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炎鎖のアシェイラ ~剣の輪舞  作者: なりちかてる
火の洞窟の章
20/21

炎獄の血闘

 アシェイラは腕を上にのばした。踏み板をつかむと、それを手がかりにして、一段、一段と上に昇っていった。

 全身、汗だらけになりながら十分ほど、そんなことをくり返していただろうか。ようやく、アシェイラは垂直になった階段を登りきった。切り立った崖を越え、平らになっている場所に、からだを横たえた。胸が上下するのを黙って、見つめていた。

 あたりは闇一色で、何も見えなかった。感じるのは床だけで、岩壁も天井も通路すらも目にすることはできない。が、すでにこの場所にはペールシードがいないことは、わかった。人の気配がしない。

 ——グレアード、グレイ!

 アシェイラは顔に腕をやった。歯をくいしばっているのに、泣き声がもれてきてしまう。目もとの横を、冷たいものが伝っていった。

 ——あたしがグレアードとグレイを、殺してしまった。こんな場所に……連れて来てしまったばっかりに。

 地面が大きく揺れた。下から突き上げられ、小石がぱらぱらと落ちてきた。

 が——そんなこと、どうでもよかった。このまま、ここで死んでしまいたい。

「エルカぁ……」

 声が出た。かすれた、小さい子供がしゃくりあげているような声だ。

「あたしはどうしたら、いいの。教えて……教えてよぉ」

 闇のなかで、エルカがアシェイラを見下ろしていた。

『どんな結果になろうと、それを選んだのが自分なら、そして間違っていないと思うのなら——恥じることはない。胸を張って、生きていればいいのさ』

 そのエルカが消え、かわりにアシェイラの知っている顔がいくつも、浮かんできた。

 ——ユーリス、レドラック、百人隊のみんな、スタンド・ヒル村のガーウィンとその娘のシルシィ。

 ……もしここで、アシェイラが復讐をあきらめてしまったら、どうだろう。エルカやグレアード、グレイは何て言うのだろうか。

 アシェイラは呼吸を整えた。チュニックの胸もとを、ぎゅっと握る。

 ——リースヴェルトにあこがれていた少女は死んだ。今、ここにいるのは、復讐のためならばどんなことでもする獣だ。血を吸い、肉を食らい、骨を噛み砕く獣。

 アシェイラは身を起こした。服についたほこりを、叩き落とす。

 そうだ。あたしは前に進み続けると——リースヴェルトと正面から向き合うと決めた。だったら今は何も考えずに、やってのけるだけだ。そうでなければ、エルカの死を乗り越えることなど、できるはずがなかった。

 アシェイラは闇のなかで岩壁を探り当てると、まわりを見た。ずっと向こうに光のようなものを見つけると、そちらへと歩き出していった。


 アシェイラは袖で、顔の汗をぬぐった。が、ぬぐってもぬぐっても、汗はぬぐいきることはできなかった。

 この暑さは、並みのものではなかった。今まで十七年間生きてきた中で、こんな暑さを経験したことは、一度もなかった。

 今、アシェイラが歩いている通路は、闇に閉ざされていなかった。下から照らす赤い光が、洞窟の壁や天井に折り目のような深い影を、刻み込ませていた。

 通路の床は広いけどあちことが崩れて、穴が開いていた。どれも穴はそんなに大きいものではないのだけど、底まではかなりあるようだった。そのずっと下を、赤いものが流れていた。——溶岩だ。

 穴からは熱気があがってきていた。溶岩まではかなり、距離があるようだけど顔をのぞきこませただけで、火ぶくれができそうだった。

 アシェイラは洞窟の壁に視線を移した。壁はところどころが引っ込んでいて、卵が置かれていた。卵のほとんどは殻がついたままなのだけど、五つ六つが割れているみたいだった。卵はとても大きく、抱えないと持ち上げることができないくらいあった。

