風雲の町
それから――アシェイラたちは四日の間、街道を駆け続け、やっとセレブリートの町にたどり着いた。
セレブリートは高台の上に築かれた町だった。都市国家ではなく、市の支配を受けている、それほど大きくない町だが、包囲攻撃にも耐えられるように要塞化されていた。町の形はほぼ、高台の形に沿うように作られており、身長の何倍もの高さに達する市壁がぐるりと取り巻いている。
町の入り口は西側に面した斜面にしかなく、それ以外は切り立った崖になっていて、昇ることは不可能に近かった。そして、西側の斜面も傾斜が急で入り口まで、ぐねぐねと曲がる道を昇っていかなければならなかった。
アシェイラたちは馬があるから楽なのだけど、徒歩でしかも重い荷物を背負ってだと、かなり苦労することになりそうだった。
その道を昇りきっても、すぐ町に入れるのではなかった。石段の先にある第一の門と、見張りの塔に守られた第二の門をくぐり抜けてはじめて、セレブリートの町の大通りに足を踏み入れることができるようになっていた。
町に入ろうとして、グレイのことでちょっともめたのだけど、戦士たちのなかにアシェイラの顔を知っている者がいたようだった。大して調べもせずに、通してくれた。
「へぇ」
馬の鞍の上で、グレアードが感心したような顔をした。
「アシェイラって、ここらへんでは有名な人だったんだね」
アシェイラたちは肩を並べて、町の中心を貫く大通りを進んでいた。馬の蹄が単調に石畳を叩く音が、響いている。
「――ええ」
答えながら、アシェイラは町並みを眺めていた。
車道と歩道が分けられた通りや切妻の屋根と縦に細長い家の壁、ところどころに見える砦などは変わらないのだけど、空気が何となく沈んでいるように感じられた。
セレブリートはファルファレル軍の盟主であるユーリスが、本拠としていた町だった。が、すれ違うのは見回りの戦士や目つきの悪い盗賊まがいの傭兵ばかりで、活気というものがまったくなかった。通りに面した店もからっぽなのが多く、壊れた馬車が車道の隅で放置されていたり、風が吹くとどこからか、悪臭が漂ってきたりしていた。
アシェイラが戦いの間や終わり近くになっても、この町に何度となく出入りしていたが、こんなさびれた町ではなかった。
「でもさ、グレイは町の外に置いてきても、よかったんじゃないの? あそこにアシェイラを知っている人がいなかったら、町に入れなかったかもしれないんだよ」
グレイが牙をむいた。金色の瞳で、グレアードをにらみつける。
「グレイ。それに、グレアードも」
アシェイラは頭を振った。グレイとグレアードよりも、この町のことが気になっていた。手綱を叩くと、馬の脇腹を蹴飛ばした。先を急がせた。
アシェイラたちはセレブリートも町の中心にある神殿へと、向かっていた。
セレブリートの神殿は町の規模と比べて、かなりの大きさを誇っていた。むしろ、神殿は町の中心で、その他の族長の城や貴族の館、砦などがおまけのような、そんなつくりになっていた。そのため、ファルファレル軍がこの町を落としてからずっと、神殿は軍の本陣として利用されていた。
神官軍といっても、すべての神官が参加していたのではない。悪行を重ねるサードレード市の神官に反発する者や、ファルファレル軍に協力する者もいた。
戦いが終結し、そういった神官たちに神殿をまかせようという意見も出されていたのだけど、アシェイラがサードレード市を出る時もどの者を神官の長にするかで、まとまっていないようだった。
その神官たちであるが、アシェイラが聞いた話では彼らはずっと昔、東にあるサークレド聖王国から渡ってきた、ということだった。
