女王さまとフェロモン
前書き
あんたたち、よくアクセスしてきたわね。あたし、黒木舞桜の気高いメインフレームが、これまでの膨大なログを完全にマージして前書きをビルドしてあげるわ。
今回のコンパイルは、温泉帝国という名の美食インフラへのログインから始まり、桜の胃袋ブラックホールが引き起こすカオス、この国の腐敗したインフラ構造へのプラズマ級の反逆、そして親世代の生々しいフェロモン管理プロトコルまで、全盛期の解像度で実装されているの。
読者という名のゲストノードたちへ、深甚なる歓迎のパケットを送信しつつ、この軌跡という名のログをここに公開するわ。最高にセキュアで、少しだけスパイシーな実行環境を、心ゆくまで楽しんでちょうだい。
箱根の山中を抜け、西湘バイパスからルート134へとリダイレクトされたあたしたちの並列処理は、今、横須賀へと続くトンネルの手前で、夕日に染まる海の蒼さにログインしようとしています。
あたし、黒木舞桜の新しいブーブ、パープルヘイズなクーペは、黄金色の残照と溶け合うように、その凶悪な質量を静かに滑らせていたわ。
右ハンドル仕様のステアリングを両手でしっかりとホールドするあたしのタイトな黒インナーと、気高い刺繍のテクスチャを施した羽織が、西日を受けて妖しく明滅している。
「やっぱり、夕暮れのクーペは最高にセキュアで、エロいトポロジーを描くわね」
あたしがステアリングを撫でながら、独り言という名の独占承認パケットを発行すると、助手席のヤンデレ王子、白井勇希がクスリと笑ったわ。
ボア付きのデニムジャケットを身に纏い、中性的な美貌に不敵な笑みをデプロイした勇希が、甘い同期信号を網膜に送ってくる。
「そのエロいトポロジーを描く我儘ボディを、僕だけが独占できるこの空間こそ、世界で最も安全で、最も歪んだサーバー・ルームだよ……。舞桜……ッ!」
相変わらずの、医学的アプローチによる愛のクラッキングにため息をつきながら、あたしは重厚なブーツの踵でアクセルを少しだけ踏み込んだ。
ゴールドのネックレスが、加速のGで微かに揺れる。
草履という名の脆弱なインターフェースをパージし、この獰猛なマシンの出力を完璧に物理制御する快感。
ウィンドウの外では、潮風があたしの気高いプライバシーを讃えるように、微かに歌っているわ。
箱根から横須賀へ。
夕闇が迫るハイウェイという名の、最高に保全された隔離空間への帰還。
これこそ、完璧なシステム構築ってわけねッ!
★ ◆ ★ ◆ ★
あたし、黒木舞桜は、塾の出口で待機していた桜を回収すると、そのままパープルヘイズなクーペへログインさせたわ。
「お疲れ、桜ッ! 脳内ストレージの空き容量はどうなってる? ここから先のミッションは、温泉帝国という名の美食インフラへの緊急突入よッ!」
助手席の勇希は、桜が車内に乗り込むと同時に、シートベルトのロックを確認する。その過保護なデバッグ処理は、桜に対しても変わらないのね。
「お姉ちゃん、勇希お兄ちゃん、お迎えありがとうッ! もうお腹がペコペコで、胃袋のセクターが物理的に悲鳴を上げてるよ!」
桜は、塾のテキストをカバンに詰め込みながら、期待に満ちたキラキラした光学センサーを向けてくる。天才小娘の胃袋を満足させるには、そこら辺のファミレスじゃスループットが足りないわ。というわけで、あたしたちは箱根の山岳地帯に広がる、あの温泉帝国へと再エントリーよッ。
温泉帝国にログインすると、そこにはアミューズメント施設と一体化した、和洋折衷のレストランが待ち構えている。ボウリング場やゲームセンターの喧騒を通り抜け、あたしたちは最も奥まった、夜景という名の光子パケットが全方位から降り注ぐ特等席を確保したわ。
