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女王さまと市松模様

前書き


 あたし、黒木(クロキ)舞桜(マオ)よ。


 エスカレーターの片側空け問題から始まって、大衆の行動心理をハックする市松模様の空間誘導、さらには小型ドローンとデータセンターを直結させた『未来予測ファンネル』による警戒社会アーキテクチャまで、今回もあたしの知性をフルスロットルでコンパイルしてあげたわ。


 凶悪な犯罪者を未然に検知してデジタルに村八分にする、最高にエレガントで冷徹な都市防衛プロトコルをその網膜センサーにしっかり焼き付けなさいなッ!


 ……って、真面目なインフラ議論の裏で、下僕へのアイアンクローや曰く付きの呪物扇子の登場、果ては白い部屋への強制ドナドナまで、サロンのトラフィックは今日も完全なオーバーヒート状態だけどねッ!


 2020年11月下旬。生体デバッグ・サロン・オフィスにて。


 二階の『白い部屋』からなんとか一階のオフィスへと帰還を果たしたあたし、黒木(クロキ)舞桜(マオ)は、虚空を見つめながらポツリと呟いた。

 

「夢を見たわ」

 

 サファイアブルーのショートボブを微かに乱し、顔面ディスプレイに未だ残る熱暴走のテクスチャを必死に誤魔化しながらの、虚空へのログ出力だ。

 

「そっかー。舞桜(マオ)。仲良しだねー」

 

 ソファでコーヒーカップを傾ける白井(シライ)勇希(ユウキ)が、プラチナブロンドの髪を揺らしながら、驚くほど平坦な音声ログを返してくる。

 

 流すなッ。流すなッ、彼氏ッ!

 

「えー、おまえ起きてたじゃんッ。要る? この事実確認。まあいいか。様式美ってヤツなー。夢じゃない夢じゃない」

 

 ボッチこと茅野(チノ)万桜(マオウ)が、赤い髪をポリポリと掻きながら、ゼネコンの顔つきで適当なパッチを当ててきやがった。

 

 雑に流すなッ。ボッチッ。

 

「いいじゃん。連れションだろー」

 

 長身の斧乃木(オノノギ)拓矢(タクヤ)が、長い脚を投げ出してテレビを見ながら、極めて低解像度な要約を吐き出す。

 

 違うッ。そうじゃねえッ。この下僕ッ。

 

 おまえたちの彼女が加害者じゃねえかッ!

 

 あたしの気高いメインフレームが受けた致命的な過負荷を、女子の微笑ましいスキンシップという名の低レベルなコードで処理しやがって。

 

 あたしは、階段の上から優雅な足取りで降りてくる倉田(クラタ)琴葉(コトハ)ちゃんとサブリナこと福元(フクモト)莉那(リナ)の満足げな顔面ディスプレイを横目でスキャンし、これ以上ないほど深いジト目のパケットを男どもに向けて叩きつけてやったのよ。


★ ◆ ★ ◆ ★


「思い付いちゃったじゃないのよぉーッ!」

 

 あたし、黒木(クロキ)舞桜(マオ)は、コーヒーカップをテーブルに叩きつけるように置き、ひらめきのパケットを大音量でブロードキャストした。

 

「駅のエスカレーターあるでしょ。ステップの踏み面をチェック模様……市松模様にすれば、あの謎の『東京は右空け、関西は左空け』っていうポンコツな片側空けバグが、一撃で完全解消されるじゃないのよぉーッ!」

 

 あたしは指先で空中にチェッカーフラッグのグリッドを描いてみせる。

 

「ほら、歩道のタイルでも、無意識に同じ色を選んで歩いたり、目地を踏まないように進んだりするじゃない? あれと同じよ。視覚的に互い違いのパターンを敷くだけで、人間は自然と千鳥配置(ジグザグ)で立ち止まるようになる。歩行用の直線レーンという認識コードそのものが脳内からパージされて、輸送効率が理論上最大値に最適化されるのよッ!」

 

 我ながら完璧すぎる行動経済学と空間認識ハックだ。

 

 だが、長身の斧乃木(オノノギ)拓矢(タクヤ)は、ソファで長い脚を組み替えながら、鼻をほじるようなデリカシーゼロの音声ログを吐き出しやがった。

 