彼らが信仰しているのは唯一絶対の見えざる神なのだけど、神が一柱だけというのがアシェイラにはよく、わからなかった。
ネスキアに伝えられる神話に登場するのは光明や賢者、雷、狩猟の守り神、自然の精霊たちや冥府の神などで、彼らは互いに仲たがいをしたり、戦いになったりするのだけど、時には友情を育んだり、仲間としていっしょに行動したり、または結ばれたりして、子をなすことがあった。
神が一柱だけなら、意見が衝突することもないのだから、相手を傷つけるなどして悲しみを生むこともないし、天や地、動物や植物、そして人間すらもたったひとりで作りあげたのだから、どうしても偉大な存在ということになるのだろう。
だけど――以前、アシェイラは考えたことがあった。
この世界にひとりきり、しかも生まれた瞬間からずっと、孤独なのが運命づけられているのは、いくら全能の神であっても、さびしいのではないだろうか。
入り口のところで馬を預けたアシェイラたちは、神殿の内部に足を踏み入れていった。廊下を奥へと進む。
アシェイラたちが進んでいるのは、神殿長の間まで続く廊下で天井も高く、幅もたっぷりとられていた。廊下の両脇には太い柱が並び、石の天井を支えていた。
その廊下を進むアシェイラに声をかけたり、遮る者はいなかったが、神殿に入ってからずっと、鋭い視線が向けられるのは感じていた。好意的なまなざしではない。それに、ひそひそと陰口をささやかれるのを、アシェイラは何度も耳にした。
「何だか、嫌な感じだな」
グレアードが口にした。が、それはひとり言というよりも、周囲にいる者に聞かせるためのようだった。
グレイもそれに同意するように、口のなかでうなり声を響かせた。
と、前方で叫び声があがった。柱の影から、何者かが飛び出してきた。斬りかかってくる。振り上げた剣が日の光に、照り輝いた。
アシェイラは腰の剣に手をのばした。抜こうとする。
しかし、グレアードのほうが素早かった。鞘から抜きかけた剣で、その攻撃を受けた。
暗殺者がさらに二度、三度と剣を斬りつけてきた。グレアードはその攻撃を受けながら、鞘から剣を完全に抜いた。そして、その剣を暗殺者に叩きつけた。
その一撃だけで、充分だった。暗殺者のからだが吹きとんだ。仰向けに倒れる。その胸元に、グレアードが剣を突きつけた。
「グレアード!」
横目で、グレアードがアシェイラをちらりと見た。
「……わかってるよ」
グレアードが暗殺者の剣を蹴飛ばした。神殿の床をくるくると回りながら、転がっていく。
アシェイラは周囲にいる者に気づかれないようにそっと、息を吐き出した。ここにいるすべての者の敵意を集めてしまったように感じれらた。まなざしが鋭さを増し、突きささるようだった。
床に転がっていた剣を、廊下にいた男がつま先で引っかけた。宙に浮かせると、柄をつかんだ。大きく振る。目配せすると、数人の男たちが近づいてきた。
グレアードの横で、グレイが男たちに対して身構えた。背を低くしている。
しかし、男たちはアシェイラに斬りかかって来なかった。くるりと、背を向けた。
「やめろ!」
最初に剣を拾いあげた男が言った。廊下にいる者に、剣を構えた。
グレアードが振り返った。が、アシェイラは首を横に振った。彼女にも今、何が起こっているのか、わからなかった。
「彼女は今回のことに、関係ねぇじゃないか」
ばたばたと、足音がした。アシェイラたちの前に、戦士が立ちふさがった。後ろを見ると、そちらにも戦士が集まっていた。
「覚悟は、できているんだろうな」
正面にいる戦士たちのうちのひとりが一歩、前に出てきた。