 ——もしかしてこの卵って、ドラゴンの卵じゃないのかな。

 アシェイラはドラゴンの卵をこれまで、見たことはないのだけど、何となくそう思った。

 そして、その卵がドラゴンのものだとしたら。

 ——この先に、リースヴェルトはいる。

 アシェイラは確信を込めて、思った。

 やがてアシェイラは、溶岩の光に照らされた地下道を抜けた。別れ道に出る。

 地面は熱いままなのに、通路を満たしていた熱気が去っていった。ほんの少しだけど、涼しくなる。

 アシェイラは顔を上に向けた。それまで、のしかかるようにして頭上にあった天井が、ここでは姿を消していた。ずっと高いところに、まるで切り取ったみたいに青空がのぞいている。

 風はここには吹き込んでこないけど天井がないため、空気が暖められる前に上に、逃げていってしまうようだった。

 間違いなかった。ここは、エラプト山の噴火口だ。

 その噴火口のちょうど真下に、巨大な穴が開いていた。のぞきこむと、鮮やかな紅の色が目の奥に残った。

 穴の横には、岩が張り出していた。ところどころ、岩は欠けているのだけど階段のようになっていて、底まで降りることができるみたいだった。アシェイラは階段状の岩に、足をかけた。

 底には岩がいくつも、柱のように突き出していた。それぞれの岩の大きさは立つのがやっとのものから、横になることができるものまであって、高さまもさまざまだった。

 アシェイラはその柱のようになった岩のひとつに、飛び移った。きちんと足をつけると、彼女から離れたところに立っている人影を見た。

 リースヴェルトはアシェイラと目を合わせると、うれしそうに笑った。

 アシェイラは拳をぎゅっと握った。これまで、リースヴェルトはそんな笑顔を浮かべたことがなかったので、アシェイラは見下されたような気分になった。

「心配しておりましたよ」

 リースヴェルトが言った。

「貴方が途中であきらめて、引き返してしまうのではないかとね」

「余計な心配だね」

 アシェイラは鼻で笑った。

「あたしはあんたを斬ることをずっと、考えてきたんだから」

 アシェイラは下を見た。溶岩の光が、アシェイラとリースヴェルトの顔を照らしている。

 落ちればまず、助からないだろう。きっと、骨も残さずにこの世から消えてしまうに違いないけど、恐くはなかった。腰から、剣を抜いた。

「もう、逃がさないよ。ここから出たかったら、あたしを殺して行くんだね」

「逃げるつもりはありません。これまでは貴方を、いらいらさせてしまいましたが、すべての決着はここでつけるつもりです」

 リースヴェルトは壁に開いた亀裂を、指さした。

「あの奥に、祭壇があります。それを破壊すれば、エラプト山の噴火を止めることができます」

「へぇ。そんなこと、あたしに話してしまったも、いいのかい」

「構いませんよ。貴方の寿命は今ここで、尽きるのですから」

「……前も、そんなことを言っていたね。だけど、あたしは死んでいないよ」

「それは、先延ばしにしただけのこと。今度こそ本当に、貴方はここで死ぬ」

 アシェイラは舌打ちをした。柱の上を移動すると、リースヴェルトに迫った。剣で斬りかかる。

 リースヴェルトはアシェイラの攻撃をかわした。身軽に、別の柱へと逃げていった。

「深紅の面は輝きつつ、上天を昇りつめる。が姿は歓呼もて迎え入れられたり。暗黒を照らす御力みちからを封ぜし剣を今、此方こかたに送れ」

 リースヴェルトが呪文を唱え終わると、手のなかに剣が現れた。

 アシェイラは舌打ちをした。もう一度、リースヴェルトに斬りかかる。

 今度はリースヴェルトはアシェイラから逃げなかった。剣と剣が正面から、ぶつかり合う。金属音が響いた。

「リースヴェルト。あんたは以前、時代が大きく変わろうとしていると言ったな」

 アシェイラはつるぎごしに、リースヴェルトをにらみつけた。

「……ええ。言いました」

「だったらどうして、こんなことをする。エラプト山を噴火させて、何の意味がある」

「力を——力を、見せつけるためですよ」

「力、だって?」