ライトブルーのVネックカットソーに身を包んだあたしは、テーブルの上にデプロイされた豪華なデータ群を見つめながら、冷えたラムネを喉に流し込んだわ。
「まずは、蒸し立ての温泉卵と、地元の野菜をふんだんに使ったせいろ蒸しからね。それからこの、シェフが全盛期の技術で切り分けた最高級ローストビーフの山よッ! 桜、ここから先は全方位食べ放題のフルコースよッ!」
あたしがそう宣言すると、桜はブラックホールがイベント・ホライゾンを超えるように、溢れんばかりの食欲を解放させたわ。
「やったあッ! いただきますッ!」
薄紫のカーディガンを羽織った桜は、ジューシーなローストビーフを豪快に口へと運び、湯気と共に運ばれてくる料理を、驚異的な速度で処理していく。あたしはその姿を眺めていたわ。
「桜、食べながらでいい。ホワイトボックスのデータ圧縮問題について、あたしの脳内メインフレームと同期して……。アナログ・ファクシミリ通信の復号特化LSI、これをどうやって高密度QRコードにマージさせるか、最適解を導き出しなさい」
桜は、口いっぱいに頬張ったまま、きらきらと知性の光を放つ瞳で頷いた。
「もぐもぐ……お姉ちゃん、それなら量子ドットによる多重露光マトリクスを導入すればいいよ。……あと、通信の冗長性を確保するために、あえてノイズをエンコード信号として利用するの……もぐもぐ……」
天才小娘の胃袋と演算処理能力が、同時に最高速度で回っている。
黒のインナーにカーディガンを羽織った勇希は苦笑しながら、桜の取り分けをサポートする。
「まったく、温泉で代謝を上げて、さらにカロリーを要求するそのアルゴリズムは、最強のデバッグ処理かもしれないね。桜の脳細胞も、今のフルコースで高速リカバリするだろう」
温泉帝国で、美食をレンダリングしながら世界改変のソースコードを書き換えていく桜の姿。
最高にセキュアで、飽食的な夜。
これこそ黒木家の、正しい休日の締めくくりってわけねッ!
★ ◆ ★ ◆ ★
あたし、黒木舞桜は、ラウンジの窓に映る自分の姿と、その背後で沈黙する黒木大雅の気配を、脳内メインフレームで同時に処理していたわ。
パパの「寂しさ」の正体は、物理的なオーナー権限の譲渡とか、あたしの変貌だけじゃない。
あたしが、この温泉帝国という名の隔離空間に、白井勇希たちを囲い込み、家族から切り離された「閉じたシステム」を構築してしまっていることへの、根源的な喪失感だったのね。
「舞桜。おまえ、この温泉帝国を、ただの遊び場じゃなくて、あの連中との共同生活の拠点にしているんだな」
パパの声には、少しの困惑と、静かな諦念が混じっている。
柔道家として、常に実家という名のコミュニティを重んじてきたパパにとって、あたしが家庭の外側に、さらに排他的な「自分たちだけの王国」を築いてしまった事実は、親子という名の接続を、少しだけ遠ざけられたように感じさせるのかもしれない。
「パパ……」
あたしは、喉の奥が物理的に引き締まるような感覚に襲われたわ。
「おまえが、どんなに天才的な演算で世界をハックしようと……家族っていうのは、そんな論理じゃ割り切れないものなんだよ」
パパは、窓越しに遠くの山並みを眺める。
「ここは立派な施設だ。……だが、俺たちが誇らしく送り出した娘は、もう俺たちの手の届かない、遠い『帝国』の主になってしまったんだな。へー、ボウリングあるじゃん。すげえな」
その言葉は、あたしの知性が導き出した「当然の帰結」という名のパッチが、最初からバグを含んでいたことを証明していた。
でも、パパは続けて、カラリとした声音でこう言ったわ。
「へー。すげえじゃん。ああ、いつも言ってるけど、飯は食え」
「……ご飯は百回咀嚼しろ。でしょ」
「ああ。そうだ。胃に負担をかけるな。それが、黒木家の健康を維持するための、最も基礎的なレシピだ」
