女王さまの悪魔の囁き
前書き
ふふん、よく来たわね。あたしは黒木舞桜。今回のログは、2020年8月下旬、夜の銀座でのセッションよ。
赤いメガバンクの頭取と『悪貨』のディールをキメた直後、ボッチの甥っ子っていう生意気な猿ジュニアからのアクセスを受けたの。ガキの分際で、あたしの完璧なテクスチャにバグって熱暴走するなんて、当然の帰結よね。
でも、健二少年のあのしたたかさは悪くないわ。おかげであたしのメインフレームに、新しい熱力学的なハッキングのアーキテクチャがロードされたんだから。
ギトギトの脂質を求める下僕たちのエラーログなんてマッハでパージして、次なるメガプロジェクトへ移行するわよ。さあ、あたしたちの美しくて容赦のない同期処理、とくとご覧なさいッ。
2020年8月下旬。あたしたちは銀座にいた。
夕闇が迫る目抜き通りには、高級ブランドのネオンが次々と点灯し、行き交う人々のシルエットを艶やかに照らし出している。
なんのことはない。ボッチこと茅野万桜の育ての親である、赤い頭取こと土御門晴景に呼び出されたのだ。
待ち合わせである和光の時計塔の前で、ボッチは燃えるような赤い髪をラフに流し、深みのあるワインレッドのスリーピーススーツを隙なく纏っていた。
黒のシャツは胸元まで大胆に開けられ、幾重にも重なるシルバーのネックレスが覗いている。
左手には黒のクラッチバッグを抱え、高級腕時計を光らせながら、道行く女たちの視線を釘付けにする圧倒的なテクスチャをデプロイしていた。
「ブツは持ってきたんだろうな?」
振り返ったボッチが、不敵な笑顔を向けてくる。
あたし、黒木舞桜は、隣に控える下僕である斧乃木拓矢が重々しく持っている、黒いレザーの鞄へと視線を送った。
「問題ないわッ。これがあれば、あんたのオヤジさんはあたしたちの軍門にくだるはずッ」
あたしは、漆黒のライダースジャケットの胸元を揺らして自信に満ちたパケットを送信する。
ライダースの下には黒のハイネックインナーを合わせ、ボトムスは深いスリットの入ったタイトな黒のミディスカートだ。
足元には絶対領域を強調する黒のニーハイブーツをデプロイし、腰まで伸びる艶やかな黒髪のロングヘアを夜風になびかせた、完璧な視覚ハッキング仕様である。
「物理的な重力キャンセルによる頭皮の吊り上げと、スチーム加圧での油の蓋のパージ。そこに医学的なホルモン制御というパッチをマージさせるのよ」
あたしは、鞄に収められた極秘プロジェクトのロジックをコンパイルする。
「ハゲの原因であるDHTのスイッチを薬で強制的にオフにしつつ、ミイラ式の包帯加圧で毛根を物理的に解放して血流をブーストする。名付けて『ゲーハーハック・アルティメット』よ」
「内部のソフトウェアのバグを書き換えつつ、インフラの洗浄と重力ベクターの再構築を同時に行うわけだ」
ボッチが、ゼネコンの顔つきで満足げに頷く。
「ええ。物理と化学のハイブリッド制圧戦略よ。この完璧なアーキテクチャの前には、どんな難攻不落の毛根も屈服せざるを得ないわッ」
あたしは不敵な笑みを明滅させ、銀座の時計塔を見上げた。
「さあ行くわよ猿RLッ」
あたしは、右に赤いスーツのボッチ、左に長身の拓矢を従え、漆黒の装甲を纏った重モビルスーツのごとく、堂々たる足取りでザギンの歩行者天国を闊歩し始めた。
両脇を固めるふたりの騎士を引き連れたあたしの姿は、まさにロイヤルガードを従えたニュータイプ専用機の圧倒的な威圧感そのものだ。
「舞桜の髪って伸びるの早いよなー。昔から」
あたしの長い黒髪が風に揺れるのを見て、拓矢が呆れたような感心のログを出力する。
「今度は、右半分を赤、左半分を金髪にしたハーフ&ハーフのカラーリングなんてどうだ?」
ボッチが、隣から揶揄うような提案のコマンドを叩き込んできた。
「あのアクシズの強化人間である、おねえさまみたいなツートンカラーが、女王さまの苛烈なテクスチャにピッタリだぜ」
