第二十話「世界の敵役、鳴海零」
第二十話「世界の敵役、鳴海零」
最終稿は、全員の身体を役へ戻した。
医師は治療を止め、俺へ麻酔銃を向ける。
警察は負傷者を置き、包囲を狭める。
助けた市民まで、石を握る。
《世界の敵を倒せば、最適配役は完成します》
俺の体力表示が、全世界へ公開された。
攻撃するたび報酬が出る。
家族の病気が治る。
借金が消える。
役の格が上がる。
「逃げ道は」
俺が聞く。
「全部、敵地扱いです」
キューが答える。
凪は小道具で煙幕を出す。
バンは補正のない盾で守る。
ミオは剣を抜かない。
彼女の頭上には、再び《主役》があった。
強制配役。
《主役は世界の敵を討つ》
「私から離れて」
ミオの腕が震える。
「役が身体を動かす」
「剣を捨てろ」
「拾わされる」
投げた剣が光になり、手へ戻る。
カイトが群衆の向こうから歩いてきた。
「零。降伏しろ」
「凪を犠牲者へ戻す?」
「お前を討伐すれば、その必要はなくなる」
「俺一人で済む」
「そうだ」
また同じ答え。
「最適配役開始後、六千四百人が救われた。事故も犯罪も減った。お前を生かす理由を、数字で示せ」
「俺一人の価値は示せない」
「なら」
「でも殺される理由にも同意しない」
ミオの剣が上がる。
主役補正が完全に戻っていた。
今の一撃は避けられない。
「零、ごめん」
「謝るな。お前の選択じゃない」
「だから、選ぶ」
ミオは剣先を返した。
自分の左肩へ突き刺す。
壁まで貫き、腕を固定した。
《主役行動不能》
《強制討伐を続行できません》
「何してる!」
俺が駆け寄る。
「自分の身体は、自分で止められる」
痛みで青ざめながら笑う。
「今度は役札だけじゃない。主役の私ごと降りる」
凪が剣を抜こうとする。
その頭上にも新しい札が出た。
《最終犠牲者――鳴海凪》
バンは《悪役》へ戻され、身体が黒く染まる。
俺の《代役》は封印された。
《世界の敵は、他者と役を交換できません》
カイトが最終稿を閉じる。
「これで、誰も台本から逃げられない」
その背後。
誰にも見られていない一秒だけ、キューが舞台装置へガムテープを貼った。
金色の配役表に、小さなエラーが走る。
「裏方を、忘れています」
病院の床が開いた。
俺たちは暗い舞台下へ落ちた。
追跡は一時止まる。
だがミオの血は止まらない。
残る時間は、十分だった。
◇
舞台下へ落ちる直前、カイトの顔が見えた。
役の糸が目まで覆っている。
それでも左手だけが、自分の意思で動いた。
指が三本。
第三通路。
落下した先で、キューが叫ぶ。
「左ではなく右へ!」
「カイトは三を示した」
「第三通路は右です。演出家の視点と客席の視点が逆になります」
舞台裏は、見る場所で左右まで変わる。
俺たちは右へ走る。
バンがミオを抱える。
凪が剣を固定する布を押さえる。
俺は止血しようと手を伸ばす。
《世界の敵が主役へ接触》
《殺害行動として補正》
触れれば、俺の手が傷を広げる。
「近づけない」
「私がやる」
凪が布を巻く。
だが《最終犠牲者》の役は、他人へ救命行為をすると生命力を奪われる。
顔色が白くなる。
「役同士で助けられないようにしてる」
バンも悪役の手で主役へ触れれば、攻撃判定になる。
キューだけが非出演者。
「私には医療機能がありません」
「圧迫する場所を教える」
俺は距離を取り、凪へ指示する。
肩のどちら側。
布の強さ。
呼吸の確認。
主任外科医役で残った知識を、資格のある三枝千春へ映像で確認してもらう。
『合ってる。剣は抜かない。救助隊まで意識を保たせて』
ミオが薄く目を開けた。
「零」
「いる」
「近くに来ないの?」
「触ると攻撃になる」
「役の判断?」
「今は安全の判断」
「なら分かった」
彼女は無理に手を伸ばさなかった。
助けたい側の気持ちだけで近づかない。
助けられる本人へ理由を伝える。
通路の奥で、白い追跡者が現れる。
《主役回収役》。
「天城ミオを返せ」
バンが片腕で盾を立てる。
「本人へ聞け!」
「主役に拒否権はない」
凪が叫ぶ。
「じゃあ、今から作る!」
キューが床の点検口を開く。
人一人分の狭い穴。
「救護室まで百二十メートル。私が先導します」
「お前を見たら止まる」
「照明を消してください」
暗闇。
誰にも見られないキューが、舞台装置を次々に動かす。
追跡者の前へ壁。
俺たちの下へ搬送ベルト。