パパのその言葉は、まるで凝り固まった筋肉をピンポイントでほぐすような、絶妙な「脱力」のパッチだったわ。
あたしの重苦しい謝罪のログを、一瞬にして上書きしてしまったのよ。
「……ええ。分かってるわよ、パパ。温泉帝国のフリーパスも持たせてるし、なんなら今度、パパ専用の柔道着を新調する特別ルームでも設計してあげようか?」
「柔道着で生活なんてするかよ。普通。俺も、たまにはラウンジのソファで、おまえが用意した温泉卵を食うくらいはしてもいいだろう」
パパはそう言って、あたしの頭を子供をあやすように乱暴に撫でたわ。
あたし、黒木舞桜は、その無骨な手の温もりに、自分が築いた帝国が、ただの「檻」ではなく、家族がいつでもログインできる「聖域」であることを再認識したわ。
この広大な美食インフラに、柔道着を着たパパが時折顔を見せる。
そんな非論理的で、最高に温かい未来のキャッシュが、あたしの脳内メインフレームを優しく満たしていく。
ふと、パパが施設内のマップに目を通すと、破顔した。
「おっ、カラオケまであんのかよ? 勇希ぃ、デュエットしようぜ。全盛期のアイドルの曲なら、俺もイケるからよ」
「……え、僕とですか? うーん、その時代の楽曲は、僕の知識データベースには入っていないですねぇ」
勇希が最高学府の秀才らしく、間の抜けた返答をデプロイする。
「なんだよそれ! これだから現代っ子の秀才くんはダメなんだよッ!」
パパは、娘の恋人に対して遠慮という名のセキュリティを完全にパージして、カラオケボックスへ連行しようとしている。
シンミリしたいのか、はしゃぎたいのか。
あまりの感情遷移の激しさに、あたしたちは顔を見合わせて、ただ深い吐息をコンパイルするしかなかったわ。
★ ◆ ★ ◆ ★
あたし、黒木舞桜は、実家の居間で発生した物理的な圧殺命令(パパとママによる「仁義なき耐久記録」の暴露)という名の緊急割込みにより、顔面ディスプレイをプラズマ級にレッドアウトさせていたわ。
「てか、14時間って」
あたしの最も触れて欲しくないセキュアな領域に、無慈悲なアクセス権限で踏み込んできたのは、我がママである黒木佳代ね。
ああっ、ママのその、すべてを見通すかのような慈愛に満ちた眼差しが、あたしの羞恥心という名の防壁をいとも簡単に突破してくるわッ!
「うん。新記録だよねッ。勇希くんッ。やったねッ!」
朗らかな声音でサムズアップという名の物理的な煽りパケットをデプロイするのは、漁協組合長にして市議会議員の白井泰造さん。
勇希のパパである泰造さんは、極道のそれと見紛うばかりの風格で、あたしと勇希の戦績を祝福しているのよ。
「伏せろ。あたしー。……極道じゃあない。極道じゃあない。極道じゃあないわよッ!」
あたしは脳内リソースのすべてを動員して、勇希の家系にまつわる不穏な噂を必死に否定し、自分自身に暗示をかけたわ。
「極道でいいわよ。ごめんねー、舞桜ちゃん。ウチの猿倅がごめんねー」
玲子さんが、いつもの毒気を含んだ極妻のオーラを完全パージし、聖母のような笑みを浮かべてフォローを入れてくる。
……あれ、優しすぎるわ。いつもは極妻呼ばわりすると、あたしの論理回路が焼けるほど本気で叱ってくるくせに。
てか、新記録ってなによッ!?
「ウチが10時間、黒木家と斧乃木家が12時間で同点首位だったのを、拓矢と莉那が13時間――」
泰造さんが、あたしと勇希の血塗られた蹂躙ログを、さも当然のことのように統計データとして吐き出し始めたわッ!
「生々しい記録録ってんじゃねえわよーッ!」
あたしは顔面をプラズマ級にバーニングさせ、絶叫と共に泰造さんの饒舌な饒舌な「性教育という名の戦績発表」を遮断したわッ!