 リースヴェルトが後ろに下がった。一段高い柱に、移る。

 アシェイラは前に踏み込むと、剣を横に払った。リースヴェルトが大きく、宙返りをした。剣の刃をかわすと、後ろの柱に着地した。

「——そうです。力です」

 アシェイラは柱に立った。リースヴェルトを見下ろす。

「地震と火山の噴火。このふたつがあれば、ネスキアの都市国家をひとつにまとめることができます」

 突然、地面が揺れた。下の溶岩が沸騰するように、泡立った。溶岩の水位が上昇し、みるみるアシェイラへと迫ってきた。

 アシェイラはあわてて、階段まで避難した。が、リースヴェルトは岩の上に立ったままだった。動かない。その足のすぐ下で、溶岩が止まった。

 汗が噴き出してきた。溶岩の赤い光が、あたりを満たした。吐き出す息に、火がつきそうだった。

 揺れが収まった。溶岩がもとの位置に戻り、熱気も去った。

 リースヴェルトがゆっくりと、両手を広げた。アシェイラを振り返る。

「これが、力というものですよ。アシェイラ」

「ふざけるな!」

 アシェイラは次々と柱を飛び越して行くと、剣を振りかぶった。斬りかかった。

 リースヴェルトが剣を受けた。火花が散る。

 アシェイラは二度、三度と剣を叩きつけた。右手を引き、剣を突き出す。

 リースヴェルトが剣の先をかわした。アシェイラの胸もとに飛びこんで来る。すれ違った。

 ——痛!

 右腕に、痛みが走った。見ると、肩にかけたマントとチュニックの袖口が切られ、血が流れていた。

「ほらほら! 感情に流されるのが、貴方の悪い癖ですよ。戦士が魔術師に切られて、どうするんです」

「う……うるさい!」

 アシェイラは剣を構えなおした。リースヴェルトと向かいあう。

「風の双神は暁光ぎょうこうの下を進む。彼の声が雷鳴をもたらす。雨水うすいは彼に従いて起これり。空界の道をく汝が姿を——」

 リースヴェルトが呪文を唱えはじめた。アシェイラは岩を蹴ると、柱を乗り移っていった。

「彼は破砕はさいしつつ進む、天と地を赤に染めるが為に。風の駿馬しゅんめは大地を進め、朝日の最初の光が大地に突き刺さるが如く」

 リースヴェルトが左手を動かした。アシェイラを指さす。

 風が吹きつけてきた。前髪やチュニック、肩にかけている外套などが、はためく。

 風はさらに、強くなっていった。からだが後ろに、飛ばされそうになる。身にまとっている服のあちこちが切れ、痛みが走った。皮膚の上に傷が現れ、それが赤い風となって舞った。

「あぁああああ!」

 アシェイラの口から、野獣めいた声があがった。剣で風を、斬りつけた。

 アシェイラの前で、風がふたつに分かれていった。風が止む。

 そのままの勢いで、アシェイラは剣を振り上げた。リースヴェルトに斬りかかった。

「あ!」

 リースヴェルトのからだがよろめいた。立っていた柱から、落下する。

 ——やった!

 が、リースヴェルトは落ちながら、柱の側面を蹴った。少し、低いところにある柱の上に、足をつけた。

「地上を見渡せば、常に苦しみに満ちております。それなのに、人間たちは戦いを止めません。……何故だと、思います?」

「そんな戯言!」

 アシェイラは走った。リースヴェルトに斬りかかる。

 リースヴェルトはあしらうように剣を受け流すと上にある柱に、乗り移った。

「それは人間の本質が他人を認めないからですよ」

「他人を認めない?」

 アシェイラは剣を下げた。リースヴェルトを見上げる。

「そうではありませんか? 例えば、サードレード市を巡る戦いでも、神官側とファルファレル軍との意見が衝突したからこそ、戦いが起きた」

「それは——」

「ふたつの勢力が話合いを進めていれば、衝突をかわすことができた。そのようには貴方も、考えてはいないでしょう」

 アシェイラは答えなかった。リースヴェルトの黒の瞳をじっと、見つめる。

「だからですよ、わたしがネスキアをひとつにまとめようとするのはね。もし、歴代の王たちがもっと早く、神官たちの勢力を弱めるような努力をしていたら、今回のような騒乱にはつながらなかったはずです」

