第3話 実践
翌日。
俺は有給二日目の朝を普段の出勤日よりも早い時間に迎えていた。
不思議なものだ。会社へ行くとなると目覚ましを三回止めても布団から出られないのに、ダンジョンへ行くとなると一回目で起き上がれる。
これがやりがいというものか。いや、違うな。金だ。
金とほんの少しの承認欲求とファンタジーへの期待感。
「……とはいえ、命あっての物種だけどな」
洗面所で顔を洗いながら呟く。
鏡に映るのはいつもの俺。気持ち程度明るい表情になっているような気もする。
改めて昨夜のことを振り返る。
無我夢中の検証によって辿り着いた一つの可能性。
【リサイズ】
対象物の大きさを半分から二倍まで変えられるスキル。
使い方次第では、身体能力補正のない変身士♀でも戦えるかもしれない。
例えば槍。
持ち運ぶ時は半分の長さにしておき、敵に突き出す瞬間だけ二倍にする。リサイズ時の瞬間的な加速、質量変化による攻撃力の上昇。それだけではなく、相手から見た距離感を狂わせることも可能だろう。
短い棒だと思って近づいてきたところを、いきなり伸びた槍で突く。卑怯と言われれば卑怯だが、モンスター相手に正々堂々も何もない。
そもそも俺は強者ではないのだ。
弱者は知恵と準備で戦うべきである。
会社でもそうだった。社内政治に強い人間、声の大きい人間、なぜか上司に気に入られる人間。そういう人たちと正面から戦って勝てるわけがない。だから俺は資料を作り込み、根回しをして、議事録を即日共有して生き残ってきた。
つまり、俺の武器は姑息さだ。
……言い方が悪いな。堅実さと言うべきか。
朝食を済ませた俺は昨夜のうちに用意しておいた荷物を確認した。
作業用インナー、膝当て、肘当て、薄手のグローブ、携帯食、水、協会支給の端末、魔石回収袋。
そして、ダンジョン産鉱物製の折り畳み式ショートスピア。
昨日、探索者協会仙台支部に併設されている探索者用ショップで購入したものだ。
ショートスピアの価格は五万九千八百円。
安くはない。
普通の会社員感覚で言えば、なかなか思い切った買い物である。飲み会なら十回分。家電ならそこそこ良い電子レンジくらいは買える。
ただ、命を預ける道具として考えれば、むしろ安い方なのだろう。
俺には貯金が四百万ほどある。
独身。車なし。酒も煙草もギャンブルもやらない。服にも時計にも興味がない。趣味らしい趣味といえば、動画配信サービスを見ながらスーパーの惣菜で晩飯を済ませることくらいだ。
三十三歳にしてはそこそこ貯めている方だと思う。
だが、貯金があることと、無駄遣いしていいことは別問題だ。
四百万は安心材料ではある。
しかし、安心して失敗するための金ではない。
会社を辞める可能性まで視野に入れるなら、むしろ命綱だ。家賃、食費、税金、保険料。無職になった瞬間、金は驚くほどの速度で減っていく。
だからこそ、初期投資はする。
ただし見栄ではなく必要経費として。
安物を買って怪我をするくらいなら、探索者用として売られている装備を買うべきだ。そこをケチるのは節約ではない。判断ミスだ。
会社員時代にも似たようなことはあった。
古いパソコンを騙し騙し使い続けて作業効率を落とす。安い外注先に頼んで結局やり直しになる。無料ツールで済ませようとして、後から余計な管理コストが発生する。
そういう、安く済ませたつもりで高くつく事例を俺は嫌というほど見てきた。
探索者になった途端、同じ失敗をするわけにはいかない。
ショートスピアは初心者向けの標準品らしい。
全長は一・二メートルほど。長槍というには短く、片手武器というには少し長い。刃は小ぶりだが、一層のモンスター相手なら十分だと店員は言っていた。
柄は金属と樹脂の複合素材で、見た目よりも軽い。中央部分で折り畳めるので、持ち運びもしやすい。
そして何より俺のスキル――【リサイズ】と相性が良さそうだった。
短くして持ち運び、必要な瞬間だけ伸ばす。
単純だが、使い方次第では強い。
短槍の間合いだと思って近づいてきた相手に突然リーチを伸ばして突く。見た目の距離感を狂わせられるなら、身体能力補正のない変身士♀でも戦える可能性がある。
問題はそれを俺が実戦でできるかどうかだ。
「……まあ、試すしかないよな。最悪【フワリン】なら素手でも倒せるようだし」
俺はショートスピアを専用ケースに収め、リュックを背負った。
部屋を出る前に、もう一度だけ忘れ物を確認する。
ヨシッ。
玄関で靴を履きながら、ふと会社用の革靴が目に入った。
昨日までの俺なら、今頃はそれを履いて出勤していた。
だが今日は違う。
向かう先は会社ではなく、ダンジョンだ。
会社に行く時とは違う緊張感がある。嫌な緊張ではない。怖さはある。もちろんある。だが、それ以上に自分で選んで動いている能動的な感覚があった。
……………………
探索者協会仙台支部に着くと昨日よりも人が多かった。
受付前には装備を身につけた若い男女が何組も集まっている。談笑している者もいれば端末を見ながら真剣な顔で予定を確認している者もいる。
年齢層は思ったより幅広い。
大学生くらいの若者だけでなく、俺と同年代らしき男もいたし、四十代くらいの女性探索者も見えた。少し安心する。
探索者というとどうしても若くて体力のある人間の職業というイメージがあったが、実際にはそうとも限らないらしい。
