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第5話 調停の席にて

 気が付けば、あのデビュタントの夜会から十日が経っている。

 そのうち訪ねてくるだろう――そう高をくくっていたら、あっという間に日が過ぎた。魔獣討伐、陳情対応、そこから生まれる残務処理……忙しかったことは事実だが、それでももっと気にかけておくべきだった。

 社交界に全く姿を見せなかった『醜聞令嬢の黒色の娘』。

 実際に会ってみると、想像とは違い、聡明で凛とした雰囲気を持つ女性だった。

 婚約者の不貞を目の当たりにしても取り乱すことなく、瞬時に状況を整理し、確実な婚約破棄できるように冷静に判断を下す。並大抵の令嬢にできることではない。

(卑怯なことは嫌いだ)

 常に、正しい側に立つ。それが自分の信条だ。

 この融通の利かなさを揶揄されることもあるが、曲げる気はない。

 あの場はどう穿って見ても、黒の令嬢の方に正義があった。手を差し伸べるのに躊躇はなかった。

「だが、来ないんだよな……」

 ペン先で書類の隅を叩きながら、小さくレンヴェルトは呟いた。

「おい、重要書類で遊ぶな。あとはお前の決裁だけだぞ」

 書類を破損すれば、最初から書き直しだ。

 副官・サイラス・ローゼンヴァルトが、二人きりの時にしか見せない気やすさで、顔をしかめた。

「遊んでいるわけじゃない。ただ気になるんだ。……会いに来ないから」

「ああ、オルテンシア伯爵家の『醜聞令嬢の娘』か」

 サイラスは肩を竦めた。

「さすがに怖気づいたんじゃないか? お前を顎で使おうとするなんてさ」

「それはないと思う。彼女は、俺の正体に気が付いていなかったから」

「そんなことがあるのか? お前の正体なんざ、その派手な髪を見れば一発で分かるのに」

「真っ赤なお前に言われたくはないんだが……」

 軽口を叩きながら署名を終える。

 決裁済みのトレイの中へ放り込んだところで、扉を叩かれる。

「入れ」

 サイラスの声に応じて入室してきたのは、入団したしたての平民、トビアスと、その上司であるオスカー・ヴァイスだった。

「お疲れ様です。処理済みの書類をお持ちしました」

「ご苦労」

 差し出された書類を受け取るサイラスが、ふと首を傾げる。

「……最近、処理が早いな」

 ここ数日、目に見えて書類の巡りが改善している。それに応じて、サイラスたちの事務処理の時間が増えている。

「ずっと受付段階で滞っていたのにな。まさか、全員突然皆が文字を読めるような、新しい魔術でも開発したんじゃないだろうな」

「あ、それなんですけど!」

 冗談混じりにサイラスが言うと、トビアスが勢いよく手を上げた。

「数日前に受付に来た女性の方が、助言してくれたんです。色や印章で部署ごとの区別をつけたらどうかって。それで、書類の端に違う色で印つけてもらうようにしたら、迷わなくなって」

