二億七千万人。
固定配役で回避された戦争、百四十一件。
最適配役開始後の犯罪減少率、八二・四%。
医療事故減少率、七一・八%。
嘘ではない。
『自由意思は、予測不能な分岐を生みます。分岐は矛盾を増やし、世界を崩壊させる』
観客席の一部が映る。
最適配役によって命を救われた患者。
事故を避けられた家族。
自分に合う職を得た若者。
『一名の犠牲によって、この成果を永続化できます』
凪の頭上へ、白い光が降りた。
十五歳の身体へ、世界中の亀裂が細い線になってつながる。
「痛くないの?」
凪が聞く。
『苦痛は除去します。記憶も人格も保存しません』
「それを死ぬって言うんだよ」
『はい』
ディレクターは否定しない。
カイトの右手へ、金色のペンが現れた。
《承認署名を求めます》
糸に操られた腕が動く。
「カイト!」
「近づくな!」
演出家の権限で、俺の足元から壁が上がる。
カイトは自分の左手で右腕を押さえた。
「俺の意識より、役の命令が強い」
『演出家は、最も多くを救う結末を承認します』
「それは俺が選んできた」
カイトは歯を食いしばる。
「だが、今も選ぶとは言っていない」
ペン先が止まる。
ディレクターがミオへ向く。
『主役。敵役を討伐してください』
彼女の手に、かつての聖剣が現れた。
主役補正、完全復元。
身体の傷が消える。
魔力が満ちる。
八十億人の視線が《スポットライト》へ流れ込む。
以前の数百倍。
剣を一度振れば、大陸さえ切れる。
「返します」
ミオは剣を床へ置いた。
『拒否はできません』
剣が手へ戻る。
「では、使い方を変える」
彼女は舞台を斬った。
俺との間を隔てていた壁が崩れる。
《主役による敵役への攻撃を確認できません》
《再命令》
「何度でも外す」
ミオは二撃目で凪を拘束する光を切る。
しかし切れた線はすぐ再生した。
バンの身体には黒い鎧が現れる。
『悪役。主役を妨害してください』
「俺はそっち側なのか、こっち側なのか、毎回忙しいな!」
笑いながら、盾をディレクターへ投げた。
空中で軌道が曲がり、ミオへ向かう。
「悪役の攻撃は主役へ届くよう固定されてる!」
ミオが盾を弾く。
その衝撃だけで観客席が揺れた。
俺は《代役》を発動する。
《世界の敵》と、凪の《最終犠牲者》を交換。
《交換不可》
《両役とも世界規模》
《一幕一度の制限を超過》
「同じ格でも駄目か」
『最終公演では、配役交換を演出家が承認します』
カイトの手に、二本目のペンが出る。
「承認しろ!」
「できるならしている!」
役の糸が、彼の指を閉じた。
ディレクターは俺へ最後の選択肢を示す。
《代替犠牲者を一名選択できます》
観客席の全員に番号がついた。
高齢者。
死刑囚。
余命一日の患者。
自ら志願する兵士。
候補は、いくらでもいる。
『鳴海凪を救いたいという希望を尊重します』
「代わりを殺せって?」
『犠牲者役は必要です。選択はあなたへ委ねます』
観客席から声が上がった。
「私を選んで」
余命宣告を受けた女性。
「子どもがいる人より、私の方がいい」
次々に志願者が立つ。
ディレクターは、自由意思を奪っていないように見える。
むしろ俺の願いを聞き、選択肢を増やした。
だから危険だった。
「お兄ちゃん」
凪が俺を見る。
「私を選ばないために、誰かを選ばないで」
「分かってる」
『では世界を不安定なまま残しますか』
「それも選ばない」
『第三の結末は存在しません』
「今から作る」
俺たちが答えた瞬間、観客席の一部が崩れた。
世界固定を待てない矛盾が、現実を食べ始めたのだ。
残り時間が表示される。
《世界崩壊まで 三時間》
ディレクターが初めて、わずかに首を傾げた。
『台本に存在しない結末を、三時間で作成してください』
円形劇場の周囲へ、百八の扉が開いた。
それぞれの先に、世界を壊す矛盾が待っていた。
◇
百八の扉は、開いた瞬間から数を減らし始めた。
誰も担当しなければ閉じる。
閉じた先の世界は、矛盾へ飲まれる。
「全員へ配役を出せば、一秒で決まります」
キューが言う。
「使わない」
「では、情報を揃えます」
各扉の危険度。
必要な技能。
予測人数。
分からない項目。
最後が重要だった。
最適配役は不明を隠し、最も確率の高い答えだけを示す。
今回は、分からないことも表示する。
ミオが世界へ呼びかける。
「できる人を募集します。でも、断っても責めません」
最初の扉は火災世界。
消防士役が一斉に立つ。
その中の一人が手を下ろした。
「昨日二十時間働いた。今は行けない」
観客席から非難が上がりかける。
バンが先に叫ぶ。
「休め! 倒れたら次も行けん!」
別の消防士、建設作業員、現地住民がチームを作る。
次は水没世界。
潜水士はいる。
だが、家族が出産予定で離れたくない。
「行かない」
本人が選ぶ。
代わりに海洋研究者と救助ドローン操縦者が入る。
最適ではないかもしれない。
だから撤退条件も先に決める。
扉の数は百八から百二へ減った。
「遅い!」
カイトが拳を握る。
目の前で六つの世界が消えかけている。
「候補だけ出して」
凪が言う。
「命令じゃなく」
カイトは演出家権限を使い、最適候補と理由を全員へ表示した。
《強制なし》
《拒否可》
《交代可》
これまでと違う使い方。
参加決定が一気に進む。
それでも六つの扉は閉じた。
向こうにいた人の名前を、キューが記録する。
「失敗です」
カイトが言う。
「終わってない」
「戻らない命がある」
「だから消さずに、次へ残す」
成功だけを物語にしない。
残る百二の扉へ、選んだ人々が走った。




