第十三話「名前を奪われたボス」
第十三話 名前を奪われたボス
白衣の怪物へ《代役》は使えなかった。
役名は《ラスボス》。
本名は削除済み。
条件が半分しかない。
怪物が腕を振るたび、触れた者の名前が消える。
「ミオ、下がれ!」
「嫌」
補正なしの剣で、黒い腕を受け流す。
「私は自分の名前を覚えてる。まだ戦える」
バンが盾で子どもたちを守る。
凪は怪物の歌を聞いていた。
「これ、子守歌じゃない」
三枝千春が頷く。
「救急の確認手順。意識、呼吸、脈拍を旋律にして覚えていた」
怪物は攻撃しながら、全員の状態を見ている。
負傷者だけを避けていた。
「ボス役になる前は、医者だ」
記録上の英雄《白峰英雄》は芸名だった。
本名を隠し、主役として都合よく整えられた。
千春が思い出を話す。
「甘い物が苦手。靴下を左右違えて履く。緊張すると、患者より先に深呼吸する」
怪物の動きが鈍る。
「娘さんがいました」
古い映像を探す。
災害迷宮の配信、その端へ少女の声が残っていた。
『お父さん、英雄って名前じゃないよ』
主役演出のため、音声は切られている。
凪が《小道具持込》を使った。
舞台へ現れたのは、片方だけの靴下。
裏に、小さな刺繍。
《S・T》
怪物が膝をつく。
『さ……』
ミオが配信へ呼びかける。
「当時の救助者に、白峰医師を知る人はいませんか」
数百万のコメントが流れた。
《白峰英雄が本名だ》
《本名は白峰勇気》
《昔の雑誌に別名が載っていた》
《俺の親戚かもしれない》
名前を呼べばいいからと、早い答えへ飛びつくわけにはいかない。
間違った名でもラスボス役が反応し、その人の記憶を上書きする可能性がある。
「多数決にしないで」
凪が回線を絞る。
「本人を知っている根拠がある人だけ。公開で本名を叫ばないでください」
新しい情報は非公開窓口へ集める。
一件目。
病院の古い給与明細。
名字は高瀬。名前の部分は黒塗り。
二件目。
災害前の学会名簿。
高瀬修司という救急医が、白峰記念病院に所属している。
三件目。
娘が撮った家庭用映像。
画面の中で、中年の男が左右違う靴下を履いている。
少女が笑う。
『お父さん、またSとTを逆にした』
『どちらも足だから問題ない』
『問題あるよ、高瀬修司先生』
怪物の腕が止まる。
映像を送った娘は、公開通話を拒否した。
『父かどうか、まだ分かりません。知らない人に家族の再会を見られたくない』
「分かりました」
ミオは映像の顔を隠し、声も変える。
本名だけを使っていいか、もう一度確認する。
『使ってください。でも、英雄としてではなく、父の名前として』
最後に、当時の元同僚が音声だけで証言した。
『白峰は病院名です。本名は高瀬修司。私と同じ夜勤班でした』
「本人だと分かることを、もう一つ」
俺が求める。
『緊張すると、自分へ先に「息をしろ」と言う。救えなかった患者の名を、誰にも見せない手帳へ書いていた。英雄と呼ばれるのが嫌いだった』
怪物の喉から、掠れた声が出る。
『息を……しろ』
胸が上下する。
ラスボスが、初めて自分のために呼吸した。
名前と記憶の三点が一致する。
凪が娘へ最終確認を送る。
『今、呼んで』
非公開回線から、少女だった人の声が届く。
『高瀬修司。私のお父さん』
多数の声ではない。
本人が振り向く一人の声だった。
「高瀬修司!」
千春が叫ぶ。
黒い穴へ顔が戻る。
疲れた目の、中年の医師。
「俺は……誰を殺した」
「誰も」
千春が近づく。
「あなたは百人目まで治して、倒れた。その後、舞台があなたを英雄にして、私たちを消した」
「英雄ではない」
「知ってます。靴下、左右違うから」
修司が泣き笑いになる。
本名と役名が揃った。
俺は《通行人役》と《ラスボス》を交換する。
修司は普通の人へ戻る。
俺へラスボスの力が流れ込む。
すべての名前を消せ。
自分だけが物語に残れ。
俺はその力で、スタッフロールの黒塗りだけを消した。
百二十七人の名前が光る。
代償に、俺自身の名前が薄くなった。
「零!」
ミオが俺の手を握る。
凪が反対側をつかむ。
「鳴海零」
二人が同時に呼ぶ。
バン、千春、奏太、ユイ。
全員が続く。
百二十七の声で、俺の名前が戻った。
ラスボス役は砕けた。
出口の進捗が表示される。
《帰還者名簿 一二七/一二七》
《現実側受入地点 未設定》
「名前だけでは帰れない」