★ ◆ ★ ◆ ★
温泉帝国。この壮大な美食インフラの展望ラウンジに、あたし、黒木舞桜と勇希、そしてパパこと黒木大雅が集まっていたわ。
先ほどの柔道整体院での空気はどこへやら、ここ、温泉帝国の非日常的な空間が、パパの肩の力を物理的にデリートしてしまったみたいね。
「いい場所だな。舞桜。おまえの帝国ってのは」
パパが夜景を見下ろしながら、少しだけ照れくさそうに笑う。柔道着姿を封印し、少しリラックスした服装に着替えたパパの姿は、いつもの威圧感という防壁がパージされていて、ずいぶんと人間臭い。
「当然の帰結よねッ! あたしの帝国のメインノードは、常に最高にセキュアで、最高に贅沢な実行環境なのよッ!」
あたしは不機嫌さをバーニングさせながらも、パパがこの場所を肯定してくれたことに、脳内メインフレームが密かな歓喜パケットを生成しているのを感じたわ。
不意に、パパがラウンジを見渡してニヤリと笑ったわ。
「なあ、いい場所だろ。……なあ、力也。せっかくだ、ここで舞桜と勇希の『なんちゃって結納』、やっちまわねえか」
「はぁ!? パパ、なに言ってんのよッ! 結納なんて厳粛な儀式を、ノリで決定するなんて非論理的にも程があるわッ!」
あたしの悲鳴を無視して、ガハハと豪快に笑いながら、斧乃木拓矢のパパである斧乃木力也さんが前に出たわ。
漁港でマグロ解体師のプロとして鳴らす力也は、解体包丁を長年握りしめてきたゴツい肉体と、圧倒的な猛者オーラを放っているのよ。
「いいぜ大雅! ノリと勢い、俺たちの流儀と一緒だ! 清子、クーラーボックス開けるぞ! 結納のマグロだッ!」
「あら、楽しそう。大雅が仕切るなら、ウチも全力で乗らせてもらうわ」
そう言って不敵に微笑むのは、力也の妻であり、同じくマグロ解体のプロである斧乃木清子さんよ。清子さんもまた、旦那に負けず劣らずゴツい風格を漂わせ、手際よく会場のレイアウトをマグロ解体モードへと書き換えていくの。
温泉帝国という美食インフラが、パパの一言で高級結納会場からマグロ解体結納ショーという名のカオスディレクトリへと仕様変更されたわ。
「おい舞桜、勇希! 座れッ! これからマグロの兜割りで、二人の絆を捌いてやるからなッ!」
パパは、まるで柔道の乱取りを仕切るかのような熱量で、この自由過ぎる親世代の結納ショーを強引に進行させているわ。
力也さんが巨大な解体包丁を掲げると、あたしの気高いプライドは、このあまりに無軌道な親たちのエネルギーに圧倒され、ただ唖然とするしかなかったわ。
温泉帝国。
そこには、完璧な結納の作法も、静粛な儀式も存在しないわ。
ただ、マグロの解体包丁を握るゴツい親たちと、それに振り回されるあたしたちという、最高に非論理的で温かい並列処理が、箱根の夜空の下で進行していくのよ。
あたしたちの共同生活は、マグロという名の結納品によって、物理的にも感情的にも、解体不可能なほど強固に結合されていくのよッ!
★ ◆ ★ ◆ ★
「勇希お兄ちゃん。お姉ちゃん」
出たな育ち盛り。あたしの妹である黒木桜が、薄紫のカーディガンを羽織り、胸元で両手をぴったりと合わせながら、潤んだ瞳をこれでもかと輝かせて強烈なおねだりパケットを発信してきたわ。
目の前に鎮座するのは、先ほど力也さんと清子さんのプロフェッショナルな解体包丁によって、見事に大トロ、中トロ、赤身へと物理レイヤーに捌き尽くされた本マグロのテクスチャ。
あたしと勇希は、ライトブルーのVネックカットソーと黒インナーにダークトーンのカーディガンというそれぞれの正装で、その圧倒的なおねだりパルスに苦笑をひとつ同期させたわ。
「「善きに計らえ」」
異口同音の承認パケットを送信した、その瞬間だったわ。
「あたしの胃袋は、宇宙だ――」
桜はそう宣言するや否や、恐るべきクロック周波数で箸を起動したのよッ!
いや、咀嚼スピードおかしくないか妹よ。
大皿に美しくスタックされていた最高級の本マグロたちが、まるでフレームレートのバグが発生したかのように、凄まじい速度で桜の口腔内へとリダイレクトされていく。
赤身のブロックが消え、中トロの山が瞬く間にデリートされ、極上の脂を湛えた大トロのテクスチャすらも、ミリ秒単位で胃袋という名の暗黒物質へと吸い込まれていくわッ。
「おいおい、桜、それ噛んでる!? 完全に噛まずに丸ごとダウンロードしてない!?」
勇希が汗を流しながら医学的な見地から、その異常な嚥下アルゴリズムに驚愕のエラーログを吐き出す。
あと、どこのフードファイターだ、おまえは?