 レンヴェルトとサイラスは顔を見合わせた。

「……なるほど」

「単純すぎて盲点だったな」

 平民が多い第二騎士団の識字率の低さは、以前からの課題だった。

 教育体制の整備が検討されていたが、現場の忙しさを考えれば、現実的ではない。

 そもそも、幹部連中は問題なく書類を読むことができるため、書類そのものに手を加えるという発想がなかったのだ。

「それに、散らばった書類も一瞬で仕分けてくれたんです。中身、ほぼ読まずに分けてたと思います。書類仕事にかなり慣れている感じがしました」

「……へえ」

 第二騎士団には、高等教育を受けた文官がいない。現場の団員たちは、荒事に対応することが重要な任務と考えている。

 申請書がなければ、武器一つ配給されないというのに、書類仕事を重要視していないのだ。

 誰もやりたがらない仕事に長けた人材。

 ……そんな優秀な人材が第二騎士団にいてくれたらと考えずにはいられなかった。

「ああ、あの女か。だが、駄目だぞ、あれは」

 オスカーが、呆れたように言う。

「どこから聞いたのか、団長の愛称を使って取り入ろうとする女だったからな」

「そうですか? そんな風には見えませんでしたけど」

 トビアスが首を傾げた、その時。

「……今、なんと言った?」

「はい?」

 レンヴェルトの低い声に、二人が顔を上げた。

 サイラスが、表情を変える。

「その女性の話だ。いつ来た? どんな女性だった!?」

 詰問するような口調に、トビアスが戸惑いながら答えた。

「数日前、です。ちょうど団長たちが討伐に出てらっしゃった時で……」

 オスカーが続けた。

「『レン』という騎士に会いたいと。もちろん取り次ぎませんでしたけどね。どこから団長の愛称が漏れたのか分かりませんが、それを振りかざして面会を要求するなんて、不敬ですからね」

 サイラスが眉間に皺を寄せる。

「通達していただろう。『レン』に会いたいという貴族女性が来たら取り次ぐようにと。もし私たちが不在でも、引き留めるように言っていたはずだ」

 その通達を思い出したのか、「ああ」とオスカーが頷く。

「その話、どこかから漏れたのかもしれないですね。情報漏洩ですよ。注意喚起しておかないと」

「……そうじゃないだろう」

 レンヴェルトは額を押さえた。

「その女性が該当者だとは考えなかったのか?」

 強い声に、オスカーは目を丸くする。

 悪びれる様子もなく、きっぱりと言った。

「あれはどう見ても平民ですよ。着ているものは安物で、化粧もしてませんでしたし。言葉遣いは綺麗でしたけどね」

「そうですか? おれは逆にお忍びの貴族の方かなって思いましたけど」

「ありえないだろ」

 首を傾げたトビアスに、オスカーは鼻で笑った。

「貴族なら魔力持ちだ。あの女……魔力なしの黒だったじゃないか」

 ばんっ!とレンヴェルトが両手を机に叩きつけた。

 驚いた三人の視線が、一斉にレンヴェルトに向く。

「……この騎士団には平民が多い」

 底を這うような低い声。レンヴェルトの掌が触れる机の表面から、ゆっくりと冷気が広がっていく。

「魔力が少ないものもいる。だからこそ、魔力だけで人を測るなと……言い聞かせていたつもりだったんだがな」

「っ、団長!!」

 焦ったサイラスが、咄嗟にその腕を掴んだ。

「落ち着いてください! この部屋を氷漬けにするおつもりですか」

 言いながら、その耳元に唇を寄せる。

「ここで怒っている場合じゃないだろ! まだ間に合う!」

 はっとレンヴェルトは顔を上げる。

 時刻はまだ昼を回った頃だ。調停が始まっていても、まだ間に合う可能性は十分にある。

 彼女との会話を思い出す。

(……十日後、オルテンシア伯爵家)

 彼女が見たものを、自分も見た。そのことを証言する。

 すべきことは、一つだけ。

 それだけで彼女の正しさは証明される。

「……すまない、サイラス。後を頼む」

「了解」

 短く答えた副官に笑い、レンヴェルトは外套を手に取り、部屋を出ていく。

 唐突に残されて、トビアスとオスカーは呆然と立ち尽す。

 サイラスは、底の読めない笑顔で、オスカーの肩を叩いた。

「ヴァイス」

 一つ、息をつく。

「――お前、減給」

「ええ……?」





 もう昼が近い時刻、オルテンシア伯爵家の応接室には、当事者たちが顔を揃えていた。

 エルゼ、エドアルド、オルテンシア伯爵夫妻にリリーベル。

 そして、もう一人。エルゼの申し立てにより神殿から派遣された調停員、マティアス・エーレン。

 マティアスの無機質な声が室内に響いた。

「お忙しいところ、集まっていただきありがとうございます」

 冷静な眼差しが、室内にいる者たちの顔を順繰りに確認していく。マティアスの隣には、告発者であるエルゼが座り、対面のソファに他の4人が腰掛けていた。端に座るエドアルドのところで、マティアスの視線が止まる。

