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第4話 閉ざされた扉

 エドアルドとの婚約破棄を申し入れて数日後、エルゼはあの騎士との約束のために、街に出た。

 普段は自由に外出することなど許されないが、家人が不在の隙を狙い、下働きの少年の買出しの仕事を引き受けて、何とか屋敷の外に出ることができた。


 グリュツィン王国第二騎士団の詰所は、賑わう街中から少し離れた場所にある。

 主な仕事は森に生息する魔獣の討伐だが、街の中の治安維持――警ら隊の一面も兼ね備えているため、貴族平民の身分の差なく、数多くの団員が所属している。

 その中で『レン』という名前だけを頼りにあの騎士を探すのは無謀なようにも思えるが、王宮主催のデビュタント夜会の警護をしていたこと、彼の立ち居振る舞いから、高位貴族の出だという予測はついていたので、何とかなるだろうとエルゼは受付の若い団員に声をかける。

「あの……面会したい騎士様がいるのですが」

「はい。所属と名前は分かります? 魔獣討伐に出ていたら、すぐの面会はできないかもしれませんが」

「すみません、所属まではちょっと……『レン』というお名前の騎士様です」

 エルゼが『レン』と口にした途端、受付内の団員たちの空気が変わった。行き交う団員たちの動きが止まり、視線がエルゼに集中する。

 エルゼが周囲を見渡すと、驚いたような表情で何やらこそこそと囁き合う団員たちの姿が見える。

「おい、今『レン』って言ったか?」「いやまさか……ないだろ?」その会話に視線を向けると、彼らは慌てたようにエルゼから視線を逸らす。その一方で他の団員からは刺すような鋭い視線を向けられた。

 思いがけない反応に戸惑いながら正面の団員を見ると、柔和な笑顔を浮かべていた団員から、すっと笑顔が消えた。

「……少々お待ちいただけますか? 調べてまいります」

 固い声で団員が告げた。エルゼを見返す視線にも警戒の色が滲む。明らかな変化に、エルゼは眉根を寄せた。

「あちらでお待ちください」と片手で示されたのは、衝立で区切られた狭い空間だった。無造作に置かれた丸椅子に腰を下ろし、エルゼは静かに団員を待つ。

 団員はなかなか戻ってこなかった。買出しを理由に家を出てきたエルゼは少し焦る。

 伯爵や義母たちは社交と称し、カジノや茶会に出かけている。多少遅くなったところで彼らが気づくことはないだろうが、使用人たちはそうはいかない。

 あまり遅くなれば、買出しの役目を譲ってくれた下働きの少年も叱られてしまう。

 受付付近は面会や陳情にやってきた町人と、それに対応する団員たちで混雑している。先ほどの団員が帰ってこないかと立ち上がったエルゼの目の前で、書類の山を抱えた団員と、すれ違う別の団員とが派手にぶつかった。