「そいつをかばうのが、どういうことなのか」
剣の先を、アシェイラに向けた。
戦士たちがいっせいに、剣の柄に手をかけた。
アシェイラは舌で、下唇を湿らせた。戦場に立つのとは別の緊張に、肩や腕、ひざなどが震え出すようだった。
今ここで、誰かがくしゃみをすればにらみあいの状態が崩れ、切り合いがはじまるのではないか――。そんな時だった。
「何をしておる!」
廊下の向こうから、声がかかった。
初老の男がこちらに、近づいて来た。それに、戦士たちが脇にどいた。道をあける。と同時に廊下に満ちていた緊張状態も、解かれたようだった。
「アシェイラ、こっちだ」
大きく手を振って、彼女を呼んだ。
――ドレドノール首長。
それはユーリスの補佐役の男で、彼女のことばを伝える他、ファルファレル軍の意見のまとめをしたり、進軍目標を決めたり、周辺の有力部族と交渉するなどしていた。神官軍との戦いが終わり、ドレドノールもサードレード市でも高い地位を約束されていたのだけど彼もまた、このセレブリートの町までやって来たらしい。
顔なじみではあったけど、アシェイラはドレドノールが好きではなかった。どちらかというと、嫌っていると言ってもいい。時々、補佐役という役目を飛び越えて、ユーリスが承知していない命令を下すことがあったし、意見がまとまらない時は自分の意見を押し通したり、一族の利益を優先させることがあったからだ。そしてその結果、何十人――いや、それ以上の人間が犠牲になったこともあったはずだった。
が、戦士たちをたったひと声で鎮めてしまったところを見ると、今でもかなりの影響力を持っているようだった。
アシェイラはドレドノールに案内されて、廊下を歩いていった。
「アシェイラ。この町には、そなたのことを快く思っていない者もいる」
ドレドノールが、つぶやくように言った。
アシェイラはドレドノールをちらりと見たが、返事はしなかった。
「だから、刺激するような行動はなるべく、控えたほうがいい」
「それは、ドレドノール。忠告なのかしら、それとも脅しなのかしらね」
「なにを――」
「さっきのは一見、あなたがあの場を治めたように見えるけど、実際はどうだったのかしらね」
アシェイラはドレドノールを見た。にらみつける。
「もう少し、演技に長けた人を集めるべきね。あくびが出てくるくらい、退屈だったわよ」
あのタイミングでドレドノールが声をかけてきたことから考えると、アシェイラに斬りかかってきた男やまわりを取り囲んだ戦士、それに楯となった男たちもすべて、ドレドノールとアシェイラの立場のちがいを印象づけるために、最初から仕組まれていたのではないか。アシェイラには、そんな気がした。
ドレドノールが舌打ちをした。それにはこの子娘が、という響きが含まれているように聞こえた。
「とにかく」
と、ドレドノールは冷静な声で言った。「自分の行動には責任を持つことだな」
「あなたを含めてね」
それ以上、アシェイラはドレドノールと口を利こうとせず、彼も話しかけてこなかった。
まっすぐだった神殿の廊下はやがて尽き、短い階段をあがって右手に行くようになっていた。その向こうはホールになっていて、夕方の日の光で照らされていた。そのホールの奥にある、槍を手にした戦士に守られた両開きの扉の向こうが、ユーリスのいる神殿長の間だった。
グレアードがアシェイラとともに進もうとすると、戦士がその前に立ちふさがった。
「グレアード。それに、グレイ。あなたたちはちょっと、待ってて」
アシェイラが振り返った。
「えぇ? ここまで来て、お預けってこと? そりゃあ、ないよねぇ」