「地震と火山の力があれば、あんたの言う外敵に対抗することができるんじゃないの」

「そうですね。それは、可能でしょう」

 リースヴェルトが即答した。

「それなら——」

「わたしがいなくなったら、どうします」

「え……?」

「わたしがいなくなってしまったらもう、魔術に頼ることはできなくなってしまいます。そうなる前に、基盤は作り上げておかないといけないのです」

 アシェイラは歯を、食いしばった。

「そのために何人の人間が犠牲になっていると思っている?」

「それもこれも、未来のためですよ」

「この!」

 アシェイラはジャンプした。柱の壁を蹴ると、横殴りに剣を払う。

 リースヴェルトはアシェイラの攻撃をかわすと、後ろに逃げた。

 アシェイラはあごの先から滴り落ちる汗をチュニックの袖でぬぐった。剣を構えると、柱から柱へと走っていった。

「逃げるな! あたしと——勝負しろ!」

 アシェイラはリースヴェルトをにらみつけた。横切るように、柱の上を走っていった。

 リースヴェルトが斬りかかってきた。受け流すと、逆に剣を叩きつけた。

 剣と剣がぶつかるたびに、手にしびれるような感覚が走った。顔をしかめる。

「リースヴェルト!」

 大きな音が響いた。アシェイラの剣が折れた。刃がアシェイラの右の頬をえぐり、後ろへと飛んでいった。

 しかし、アシェイラは剣を捨てなかった。振りかぶる。すると、折れたはずの剣から、炎が噴き出した。

「力より生まれたる汝の名を、は唱える。常に目覚めし汝の具現ぐげんを、我はたたえる。なればこそ、楯なる言葉は庇護とすることを今、知るべし」

 炎の剣がリースヴェルトめがけて、振り下ろされた。包み込もうとするが、見えない壁にぶつかったように、弾かれた。

 アシェイラはさらに、リースヴェルトを攻撃した。炎の剣を斬りつける。

 リースヴェルトが後ろに飛んだ。炎の剣をかわしながら、呪文を唱えた。

「火炎よ。白き日を黒き太陽に変える汝が力を我、ここに招来しょうらいせんとに願う。鋭き眼は激烈なる力もて貫け、炎の槍を赤熱して。灼熱は爆音をたてつつ、我らが足の下を過ぎ去る。捕らえたるものの血肉を食らうがために」

 アシェイラとリースヴェルトが戦っている穴の壁に、ひびが入った。その亀裂から、溶岩が流れ込んできた。空気が一段と暑さを増したように、感じられた。

 地下で、くぐもった音が響いた。柱が細かく、震える。

 突然、溶岩の表面が爆発した。噴き上がる。視界が紅に、染まった。

 アシェイラは別の柱へと飛んだ。すると、アシェイラが今さっきまでいた柱の上に、溶岩が落ちてきた。飲み込まれる。

 続けて、溶岩が爆発した。アシェイラに襲いかかってくる。

 アシェイラは剣を振り上げた。すると、剣の先が鞭のようにのびた。炎が溶岩を切る。

「リースヴェルト、どこだ! どこにいる?」

 アシェイラは剣を振るいながら道をつくりあげると、柱の上を飛び移っていった。

 ——いた!

「リースヴェルトぉ!」

 リースヴェルトがアシェイラを振り返った。一瞬だけ目を合わせると、祭壇があるという壁の穴のなかに、飛び込んでいった。

 ——逃がさない!

 アシェイラは走った。ためらいなく、穴のなかに飛び込んでいった。からだをごろごろと、回転させる。

 その直後だった。大地が震えたのは。激しい揺れが来た。上体を起こそうとしたのだけど、無駄だった。手から炎の剣の柄が、転がり落ちる。

 アシェイラは手をのばしたのだけど、取り戻すことはできなかった。四つんばいになってじっとしているのが、やっとだった。

 アシェイラが今、くぐってきたばかりの穴から、溶岩が入り込んできた。

 ——飲み込まれる!

