第十八話「医者役の少女は、患者を選べない」
第十八話 医者役の少女は、患者を選べない
最初に俺を庇ったのは、背景役から戻った咲だった。
客たちも武器を下ろす。
「役を守るために人を殴りたくない」
命令へ逆らう人は、少しずつ増えていた。
だが病院では、逆らえない少女がいた。
十五歳の天才、瀬名るか。
最適配役は彼女を《主任外科医》にした。
知識と技術が強制的に流れ込み、十時間で四十件の手術を成功させた。
「休ませてください」
母親が泣いている。
るかの手は震え、目の焦点が合っていない。
《主任外科医は、待機患者がいる限り退勤できない》
新しい急患が運ばれる。
るかの父親だった。
「私が、切るの?」
技能はある。
心は十五歳のまま。
「嫌です」
初めて役へ逆らった。
手術室の扉が閉じる。
《職務放棄》
《患者死亡まで 三十一分》
「俺が医者役を代わる」
交換は成立した。
手術知識が頭へ流れ込む。
同時に、全患者を救うまで離れられない義務。
俺の手も勝手に動こうとする。
「一人でやらない」
三枝千春と高瀬修司が入る。
看護師、麻酔医、検査技師。
最適配役で脇役へ落とされていた人たちが、自分の経験を持ち寄る。
「鳴海君は執刀しないで」
修司が言う。
「役の知識だけで手を動かせば、想定外へ対応できない」
「では何を」
「患者の状態を読み上げて。判断は皆でする」
役の技能を、命令ではなく道具として分ける。
父親の手術は成功した。
残る待機患者四十三人は、他院と医師へ振り分ける。
《主任外科医の義務未達成》
「待機を一人の列にしなければいい」
るかが端末を操作する。
全国の空き手術室へ接続。
患者本人へ転院希望を確認。
列が分かれる。
俺の役札に《退勤可》が出た。
交換を解除する。
主任外科医役は、るかへ戻らず空席になった。
「将来、医者になる?」
俺が聞く。
「今は決めません」
「正解」
「正解って決めないでください」
「悪い」
るかは笑った。
父親の手を握り、病室へ戻る。
その背後で、病院中の役札が点滅した。
《最適配役への重大な妨害を検知》
《世界の敵・鳴海零の位置を共有》
外には、英雄役の市民が数千人集まっていた。
先頭に立つのは、犬飼バンを知る子どもだった。
「悪役を倒せば、みんな助かるんだって」
次の標的は、俺ではない。
世界が悪役と決めた、バンだった。
◇
瀬名るかは、手術室を出ても白衣を脱げなかった。
役札が何度も、新しい患者名を袖へ表示する。
「見ないで」
母親が白衣へ上着をかける。
「役へ逆らったら、今まで救った人まで死ぬ気がする」
るかは震えていた。
実際には関係ない。
それでも成功体験は、役を鎖にする。
「四十人を救ったのは、役だけ?」
三枝千春が聞く。
「知識は役から来た」
「患者の手を握ったのは」
「私」
「疲れてると申告したのは」
「私」
「役を降りても、その選択は残る」
るかは白衣を脱いだ。
床へ置く。
主任外科医の文字が消える。
病院は彼女を英雄として会見へ出そうとした。
「十五歳に四十件手術させたことを、成功物語にしないでください」
高瀬修司が止める。
「救われた命は祝う。子どもへ背負わせた制度は検証する。両方必要です」
るか本人は、会見へ出なかった。
父親の病室で、アイスを食べる。
「医者になりたくない?」
父親が尋ねる。
「今日決めなくていいって言われた」
「誰に」
「世界の敵」
「交友関係が心配だ」
初めて、親子で笑った。
病院の屋上で、俺は自分の手を見た。
主任外科医役の残りで、通行人の歩き方から病気を探してしまう。
「役を返しても知識が残ることがある」
キューが言う。
「使っていいのか」
「知識に所有者はありません。ただし資格と判断は別です」
何でもできる気になれば危険だ。
俺は覚えた医療知識を一覧にし、専門家の監修がなければ使わないと決める。
役を利用した経験も、なかったことにはできない。
残ったものをどう扱うか選ぶ。
ミオが隣へ来る。
「私にも主役時代の技術が残ってる」
「剣か」
「カメラへ一秒で笑う技術」
「使いたい?」
「便利。でも笑いたくない時は使わない」
実演してみせる。
完璧な微笑み。
次の瞬間、普通の不機嫌な顔へ戻る。
「どっちが本物?」
「両方。選ぶのが私」
俺の端末へ、バンから連絡が来る。
文章は一行。
《病院へ来るな。俺が悪役として包囲を引き受ける》
「一人で何を」
位置情報を見る。
バンは病院正面へ出ていた。
数千人の市民に囲まれている。
全員の頭上に《英雄》の役。
標的は、世界へ悪を集中させる《悪役・犬飼バン》。
「また自分だけで」
俺が走ろうとすると、ミオが袖をつかむ。
「一人で止めに行かない」
「分かってる」
凪、キュー、千春、修司。
るかも病室の窓から、群衆へ呼びかける準備をする。
バンを助ける役は一人ではない。
病院全体で正面玄関へ向かった。
◇
正面玄関へ向かう途中、るかが放送室を開けた。
「私も話します」
「休んでいい」
母親が止める。
「休みたい。でも、言いたい」
同じ口から出る二つの希望。
どちらかを消す必要はない。
るかはマイクを握る。
『私は、四十人を治療しました』
群衆が歓声を上げる。
『でも、十五歳です。怖かった。途中でやめたいと言えませんでした』
歓声が止まる。
『犬飼さんは、私を助けた人の仲間です。悪役だから倒せという命令に、私は同意しません』
ディレクターが放送を切ろうとする。
奏太が回線を手動へ切り替えた。
『私は医者になるか、まだ決めません。今日助けた人の命も、私が子どもだったことも、どちらも消さないでください』
病院の患者が窓を開ける。
「私を治したのは、あの子一人じゃない!」
看護師、麻酔医、検査技師の名前が呼ばれる。
主役を一人作る代わりに、チームの名前を戻す。
群衆の《英雄役》が揺らいだ。
それでも最前列の人々は進む。
「悪役を倒さなければ、自分の家族が背景へ落ちる」
怖さは、放送一つで消えない。
バンが一人で階段を下りていく。
「俺が話す」
「一緒に行く」
俺たちも並ぶ。
「主役みたいに中央へ立つな!」
「お前も悪役みたいに一人で出るな」
病院職員が左右へ。
患者家族は後ろへ。
るかは窓から放送を続ける。
誰が代表か決めず、全員が別の場所で同じ人を守る。
玄関の扉が開く。
数千人の英雄役と、一人へ悪を集められたバンが向かい合う。
その足元から、黒い影が膨らみ始めていた。
人々が責任を押しつけるほど成長する、《悪役を必要とする怪物》。