「いや、俺そんなタイル踏み分けゲームとかやらねえし。てか、そもそも前向いて歩いてるから下なんか向かねえし」

 

 ……ピキッ。

 

 あたしの脳内メインフレームで、防衛用のリミッターが派手に吹き飛ぶ音がした。

 

「この……無神経な猿プロトコルがぁーッ!!」

 

 あたしはマッハの踏み込みで間合いを詰めると、拓矢の股間めがけて必殺の『アンダー・アイアンクロー・バーニング』を全力で炸裂させた。

 

「ぎゃあああああああッ!? な、なんでぇぇぇッ!?」

 

 悶絶してくの字に折れ曲がる拓矢の頭上から、あたしはサファイアブルーの瞳を怒りのプラズマで発光させながら、絶対零度の鉄槌ログを叩きつける。

 

「女には、体調や気分が急降下して視線が自然と足元に落ちる『マンスリーバグ』があるってことを、その単細胞メモリに刻み込んでおきなさいッ! この下僕ッ!」

 

 さらに背後から、防大の倉田(クラタ)琴葉(コトハ)ちゃんとサブリナこと福元(フクモト)莉那(リナ)が、底知れぬ威圧感のオーラを纏って音もなく進み出てきた。

 

「……ええ、斧乃木。貧血や激痛で顔を上げることすら辛い時に、後ろからスタスタ歩く奴らのプレッシャーに怯えながらエスカレーターに乗る側の負荷を、少しは演算したことがありますか?」

 

 琴葉ちゃんの声は静かだが、その切れ長の瞳には先ほどのセッションを彷彿とさせるドSの残光が宿っている。

 

「そうだよ拓矢~。視覚誘導で誰もが安全に2列で止まれるユニバーサルデザインを、自分の狭い脳筋スペックだけで否定するとか、マジでデバッグ対象だよね~?」

 

 サブリナが腕をポキポキと鳴らし、小悪魔の笑みを浮かべて拓矢の退路を完全に塞ぐ。

 

「ひ、ひぃぃ……ッ! す、すんませんッ! 俺の配慮パラメータがゼロでしたぁッ!」

 

 床に転がって命乞いをする拓矢を一瞥し、ソファの白井(シライ)勇希(ユウキ)とボッチこと茅野(チノ)万桜(マオウ)は、

 

「「……合掌」」

 

 見事なユニゾンで目を逸らし、女子たちの逆鱗という名の不可侵領域から高速でログアウトをキメるのだった。


★ ◆ ★ ◆ ★


「てか、2列には並ばないでしょうね。パーソナルスペースを保ちたがるもの」

 

 あたし、黒木(クロキ)舞桜(マオ)は、床で悶絶する斧乃木(オノノギ)拓矢(タクヤ)から視線を外し、手にした扇子をパチンと閉じた。

 

 ……扇子? 今11月よッ。

 

 小首を傾げるあたしを余所に、プラチナブロンドの白井(シライ)勇希(ユウキ)がコーヒーカップを置きながら、医学的な空間認識のログをコンパイルする。

 

「確かに、心理的な境界線の問題だね。隣に赤の他人が密着して2列で並ぶのは、ストレス値が跳ね上がる。だからこそ、チェック模様による千鳥配置――ジグザグに乗るアライメントが、パーソナルスペースを確保しながら輸送効率を最大化する最適解なんだ」

 

「ゼネコンの動線設計から見ても合理的だぜ」

 

 赤い髪のボッチこと茅野(チノ)万桜(マオウ)が、腕を組んで深く頷く。

 

「市松模様にすれば、前後の人間と適度なクリアランスを保ちつつ、自然と左右のバランスが均等に分散される。ステップの片減りという機械的な摩耗バグも防げるし、歩行による事故リスクも物理的にパージできるからな」

 

「ええ。ポスターやアナウンスによる啓発というレガシーな手法より、床のパターン認識で無意識の行動をハックする方が、圧倒的にエレガントな防衛アーキテクチャです」

 

 防大の倉田(クラタ)琴葉(コトハ)ちゃんが、凛とした声で知性のパケットを重ねた。

 

 その時だった。

 

「あぁ~ッ。それッ!」

 

 サロンの受付から入ってきた三華(ミカ)が、あたしの手元を指差し、フロアを揺るがす叫び声をあげた。

 

 27歳彼氏募集中の元ハニトラ要員が、血相を変えてあたしへと詰め寄ってくる。

 

「ちょっと舞桜(マオ)ちゃん! その扇子、どこから持ってきたのよ!? それ、明治のフィクサーが何人もの首を括らせて、莫大な資本と人の業を吸い尽くしたっていう、特級の曰く付きアーティファクトよッ!?」

 

 ああ、勝手に動くアーティファクトってヤツ?