 そう思ったけど、アシェイラがいる場所はほんの少し高いからか、溶岩は昇ってはこなかった。かわりに、熱気が迫ってくる。

 揺れが止んだ。アシェイラは床から、立ち上がった。床に、さっきまで手にしていた剣の柄が、落ちていた。

 でも、熱した鍋に落としたバターみたいに、形は完全に崩れてしまっていた。

 アシェイラのいる場所は、あまり広くはなかった。幅は農村にある池ぐらいしかない。床は傾斜が少なく、頭を気にせずに立つことはできるけど、手をのばせばすぐ届くところに、天井があった。

 アシェイラは左手に、視線を向けた。

 一番奥の壁が引っ込み、まわりが壇になっていた。壇の上には石の棺のようなものが横たえられていて、いくつもの文字や記号、石などで飾られていた。

 リースヴェルトはアシェイラを振り返った。

 祭壇から離れると、背後で石が不思議な輝きを放った。弱い光で、その場を満たす。

 アシェイラは床の上の剣の柄をちらりと見ると、チュニックから短剣を取り出した。感触を確かめるように、何度も握りなおした。

「この短剣に、見覚えはない?」

 アシェイラは相手によく見えるように、短剣を前に突き出した。

 リースヴェルトは目を細めた。

「……エルカの、ですね」

「そうだ! これはあたしが森まで行って、彼女の遺体から借り受けたものだ。……ずっと、思ってきた。もし、あんたの息の根を止めるのだとしたら、この短剣が一番、ふさわしいってね」

 リースヴェルトはアシェイラのまなざしを正面から、受け止めていた。

 黒い瞳はこんな時なのに、落ち着き払っていた。視線をかわそうともしない。

 余裕があるようにも、感じられた。

 ——いつだって……。

 アシェイラは歯を、噛み締めた。短剣をしっかりと握る。

 ——いつだって、そうだ。この男のほうが正しくて、あたしが間違っているように思わせる。だけど——今日、この時は違う。絶対に!

 アシェイラは深呼吸をした。

「どうして——エルカを殺した」

 びりびりと、床が揺れた。震動が伝わってくる。

「過去と訣別するため、情を断つためです」

 アシェイラはリースヴェルトの顔を見た。彼が何と言ったのか、意味を理解することができなかった。

「アシェイラ」

 急にリースヴェルトの声が、優しいものになった。

「な——何?」

「人間の愚かしさから戦いが起きるのならどうして、神々は何もしてくれないのでしょう。どうして呼びかけに、何も応えてくれないのでしょう」

 アシェイラが黙っていると、リースヴェルトは続けた。

「神々がただ、愚かしい人間が苦しむのを眺めているだけの無慈悲な存在なら、その神々を殺してしまえばいいのです」

「——え?」

「人が人であるから、争いが絶えないのなら、そして情があるから、人であることから逃れられないのなら——私は人であることを超える」

 アシェイラは一度 目を閉ざした。

「それが、エルカを斬った理由か」

「そうです」

「——おまえの言っていることは、めちゃくちゃだ」

「ええ。わかっておりましたよ、貴方にはご理解していただけないことはね。ですので今から、それを正すのです」

 アシェイラはゆっくりと、息を吐き出した。短剣の柄頭に、口づけた。

 ——エルカ。あたしに、力を!

 アシェイラは床を蹴った。リースヴェルトに迫る。

 短剣を構えた。リースヴェルトのからだに、突き立てようとする。

 リースヴェルトがマントを払った。横に、逃げられてしまう。

光明こうみょうよ、祭儀さいぎの牛は彼に従いて進め。汝が力は輝き、安寧あんねいをもたらす。寛裕かんようたる庇護者よ、我に勝利の賞を与え給え」

「この!」

 アシェイラはもう一度、短剣を突き出した。

 すると、リースヴェルトのからだがかすんだ。

 色が薄れ、目の前から消えてしまう。

「こっち! アシェイラ、こちらですよ」

 横から、リースヴェルトが斬りかかってきた。黒い剣が迫る。

 アシェイラはその攻撃を、短剣で受け流した。黒い火花が散る。

 短剣を取り落としそうになったけど、アシェイラは何とかこらえた。

 アシェイラは前に、足を踏みこんだ。短剣を突き出す。

 ——やった!

