地底への階
アシェイラたちはリースヴェルトを追って、エラプト山脈の山道を進んでいた。
道は激しく上になったり下になったり、または岩などがはみだすなどしていたのだけど、右手は深い谷間で左は急斜面なので、逃げられる心配はなさそうだった。
アシェイラはリースヴェルトが砦に逃げ込むものと思っていた。が、彼は馬に乗ると、砦の横を通りすぎて峠を越え、森のなかの山道を走っていった。
と、左の斜面が少しずつ、こちらに迫ってきた。道が狭くなる。それでも、アシェイラたちが馬を走らせていると、その斜面に完全に行く手をふさがれてしまった。
アシェイラたちはそこで、馬の足を止めさせた。斜面の手前にある茂みに、さっきまでリースヴェルトを乗せて走っていた馬がいた。が、しかし——リースヴェルトはどこにも、いなかった。
山道はアシェイラたちが立っているところで終わり、姿を消すとしたら斜面を駆けあがるか、右手の谷底へ下りるしかないのだけど、足跡はどちらにも続いていなかった。
——まさか。
アシェイラは馬の鞍から下りた。茂みへと、近づいていく。
「どう?」
のぞきこんできたグレアードに、アシェイラは茂みをかき分けてやった。
茂みの先は、少し急な坂になっていた。背の倍近い高さの下にはにごった水がたまっており、それを飛び越えていくと、まっすぐな道になっていた。が、その道は自然につくられたものではなかった。門がつけられている。
「あ、アシェイラ!」
制止の声を聞かず、アシェイラはその坂を下りていった。ジャンプする。
うまく、飛び降りることができたようだった。足が水たまりの向こうの地面についた。立ち上がると、グレアードたちに手を振った。
グレイがまず、飛び出していった。アシェイラの横の地面に着地する。
「ほら、グレア。今度は、あなたの番だよ」
「もう! こんなのばっかだよねぇ。黒馬亭の二階から下りた時もそうだったし、トライ・ステープルの町の時だって——」
グレアードが頭をかいた。
「来るの? 来ないの?」
「行くよ! 行かないなんて、言ってないでしょ」
グレアードは自分の立っているところと坂に下を見比べると、茂みを飛び出していった。ジャンプする。
が——勢いはよかったのだけど、踏みこむ場所が悪かったようだ。水たまりを完全に飛び越すことができずに、足がはまってしまった。派手に、黒く濁った水が散った。
アシェイラとグレイは素早く、後ろにさがったので、その水は浴びることはなかったのだけど、グレアードは水びたしになってしまったようだ。
「ちょっと、ちょっとぉ。もう! 何やってるのよ」
「仕方ないでしょ。こっちはアシェイラと違って、鎖かたびらを着こんでいるんだからさ」
グレアードが水たまりから、身を乗り出した。道の上に立つ。
「でも、これであそこには戻れなくなっちゃったね」
グレアードが後ろを振り返った。茂みに隠された入り口を見る。
グレアードの言うとおりだった。飛び降りて来るのにはいいけど、ここから水たまりを越えて坂をあがるのは、できそうになかった。
でも、後戻りができないというのはアシェイラにとって、ちょうどいいことでもあった。
——リースヴェルトの心臓に剣を叩きつけるまで、あたしは前に進み続ける……それだけだ。
門の先は、通路のようになっていた。壁や床、天井などすべすべで、何かにつかまらないと歩けない、というようなことはまったくなかった。
地下にある通路はもちろん、光が差し込まない場所なのだけど、全体が淡く照らされていた。暗くもまぶしすぎることもなく、適度な明るさで満たされている。
通路はひとつではなく階段があったり、大きな部屋につながっていたり、または道がいくつもあったりと、まるで迷宮のようになっていた。明かりはそのすべての部屋や通路、階段などを照らしているのではなかった。闇に閉ざされている場所もかなりある。
明かりは間違いなく、魔術でつくりだされたものだった。アシェイラたちを導くように、行く先々を照らしている。
アシェイラたちはたいまつを用意していた。歩くのに充分な光があるので、照明を用意する必要はなかったのだけど、魔術でつくりだされたのなら、簡単に灯りを消してしまえるはずだった。
しかし、エラプト山脈の下に、こんな広い空間があるなんて、知らなかった。