キューが言う。
「現実で、待つ場所が必要です」
その場所を作れる人間が、一人だけいた。
世界最大の舞台迷宮網を持つ、皇カイト。
◇
高瀬修司が人へ戻った後、最初にしたのは謝罪ではなかった。
「患者を診せてください」
三枝千春の消えかけた名前と、役残りの症状を確認する。
「休む方が先」
「医者なので」
「役?」
凪が聞く。
修司は考えた。
「免許を持ち、経験がある。今、診たいと思っている。役でなくても医者です」
千春の記憶は、名前を取り戻すだけでは完全に戻らなかった。
修司は本人へ質問し、思い出せない部分を勝手に埋めない。
「弟の誕生日は?」
「九月……たぶん」
「不明と書きます」
「推測しないんですか」
「間違った記憶で安心させるより、後で本人へ聞く」
医者の言葉というより、一度英雄に作り替えられた人の言葉だった。
ノークレジットの名簿は完成した。
しかし帰還地点がない。
舞台裏から現実へ人を出すには、名前を待つ場所が必要だった。
凪は廃体育館の地図を広げる。
「ここなら百二十七人入る。でも現実側から扉を固定する設備がない」
「ファイナル・キャストなら持ってる」
バンが言う。
「カイトへ頼むの?」
「敵へ連絡することになる」
ミオは端末を出した。
「敵役は役。カイト本人へ聞く」
非公開回線を開く。
応答はすぐだった。
『本名を戻したのか』
「ああ。百二十七人全員」
『帰還門は』
「ない。貸してほしい」
『条件がある』
凪が通信へ入る。
「私を渡せ、なら切る」
『世界規模公演の鍵として協力してほしい』
「同じ」
『死亡させるとは限らない』
「限らない、で自分を渡す人はいないよ」
カイトは反論しなかった。
『百二十七の受入先は準備できる。家族が判明した者は自宅。治療が必要な者は病院。帰還を望まない者には、独立した一時滞在施設』
「もう調べたのか」
『お前たちが名前を配信へ出した時点で』
俺たちより先に、帰還後の生活まで考えていた。
「なぜそこまでして、凪を犠牲にできる」
『そこまでしても、凪一人で三千万人を救えるからだ』
矛盾していない。
人を一人ずつ見ながら、最後には数を選ぶ。
それがカイトだった。
「受入門だけ貸せ」
『俺が直接行く』
「罠なら」
『お前は交換すればいい』
「今度は誰と」
『俺とだ』
通信が切れる。
凪が腕を組む。
「信じる?」
「行動は信用する。結末は信用しない」
「面倒な関係」
「幼なじみだからな」
待っている間、帰還者へ希望を確認した。
すぐ家族へ会いたい者。
顔を見せる前に入浴したい者。
現実へ戻るのが怖く、一週間ここに残りたい者。
全員を同じ順番で出すのではなく、受入先と心身の状態で分ける。
高瀬修司は最後を希望した。
「英雄として報道された自分を、家族がどう見ているか怖い」
「帰らない選択もある」
「帰りたい。でも、怖い」
「両方でいい」
カイトを待つ間、百二十七個の帰還希望を表にした。
《家族へ戻る》だけでは足りない。
家族へ会いたいが、同居はしたくない。
死亡認定を取り消したいが、職場へは戻りたくない。
名前を変えて暮らしたい。
現実より舞台裏に仲間が多く、全員と同じ場所へ行きたい。
凪は一人ずつ聞き、受入先へ条件を添える。
「お兄ちゃん、家族欄だけ見て決めないで」
「分かってる」
「高瀬さんの娘さんには、英雄役の記録も先に送らない」
「なぜ」
「本人が自分で説明したいって」
帰還は、元の場所へ押し戻すことではない。
帰った後の関係まで、本人が選び直せるようにする。
俺はカイトとの昔を思い出していた。
迷宮が開く前。
凪と三人で公園の劇を見た。
カイトは子どもなのに、客席の人数と避難口を数えていた。
俺は舞台装置ばかり見た。
凪は役者より、幕を動かす裏方へ手を振った。
「昔から変わってないね」
凪が言う。
「カイトは全員を安全に座らせたい。お兄ちゃんは仕組みをいじりたい。私は名前のない人を見つけたい」
「お前が一番まともか」
「一番かわいい」
「自分で言うな」
ミオが真顔で頷く。
「かわいい」
「審査点を一つ上げます」
「買収だ」
笑いが途切れたとき、扉の向こうから一人分の足音がした。
武装音はない。
それでも全員が身構える。
黒い扉が開く。
皇カイトが、約束どおり一人で入ってきた。
背後には百二十七個の帰還鍵が浮かんでいた。