 短剣の先が、リースヴェルトの肉体を貫いた。

 でも、そう見えたのは一瞬のことだった。手ごたえが、まったくない。

 リースヴェルトの姿がまた、かすんだ。目の前から消えてしまう。

 アシェイラは後ろにからだを引いた。リースヴェルトを探そうとする。

 その時、アシェイラの頭にひらめいたことがあった。

 直感を信じ、アシェイラはさらに前へと、踏みこんでいった。短剣を突き出す。

 今度は、手ごたえがあった。

 短剣が、リースヴェルトの右の肩に深く、食い込んでいた。

 アシェイラは短剣を引き抜いた。

 血のしみがしだいに、傷口から広がっていった。そんない深手ではないけれど、初めて相手に傷を負わせることができた。

「やりましたね」

 リースヴェルトが苦しげな表情を浮かべた。

 アシェイラは短剣の柄をしっかりと、握った。

 短剣の先を、リースヴェルトに向ける。

「だから——どうしたの。あたしは、復讐を果たしに来たんだからね」

「ならば、やり遂げなさい」

「あんたに言われなくても!」

 リースヴェルトが動いた。斬りかかってくる。

 剣が振り下ろされた。黒い刃が右から左へと、迫ってくる。

 アシェイラは舌打ちをした。

 短剣ではリースヴェルトの攻撃を受けるのがやっとだった。

 何とか剣をかいくぐり、内側に入り込もうとするのだけど、隙はまったくなかった。

 チュニックの下に着ている革よろいのあちこちが裂け、血が流れた。

 だんだんと、リースヴェルトの剣を受けきれなくなってくる。

 腕があがらない。

 ——こんなところで……。

 アシェイラは歯を食いしばった。

 ——エルカ、エルカ!

「あたしに、力を!」

 青い光が短剣の刃に沿って、走った。

 その短剣でリースヴェルトの剣を受けると、金属音が響いた。剣が折れた。床の上を転がっていく。

「いやぁああああ!」

 短剣がずぶりと、リースヴェルトのわき腹の肉をえぐった。

 リースヴェルトが下がった。

 かなりの重傷のはずなのに、呪文を唱えた。

「不死のものは輝きつつ……広大なる空間を満たせり。な、汝が力は暗黒なり。白銀の光は、大地を鳴動せん。い、今、響け……汝が声よ。賛美の意思は我のために——あれ!」

 声をもつれさせながら、リースヴェルトが呪文を完成させた。

 左手を、アシェイラの向けた。

 手がまぶしい光を放った。

 光が銀色の矢となった。アシェイラに迫ってくる。

「この……!」

 アシェイラは走った。短剣を正面に構えた。

 大きく払うと、魔術でつくりだされた矢は光に戻り、消えた。どこにも見えなくなる。

「リースヴェルトぉぉぉぉぉぉ!」

 考えも何も、ありはしなかった。アシェイラはリースヴェルトの胸もとにまっすぐ、飛び込んでいった。

 アシェイラはリースヴェルトといっしょに、床の上を転がっていった。

 目がぐるぐると回る。肩や腰、それに傷口をぶつけると、鋭い痛みで息が止まった。が、アシェイラは相手のからだを離さなかった。

 回転が止まった。アシェイラはリースヴェルトの上になると、首をつかんだ。右手の短剣を振り上げる。

 リースヴェルトがアシェイラの顔を見上げていた。何の感情も写していない黒い瞳が、目に入った。

 この手を振り下ろして短剣を突き刺せば、この男を地獄の底に叩き落とすことができる。

 それなのに——腕が動かなかった。

「どうしたのです」

 リースヴェルトが言った。

「私を殺すのでは、なかったのですか」

 そんなこと、リースヴェルトに言われるまでもなかった。

 わかっている!