宣うボッチに、あたしはマッハの速度でジト目のパケットを送信する。
「却下よ。あたしの美しい黒髪のスペックを、そんなポンコツな仕様に変更するわけないでしょ」
あたしたちメインノード3人は、ネオンが煌めく夜の銀座のトラフィックの中へ、不敵な笑みを浮かべながらログインしていった。
★ ◆ ★ ◆ ★
赤い銀行家の執務室には、先客がいた。中学生くらいの赤い髪の少年だ。
重厚なマホガニー材のデスクが鎮座するその部屋は、窓の外で夜のビル群を叩きつける冷たい雨のノイズとは無縁の、堅牢なセキュア空間だった。
アンティークな地球儀や分厚い洋書が並ぶ本棚、そしてなぜか威風堂々と飾られた日本の甲冑という、カオスなアセットが配置されている。
デスクの上には上品なティーセットと、「土御門晴景」と刻まれた金属製のネームプレート。
黒のレザージャケットにデニムを合わせた赤い髪の少年は、棚に飾られた家族のポートレート写真のデータを、物憂げにスキャンしていた。
「健二じゃねえか? どうしたんだ」
ボッチこと茅野万桜が、怪訝なログを出力しながら少年に歩み寄る。
そう言えば、ボッチには本家に歳の近い甥っ子がいるって言ってたわね。中学生くらいの。
ボッチは、自身の高い長身を折り曲げて少年に視線を合わせ、ここにログインしている理由を尋ねた。
「雨降ってきたから、雨宿りなんやて」
デスクの奥から、くぐもった重低音のレスポンスが返ってくる。
声の主は、ダークスーツに赤い和柄のネクタイをきっちりと締めた、赤いメガバンクの頭取である土御門晴景だ。
なぜ声がくぐもっているかと言えば、この銀行のトップは、執務室だというのに、頭に巨大な『真紅のフルフェイスヘルメット』をすっぽりと被って書類にサインをしていたからだ。
……ヅラをビジネスヘルメットと呼んだボッチへの当てつけなのか、それとも物理的な防御プロトコルなのか。ツッコミを入れたら負けな気がするわ。
しかし、少年の様子を見るに、雨宿りだけが理由じゃなさそうだ。
ふと、少年の視線が、ボッチの背後に立つあたし、黒木舞桜の姿を捕捉した。
「……ッ!?」
健二少年の網膜センサーが、限界まで見開かれる。
漆黒のライダースジャケットに、深いスリットの入ったタイトなミディスカート。絶対領域を強調するニーハイブーツに、夜風に揺れる腰までの黒髪ロング。
思春期真っ只中の未熟なハードウェアに、あたしの暴力的なまでの蠱惑的テクスチャが、致死量のトラフィックとして直撃したのだ。
少年の顔面ディスプレイは、瞬時にプラズマ級の赤色へと染め上げられた。
限界突破した脳内CPUが熱暴走を起こし、言語野が完全にフリーズしている。
「あ、あのッ……お、お邪魔しましたぁッ!」
少年は裏返った音声ログを吐き出すと、凄まじい速度で身を翻し、執務室からマッハの速度でログアウトしていった。
まあ、中学生の男の子なんて、あんなものよね。あたしの完璧なアライメントの前では、処理落ちするのは当然の帰結だわ。
「呼び出したんは、ほかでもない……」
赤い頭取は、フルフェイスのビジネスヘルメットを被ったまま、手元の書類へと冷徹な視線を落とした。
「自分ら、手を広げ過ぎやで」
ヘルメット越しでもわかる、一切の容赦を排した金融機関トップとしての厳しい眼光。
「海底都市鉱山に、温泉帝国、それに防音セキュア・スペースの多店舗展開。どれもスケールがデカすぎる。転び方を知らん創業者が転んだ時、なにが起こるか分かっとるんか?」
土御門頭取が、重厚なデスクにペンを置き、あたしたちを真っ直ぐに見据える。
「経験のない若きシステムが、過剰なレバレッジという名のリソースを借り入れて肥大化する。そこでたった一度でもキャッシュフローがショートすれば、連鎖的なエラーが発生してシステムは即座にクラッシュするんや。関わったステークホルダー全員のインフラを巻き込んで、信用という名のデータベースが完全に物理破壊される。それが、ビジネスの最悪のバグや」