「わあっ!」

 はずみで書類の山が辺り一面に散らばる。

「おい、ちゃんと前見て歩けよ! あぶねえだろうが!」

「お互い様だろ! くっそ、ただでさえ書類がまとまんなくて忙しいのに!」

 ぶつくさ愚痴を言いながら、書類を抱えていた方の団員が散らばった書類を無造作にかき集める。

エルゼは自分の足元に飛んできた数枚の書類を拾い上げると、見るともなくその表面を眺める。ふと、眉間に皺を寄せた。

 数枚の書類を見比べれば、書式も提出部署も記入内容も見事なくらいにばらばらだ。それでいて紙のサイズ、質感は全く同じで、触っても区別がつかない。

 第二騎士団には平民が多い。口調からして、この書類を運んでいた団員もぶつかった団員も平民だろう。

 この国の識字率は高くないのに、書類の形式が統一されていない。

 これでは、分類だけでも苦労するはずだ。

「あの」

 そんなことを思いながら、エルゼは書類を抱えた団員に、自分が拾った書類を差し出した。

「こちらにも落ちています」

「すみません! ありがとうございます」

 笑顔で受け取り、団員は溜息と共にがっくり肩を落とした。

「ああもう、せっかく振り分けたのになあ。またやり直しだ……」

 うんざりした口調で呟く団員に、エルゼは少し考える。

 どうせ暇を持て余している。ただ待っているより、何かをしている方が、気がまぎれるかもしれない。

「あの……よろしければ、仕分けをお手伝いしましょうか。内容には目を通さないように気を付けますので」

 拒絶されることを覚悟のうえで恐る恐る問いかけると、その団員は予想外に表情を明るくした。

「いいんですか? すみません、おれ、出自は農家の次男なんで、文字がほぼ読めないんです。文字の形が近いものを選んで、何とか分けてたんですけど、よく分かんなくて」

 間違い多くて怒られるんですよね、と頭を搔く団員から書類の束を受け取り、エルゼはざっと紙面に目を通す。

 側のテーブルを借り、分別するのに必要な情報だけを見るように気を付けながら、部署ごとに分け、期限が早い順に書類をまとめる。

 迷いなく書類を重ねていくエルゼを、呆然と周囲の団員たちが見つめていた。

「あれ、誰だ?」「部外者だよな? ちゃんと分別できてるのか?」「でも……速いな。あれくらいの量だと、一日分くらいはあるだろ?」「あの速さで処理できれば、もっと速く決裁が下りるんじゃないか?」疑念、驚愕、感嘆……いろんな感情が混じった視線や囁きがそこかしこで生まれていたが、集中しているエルゼはそれらの存在に気づかないまま、分厚い書類を迷いなく分別していく。

 あっという間に分別を終えると、エルゼは受付で紙の切れ端を数枚もらう。部署ごとであることが分かるように栞代わりに挟み込み、重ねてから書類の山を団員に差し出した。

「上から財務、資材、討伐、警ら、復旧で分けてあります。それぞれの部署に提出してください。可能であれば、各部署ごとにインクの色を変えるとか印章を決めるとか、目視で分かる違いを入れると、文字が読めない方でも分類がしやすいのではないかと思います」

 ぽかんとしていた団員が我に返ったように書類を受け取り、なるほど、と頷いた。

「そっか、文字じゃなくてもおれでも分かる記号とかに色とかにしてもらえばいいのか!早速上に進言してみます!」

 ありがとうございました!と深くお辞儀をし、踵を返して団員は走り出す。「通路を走らない!」とすれ違いざまに注意をしたのは、先程の受付の団員だった。「すみません!」と一旦足を止め、今度は早足で去っていく平民の彼を、受付の団員が見送る。

 どうやら、エルゼがしたことはすべて彼に見られていたらしい。先程の平民の団員は喜んでくれていたが、もしかしたら余計なことをしたのだろうか。こちらに歩いてくる団員は不審そうにしていたが、そう大したことはないと判断したのか、すぐに興味を失ったように視線を戻した。

「お待たせいたしました」

 気を取り直したように、底が読めない儀礼的な笑みを浮かべる。最初の受付時とは違い、明らかにエルゼを警戒した、貼り付けたような笑みだ。

 その笑み一つで、彼の身分が貴族なのだろうと推測できた。先ほどの平民の彼とは全く違う笑みだ。

 その団員は軽く頭を下げた。

「お調べしましたが、当騎士団に『レン』と名が付く者は所属しておりません」

 感情を乗せない、事務的に徹した硬質な声だった。それ以上の追求を受け入れない、打ち切る言い方でもある。

「……え」

 思わず、小さな声が漏れる。

 だって、あの人は確かに言った。

 第二騎士団の詰所に『レン』を訪ねて来いと。

 そうすれば、あの日見たことを証言してくれると。

「間違いないんでしょうか? ご本人から、ここで『レン』と言えば分かると聞いているのですが」

 諦めきれずにエルゼは食い下がる。

 自分の仕事が疑われたからか、それとも別の理由があるのか。

 団員は露骨に不機嫌になり、吐き捨てるように言った。

「いないと言ったらいない! だいたい、本当に会う気があるならフルネームを教えるだろ? 所属も家名も分からないような相手をそう簡単に面会させたりはしないんだ。愛称しか分からないなら、その程度の関係だということだよ」