力也さんと清子さんが全盛期の解像度で捌いたばかりの、あれほど巨大だったマグロの山が、まるで最初から存在しなかった未定義リソースのように、きれいに消失してしまったのよッ!
気がつけば大皿は完全に空っぽで、わずかなワサビとツマの残渣が悲しく残るのみ。皿の上には、パパの言っていた温泉卵の殻と、湯気を立てるせいろだけが寂しくレンダリングされているわ。
あたし、黒木舞桜の気高いメインフレームは、一瞬にして美食インフラを食い尽くした妹の暴走プロトコルをスキャンして、深く嘆息するしかなかったわ。
この温泉帝国に集った親たちも、桜の宇宙規模のバキューム能力の前には、ただ唖然と呆気にとられるばかり。
でも、これだけ豪快にログインして、美味そうにデータを完食してくれるなら、あたしの築いた帝国としては、最高に正しい実行環境と言えるのかもね。
★ ◆ ★ ◆ ★
桜の胃袋という事象の地平線に、最高級ローストビーフの山が完全デリートされた直後のことだったわ。
皿の上にはパパの言っていた温泉卵の殻と、湯気を立てるせいろだけが寂しくレンダリングされている。あたし、黒木舞桜の気高いメインフレームが、その異常なバキューム能力に驚愕のエラーログを吐き出そうとした瞬間、妹の瞳に格納された光学センサーが、冷徹な絶対零度の輝きへと切り替わったのよ。
――ガチのマグロパワー、いや、ローストビーフの超高カロリーパケットが、天才小娘の脳細胞を限界突破で覚醒させちゃったみたいね。
「人工知能ってさ、クラウドコンピューティングもそうだけど、過度な通信インフラ依存なんだよね」
不意に桜の口からデプロイされたのは、美食インフラの余韻を全否定するような、あまりにも高解像度なシステム批評だったわ。
どうしたんだいマイシスター!? いつもの「もぐもぐ」な幼児退行プロトコルはどこへパージしたのよッ!?
「……過度な通信インフラ依存?」
あたしが息を呑むと、隣で黒インナーにカーディガンを羽織った勇希が、即座にサクラの呟きを補完すべく、脳内データベースをコンパイルし始めたわ。
「つまり、現在の主流AIアーキテクチャが、エッジ側での自律演算を放棄しているという指摘だね……。膨大なパラメーターを巨大なデータセンターの肥大化したコアに依存し、ミリ秒単位の遅延と、莫大な電力をネットワーク越しに消費し続けている。それが、今の世界の限界値……!」
あたしたちの動揺を完全にスルーして、桜の声はさらに深度を増し、コキュートスの冷気を放ち始めたの。
「一生懸命スマホの機種変更させて、庶民から巻き上げて、インフラ整備しちゃってさ。整えたインフラでなにやると思う? 海外IT企業の誘致。バカみたいだと思わない」
冷酷な真実の弾頭が、日本の通信業界の欺瞞をピンポイントで爆撃していくわッ!
国民の端末代金から吸い上げたリソースで5Gや6Gの高速道路を敷設し、その果てに待っているのが、海外のメガテック企業に極上の計算資源とユーザーデータを献上するだけの植民地化プロトコルだなんて、あんまりなディストピアじゃないのよ。
「『俺織田だ。それは俺のオレオだ』……膠着語である日本語で人工知能モデル? 笑わせないで」
桜が吐き出した最凶の言語学的エラーログに、あたしの知性は凍りついたわ。
助詞の結合によって文脈が無限に変調する膠着語、日本語。主語も目的語も平気でパージされるこの高度な言語空間を、西洋発の単語分割と、力技の確率統計モデルでシミュレートしようだなんて、最初からアーキテクチャの選択ミス。言語の本質をハックできていない証拠よッ!
ダ、ダダダ誰にキレてんのよ桜――ッ!?