なぁ、と横にいるグレイに声をかけた。
グレイはアシェイラを見上げ、くぅんと鼻を鳴らした。しっぽを振っている。
「そんな顔、しないでよ。……すぐ、来るから」
アシェイラは扉の前に立った。両手をのばして、開ける。
神殿長の間は、かなり広かった。五十人以上の人がここに集まっても、窮屈に感じられないくらい。床も壁も石づくりで、天井の高さは廊下と同じだけど、幅はこちらのほうがあった。左右の壁にそって壇が作られ、その手前には柱が並んでいた。
窓から、風が吹き下ろしてきた。髪が首筋をくすぐる。が、神殿の間が広すぎるからだろうか、あまり生温くは感じられなかった。
アシェイラは長くのびる柱の影を踏みながら、前へと歩いていった。そして、床の一部が高くなって、段々がつけられているところまでたどり着いた。その奥は壁が引っ込んでいて、手前に玉座が据えられていた。
アシェイラは腰から鞘ごと剣を抜くと、ひざまずいた。前の床に、鞘を置く。
「アシェイラ、御前に――」
「アシェイラ!」
目の前の階段を、駆け降りてくる足音がした。顔を上げるのと、少女が抱きついてくるのとは、ほとんど同時だった。アシェイラが後ろに倒れかかるのをどうにか、こらえた。
「アシェイラ! アシェイラ!」
胸のなかで、少女はアシェイラの名を何度も何度も呼んだ。涙に濡れた顔を見られたくないからなのか、チュニックに顔を押しつけてきた。
「どうされました、ユーリス閣下」
「閣下はやめて!」
少女がアシェイラから一歩、離れた。袖で涙を拭う。
「ここは、私とアシェイラ、貴殿しかいないわ。だから、ね?」
「……わかった、ユーリス」
アシェイラはユーリスに手を引かれていっしょに、段に腰を下ろした。
ユーリスは九歳ぐらいの、肉づきのあまりよくない女の子だった。背も同年齢の子供と比べてちょっと低く、立って背伸びをしても、アシェイラのおなかあたりまでしかなかった。袖のゆったりとしたチュニックからのぞく腕は人形のように細く、思わず両手で取って包み込みたくなるくらいだった。
髪はきれいな金髪で、それをふたつに束ねて、背中から垂らしている。童顔なのだけど、顔立ちははっきりとしていた。眉が細く、鼻筋も通っている。翠色の瞳には力強い意志の光が宿っていて、そこだけは女の子らしくなかった。
ユーリスは足首まであるチュニックの上に黒地の衣を巻きつけ、喉のところでピンで留めた長いマントを、肩からかけていた。冠のようなものはかぶっていないけれど、額かざりを下げていた。身にまとっている衣服はアシェイラなどのものとはちがい、けっこう上質なのだけど、それが彼女が身につけている、唯一の宝飾品だった。
「どうして? どうして、サードレード市から出て行っちゃったの?」
ユーリスの声には、不思議な響きがある。澄んだ声は耳に快いが、それだけでなく、知らず知らずのうちについ、そのことばに意識を集中させてしまうのだ。
「戦いが終わり、あたしのするべきことも終わったからね」
「だけど、アシェイラとエルカはあの戦いの、一番の功労者じゃない。高い地位だって、約束できたのに」
ユーリスはもう、アシェイラを逃がさないというように彼女の手を握っていた。
「だからだよ。実際の戦いと政はまったく、違うからね。あたしは、剣を取っての戦いには向いているけど――ユーリス。あなたのように、ことばで他人を説得するのは苦手だから」
ユーリスは目を閉ざし、大きく息を吸った。
「たったひとりでサードレード市に置き去りにされたと知った時、私がどれだけ絶望に叩き落とされたか、くわしく説明してあげたいくらいだわ」
「そんな、大げさな――」