 わかっているのに——どうしたことか、短剣をリースヴェルトに向かって、叩きつけることができなかった。

「何を、ためらっているのです」

 また、リースヴェルトが言った。

「短剣を、振り下ろしなさい。そうすれば、私を殺すことができるのですよ」

 リースヴェルトの声は最後に、アシェイラに言って聞かせるようなものになった。

「私を殺すのでは、なかったのですか」

 アシェイラはゆっくりと、息を吐き出した。腕は振り上げたままだけど、短剣の柄を握る指先からはだんだんと、力が抜けていった。

 ——同じだ。

 リースヴェルトの目をみて、つぶやいた。

 ——どうして、気づかなかったんだろう。

 トライ・ステープルの町で対決した時や溶岩の上で剣を合わせた時も、そうだった。

 リースヴェルトの瞳の奥にあるもの。それはただ、絶望だけだった。

 ——あたしと同じだ。リースヴェルトは、死にたがっている。

「……おまえは、愚か者だ。なぜ——あんたほどの人間が、ペールシードにだまされていることに気づかなかった。どうして!」

 アシェイラはリースヴェルトの胸ぐらをつかんだ。

 無理やり立たせると、祭壇に背中を押しつけた。首もとに、短剣を突きつける。

「神々が無慈悲だから——慈悲の心を捨てれば、神になれるのか? だったら、おまえが神になったとしても、無慈悲なままではないか」

 こんなこと、言う必要はなかった。たぶん、リースヴェルトが一番、わかっていることなのだろう。でも、言わずにはいられなかった。

「では、人を殺すことで、人を救うことができるのか。だったら、何が変わった。何を変えることができた!」

 怒りのまま、アシェイラはリースヴェルトのからだを床に叩きつけた。

 腹ばいになった腹部めがけて、蹴りを入れた。

 リースヴェルトは低いうめき声をあげて、仰向けになった。

「どうして、おまえを殺さないかだと? よく、そんなことが言えるな! ああ、そうだよ。今だって、この手はあんたを殺したくて殺したくて、たまらないんだからね。でも——あんたを殺して、どうなる! あんたひとりの命とエルカの命、どっちがより重い? そんなこと……決まっているじゃないか」

 エルカだけじゃない。リースヴェルトはグレアードやグレイ、それにもっと多くの命を奪ったのだ。

 アシェイラは自分の右手を見た。

 まだ、短剣を握りしめたままの右手——その手の指の一本一本を苦労して、柄から離した。

「あんたを殺すのは、簡単さ。いつだって、あんたの息の根を止めることはできる。だけど——あんたはもっと、苦しむべきなんだ。エルカや、あんたが殺した人間の分の罪を背負いながら生きて、生きて——そうしてはじめて、あんたは死ぬことが許されるんだ。いいか、あんたの命はもう、あんたのものではない」

 ——剣で人を倒すのが、力なんじゃない。本当の力というものは、もっと別なものなんだよ。

 今ならアシェイラはあの、エルカのことばを理解することができそうだった。

「あたしには、帰るのを待ってくれている人がいる。……あんたはどうしようもないくらい、くだらない男だけど——あんたにだって、待ってくれている人がいるんだろう。いいか、あたしがあんたを殺さないのは、許したからじゃない。その人たちに、感謝するんだね」

 アシェイラは祭壇を向いた。

「お……お待ちなさい。貴方はそれで、よろしいのですか。わたしをここで殺さなければ後で、後悔するかもしれませんよ」

 柔らかな光を放っている石を砕き終わったアシェイラに、リースヴェルトが言った。右のわき腹を押さえながら、上半身を起こした。

「勘違いするな。あんたを殺さないことが、あたしの復讐だ!」

 アシェイラはリースヴェルトの傷口から滴り落ちる血を、見下ろした。

「天が望むなら、あんたの命を奪わないだろう。望まないなら……それまでだ。だけど、もし生きのびたら——その時は、あんたに罪を償う機会が与えられたってことさ。あたしに言えるのは、それだけ。それだけだよ」

 アシェイラはリースヴェルトに、短剣を投げて渡した。

「死にたければ、自分で死ね。あんたには——今のあんたには、殺す価値もない!」

 アシェイラはリースヴェルトに背を向けると、祭壇の間から引き上げて行った。

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