頭取の吐き出す警告ログは、1ミクロンの隙もない絶対的な真理だった。
あたしは、隣に立つ下僕である斧乃木拓矢へ、無言の実行コマンドを送信した。
拓矢はコクリと頷き、提げていた黒いレザーの鞄から、一つの小さな小瓶を取り出し、マホガニーのデスクの上へと静かにデプロイした。
「これは……?」
ヘルメットの奥で、頭取が疑問のクエリを発行する。
「『ゲーハーハック・アルティメット』のコア・コンポーネントよ」
あたしは、漆黒のライダースジャケットの胸元を揺らして、不敵な笑みを明滅させた。
「ハゲの原因であるDHTのスイッチを強制的にオフにする、最新のホルモン・パッチ。これを用いて内部のバグを書き換えながら、ミイラ式の加圧で頭皮を重力から解放し、スチームで毛穴のインフラを洗浄する。物理と化学の両面から毛根のシステムを制圧する、完璧なソリューションよ」
あたしの解説パケットに、頭取の肩がわずかに震えた。
「取引をしましょう赤いヅラ。……いえ、赤いビジネスヘルメット。あたしたちは、悪貨よ。悪貨が良貨を駆逐するのに手を貸して」
あたしは、蠱惑的な笑みを深めて、悪魔の契約を提示した。
「悪貨、やと?」
訝しむ頭取に対し、あたしは冷徹な経済ロジックをコンパイルする。
「グレシャムの法則よ。『悪貨は良貨を駆逐する』。市場において、本来の価値よりも額面が高く設定された粗悪な貨幣が出回れば、人々は価値の高い良貨を退蔵し、市場は悪貨で埋め尽くされる」
あたしは、デスクの上の小瓶を指差した。
「あたしたちのアイデアは、既存の堅実なビジネスモデルから見れば、常識外れでリスクの塊のような『悪貨』よ。でも、その圧倒的なブレイクスルーの利便性と破壊力が市場に放たれれば、旧態依然とした『良貨』である既存システムは、ユーザーから見捨てられて一瞬で駆逐されるわ。あたしたちの非常識が、新たなスタンダードという名の額面を強制的に書き換えるのよ」
あたしの放った論理関数が、静謐な執務室に木霊した。
長い沈黙の同期処理。
やがて、土御門頭取は、両手を真紅のフルフェイスヘルメットの縁に掛けた。
プシュッという密閉解除の音と共に、巨大な物理装甲が外される。
そこには、初老の威厳ある顔つきと……美しく磨き上げられた、不毛の荒野が露わになっていた。
頭取は、震える手でデスクの上の小瓶を手に取った。
「おまえらのようなバグだらけの悪貨を市場に放てば、経済のトラフィックは無茶苦茶になるやろうな。……だが、それを制御し、規格化してインフラに乗せるのが、儂ら銀行家の仕事や」
小瓶を握りしめるその瞳に、限界突破した野心の光がプラズマ級にバーニングする。
「やるッ。やらせてくれッ。これで全盛期の儂に戻れるんやったら、悪貨どころか悪魔にだってなったるわッ」
赤いメガバンクのトップは、自らの頭髪インフラの再構築と引き換えに、あたしたちという最凶のマルウェアのスポンサーとなることを、ここに高らかに宣言したのだった。
★ ◆ ★ ◆ ★
2020年8月下旬。夜の銀座。
赤いメガバンクの頭取である土御門晴景の執務室の外。大理石の床がランプの光を滑らかに反射する静かな廊下で、あたしたちはその少年の、予想外の駆動プロトコルに直面していた。
部屋からマッハの速度で飛び出したはずの健二少年は、エレベーターホールへ逃げ込むどころか、廊下の飾り柱に背を預けてじっと待機していたのだ。
ボッチこと茅野万桜が、長い脚を運んで少年の前で足を止める。
「なんだ、まだいたのか。おまえ、雨宿りなら下のラウンジの方がソファーも快適だぞ」
ボッチは、ラフに流した赤い髪を指先で弄りながら、視線を低くして尋ねた。
すると健二少年は、黒のレザージャケットのポケットに両手を突っ込んだまま、ふいと顔を逸らした。