 どうやら、痴情のもつれと思われているようだ。

 だが……いないと言いながら、彼は明確に『誰か』を想定した話し方をしている。

「ですが、確かにあの騎士様は『レン』と――」

 言いかけた瞬間、団員が気色ばむ。

「っ、黙れ‼」

 焦った様子で平手を机に叩き、団員はエルゼの言葉を遮った。

 びくっと怯えたエルゼの肩が揺れる。

 視線を巡らせた後、少し潜めた声で団員はエルゼの顔を覗き込んだ。諭すような口調で告げる。

「いいか、ここは忙しいんだ。男探しをするための場所じゃない。適当な男の名前を出して、偶然を装い地位の高い男を引っ掛ける……そういう手合いはここでは日常茶飯事だがな、お前だけじゃない。大抵うまくはいかないんだ」

 団員は、一つ溜息をつく。幾分落ち着いた口調で続けた。

「変な噂の元になりそうな言動は避けてくれ。他の団員にも迷惑だ。……平民女の過ぎた夢なんだ。潔く諦めろ」

 彼の言葉には、矛盾がある。反論したいことも。

 口を開きかけて……ふと言葉を止めた。

 そんなことのためじゃない。自分の目的は違う。

 そう訴えたいけれど、平民にしか見えない自分の言葉が、どれだけ真剣に彼に受け止めてもらえるだろう。

 唇を嚙み、息を整え。ぎゅっと両手を握りしめる。

 ……今の姿のままでは、きっと何を言っても届かない。

「……分かりました。お手数をお掛けして申し訳ございませんでした」

 丁寧に頭を下げ、エルゼは詰め所を後にする。

 どこかぼんやりとしたまま、市場に寄り買い物を済ませる。

 やけに足が重い……引きずるようにして、エルゼは帰路についた。


 先程の団員の言葉が、ずっと頭の中をめぐっている。

 改めて自分の姿を見下ろし、溜息をついた。

 古いワンピースに擦り切れた靴。無造作に結った長い黒髪。今の自分はどう見たって貴族の令嬢には見えない。せいぜい貴族の家に使える下女だ。

 そんな身分の低い女を高位貴族と簡単に会わせるわけにはいかない。第二騎士団の入り口を守るものとして、彼の判断は、きっと正しい。

 実際に、些細なことをきっかけにして、高位貴族と縁を持ちたがる女性も多いのだろう。

 それならば、会わせてもらえなくても仕方がない。自分の目的のためだけにあの騎士の力を借りようとしているのなら、エルゼもそんな女性たちと何も変わらないのだから。

(やっぱり、無理なのかしら。自由になるなんて)

 諦めやすい自分が、心の奥から顔を出そうとする。

 無理だろうからと、物事を簡単に投げ出そうとする自分。

 でも――

 ここで諦めてしまったら、同じことの繰り返しだ。


 ふと、あの瞬間の怒りが蘇る。

 確かにエルゼは本当の父が誰なのかを知らない。母も、それだけは教えてくれなかった。

 だが、母は聡明で強い人だった。

 宿った命をなかったものにせず、自分が『醜聞令嬢』と呼ばれることを厭わずに、母が使える最大限の手段を使い、エルゼを生み育ててくれた。

 そのことを嘲笑われた、あの時の怒り。


 ふと、片手を上げる。

 あの日、生まれて初めてもらった、敬愛のキスを思い出す。

 指先に、温もりと優しさが残っている気がする。

 証言はもらえなかった。

 けれどあの騎士は、確かにあの瞬間、エルゼの味方でいてくれた。

 ならば、あの出会いを無駄にしない努力をする。

 進むための、力に変える。


 不貞の証拠はない。だが、不貞は事実だ。

(どうせ駄目なら……できるところまで、足掻いてみよう)

 証拠もなしにどこまでやり切れるのか分からないが……あの時、間違いなくリリーベルは動揺していた。

 確かな証拠はなくても、あの反応を引き出せれば、調停員は不貞を認めてくれるかもしれない。

 自分が強く追及することで、リリーベルやエドアルドから不貞に繋がる発言を引き出せる可能性は、まだ残っている。


 できることなら、この理不尽な婚約を破棄したい。

 そして――

 私は、自由になる。


本日の投稿はここまでです。第一部は書き終えていますので、明日以降一話ずつ更新します。

残り3話です。

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