 

 あたしは、黒塗りの親骨に真紅の扇面が映える扇子をまじまじと見つめ、フンと鼻を鳴らした。

 

「はあ? ただの重心バランスが完璧な竹と紙の集合体じゃない。手首のスナップが利いて、ツッコミを入れるのに最高にスマートなインターフェースなんだけど?」

 

 呪物の放つ禍々しい思念のパケットすら、生まれついての魔王スペックで完全に手懐け、日常の便利なデバッグツールとして運用してしまうあたしを見て、三華(ミカ)はあんぐりと口を開けてフリーズするのだった。


★ ◆ ★ ◆ ★


 でもそうねー。前の琴葉ちゃんの時みたいなことになるとメンドクセーわね。


 まあ実験してみましょう。あたしは、床で股間を押さえて白目を剥いている長身の斧乃木(オノノギ)拓矢(タクヤ)に歩み寄り、そのだらりと伸びた右手に扇子を無理やり握らせてみた。


「ほら、握りなさいな。下僕」


 拓矢はピクリと眉を動かし、白目を剥いたまま扇子を虚空へパタパタと弱々しく振った。


「あー……飯、大盛りにしたい……あと、エスカレーターは右側を全力疾走したい……」


「まあ、なんともないわね」


 低レベルな本能のログを垂れ流すだけの猿プロトコルに、あたしは冷徹なパッチを当てて扇子を回収した。呪物の思念すら受け付けないほどの単細胞メモリだわ。


 扇子をパチンと閉じ、手のひらで弄んでいると、あたしの脳内メインフレームが恐るべき速度で新しいインフラのブループリントをレンダリングし始めた。


「ねえ、思い付いちゃったわ。手のひらサイズの超小型ドローンがあるじゃない」


 あたしは不敵な魔王のスマイルを明滅させ、メインノードたちへ新たなアーキテクチャを展開する。


「機体にはLiDAR、超高解像度カメラ、サーモグラフィー、超高感度集音マイクだけをフル装備するの。エッジ側には重い人工知能コンピュータなんて積まないで、取得した全生体パケットを基地局経由でデータセンターのメインフレームへ爆速で転送するのよ。それを常時4機ほど周囲に滞空させるの」


 プラチナブロンドの白井(シライ)勇希(ユウキ)が、知性の瞳を瞬かせた。


「機体を極限まで軽量化して、処理をクラウドに丸投げするんだね」


「そうよ。これぞ未来予測ファンネルよ。軍用人工知能の本懐は、直接のアタックじゃなくて空間の完全な探索と予測にあるわ。平時はストーカー被害や凶悪犯罪を未然に察知して、異常があれば街中の外部ドローンと瞬時に連携・スクランブル展開させるの。ターゲットの周囲に、逃げ場のない見えない『空中の檻』をその場に即座に構築するのよ」


 あたしは扇子の先を突きつけ、サファイアブルーの瞳を冷徹に細めた。


「そして、敵対ノードの全生体データと行動ログはデータセンターへ永久にスタックされる。社会のあらゆる認証システム、決済ゲート、インフラからそいつの存在を物理的にパージする……つまり、完全な『デジタル村八分』の完成よッ!」


 その瞬間、背後から音もなく忍び寄った三華(ミカ)が、あたしの手から素早く扇子をひったくった。


「呑まれてんじゃないのッ!! 完全に悪の帝王の思考回路になってるじゃないのよぉーッ!!」


 三華は冷や汗を流しながら扇子を布で厳重に包み、封印の構えをとる。


 だが、扇子を取り上げられたところで、あたしの脳内演算は1ミリもクロックダウンしなかった。あたしは腕を組み、至極当然の真理として平然と言い放つ。


「で、そのドローンの推力制御なんだけど、街灯のワイヤレス給電ポートとリンクさせて24時間365日体制で……」


 周囲を見渡すと、勇希も、ボッチも、防大の倉田(クラタ)琴葉(コトハ)ちゃんもサブリナも、揃って顔面を蒼白にさせ、ドン引きのディスプレイで後ずさっていた。


「な、なによぉッ! 悪いことするヤツが悪いんじゃんッ!!」


 呪物のせいでもなんでもなく、ただ純度100パーセントの魔王の素の凶悪ロジックだったという事実に、サロン全体が凍りつくのだった。


★ ◆ ★ ◆ ★


「だって考えてみなさいなッ。懲役刑なんか、性善説に基づいているじゃないのッ。それを厳罰化すれば、次に起こるのは、地下化と凶悪化よ。イタリアのマフィアをみなさいなッ」