ミオを載せ、全員で走る。
残り九分。
遠くに救護室の赤い灯りが見えた。
だが扉には、主役しか入れないと書かれている。
「本人は意識がない!」
「認証には主役の決め台詞が必要です」
ミオが目を開ける。
会社が決めた言葉。
《私が必ず、全員を救う》
それを言えば、主役役が強く戻る。
ミオは息を吸った。
「助けて」
決め台詞ではない。
扉は反応しない。
代わりに、役札へ大きな亀裂が入った。
◇
ミオの「助けて」は、救護室ではなく世界へ届いた。
主役が初めて助けを求めたことで、同じ役を持つ人々の動きが止まる。
戦場で一人だけ前へ出ていた英雄。
家族へ弱音を隠していた母親役。
部下へ相談できなかった指揮官。
何人もの口から、同じ言葉がこぼれた。
「助けて」
最初に応答したのは、同じ役の人ではなかった。
最前線の英雄へ、後方の整備士が叫ぶ。
『剣を置け! 三十秒だけ俺が前へ出る!』
「お前は戦闘役じゃない!」
『役じゃなく、盾を持てる人間だ!』
英雄が下がる。
整備士は三十秒で交代し、次に二人の兵士が入る。
母親役の女性が、家族へ初めて言った。
「夕食を作れない。起きられない」
夫が冷蔵庫を開け、何も作れず固まる。
十歳の子どもが配達を提案する。
「今日は買おう。明日はお父さんが練習」
完璧な代わりは、すぐにはいない。
それでも一日を分けられる。
指揮官役の男性は、部下へ地図を見せた。
「俺の判断に自信がない。反対案を出してくれ」
今まで黙っていた新人が、橋の崩落予測を示す。
進路が変更され、部隊は生還した。
配信中の人気探索者も、カメラの前で立ち止まった。
「今日は続けられません」
コメント欄に《根性なし》《主役失格》が流れる。
同じ数だけ、《終わっていい》《また次》が流れる。
彼は配信を切った。
視聴者数は減ったが、本人は初めて生きたまま帰還門へ入った。
ディレクターは混乱する。
『主役は助ける側です』
ミオが薄く目を開ける。
「助ける人も、助けを求めます」
『役割が重複します』
「時間で変えればいい」
凪が答える。
「一分前に守った人が、今は守られていい」
役札の構造に、今までなかった項目が増える。
《交代》
《一時停止》
《共同担当》
《本人からの救援要請》
ただし「助けて」と言えない人もいる。
病院の廊下で、看護師役の女性が無言で壁へもたれた。
役札は勤務継続を示す。
三枝千春が画面越しに気づく。
『言葉が出ないなら、赤いボタンを押して』
壁へ色の違う三つの印が表示される。
赤――今すぐ交代。
黄――次の区切りで交代。
青――話を聞いてほしい。
女性は赤を押した。
同僚が担当を分け、本人は椅子へ座る。
言葉にできる者だけが、助けを得る仕組みにもしない。
世界中で赤、黄、青の印が増える。
主役の助けを待つ人々ではない。
互いの限界を知らせる、小さな信号だった。
ディレクターの処理が遅れる。
救護室の扉へ、新しい選択肢。
《主役本人の要請により、共同救護を許可します》
扉が開く。
中に薬はない。
だが現実の病院とつながる通信設備がある。
凪がミオを寝台へ移す。
バンが追跡者を止める。
キューは照明を落とし、俺は離れた場所から状態を読み上げる。
役同士が触れられなくても、仕事を分ければ助けられる。
カイトから短い通信が来た。
『第三通路の末端に、手動転送機がある』
「なぜ教える」
『主役を死なせれば公演が成立しない、という演出家の判断だ』
「本人は」
沈黙。
『ミオを死なせたくない』
役の理由の後に、本音を足した。
転送機は一度に二人分しか動かせない。
ミオと医療担当を先に送る。
凪、バン、俺、キューは舞台下へ残る。
「零も来て」
ミオが言う。
「二人分」
「医療担当を一人減らす?」
「必要だ」
本人が状況を理解し、自分で頷く。
「なら待ってる」
「今度は俺が行く」
転送光がミオを包む。
最後に右手を伸ばし、空中で俺の手と重ねる。
触れられない。
それでも位置は分かる。
転送が完了する。
残った俺たちへ追跡者が迫る。
世界の敵役が囁く。
ミオがいない今なら、全員から力を奪える。
「鳴海零」
凪が名前を呼ぶ。
「したいこと」
「ミオの手術が終わるまで生きる」
「その後」
「世界の役を止める」
「その後」
「水族館」
「よし」
役の声が少し遠のく。
俺たちは手動扉を閉じ、追跡者の足音を背に病院へ向かった。