ユーリスがアシェイラの手の甲をつねってきた。にらみつけられる。
その頬をふくらました顔は九歳の女の子、そのものだった。アシェイラは吹き出しそうになったけど、そのような無神経なことはできなかった。
アシェイラは顔を下に向けると、つぶやくようにごめん、と言った。
「それで? エルカは、どこにいるの。この町に、来ているのでしょう?」
アシェイラはユーリスの手を、ぎゅっと握った。
「――いや」
「来てないの? どうして?」
「エルカなら……」
アシェイラはユーリスの顔を見た。視線を合わせる。「亡くなったよ」
ユーリスが大きく、目を見開いた。アシェイラの手を、握り返してくる。
「亡くなった? そんな――ど、どうして?」
目を激しくまばたかせて、息を飲み込んだ。「あ――だって、え? どういうこと?」
ユーリスの混乱が――少なくとも表面的な混乱がおさまるまでの間、アシェイラはひと言も声をかけなかった。
「エルカは……殺された。あたしの、目の前でね」
エルカの死を口にするのはまだ、平気ではいられない。さざなみのようなものが胸の奥で起きる。
アシェイラはチュニックの胸のところから、短剣を取り出した。ユーリスに差し出す。
「これが、彼女の形見だ」
「エルカの……?」
アシェイラはうなづいた。
エルカは今、彼女が殺された森で眠っている。その短剣は彼女の死体を埋める時に、見つけ出したものだった。
ユーリスは短剣を見下ろすと、両手で取った。彼女にも、その短剣には見覚えがあるのだろう。じっと見入った後、アシェイラに返した。
「誰が……誰が、エルカを?」
アシェイラは一度、目を閉ざした。
「リースヴェルトだ」
アシェイラは短剣を強く、握った。
ユーリスは驚かなかった。唇をきつく、結んでいる。
「ユーリス。あたしはしばらくサードレード市を離れていたから、状況がよくわからないんだ。説明してくれるかな」
短剣をもとの場所に戻しながら聞くと、ユーリスはうなずいた。ゆっくりと、語りはじめる。
「……今から、一ヵ月ほど前のことよ。フェザード市の軍がサードレード市に向けて、進軍して来たの」
フェザード市はサードレード市の南東、ファイブ・スプリングス湖の近くにある都市国家だった。エラプト山のふもと、噴火湾に面していて、地熱が高いことから冬でも湖の周囲は雪が積もらないことで知られていた。
エラプト山は数十年に一度、爆発をくり返しており、その度に多数の被害者を出してしまっているのだけど緑は豊富で、耕地に適した土地が広がっていた。
フェザード市軍の進軍はセレブリートの町に来るまでの間、アシェイラも噂として耳にしてきた。が、ここに来たのはその噂を確かめるためではなく、気になることを聞いたからだった。
「進軍が突然だった、ということもあって、サードレード市はその進軍を止めることができずに、いくつかの町を失うことになってしまった。フェザード市軍は今のところ、トライステープルの町に軍の一部を終結させているわ」
トライステープルはセレブリートの南、馬で一日と半日の距離にある町だった。
「しかし、皮肉なものね。十年以上もの月日をかけた戦いでようやく、サードレード市を手に入れたというのに、また追い出されるなんて」
「私は――」
ユーリスがアシェイラの手をぎゅっと、握ってきた。
「私は、サードレード市に残りたかったわ。でもそれは、通らなかった」
「城壁は?」
アシェイラがサードレード市を後にした時はまだ、城壁は修復されていなかった。
ユーリスは首を横に振った。
「まだよ。城壁を完全なものにするにはもうちょっと、時間がかかるみたい。だけど!