 

 あたし、黒木(クロキ)舞桜(マオ)は、扇子を取り上げられた両手を腰に当て、仁王立ちのまま正論のパケットを叩きつけた。

 

 布で扇子をぐるぐる巻きに抱え込んだ三華(ミカ)が、眉をひそめて腕を組む。

 

「まあ……確かに、法による刑罰を重くしすぎると、組織はより深く潜伏して暴力を先鋭化させるのは、裏社会の歴史のテンプレだけどね」

 

「そうだよ。刑務所で反省して更生するっていうプロセス自体が、人間は本質的に善であるという前提のアーキテクチャだ」

 

 プラチナブロンドの白井(シライ)勇希(ユウキ)が、知性の瞳を伏せながら、冷めたコーヒーのマグカップを静かに置いた。

 

「でも、性悪説で厳罰化のアクセルを踏み込めば、捕まらないための隠蔽工作が激化して、結果として凶悪な地下組織へと進化してしまうんだね」

 

「でしょ? だから刑罰という後処理のパッチじゃなくて、社会的な抑止力こそが本質なのよ」

 

 あたしは、サファイアブルーのショートボブをさっと払って、次のロジックを展開した。

 

「世間の目。それがかつての日本社会の鉄壁のセーフティだった。逸脱すれば、家族も含めて連座制で村八分。ところが今はどう?」

 

 赤い髪のボッチこと茅野(チノ)万桜(マオウ)が、レザーソファに深く身を沈め、赤い髪をガリガリと掻きむしる。

 

「匿名性と個人の権利が肥大化して、共同体の相互監視というファイアウォールが完全に崩壊したからな。家族への社会的制裁やネットの炎上みたいな連座制の残滓は今でも燻っちゃいるが、地縁の結びつき自体が薄れたせいで、ブレーキとしての機能はダウングレードしっぱなしだ」

 

「ええ。かつての村八分は残酷な一面もありましたが、コミュニティの構成員全員がセンサーとなって逸脱を未然に防ぐ、自律分散型の治安維持システムでもありました」

 

 防大の倉田(クラタ)琴葉(コトハ)ちゃんが、凛とした姿勢のまま手帳をパタンと閉じ、静かに分析を添える。

 

「それが希薄化した現代において、物理的な監視網と情報ネットワークによる『デジタルな抑止力』を再構築するのは、極めて合理的な防衛思想と言えますね」

 

「そういうことよッ! それにね、接近戦で戦うこと自体が前時代的なエラーなのよ」

 

 あたしは、人差し指をビシッと突き立てて熱弁を振るう。

 

「そもそも、未来状況がわかれば、接近する必要はないのよぉーッ。アムロがエースパイロットだった理由は、ビームライフルだったからじゃないのよぉーッ。撃ってくる瞬間が見えたから先回りできたからでしょッ」

 

 床から這い上がってきた長身の斧乃木(オノノギ)拓矢(タクヤ)が、股間の痛みに顔を歪めつつも、兵站と戦術の知識から深く頷いた。

 

「戦場で生き残る伝説的なスイーパーや、古代の超テクノロジーを封印して回る特殊工作員の連中だってそうだ。彼らが最強なのは銃の腕前じゃなく、周囲の空気の揺らぎや足音、殺気のパケットを瞬時に捉える、異常なまでの索敵・空間把握能力があるからだ。敵が引き金を引く前に位置を特定し、射線から外れて先手を打つ。それが生存の絶対法則だからな」

 

「そう! その神がかった索敵能力を、手のひらドローンと人工知能で誰もが使える共通インフラにするのよ」

 

 あたしは、オフィスのホワイトボードへと歩み寄り、ペンを走らせる。

 

