10 イベント
十二月十七日。日曜日、朝六時。
「はぁ……」
秋葉原のアニメ専門店【アニメグ】の七階建てビルの裏口から延々と三百メートル近い長蛇の列が出来ているのを前にして、大学一年生の石坂は大きくため息をついた。冷たい風の吹きつける寒さの中、列の客たちは皆、クリスマス・イブに開催されるアイドル声優・悠月怜奈のファースト・アルバム発売記念コンサートの抽選券をもらうために並んでいるのであった。
「入れるのか、本当に」
石坂は列の最後尾に並んでから、一緒に来た同級の斎木に言った。
「抽選だよ」
「え?だって、チケット、持ってるのに」
「いやいや、それ抽選券をもらうための券だよ。」
「ウソだろ。じゃあ、観られないこともあるのか」
「そりゃあ、そうだよ」
「帰る」
石坂は帰ろうとした。
「ま、待て。俺が悪かった」
斎木は石坂の腕を掴んで、謝った。「仕方なかったんだ。当選確率を上げるためには一枚より二枚の方がいいだろ」
「ということは、最初から騙すつもりだったんだな」
「だから、謝ってるだろ。もし当選したら、飯、おごるから」
「しなくしても、おごれ」
「……わかった」
三時間に及ぶ極寒状態を堪え忍び、ようやく、抽選券の配布開始となり、列が動き出した。
振り返ると、いつのまにか石坂の後ろにはさらに長蛇の列が出来ていた。
建物内に入り、天国のような暖房の風が石坂の全身を癒す。
「なあ、思ったけど、抽選券って、並ばないで済むための券だよな。なぜ並ぶ?」
「そりゃあ、抽選券の枚数にもかぎりがあるからな」
「おかしくないか。枚数にかぎりがあるなら、抽選券引替券ってのは何なんだよ」
「この券は、れなりんのCDの中に一枚入ってるんだよ。だから、二枚買ったんだ」
「まるで詐欺商法だな。抽選券のために何十枚も買う奴いるんだろ」
「それを言っちゃ、おしまいだよ」
イベント・スタッフから抽選券をもらい、二人はようやく列から解放された。
「いつ発表があるんだ?」
石坂は抽選券を斎木に渡した。
「夜、インターネットで抽選結果が発表されるよ」
「イベント、今日じゃないのか?」
「クリスマス・イブだって言っただろ」
「おまえのファン魂には感心するよ。じゃあ、早速、朝飯食いに行くか。おごりだよな」
「わかってるよ」
「ねえ、君たち」
石坂と斎木は店を出ようとした時、一人の女性が声をかけた。
「おい、誰だよ。このきれいなお姉さん」
斎木が小声で石坂に言った。
「知らないよ」
石坂も戸惑っていた。
「白木亜里砂よ。警視庁捜査一課刑事の」
亜里砂は警察手帳を見せた。
「刑事っ!」
斎木は驚いた。「やばいよ」
「何がやばいんだよ」
「いや、わかんないけど」
「朝早くから買い物?」
「ちょっと、イベント抽選券をもらいに」
「イベント抽選券?」
「もしかして悠月怜奈のファースト・アルバム発売記念コンサートの?」
「そうです」
と二人の会話に口を挟むように斎木が言った。「もしかして、お姉さんもファンですか?」
「んなわけないだろ」
石坂が言った。
「声優のこと、詳しそうね」
「もちろんです」
斎木が調子に乗って、言った。
「近くで少し話さない?おごるわよ」
「はい。喜んで」
すっかり、亜里砂に心を奪われた斎木は石坂そっちのけで元気に返事をした。