……これじゃ、フェザード市軍が迫ってくるのが恐くて逃げ出したみたいだし、市民には見捨てていったと思われちゃうじゃない」
それはとても、九歳の女の子が口にするようなことではなかった。しかし、これがユーリスなのだ。見た目は女の子でも、大人のように――いや、大人以上にずっと先のことを考えていることがあった。
アシェイラはユーリスの肩に手をのばすと優しく、抱きよせた。
「トライステープルの町か。神官軍との戦いが終わったばかりとは言え、ずいぶんと進軍を許してしまったようね」
「それには、理由があるの」
「理由?」
「ええ」
ユーリスは段の上に座りなおすと、アシェイラの目を見て言った。
「私は報告を受けただけなのだけど……戦闘に参加した戦士たちによれば、フェザード市軍には騎竜の兵がいたようなの」
「騎竜――ドラゴン?」
「ええ」
アシェイラはゆっくりと、息を吸った。
サードレード市に属する南部の町がドラゴンの襲撃を受け、炎で滅ぼされたと聞いたことはあった。
しかし、そんなことはありえない――アシェイラは今まで、信じてこなかったのだけど、ユーリスから直接聞かされたのでは、疑いようがなかった。
「まさか、フェザード市の背後にドラゴン・パレスがいるってこと?」
ネスキア同盟の東にはドラゴンたちが飛来する都、ドラゴン・パレスがある。
ドラゴンたちの考えることは複雑、または理解不能であるが、都にはそうしたドラゴンと人間たちの間を取り持つ導き手がいて、特別にドラゴンが持つ力を貸してくれることがあった。
「わからない。使者を派遣したのだけど、まだ戻って来ていないから。でも――何となく、ドラゴン・パレスとフェザード市は、関係ないような気がするの」
「関係ない?」
「う……ん。だって、アシェイラ。ちょっと、考えてみてよ。これまで、ドラゴン・パレスが都市国家の戦いに関わってきたことって、なかったじゃない」
「それは――そうだけど。なら、町に襲いかかったドラゴンは、どう説明するの?」
「……アシェイラは、聞いたことある? エラプト山の地下深くには火の洞窟があって、ドラゴンの卵が眠っているって」
「あるけど。でも、あれは――」
「わかってる。あれが噂にすぎないってことはね。……でも、だったらどうして、ドラゴンたちはレイシュアー河を越えて攻撃してこないの?」
「え?」
セレブリートとトライステープルの町の東を流れているのがレイシュアー河で、その西側がサードレード市、東側がフェザード市になっていた。
「ドラゴンたちがレイシュアー河を越えたのは、一回だけ。サードレード市に属する町を焼き払った、その一回だけなの。サードレード市がいくつかの町を失うことになったのだって、ドラゴンを警戒していたからで、本来の戦い方をしていれば、こんなに侵攻を許さなかったはずなの」
「それは――妙だね」
「でしょう? フェザード市が何を目的に侵攻して来たのかわからないけど、周辺の町なんかではなくサードレード市か私のいるセレブリートの町を直接、ドラゴンの火で焼き尽くせばこちら側は大混乱に陥り、最終的に戦いを勝利で飾ることができるのに、それをしないということは――」
「何らかの制約が課せられている?」
「例えば……ドラゴンたちが魔術で操られているとか。その制御に時間がかかるなどして、ここまで飛来することができないとしたら?」
アシェイラの視線に応えて、ユーリスは首を横に振った。
「もちろん、これに確証はないわ。実際にはフェザード市は私たちにそう思い込ませることで、壊滅的な一撃を与えるつもりなのかもしれない――それが本当だとしたら、とても、頭の悪いやり方だと思うけどね。でも、戦士のなかに、見た人がいるのよ」
「見た人?」
ユーリスは即答しなかった。心臓が五つ、鼓動を数えるほどの時間をおいてから、息をそっと押し出すようにして、言った。
「……リースヴェルトよ」
アシェイラは目を閉ざした。拳をぎゅっと握る。
それこそがアシェイラがここに来て、ユーリスに確かめたかった理由だった。
「フェザード市軍のなかに、リースヴェルトがいたのね」
「うん。ドラゴンの襲撃を受けた時、彼は騎竜の兵の指揮をしていたらしいわ」