迷宮と言うよりは、ここは地下都市といってもいいくらいで、砦として利用することもできそうだった。
だけど——このような場所をリースヴェルトが知っていたのなら、どうしてフェザード市軍に教えなかったのだろう。ここならたくさんの戦士を収容したり、武器や鎧、馬具などを修理する鍛冶場、馬小屋などを作ったり、包囲された時の食糧をため込んだりすることもできるはずだった。
あの時——トライ・ステープルの町で、リースヴェルトを追い詰めた時のことだ。神殿の屋上で、リースヴェルトはアシェイラに言ったのだ。『貴方との決着の場は別に、用意されている』と。
では、ここがその、決着の場なのだろうか。それとも——何か他に、考えているのだろうか。
「ねえ、グレアード」
床のほこりにつけられた足跡とグレイの嗅覚をあてにして、地下通路を奥へ、奥へと歩いてきたのだけど、巨大な空間に出たところで、アシェイラはグレアードに話しかけた。「うん?」
アシェイラたちが立っている場所は城の中庭くらい、あるのだろうか。いくつかの段になっていて、それぞれは階段で結ばれていた。ずっと向こうの壁のそばが一番低く、通路がまっすぐと右、左にのびていた。左手は崖のようになっていて、飛び降りたら足を骨折してしまいそうなくらい、高さがあった。その横を地下水が川となって、流れていた。
「あなたはここで、引き返してもいいのよ」
「はぁ?」
グレアードが足を止めた。
「な……何、言ってるのさ」
「だって、これはあたし個人の復讐なのよ。あなたまで、巻き込むつもりはないわ」
「……ちょっと、ちょっと。待ってよ。それ、本気で言ってるの?」
「本気よ」
グレアードの目を見て、アシェイラは言った。すると、グレアードは頭を横に振った。
「だって!」
アシェイラは拳を握った。グレアードから、視線をそらすと大きく、息を吸った。トライ・ステープルの町の、通りに転がっていたいくつもの死体が目に浮かんだ。
「……おれは、死なないよ」
「え?」
「おれは、死なない」
グレアードは同じことばを、くり返した。「もし、おれのことが足でまといなら——その時は、しかたない。ここで、引き返すよ。だけど、そうじゃないでしょ」
アシェイラはそれに、答えなかった。答えることができずに、顔をうつかせる。
「それにこれは、おれの勝手でついて行くんだからね」
「そんなこと言ったって! あなたが死んでしまったら、あたしはどうしたら——」
「だから、言ったじゃない。おれは死なないって」
「そんなこと……」
グレアードがため息をついた。
「だったら、アシェイラは止めてくれる?」
「え……?」
「おれだって、アシェイラが血を流したり、けがをしたり——こんなこと、ないと思うけど、殺されたりするのは、想像だってしたくないんだからね。だったら、おれのために復讐するのを、止めてくれる?」
「それは——」
「できないでしょ。もちろんこんなこと、最初から頼むつもりはないけどさ、おれを巻き込みたくないから、ここで帰れってのは、ないんじゃない?」
アシェイラは首から下げた鍵を、手のひらに乗せた。見下ろす。
「それに、死んだらそこまでなんだし、殺されるのだって、ついて行くと判断したおれが悪いんだから、アシェイラが気にすることなんか、まったくないんだよ」
「そんなこと、ない!」
アシェイラは叫んだ。
「死んだらそこまでなんて、そんなこと絶対ないわ。死んだら、残された人は絶対に苦しむことになる。そして、その苦しみはずっと、ずーっと、続くことになるのよ」
今だってまだ、エルカの死を完全に乗り越えられたとは言えないのだから——。
「……わかった」
アシェイラは深呼吸をすると、言った。
「あなただけ、ここから引き返せなんて、あたしからはもう、言わないわ」
グレアードがうなづいた。
「——あなたもね」
グレイがうれしげに、アシェイラの足もとでしっぽを振った。
——グレアードとグレイは、あたしが守る。……これまでと、同じようにね。
「それからさ」
「え?」
「おれのことは、グレアでいいからさ。——あ! 別に、認めたわけじゃないよ」
あわてたように、グレアードはつけ加えた。