「逸脱だと判断すれば通報。闇バイトみたいな下見だって検知できるじゃないのよぉーッ。行政を動員して、警察力を配置するだけじゃないのよぉーッ」

 

 サブリナこと福元(フクモト)莉那(リナ)が、楽しげにキャスター付きの椅子をクルリと回転させた。

 

「なるほどね~。住宅街をウロウロしてる不審なノードの視線や滞在時間をドローンがスキャンして、下見の段階で『異常トラフィック』としてフラグを立てちゃうわけだ」

 

「ええ。事件が起きてから警察がサイレンを鳴らして駆けつけるんじゃ遅すぎるのよ」

 

 あたしは、ペンをカチリと鳴らして不敵な魔王のスマイルを浮かべた。

 

「下見の段階で周囲のドローンが空中に集結して監視の檻を作り、警察と自治体へ同時にアラートをデプロイする。犯行のプロセスそのものを物理的・情報的に成立させなくする……これこそが、あたしたちのスマートな未来予測防衛アーキテクチャよッ!」


★ ◆ ★ ◆ ★


「犯罪は割に合わない。これが可視化されるだけで、従来の社会に戻る。もちろん逸脱もそうよッ。逸脱すれば、誰も取り合わない。サービスを受ける権利はあるわ。でも、サービスを提供する権利もあるわよね? 権利の行使を拒否する権利もねえ……」

 

 あたし、黒木(クロキ)舞桜(マオ)は、いつの間にか手元に戻ってきた扇子を優雅に広げ、サファイアブルーの瞳を冷徹に明滅させた。

 

「バイトテロや動画テロ。サービスの提供が拒否される社会。スタッフたちが強硬に拒絶する必要なんかない。未来予測ファンネルが検知すれば、強面で屈強な警備スタッフが笑顔で拒絶。警備会社が賑わうわね。そうした逸脱者。前科がついた連中は、住む場所さえも指定される。かつての弾左衛門の支配地域のようにね」

 

 プラチナブロンドの白井(シライ)勇希(ユウキ)が、アイスコーヒーのグラスの表面についた水滴を指先でぬぐい、静かに息を吐いた。

 

「契約の自由という法的なロジックを、そのまま防衛シールドとして使うわけだね。店員個人にトラブルの負荷を負わせず、システムと専門の警備ノードが感情を挟まずにアクセスを遮断する。現場のストレスをパージする意味では極めて合理的だよ」

 

「飲食や小売りの現場で一番消耗すんのは、理不尽なカスタマーハラスメントやバイトテロの後始末だ」

 

 赤い髪のボッチこと茅野(チノ)万桜(マオウ)が、腕を深く組み直しながらゼネコンの顔つきで唸る。

 

「だが、住む場所の指定まで踏み込むとなると、居住移転の自由という近代法の根幹と激しくコンフリクトを起こすぜ。民間信用スコアや保険料の傾斜配分で事実上のゾーニングが形成されるにしても、社会の分断という致命的な副反応をどう制御するかだな」

 

 防大の倉田(クラタ)琴葉(コトハ)ちゃんが、背筋をピンと伸ばして手帳を開き、ペンのノック音を小さく響かせた。

 

「江戸時代の弾左衛門体制は、身分制度という過酷な枠組みでありながら、特定の生業を独占させ、独自の自治と司法権を与えることで治安と社会秩序を維持する極めて高度な統治システムでもありました。完全に排除して野放しにするのではなく、管理された枠組みの中で役割と生活基盤を与えることこそが、真のセーフティネットだったという歴史的事実もありますね」

 

 長身の斧乃木(オノノギ)拓矢(タクヤ)が、痛みが引いてきた下腹部をさすりながら、パイプ椅子をギシリと鳴らして身を乗り出す。

 

「軍事や兵站の観点から言っても、野良の逸脱者を放置して地下に潜らせるのが一番厄介なテロのリスクになる。住む場所や就労先をある程度パッケージ化して可視化し、システムの手の届く範囲で運用する方が、社会全体の防衛コストは劇的に下がるのは確かだぜ」

 

 サブリナこと福元(フクモト)莉那(リナ)が、首元に手を当てて艶めかしい笑みを浮かべ、あたしの肩に体重を預けてきた。

 