「エルゼ・オルテンシア伯爵令嬢より調停の依頼がございました。令嬢とエドアルド・ネルケ侯爵令息との婚約破棄の申請ということで、間違いありませんか?」

「はい」

 静かにエルゼが頷く。マティアスが軽く頷き返した。

「では、早速ですが。ネルケ侯爵令息とリリーベル・オルテンシア伯爵令嬢とが不適切な関係にある、とのことでしたが、この事実に相違ございませんか?」

「ありません」

「誤解です」

 エルゼの言葉を遮るように、エドアルドの声が重なる。

 エドアルドは困ったように笑った。

「僕は、僕なりにエルゼを大切にしてきたつもりです。親交を深めるためのお茶会を欠席したことはないし、夜会のエスコートもきちんと務めました」

 マティアスが、エルゼの方を見る。

 小さく息をついて、エルゼは頷いた。

「……間違いありません。ですが、お茶会の際の滞在時間は数十分程度ですし、エスコートしていただいたのも、先日のデビュタントの夜会の一度きりです。それも、陛下の口上が済んだ時点ですぐにどこかへ行ってしまわれました。ドレスやアクセサリーなどの贈り物もいただいたことがございません」

 エルゼが淡々と事実を告げると、分かりやすくエドアルドの顔が引きつった。

「その夜会の際に、裏庭でエドアルド様とリリーベルが二人きりで会っている場を目撃いたしました。二人が私のことを侮辱していたのも聞いています。……私には、この婚約を継続する意志はございません。エドアルド様の有責による、婚約破棄を希望いたします」

 瞬間、リリーベルが目を潤ませた。

「ひどいわ、お義姉さま……!」

 ぎゅっと両手を握りしめ、声を震わせる。

「私はあの日、偶然エドアルド様とお会いして、お義姉さまのことをお願いしていただけなの! だって、お義姉さまは魔力もないし、お友達もいないからお茶会にも呼ばれることがないし、愛想がないから誤解されやすいでしょう?」

「そうだよ、エルゼ」

 エドアルドが大きく頷く。

「リリィは君のことを心配して、僕に相談していただけなんだ。不貞だなんて、思い違いもいいところだよ」

 困り果てたというような表情と声で、諭すようにエドアルドが言う。

「あまり他人と関わらない君を気遣って、積極的に会話することを控えていたからね。君が不安に思うのは仕方がない。だが、僕は婚約者として、君に誠実に接してきたはずだろう? 何が気に入らないのかは知らないが、我儘を言って周りを振り回すのはやめなさい」

 言葉の中で、しっかりとエルゼを貶める義妹。

 会話が少ないと言いつつ、茶会で会う時にはエルゼの話を聞くことはなく、終始聞きたくもない自慢話を一方的に繰り返していた婚約者。

 それなのに、エルゼを解放しようとはしてくれない。

 エルゼはただ、冷えた心で二人を見ていた。

「愛称で呼ぶほど、仲がよろしいようですが」

 マティアスが冷静に指摘し、エドアルドを伺う。

「それは……」

 言い淀むエドアルドを庇うかのように、義母のイザベラが口を開いた。

「将来の義妹ですもの。二人の仲が良いのは良いことではなくて?」

 広げた扇で口元を隠し、不快を滲ませた眼差しでエルゼを睨む。

「エドアルド様は、侯爵家のご子息なのよ。『醜聞令嬢』の汚れた血を引いていて、しかも魔力がない。そんなお前には過ぎた良縁でしょうに」

「本当に、困った娘だ」

 ルシアンも、呆れたように溜息をつく。

「あの女の希望通り、高位貴族との婚約を整えてやったのに、それに感謝するどころか、不貞だなんだと騒ぎ立てて問題ばかり起こしおって! ネルケ侯爵令息だけではなく、リリィにとっても不名誉なことだと分からんのか!」