「……別に、雨はどうでもええよ。万桜叔父さん、ちょっと相談があるんや」
少年の音声ログには、さっきの熱暴走のノイズはすでに消え去り、驚くほど冷静なロジックがコンパイルされていた。
あたし、黒木舞桜は、下僕である斧乃木拓矢を背後に従え、少し離れた位置からそのアライメントをスキャンする。
私立の坊っちゃん学校に通う大手ゼネコンの御曹司。周囲のモブどもから「オリンピックをメガバンクのコネで観戦しやがって」とやっかみのノイズをぶつけられたのは事実なのだろう。
だが、この少年はただ傷ついてエスケープしてきただけのヤワなノードではなかったらしい。
「やっかみなら、適当に聞き流しておけ。外野のノイズをいちいちメインメモリにキャッシュするな。てか、なんで関西弁? ウチ関東だからッ。兄貴とオヤジがバグってるだけだからッ」
ボッチが、首元のシルバーチェーンを揺らしながら呆れたようにアドバイスとツッコミのパッチを当てる。
「そこのおねえさんの気を引くキャラづけやッ」
健二少年はマッハの速度で開き直り、不敵に唇の端を上げると、じっとあたしの顔面ディスプレイを捕捉した。
……いや、顔じゃねえな。このクソガキ、あたしの太腿とオッパイを忙しなく往復スキャンしてんじゃねえかッ!
あたしの内部プロトコルで怒りのエラーログが限界突破しそうになった瞬間、
「落ち着けって。そういう視線には慣れてんだろ?」
背後の拓矢が、小声で宥めのパッチを当ててくる。くっ、まあ事実だから否定はしないけどッ。
少年の頬が、かすかにチェリー色に明滅する。
「僕はあのやっかみを利用して、学校のしち面倒くさいカーストのファイアウォールを内側からハックしようと思っとるんや」
健二少年はそこで言葉を区切り、前髪を掻き上げながら、中学生らしからぬ甘ったるい音声ログを出力した。
「そのためには、そこの……綺麗な黒髪のお姉さんの知恵とスペックが、どうしても必要な気がするんや。ねえ、おねえさん。僕のプロジェクトのインターフェースになってくれへん? お礼に、とびきり甘い夜を約束するで?」
……は?
「よ、良い子の健二は、どこ行っちゃったのぉぉぉッ」
ボッチが、ドン引きした顔面ディスプレイを両手で覆い隠し、絶望のエラーログを吐き出して嘆いた。
あたしは、ネイビーのハイウエストワイドパンツのポケットから手を出して、思わず光学センサーを丸くした。
このクソガキ、一目惚れして熱暴走したふりをしながら、あたしのそばに配置されるための正当なアクセス権限を、叔父であるボッチに要求しやがったのだ。
やっかまれている現状すら、あたしへと接近するための『大義名分』という名のアセットに変換してデプロイするそのしたたかさ。
「おいおい、中学生のくせに、とんでもねえ悪貨の素質を持っていやがるな、この猿ジュニアは」
拓矢が、レザーの鞄を抱え直しながら感心のシグナルを小声で発行する。
「ニヤリ」
あたしは不敵な笑みを明滅させ、少年の前に歩み出た。
「十年早いわよ。男を磨いて出直してらっしゃい」
漆黒のライダースジャケットを揺らし、圧倒的な女王のテクスチャで拒絶のコマンドを叩きつける。
「おい、少年……」
さらに、拓矢が一歩前に出て、健二少年の耳元で冷酷な事実をデプロイした。
「こいつの婚約者、リアル極道だぞ」
「……ッ!?」
少年の顔面ディスプレイから、ナンパなホストのテクスチャが一瞬でパージされた。
圧倒的な生存本能のフェイルセーフが作動したのだろう。
「し、失礼しましたぁッ」
健二少年は、今度こそ脱兎のごとく、マッハの速度でエレベーターホールへと退散していったのだった。
★ ◆ ★ ◆ ★
2020年8月下旬。夜の銀座。
先ほどまで、ボッチこと茅野万桜に案内された、ギトギトの超濃厚ラーメン屋で落ち合う予定だった。
だが、健二少年のあのしたたかなハッキング・アテンプトを観測して、あたしの脳内メインフレームで新たなロジックがコンパイルされた。