俺は受付へ向かい、登録証を提示した。
対応してくれたのは昨日とは別の女性職員だった。
「本日が初探索ですね。第一層入口付近のみでしたら、単独探索も可能です。ただし、規定により二時間ごとの生存確認がありますので、支給端末には必ず応答してください」
「分かりました」
それから、職員に武器の確認を促されたので、中身を見せる。
「武器は……ショートスピアですね」
「昨日、そこのショップで買いました」
「初心者用の標準品ですね。一層であれば問題ありません。ただ、槍は間合いの管理が重要です。近づかれた時に慌てないようにしてください」
近づかれた時に慌てない。
言葉にすると簡単だが、実際にはかなり難しそうだ。
俺は喧嘩の経験すらほとんどない。最後に誰かと取っ組み合いになったのは、小学生の頃だったと思う。
「それと初探索では予定より早く疲労が出る方が多いです。討伐数を稼ごうとせず、違和感があればすぐ戻ってください」
「はい。無理はしないようにしたいと思います」
これは本心だ。俺は勇者になりたいわけではない。無理せずそこそこ稼ぎたいだけだ。できれば多めに。
受付を済ませると、簡易検査ゲートを通された。持ち込み禁止物や危険物の確認をするためのものらしい。ダンジョンが違法薬物等の取引場所になるケースも珍しくないという。
ショートスピアは当然問題なし。
むしろ正規ショップで購入した装備だからか確認はスムーズだった。
そのままダンジョンへ続く青白いゲートの前に立つ。
昨日は隣に案内役の青年がいた。だが今日は一人だ。
ゲートの向こう側が昨日よりも少しだけ暗く見える。
「一層。入口付近。フワリン。無理はしない」
確認するように小さく呟く。
目標は三つ。
一つ、リサイズしたショートスピアでフワリンを倒せるか。
二つ、戦闘中にリサイズを使えるか。
三つ、危ないと思ったら即撤退できるか。
三つ目が一番大事だ。
俺は大きく息を吸い、ゲートをくぐった。
視界が切り替わる。頬を撫でる風。草の匂い。頭上には青空。足元には柔らかな草。
昨日と同じ第一層の草原だった。
同じ場所のはずなのに今日はずいぶん広く感じる。
俺は支給端末を確認した。
現在地は入口から半径五十メートル以内。表示は緑。安全圏。
よし。
まずは予定通り入口付近で検証だ。
周囲を見回し、他の探索者が近くにいないことを確認する。
それから俺はスキルの熟練度を稼ぐため変身した。スキルレベル上限に達していても熟練度は貯まり続ける。俺自身のレベルが上がると同時にスキルレベルも上がるようにしておきたい。
――変身。
視界が少し低くなる。 肩に髪がかかる感触。身体の重心が変わる感覚。
男として三十三年生きてきた身としては、いきなり女性の身体になるというのはどうにも違和感がある。
それでも変身したのには理由がある。
【リサイズ】は変身士♀のスキルだ。男の姿でも使えることは昨日確認済みだが、変身後の方が大小の切り替えがスムーズだった。今後も変身士♀とは切っても切れない関係になる。今のうちに慣らしておく方が後々いいだろう。
「……よし、やるか」
俺はケースからショートスピアを取り出した。
柄を握る。
昨日ショップで試しに持った時より、少し重く感じた。実際の重量が変わったわけではないだろう。気の持ちようだ。
俺はショートスピアに意識を向ける。
――リサイズ。
槍がするりと縮む。
全長が半分ほどになり、片手でも扱いやすい長さになった。
次に元へ戻す。さらに限界まで伸ばす。柄が伸び、刃先が遠くへ押し出される。
「……やっぱり、いけるな」
ただのショートスピアなら短い。だが、伸縮するショートスピアなら話は別だ。
俺は槍を短く戻し、両手で構えた。
深呼吸をして周囲を見る。
草原の向こうで紫色のモヤがふわりと集まり始めた。
「来た」
昨日も見た現象。モンスターの発生だ。モヤは次第に形を持ち、白い綿あめのような生き物になった。
フワリン。
第一層の最弱モンスター。
相変わらず弱そうだ。
ふよふよと浮かび、こちらに気づいたのか、ゆっくり近づいてくる。速度は遅い。小走りすれば簡単に距離を取れるだろう。
俺は短くしたショートスピアの穂先をフワリンへ向けた。
距離は三メートルほど。今の長さでは届かない。フワリンが近づいてくる。
二・五メートル
二メートル
一・五メートル
――今だ。
――リサイズ。
槍が伸びた。
短槍だったはずの武器が、一瞬で長槍の間合いを作る。
穂先がフワリンの中心を捉えた。
きゅっ、と小さな鳴き声がして、フワリンは紫色のモヤになって消えた。
「……倒せた。よーしよし、いいぞ」
思ったよりあっさりだった。そして、思ったより気持ちいい。
命を奪う快感とか、そういう危ない話ではない。自分で考えた方法が実際に通用したことへの達成感だ。
仕事でもたまにあった。組んだ表計算の関数が一発で動いた時。
面倒な取引先へのメール文面がうまく刺さって、先方が引き下がった時。
端末を見ると討伐数が一に増えていた。
経験値がどれくらい入ったかは分からない。ステータスを意識してみるが、レベルは変わっていなかった。
まあ一体で上がるほど甘くはないか。
「よし。次だ」
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