 はっと気づいたように、リリーベルが口元に手を当てる。

「お義姉さま、もしかして私に嫉妬しているのではなくて? だから、私を貶めようとなさるんだわ。昔から私に対抗心を持ってらっしゃったんでしょう? ずっと冷たい態度を取られていて……私、とても哀しかったわ」

「何と! それは本当か?」

「私たちに気づかれないよう、ずっと耐えていたのね。なんてけなげなの。可哀そうなリリィ」

 リリーベルと両親のやり取りに、エルゼは内心溜息をつく。

 茶番としかいいようがないが、これが茶番だと証明する術はない。

 マティアスが軽く咳払いをする。

「……それでは、お二人の間に不貞はないと?」

「もちろんですわ!」

「全てはエルゼが勝手に誤解しただけです。僕たちに疚しいことはありません」

 リリーベルとエドアルドはきっぱりと否定する。

「……お二人の不貞を証明するのは、エルゼ嬢の告発のみ……ですか」

 マティアスは呟きながら、無表情で淡々と記録を取っている。

 とん、と紙をペン先で叩き、エルゼに向けた視線にわずかな気遣いを感じたのは、エルゼの勘違いだろうか。

「……ルシアン・オルテンシア伯爵とアメリア・ザイデルバスト様とで交わされた神殿契約の項目に、『オルテンシア伯爵主導により、ご息女の成人までに瑕疵がない貴族との婚約が成されていれば、婚姻後もオルテンシア伯爵家がご息女の後見人を務める』というものがあります」

 一呼吸おいて、マティアスは静かに続けた。

「不貞行為が証明されないのであれば、現時点でこの婚約関係に問題はございません」

 ひやりと胸が冷える。指先が熱を失っていく。

 膝の上に乗せた両手をぐっと握り締める。

 エドアルドたちの表情が、目に見えて明るくなるのが分かった。


(やっぱり)

 エルゼが『見た』だけでは足りなかった。

 崩せる隙はあったのに、それを上手く使えなかった、エルゼの落ち度だ。

 冷えた指先にほんの少し灯された、温もりの記憶。

 ……自由になれるのかもしれないと、ほんのひと時の夢を見た。

(助けてくれる人なんて、いなかったのに)

 あの夜、与えられた少しの希望に、縋ってしまった。

(でも、別に、命を脅かされるわけじゃない)

 生活は守られている。このままでいても、エルゼはきっと生きていける。

 ただ、ひたすらに搾取されて、蔑まれ続ける……それだけの人生だ。

(ああ、ずっと)

 あの夢の中の別の世界で生きていた頃から。

 エルゼの人生は、何も変わらない。

 何かを諦めて、何も期待をしないで。

 ただ、月日が過ぎていく。


 エルゼは目を閉じる。

 希望があっただけに、諦めることはつらい。

 でも、これが自分の人生だと、飲み込むしか術がない。



 あまり不毛なやり取りを続けて、多忙なマティアスの時間を奪うわけにはいかない。

 申請を取り下げます。……そう、エルゼが口を開きかけたその時。

 どこか遠く、扉の向こうから喧噪が近づいてくる。

 その場にいた全員が、何事かと扉を見つめた。

 やがて、扉が激しく叩かれ、承諾を得ないままオルテンシア家の家令がドアを開いた。

「何事だ、騒々しい! しかも許可なく扉を開きおって!」

「だ、旦那様! お客様が……!」

「客だと!? ……分かっているだろう、こちらは取り込み中だ。さっさと追い返せ!」

「それが」

 家長の叱責をものともせず、血の気の引いた青い顔のまま、家令は大声で告げた。


「第二王子がお見えです!」

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