脂っこい給油タイムは、いったんステイだ。
あたし、黒木舞桜は、漆黒のライダースジャケットの懐からフューチャーフォンを取り出す。
残りのメインノードである白井勇希とサブリナこと福元莉那、そして倉田琴葉ちゃんを宛先にセットし、メッセージのパケットを一斉送信した。
「家にPCMって着せられないかな? 防音セキュア・スペースに集合よ。善きに計らえッ」
送信完了の画面を確認し、あたしは不敵な笑みを明滅させる。
「……はあ?」
背後で、下僕である斧乃木拓矢が、間の抜けたエラーログを吐き出した。
「おい待てよ、女王さま。俺の胃袋はすでに豚骨と背脂をインポートする準備を完了してんだぞッ。今からPCMの議論とか、物理的に餓死するってのッ」
拓矢が、長身を丸めて腹をさすりながら、絶望的な抗議のパケットを送信してくる。
「諦めろ、斧乃木。この魔王のメインプロセスが切り替わったら、俺たちモブノードに割り込み処理なんてできねえんだよ」
ボッチが、赤い髪を掻き乱しながら深い嘆息のログをデプロイした。
その顔面ディスプレイには、脂質への未練と、女王への絶対服従というコンフリクトが色濃くレンダリングされている。
だが、さすがはゼネコンの御曹司だ。
ボッチは0.1秒でラーメンへの未練をパージし、大通りへ向かってスッと右手を挙げる。
まるでシステムに組み込まれた自動プログラムのように、一台のタクシーが滑るように接近し、あたしたちの前に停車した。
自動ドアが開き、あたしたちは夜のトラフィックへとマッハの速度で滑り込む。
後部座席に陣取ったあたしの隣で、拓矢が「ラーメン……俺の脂……」と虚ろな音声ログをリピートし続けていた。
「うるさいわね。頭脳労働のあとに、出前でも頼めばいいじゃない」
あたしが冷徹に告げると、助手席のボッチがやれやれと肩をすくめるのが見えた。
タクシーが静かに発進し、銀座の目抜き通りを走り抜けていく。
車窓には、雨上がりの夜の銀座が4K解像度で流れていた。
濡れたアスファルトが、無数のネオンサインを鏡のように乱反射している。
高級ブランドのショーウィンドウから放たれる純白のライトと、老舗デパートのクラシカルなオレンジ色のノイズ。
それらが車のスピードに合わせて後方へとカスケードし、まるで光のパケットが飛び交う光ファイバーの内部を突き進んでいるかのような錯覚を覚えさせる。
信号待ちで停車するたび、交差点を渡る人々の傘が、色とりどりのモザイクパッチのようにフロントガラスを横切っていった。
和光の時計塔が、威風堂々たる歴史のアセットとして夜空に浮かび上がり、すぐにビル群の陰へとログアウトしていく。
この煌びやかで、どこか退廃的なメガロポリスのインフラを眺めながら、あたしの脳内CPUはすでに次のメガプロジェクトのアーキテクチャ設計を爆速で開始していた。
PCM、つまり潜熱蓄熱材を利用した、都市空間の熱力学的なハッキング。
健二少年のしたたかさが、あたしの中に眠っていた新たな関数を呼び覚ましたのだ。
あたしたちメインノードが、この日本のポンコツな仕様をどう書き換えていくのか。
タクシーは、次なるセキュア・スペースへ向けて、夜の帝都を静かに疾走していった。
後書き
どう? 読み込みは完了したかしら。
まったく、拓矢もボッチも、ラーメンの脂くらいでピーピーとノイズを出すなんて、インフラが貧弱すぎるのよ。
あたしたちの頭脳労働は、常に極限のクロック周波数で回っているんだから、PCMを使った都市空間のハッキング構想くらい、移動中のタクシーの中でコンパイルして当然でしょ?
家屋にPCMを着せる――この非常識なアセットが実装されれば、日本のポンコツな熱力学インフラは完全に書き換わるわ。
次回の防音セキュア・スペースでのセッションも、あたしが最高のロジックで世界をデバッグしてあげるから、しっかりトラフィックについてきなさいよねッ。