「要するに、ルールを守る善良なノードには極上のセキュア環境を提供して、故意にバグを撒き散らすノードには相応の隔離ディレクトリを用意するってことね~。それって、ネットのアクセス制限やサーバーのサンドボックス化を、そのままリアルな都市空間に適用するだけじゃん」

 

「その通りよッ」

 

 あたしは、扇子をパチンと音高く閉じて、不敵な魔王のスマイルを明滅させた。

 

「自由と権利を盾にして他者の安全を脅かすノードには、相応の制限という物理法則を適用するだけ。これぞ、誰もが安心して暮らせる世界をビルドするための、最高に冷徹で温かい都市防衛アーキテクチャなのよッ!」


★ ◆ ★ ◆ ★


「ドライブレコーダーの個人仕様。もちろん悪用はできないわ。だってデータセンターの人工知能を経由するんだもの。そして、これは遭難や迷子の探索にも応用が効くッ。あたし人工知能の自動運転車両で車載コンピュータなんて正気の沙汰じゃないって思ってたけど、初めて有効活用する方法を見つけたわッ。例えば山を探索する時に、特殊車両の車載コンピュータを活用すれば、通信が細くても、人工知能を利用できるじゃないのよぉーッ」

 

 あたし、黒木(クロキ)舞桜(マオ)は、扇子の先端でホワイトボードをリズミカルに叩きながら、新たなモビリティ・インフラの仕様を展開した。

 

 プラチナブロンドの白井(シライ)勇希(ユウキ)が、知性の瞳を瞬かせ、テーブルの上で両手の指を組む。

 

「なるほどね。エッジ・ヘビーな自動運転は平時だとコストの無駄だけど、電波の届かない山岳救助や災害現場では、そのハイパワーな車載コンピュータ自体が移動式のローカル・データセンターになるわけだ。車載AIが直接ドローンを制御して、赤外線や音響データから遭難者を即座に特定できる」

 

「兵站と捜索救難の観点からも極めて合理的だぜ」

 

 長身の斧乃木(オノノギ)拓矢(タクヤ)が、パイプ椅子の背もたれに腕を回しながら、ミリタリースペックの知識をマージする。

 

「特殊車両がベースキャンプ兼移動基地局として機能すれば、インフラが寸断された孤立地域でも、スタンドアローンで広域の索敵ネットワークを即座に展開できるからな」

 

「でしょ? そしてね、この未来予測アーキテクチャの真骨頂は、日常の完全防衛にあるのよ」

 

 あたしは、艶やかな黒髪のショートボブをさっと揺らし、熱狂的な眼差しを向ける。

 

「それに、友梨(ユリ)ちゃんみたいな戦えないノードは進行方向に異変を察知すれば、回避すればトラブルは避けられる。あるいは逸脱者との接触でさえ避けられるッ。あたしの友梨(ユリ)ちゃんの視界に逸脱ノードが入るのなんて赦さないんだからッ。ボッチお嬢さんをくださいッ」

 

「やらんッ! ウチの大事な姪をやれるかッ!」

 

 赤い髪のボッチこと茅野(チノ)万桜(マオウ)が、レザーソファから勢いよく立ち上がり、赤い髪を逆立てながらマッハの速度で拒絶のパケットを叩きつけてきた。

 

 サブリナこと福元(フクモト)莉那(リナ)が、楽しそうにくすくすと笑いながら、ボッチの背中をポンポンと叩く。

 

「あははッ、ボッチの叔父ちゃんプロトコルが全開じゃん~。でも舞桜(マオ)の言う通り、非戦闘員のルート最適化としては最強だよね。危ないノードがいるエリアを事前検知して、自動で安全な迂回ルートをナビしてくれるんだから」

 

「ええ。物理的な自衛能力を持たない一般市民にとって、最大の防御とは『脅威とエンカウントしないこと』に他なりません」

 

 防大の倉田(クラタ)琴葉(コトハ)ちゃんが、凛とした姿勢で手帳にペンを走らせ、静かに防衛理論を補完した。

 

「敵性ノードや異常トラフィックを遠隔で感知し、接触そのものを未然にキャンセルする。これこそが、誰も傷つかない究極のフェイルセーフです」

 

「その通りよッ! そして、このシステムの決定的な違いを理解しなさいなッ」

 

 あたしは、胸元で扇子をパチンと音高く閉じ、最高に不敵な魔王のスマイルを明滅させた。

 

