奈落の渡り
アシェイラとグレアード、それにグレイのふたりと一頭はたいまつで足もとを照らしながら、長い洞窟を歩いていた。
そこは巨大な生物の、体内のような場所だった。両脇に肋骨を思わせる岩が突き出し、鋭い先端を天井に向けていた。
グレアードの足の調子なのだけど、そんなに悪くはないみたいだった。傷口を見たけど皮膚をほんのちょっと灼いたぐらいで、肉がただれるようなものではなかった。歩いている姿も痛みに耐えている、という感じではなかった。
もし、グレアードの負傷が重いようならグレイに見張ってもらって、リースヴェルトの追跡はアシェイラひとりで続ける、ということも考えていたのだけど、そこまでする必要はないみたいだった。
と、また揺れが来た。今度のは横揺れでなく、下にがくんと落ち込むような、たて揺れだった。一瞬、ひざから力が抜けた。転びそうになる。
「おっと」
グレアードが手をのばしてきた。アシェイラのからだを支える。
「妙な揺れだったね」
すぐ耳もとで、グレアードの声が聞こえてきた。顔をあげると、目が合った。
その澄み切った碧色の瞳に見入っていると——。
グレイがアシェイラのズボンのすそを口にくわえ、引っ張った。アシェイラの顔を見上げた。
せき払いをすると、アシェイラはたいまつを持っていないほうの腕でグレアードの胸板を押した。離れる。
「汗くさいわよ、あなた」
「仕方ないでしょ。ここって、すごく暑いんだから」
アシェイラは額に手をやった。グレアードに言われるまで、この暑さを忘れていた。急に、汗が噴き出してくるようだった。
夏の日ざしはここにはないのに、立っているだけで汗ばんでくる。風は吹かず、空気そのものが熱を帯びているみたいだった。フライパンの上で、焼かれているような気分になる。
「……行きましょ」
正面と右、左に分かれた通路に差しかかると、アシェイラたちは床にひざをついた。リースヴェルトの足跡を確かめた。
揺れの周期はだんだんと、短くなってきているようだった。時々、歩けないぐらい大きく揺れ、天井からぱらぱらと小石が落ち、壁などにひびが入ることがあった。
——もし今、エラプト山が噴火したら……。
アシェイラはグレアードとグレイをちらりと見た。
その時はもちろん、アシェイラたちはただではすまないことになる。
——では、引き返そうか。
しかし、そんなことはできなかった。やっと、リースヴェルトに追いつきそうになったのだ。このチャンスを見逃すことはできなかった。それに、復讐を果たすことができるのなら、この身がどうなってもいいと、アシェイラは考えていた。
だけど、グレアードは——。
今でもアシェイラはグレアードに、ここから引き返して欲しいと思っているのだけど、そのことはもう、口にすることはできなかった。
——止めよう。
これ以上、そのことを考えても、仕方ない。とにかく今は前に、進み続けるだけだ。
通路を歩いているうちに右手が壁のように、そそりはじめた。崖みたいで、登れるような場所はまったく、見当たらなかった。
そして左手には、とても大きな裂け目が現れた。落ちればまず、助からないくらい深いようだった。たいまつの明かり程度では、底までを照らすことはできないようだった。裂け目のあちら側は河の向こう岸みたいで、助走をつけられたとしても簡単には飛び越えられないくらい、離れていた。
歩いているうちに、前方に岩とは違うものが目に入った。
——橋……?
アシェイラは足を止めた。間違いない。橋だった。つり橋で、それを渡れば裂け目を越えられるようになっていた。
アシェイラは裂け目の向こうを見た。
「リースヴェルト……!」
アシェイラは歯をくいしばった。剣の柄には手をのばすが、さきほどの幻のことがあるので、すぐにはその橋を駆けだして行かなかった。足を踏みしめる。
「信じておりましたよ、アシェイラ。あなたがここに来られることは」
アシェイラは岩陰から姿を現した人物を見て、息を止めた。
まさか、と思っていた。トライ・ステープルの町で、リースヴェルトはフェザード市軍に協力しているのは、もうずっと前からペールシードとで決めていたことだと言っていたけど、本人の口から聞くまでは信じられなかった。
しかし——そのペールシードは今、アシェイラの目の前にいた。
「どうして——」
アシェイラは弱々しい声で、言った。
「どうして、あなたがここにいるのですか。ペールシード師!」
目を閉ざしていたペールシードは灰色の瞳で、アシェイラを見た。
「アシェイラ。私はすべてを見届ける責任があります」
「見届ける……責任?」
「そうです。私は——」
ペールシードは大きく、首を振った。背の半分までのびる茶の髪を、揺らした。
「様々な子供たちを集め、育ててきました。強大な魔力があり、町ひとつをまるごと滅ぼしてしまった子供。災厄をもたらすと予言され、両親と引き離された子供。奴隷商人に買われ、傭兵となった子供。そして、アシェイラ。あなたも、そのひとりです」
「どうして、こんなことを」
その場に座り込みそうになるのをどうにかこらえて、アシェイラは裂け目の向こうにいるペールシードに聞いた。
「運命の狭間に置かれた人間——例えば、王の娘でありながらそのことを知らされず、ひとりの戦士として行動してきたあなたですが、どのような選択をするのか、興味がありましたので」
「興味?」
「そうです。あなたは、奪われたものを取り戻そうとは、お考えになられませんでしたか」
「あたしは——」
アシェイラは拳を握った。首から下げた鍵に、手をのばす。
「あたしだ。それだけは誰にも、変えようがない。それに、あたしが王の娘であっても、その身分を取り戻そうとは最初から、考えていない」
「そうかもしれません。ですが、人間とは変わるものですよ。何かきっかけがあれば、欲を満たす方向へと流れていく。それに、あなたにそのつもりがなくても、周囲の者がそれを許さないことがあります」
「そんなこと、どうだっていい!」
アシェイラは一歩、前に出た。
「あなたはそんなことを考えて、ずっとあたしと接していたのか。あたしがあなたのことばに感動したり、腹をたてたり、よろこんだりしていたのを、笑ってながめていたのか」
「……そうです」
アシェイラは歯を食いしばった。手のなかの鍵を、ぎゅっと握る。
「あなたはすべてを忘れて——憎しみすらも捨て去って、生活を続けることもできました。しかし、あなたはここに来た。復讐を果たす、それだけのために」
「ふざけるな!
——ペールシード。あなたはもう、師でも何でもない」
アシェイラは大きく、息を吸った。ペールシードをにらみつける。
「……敵だ!」
「アシェイラ!」
グレアードが肩をつかんできた。が、彼女はそれを振りはらうと、つり橋を走っていった。
と、いきなりからだが、ぐらりとなった。橋の上で、バランスを崩しそうになる。
つり橋を支えている、後ろのロープが切れたようだった。橋が傾き、裂け目の向こうの崖に叩きつけられた。踏みしめていた木の板が縦に、一直線に並んだ。
「アシェイラ!」
叫び声が聞こえてきた。下を見ると、グレアードとグレイが板につかまることができずに、落下していくところだった。
反射的に手をのばすがもちろん、届くことはなかった。闇に飲み込まれ、ふたりの姿は消えた。
「グレアード! グレイ!」