「アシェイラがそう呼びたいんなら、呼べばいいよ。だけどさ、おれのことを相棒として受け入れてくれたのなら、その時にはグレアードって、呼んで欲しいな」
「うん。わかったわ」
アシェイラが先に立って、階段を下りはじめた時だった。床が突然、激しく揺れはじめた。地震だ。アシェイラは足を踏んばることができずに、階段から落ちそうになった。悲鳴をあげた。
「アシェイラ!」
グレアードが肩をつかんできた。引きよせる。
からだががくん、となった。階段がなくなっていた。落とし穴だ。
穴を飛び越そうとしたが、無駄だった。あっという間に、その穴に飲み込まれていった。
「アシェイラ!」
もう一度、耳もとでグレアードの声が聞こえてきた。が、すぐにその声も遠ざかってしまった。闇の底へと、落ちていく。
アシェイラは穴の底に叩きつけられて、そこで終わりかと思ったのだけど、そうではなかった。穴はしばらくするとまっすぐではなく、ななめになったようだった。落ちる速度は少し、遅くなったようだけど、止まることはなかった。ぐるぐると頭のなかが回転し、めまいがした。目を開けていられなくなる。悲鳴が聞こえてきたが、それが自分のものなのか、それとも何かの音が穴のなかで反響しているからなのか、アシェイラには判断がつかなかった。
急に滑り落ちていたのが、止まった。穴から、アシェイラのからだが飛び出す。床の上を二度、三度と弾み、うつ伏せになって止まった。
「わぁああああ!」
背中に、重いものがのしかかってきた。肺がつぶれそうになる。かえるがつぶれたような声がでた。舌がのびる。
グレイが、アシェイラの足を踏みつけていった。アシェイラの手を離れて転がっていったたいまつを、口にくわえた。
「重い!」
グレアードがアシェイラの背中から下りると、手をつかんだ。すまなそうな顔をして、立たせてくれた。
さっきまで、アシェイラたちがいた場所と違い、そこは洞窟のようだった。壁も天井も、ふぞろいな曲線を描いていた。が、まったくの自然のままの洞窟、ということでもなく、床は傾斜がなかったし、向こうには下に降りる階段が見えていた。
「ここは……?」
アシェイラはグレイからたいまつを受け取ると、彼女たちがくぐり抜けてきた穴のそばまで、歩いていった。
穴は洞窟の壁の低いところに開けられていた。のぞき込んでみるけど、そこにあるのは闇だけで、アシェイラたちが落ちてきたはずの、階段の落とし穴を見上げることはできなかった。
「ここから戻るのは、無理のようね」
もともと、地図を書きながら進んで来たのではないのだから、どこに行き着こうと関係がないのだけど、リースヴェルトの足跡を見失ってしまったのは痛かった。
地面はもう、揺れていなかった。耳をすましてみても、地鳴りの音など聞こえてこない。その代わり——。
「ねぇ、アシェイラ。何だかちょっと、暑くない?」
アシェイラは腰を落とした。洞窟の床を、手で触ってみた。
——熱い。
火傷をするほどではないけれど、ぬるま湯くらいの温度はあるようだった。
「そのようね」
床だけでなく、洞窟全体が熱を帯びているようだった。空気が暑い。夏の一番暑い時をすぎ、もう秋が目の前で迫っているのに、その暑さがぶり返してきたみたいだった。
……エラプト山はほんとうに、噴火しようとしているのだろうか。
よほど強い魔力の持ち主なら、山を噴火させることができる——。そう言ったレドラックのことばを、アシェイラは思い出していた。
リースヴェルトがエラプト山を噴火させようとさせまいと、アシェイラにはどっちでもいい。
——あたしはこれから、リースヴェルトを殺しに行くんだから。
それで、すべては終わる。アシェイラの復讐も、この戦いも。
顔をあげたアシェイラは階段を背に立っている人間の姿を目にして、息を止めた。からだを凍りつかせる。
「リースヴェルト!」
「どうやらここまでは、無事に来られたようですね」
話しかけてきた。
アシェイラは歯をくいしばった。たいまつを手にしている反対の腕で、剣を抜いた。リースヴェルトに走りよると、斬りかかった。
が——。
たしかに剣の刃がリースヴェルトのからだを切り裂いたはずなのに、まるで手ごたえがなかった。水面に映った姿が波紋にかき消されてしまうように、リースヴェルトの姿が崩れた。目の前から消える。
——え?