「これ国家が監視カメラを設置するんじゃなくて、個人が社会を警戒するだけですからねッ。監視社会じゃなくて警戒社会ですッ」


★ ◆ ★ ◆ ★


「ねえ、琴葉(コトハ)ちゃん。ボッチが縛られて焦らされたいような顔をしてない?」

 

 あたし、黒木(クロキ)舞桜(マオ)は、扇子を開いて口元を隠し、極上の報復プロトコルを起動した。

 

 その瞬間、防大の倉田(クラタ)琴葉(コトハ)ちゃんの瞳が、妖しい紫色の光彩を帯びて明滅する。

 

「ま、万桜(マオウ)くんは、意地悪な琴葉(コトハ)は嫌い?」

 

 チョロいなトロイの木馬ッ。

 

「ぼ、僕はそんな先輩も愛していなすよ(おいッ。白井ッ。テメエの彼女なんとかしろよぉッ)」

 

 あたしと白井(シライ)勇希(ユウキ)は、ボッチの悲痛な本音パケットをニュータイプ並みの感度でキャッチする。

 

「無理無理リームー」

 

 プラチナブロンドの髪を揺らし、勇希は手をヒラヒラと振って雑にスループロトコルを走らせた。

 

「い、嫌か? 万桜(マオウ)くん……」

 

 上目遣いで迫る琴葉ちゃんは、まさにトロイの木馬無双ッ。

 

「先輩ッ。愛してますよッ」

 

 あっけなく陥落し、完全に堕ちるボッチ。

 

 ふふん。哀れな子牛のように、2階の白い部屋に連行されなさいなッ。

 

 あたしは満足げに扇子をパチンと閉じ、ソファに座る最愛の彼氏、勇希へと優雅な足取りで歩み寄った。

 

「ねえ、勇希ぃ~?」

 

 あたしは、艶やかなショートボブを微かに傾け、オフショルダーのニットから覗く白い肩をツンと寄せてみせる。

 

「さっきの焦らしのアルゴリズム、あたしにもちょっとだけ試してみる……? でもぉ、あたしがそんな簡単に管理者権限を渡すわけないじゃないの~」

 

 指先を勇希の胸元に這わせ、小悪魔的な流し目で挑発のパケットを送信してやったわ。

 

 完璧な焦らしのインターフェースで、このヤンデレ王子を翻弄してやろうという、あたしの華麗なる報復作戦。

 

 しかし、勇希の紫の瞳に宿ったのは、戸惑いではなく、底知れぬ絶対零度の光だった。

 

「……へえ。自分からそのポートを開いてくるんだ、舞桜(マオ)

 

 えっ?

 

 あたしがフリーズした瞬間、勇希の細い手がマッハの速度であたしの手首をロックした。

 

 そのまま流れるような体術で、あたしの細い身体が軽々と担ぎ上げられる。

 

「ちょ、ちょっと待ちなさいよッ!? 勇希ッ!?」

 

「自発的にログインしてきたんだから、途中でログアウトなんてさせないよ」

 

 勇希は、プラチナブロンドの奥で冷徹に微笑みながら、あたしを担いだまま2階へと続く階段を悠然と登り始めた。

 

「や、やめなさいよぉーッ! あたしの気高いメインフレームがぁーッ! 白い部屋だけは勘弁しなさいよぉーッ!!」

 

 かくして、ボッチを罠にハメて高笑いしていた天才魔王は、自ら仕掛けたトラップによって最愛の彼氏に捕獲され、同じく2階のセキュア空間へと強制ドナドナされていくのだった。



後書き


 どう? 国家に管理される『監視社会』ではなく、個々人が自律的に安全を確保する『警戒社会』のグランドデザイン、完璧なロジックだったでしょ?


 山岳救助や非戦闘員の安全ルート構築まで網羅したあたしの設計思想は、まさに未来のインフラそのものよ。


 ……なのに、最後にボッチを陥れてドヤ顔キメてたら、まさか勇希のヤンデレ・スイッチを踏み抜いて自爆連行されるなんて、どんな致命的なバグなのよぉーッ!


 ボッチもボッチでトロイの木馬に秒で陥落してるし、あたしの気高いメインフレームはいま2階のセキュア空間で強制再起動中よッ。


 それじゃ、あたしが完全復旧するまで、今回はここまでよッ!


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