「――奴は今、どこに?」
「トライステープルの町よ」
「……そう」
それだけ聞けば、充分だった。アシェイラは腰かけていた段から、立ち上がった。脇に置いていた剣を差す。
「待って!」
アシェイラは足を止めた。振り返った。
「本気なの?」
何が、と問う必要はなかった。アシェイラはユーリスの目を見て、答えた。
「安心して。すぐには、リースヴェルトは殺さないから。きちんと、あの男がドラゴンを魔術で操っているのかどうか、確かめてから――」
「そうじゃない!」
ユーリスが段から勢いよく、立ち上がった。「そうじゃないわ。私は貴殿がリースヴェルトを……覚悟のほどを聞いたんじゃないの。だって――だってね」
ユーリスは顔を下に向けた。
「リースヴェルトを殺すな、とは言わないわ。かつての仲間だったとしても、彼が私たちを裏切ったのは本当のことなのだし、これは戦いなのだから。でも――」
ユーリスがアシェイラに、近づいてきた。ズボンをつかむ。
「わがままかもしれないけど……私は、アシェイラがリースヴェルトに手をかけるところは、見たくないの。聞きたくもないし、想像しただけで寒気がするわ」
――アシェイラは後悔した。また、ユーリスが九歳の女の子なのを、忘れていたようだ。アシェイラはユーリスの足もとにひざをつくと、彼女の手を優しく握った。
「ユーリス――」
「私の父親も、神官軍側の戦士に殺された。だから、アシェイラの怒りや悲しみ、憎しみなどは理解しているつもりだし、リースヴェルトを許せだなんて言わない。……ねえ、アシェイラ」
ユーリスは懇願するようなまなざしで、アシェイラの顔を見た。
「リースヴェルトを討つのは他の人にまかせて、私のそばにいてくれない? アシェイラが近くにいてくれたら、とても心強いのだけど」
「ユーリス。あたしは――」
アシェイラはユーリスの目を、見ることができなかった。一瞬、決心が鈍った。
――だけど。
「あたしは天に誓った。あの男に剣を突きつけるためなら、どんなことでもすると。だから――ね? ユーリス、わかって」
「どうしても?」
「どうしても」
今度はアシェイラはユーリスの目を正面から、じっと見た。
「……わかった」
ユーリスは一度、顔をうつむかせ、それからアシェイラを見た。
「でも――」
「また、でも? 今日は、でもが多いね」
アシェイラは冗談を口にしたつもりだったのだけど、ユーリスは笑わなかった。が、それは腹をたてているのではなかった。まじめな顔をしている。
「でも、ここを後にする前にひとつだけ、貴殿に言っておきたいことがあるの」
「……何?」
たずねたけど、ユーリスはすぐにはしゃべりだそうとしなかった。
「――ウーリアス王の妃と王女について、なんだけど」
「妃と……王女?」
「ええ。アシェイラも知ってるでしょ? 王の死後、ふたりが行方不明になっていることは」
「あー、うん。神官たちによってどこかに連れ去られ、暗殺されたって噂の?」
ユーリスがうなづいた。
「でね、もしそのふたりが今も生きているとしたら、どうする?」
「どうするって――」
そんなこと聞かれても、困ってしまう。アシェイラは頭をかいた。「確か、ファルファレル軍は王の代理として神官と戦い、追放したってことになっているのよね」
「うん。もうみんな、忘れてしまっているかもしれないけど、ファルファレル軍は今も王の血筋を捜していて、その者を王位につけるのを最終的な目的にしているわ」
「だったら、よかったじゃないの。王妃と王女が、見つかったんでしょ?」
言ってから、急にアシェイラは不安な気持ちになった。ユーリスがアシェイラに王妃と王女のことを話したのは、ふたりに王位を返すのが嫌になったから、なのだろうか。
――まさか。
すぐにアシェイラは、その考えを打ち消した。
ドレドノールあたりならともかく、ユーリスはそのような人物ではない。
「サードレード市の王の城のひとつにね、開かずの間があるの」
「開かずの間?」
「王の居室なんだけど、鍵が見つかってないの。だから、ずっと開けられないでいるんだけど」
――鍵。
どうしたことか、ユーリスのそのことばが耳の奥に残った。