しかし、今度はリースヴェルトは階段の途中に、姿を現していた。
「この!」
アシェイラは階段を駆けおりるともう一度、斬りかかった。が、今度もリースヴェルトの姿は消えてしまった。
階段の先は広い床につながっていた。まっすぐ行くとまた階段があり、リースヴェルトはいつの間にか床を横切って、その階段のところに立っていた。
「アシェイラ!」
背後からグレアードの声が飛んできたのだけど、アシェイラの耳には入らなかった。さらに斬りかかっていく。が、やはり今度もまったく、手ごたえがなかった。リースヴェルトの姿もまた、消えてしまっていた。
いきなり横から、誰かがぶつかって来た。アシェイラはバランスを崩し、床の上に転がった。
何かがアシェイラの頭上を、飛びすぎていった。洞窟の壁に、突き刺さる。
グレアードが前に出た。剣を構える。
階段の横、上の床と、アシェイラが今いる床との間の空間に、何かがいた。闇の向こうから触手のようなものを放ってくるが、グレアードが火花を散らしながら剣で受け流した。
アシェイラはあたりを見回すが、リースヴェルトはもう、どこにもいなかった。
たぶんあれは、魔術でつくりだされた幻覚だったのだろう。すっかりアシェイラは頭に、血が昇ってしまったようだ。グレアードに対し、すまない気分でいっぱいになる。が、アシェイラはすぐに心を切り替えた。洞窟の壁を背後にすると、暗がりから姿を現したそれを目にした。
はじめそれは、闇のなかに隠れていたように見えていたのだけど、すぐにそうではなく、闇そのものであることがわかった。たいまつを高く持ち上げるけど、目の前にいる獣はその明かりを、吸い取ってしまうようだった。頭部や翼、鋭い鉤爪、長い尾のような触手など、部分部分はわかるのだけど、全体の姿かたちは黄昏の光の下で見るように、あまりはっきりとしなかった。
「来る——!」
グレアードの声と同時に、アシェイラたちは床の上に散った。走る。
獣が長い首をのばしてきた。くちばしを開く。唾液にぬらぬらと濡れた舌と、ずらりと並んだ牙がのぞいた。
舌が飛び出した。さっきまで、アシェイラが立っていた場所を貫いた。舌が引きもどされると、床に穴が開いているのが見えた。
アシェイラは舌打ちをした。剣を振り上げると、首に斬りつけた。
獣は闇のかたまりのような姿をしているので、影のように実体がなく、剣を切りつけても傷は負わせられないのかもしれない——。
アシェイラは考えたのだけど、心配はいらないようだった。血こそ流れなかったけど、堅いものに切りつけた感触が返ってきた。
実体があるのなら、それで充分だ。戦うことができる。
グレイが足にかみついた。牙をくいこませる。
獣が背中の翼を動かした。痛そうには見えないのだけど、脚にかみつかれたことは、わかったようだった。もう一方の脚で、グレイを踏みつぶそうとする。
グレイが足から離れた。さっと、逃げる。
「りゃああああぁあ!」
グレアードが剣を持ち上げた。獣を串ざしにしようとからだごと、ぶつかっていく。
獣が首を波打たせた。くちばしが開き、木がふたつに裂けるような声をあげた。
グレアードの剣は獣のからだに、突き刺さっていた。柄までは通っていないけれど、剣の先の半分ほどは刺さっているようだった。
グレアードが剣を引き抜いたのと、獣が液を吹きかけたのとは、同時だった。床からじゅっと音をたてて、煙があがった。
——酸だ。
グレアードが倒れていた。悲鳴は口にしていないものの、苦痛に顔を歪めている。
正面からは大量に浴びてはいないけど、足に一部、酸が振りかかってしまったようだった。立ち上がれないでいる。
「グレアード!」
触手が動いた。グレアード目指して、飛び出していった。
アシェイラは考えも何もなく、走った。たいまつを捨てると、グレアードの前に立ちはだかった。剣で触手を上に弾いた。
払われた触手はアシェイラの頭上で、角度を変えた。槍のようにとがった先が落ちてくる。
アシェイラは剣を構えた。目でしっかりと見ると、剣を下から振りあげた。足を踏み込んだ。
触手がまっぷたつになった。黒い血がチュニックに飛び散るが、アシェイラは構わなかった。床を蹴る。
獣がからだの向きを変えた。くちばしが目の前で開く。
アシェイラは舌をかわした。動物めいた声をあげて、剣で斬りかかっていった。
ずぶずぶと肉を切り裂いていく感覚が、手に返ってきた。剣の刃が、獣の頭部を切り裂いていく。
獣が絶叫した。叫び声がその場に空気を震わせる。
長い首が床に落ちると、その声も聞こえなくなっていった。闇の色が薄まり、縮んでいった。牙やくちばし、鉤爪などを残し、見えなくなってしまった。
アシェイラは剣を鞘に収めた。グレアードのところまで、駆け戻っていった。
「……グレアード」
グレイがそばにいて、彼の顔を見下ろしていた。アシェイラは水袋を取り出すと、口を開いて傾けた。足に水をかけてやった。
「大丈夫?」
「あ——あぁ。ごめん、アシェイラ」
「何が?」
「さっきは偉そうなことを言っちゃったけど、これじゃ本当に、足でまといだよね」
足でまとい——。
だけどそのことで、アシェイラは彼を責めることはできなかった。リースヴェルトの幻を追っていた時、自分が見えなくなっていたのは、彼女のほうなのだから。
「立てるの?」
が、そんなことは表情に出さず、アシェイラはグレアードに、手を差し出した。握ると、立ち上がらせた。