「な……何が言いたいの」
ユーリスが手をのばしてきた。アシェイラの首から下げた鍵に、指先を触れさせた。
「アシェイラ。この鍵がどこのものだか、貴殿は考えたことある?」
アシェイラは身を引いた。彼女の指先から鍵を奪い返した。が、今度ばかりは鍵を握りしめても、心臓のどきどきは去らなかった。「嘘……嘘よ」
「王妃陛下には、私も直接会ったわ。――貴殿によく、似ていらっしゃった」
「やめて!」
アシェイラは床の上に座り込んだ。耳をおさえた。
「仕方なかったのよ。……陛下はサードレード市から脱出されるのがやっとで、王女殿下が入れられていたゆりかごを、見失われてしまった。そのことを陛下はとても、悔やまれていたわ」
「あたしは、“白銀の戦士”エルカの娘、アシェイラ。それ以外に……親はいない」
「――わかった」
ユーリスがゆっくりと、息を吐き出した。「貴殿がそう言うなら、強制するつもりはないわ。でも――考えてみて欲しいの。アシェイラ、貴殿にもしその気があるのなら、ドレドノールの一党を失脚させることも可能だわ」
アシェイラは首を横に振った。
「あたしには、そんな力はない」
「アシェイラっていつも、自分を過小評価するのね。悪い癖よ」
「だけど、これは現実だ。現にあたしはこの神殿に入る時、戦士たちに剣を向けられたよ」
「現実がわかっていないのはアシェイラ、貴殿のほうよ。彼らはリースヴェルトが寝返ったことに動揺して、そのいらだちを彼といつもいっしょに行動していた貴殿に、ぶつけているだけなのよ。……ご覧なさい。貴殿が王の娘だということを公表すれば、反応がまったく違ったものになるから」
「ユーリスこそ、どうなの? あなたが力のすべてを出しきれば、ドレドノールの一族を追い払うことができるんじゃないの」
「私には、無理よ。私に与えられているのはただ、血筋だけ。でもね、それだけじゃだめなのよ。しっかりと人々を共通の目的まで導いてくれるという、信頼がないとね」
ユーリスが今までアシェイラに見せたことのない、憂いのある表情をした。
「私はいずれ、ドレドノールに都合のいい男を夫として迎えさせられ、盟主としての力を完全に失ってしまうことになる。だけど、アシェイラ」
ユーリスが顔をあげて、アシェイラを見た。「貴殿には戦士として、ファルファレル軍の中心として戦った事実がある。貴殿がウーリアス王の娘だということが明らかになればきっと、たくさんの人が手を貸してくれるはずよ」
「だけど」
「何のために、貴殿たちは戦っていたの? このままでは、神官たちとドレドノールの一派が入れ代わっただけじゃない。そんなことのために、大地に血を流してきたんじゃないでしょう」
「それは、そうだけど」
「貴殿には、力がある。それなのに、自信がないという理由だけで、人々を見捨てるの?」
そこまで言ってから、ユーリスは恥ずかしそうに微笑んだ。階段の一段目から、アシェイラの顔を見た。
「ごめんなさい。貴殿を追い詰めるつもりはないの。でもね、王妃陛下にご面会だけでも、してみるつもりはない? お会いになって、それでも考えが変わらなかったら私もこれ以上、何も言うつもりはないから」
そこで一度、ユーリスはことばを切った。「臣下の私が申すことではないけれど――陛下ご自身はとってもいい方よ。母親としても、人間としてもね」
アシェイラは口を開いた。しゃべろうとするのだけど何も、頭に浮かんでこなかった。「だから、アシェイラ。約束して。私の前に必ず、戻ってくるって」
……約束はできない。ユーリスとここで別れたのが、最後になるのかもしれない。
でも――。
「わかったわ。約束する」
口ではそう言ったが、生きてユーリスに会えないかもしれないことは、彼女にもわかっているのだろう。まなざしがそれを、物語っていた。
「あ――ユーリス」
「何?」
「ひとつ、頼みがあるんだけど」
「頼み? いいわ。私は、何をしたらいいの」
「……くわしく、聞かないのか」
「いいわ。アシェイラが無理な頼みごとをしたの、一度もないでしょ」
アシェイラは肩をすくめた。
「わかった。それで、あたしが頼みたいってことはね――」