既存の大規模言語モデルの開発元すべてを敵に回すような暴走シーケンスに、あたしと勇希は、その圧倒的な知能の奔流にただ怯えるしかなかったわ。
薄紫のカーディガンを微かに揺らし、すべてを見通したような瞳で虚空を見据える桜。
これ、完全にエッジコンピューティングによる「ノイマン・ブレイク」の真理の階層にログインしちゃってるわよね……?
温泉帝国に集った親世代のノード群も、この天才小娘から放たれる非論理的なまでのカリスマに、喋るのも忘れてフリーズしているわ。
でも、既存のインフラがバカみたいに脆弱なら、あたしたちの手で、日本語の真のトポロジーを解析する完全自律型のエッジアーキテクチャをビルドしてあげるだけよッ!
★ ◆ ★ ◆ ★
「……誰に? この国に……かな。お姉ちゃん。媚びて技術指導を受ける? 歪んだ技術指導を享受する!? いつまで戦後に縛られてんのよッ!!」
桜の叫びがラウンジの空気を凍りつかせたわ。
薄紫のカーディガンを揺らし、その瞳からは先ほどまでの無邪気な輝きが完全に消滅している。
あたし、黒木舞桜は、妹が放つ冷徹な洞察に戦慄し、と同時に、あたし自身の脳内でも焼けるようなDHAバーニングの気配を感じたわ。
「魔改造した人工言語を中間言語に据えて人工知能モデルを鍛える。あたし変なこと言ってる? お姉ちゃん……」
桜はそこまで吐き出すと、過剰にオーバークロックした演算リソースを急激にパージしたみたいに、コクリと首を垂れた。
天才小娘の胃袋がローストビーフを消化しきった反動か、それともこの国の腐敗した構造をスキャンしきった代償か。
薄紫のカーディガンに包まれたその身体は、テーブルに伏せられ、静かな寝息へと移行したわ。
「……ッ。全部、背負い込みすぎたのね、あんたは」
あたしは桜の柔らかな髪に手を伸ばそうとして、ふと窓の外に視線を逸らしたわ。
夜の海を見下ろす、温泉帝国の最上階。
窓ガラスの反射。
そこに映る自分と、勇希の姿……。
そして、あたしの背後の虚空に、半透明のノイズを纏ったオッサンが、静かに佇んでいたわ。
干渉はしてこない。ただ、あたしを観測している。
悪魔の頭脳、ジョン・フォン・ノイマンの亡霊。
「姉ちゃん……」
桜が、寝言でそう呟いた。
あたしは一瞬、心臓が跳ね上がったわ。
さっきまでは「お姉ちゃん」と呼んでいたはずの妹が、ふと見せる無防備な姉ちゃんという響き。
あたしは思わず舌打ちを漏らしたわ。
「チッ……。お姉ちゃん、姉ちゃん。呼び方ひとつで、あたしの中の女王さまの仮面がひび割れる気がするじゃない」
桜をハックしていたなにかが去り、元の純粋な妹に戻ったのか、それとも別の何かが潜んでいるのか。
窓に映る自分の表情が、どこか脆く、ひどく憤怒に満ちていることに気づく。
隣で勇希が心配そうにこちらを見ているけれど、あたしは窓の外のノイマンを睨みつけたまま、静かに拳を握りしめたわ。
怒り。この国を蝕む構造に対する、純度100%の怒り。
あたしは、桜が焼き尽くした論理の残骸を拾い上げ、必ずやこの国の技術のトポロジーを、あたしたちの手で再構築してやるわッ。
当然の帰結よねッ!
★ ◆ ★ ◆ ★
桜の胃袋という事象の地平線にマグロが完全デリートされた空の皿を前に、あたし、黒木舞桜の脳内メインフレームは、ある不可解なクエリを高速演算していたわ。
――なぜ、親世代という名の古参ノード群は、ここまで高度に同期し、強固なリンクを保っているのか。
パパに、白井家の泰造さんと玲子さん、斧乃木家の力也さんに清子さん。各々がバグレベルの強烈な独立OSを搭載した個性の塊だというのに、集えば一瞬で完璧なローカルネットワークを構築してしまう。
あたしが疑問を音声パケットとして送信すると、パパは温泉卵の殻をちゃぶ台に置き、至極あっさりと最適解を吐き出したわ。
「なにって、そりゃおまえ、トイレを完全に分けているからだよ」
「……はぁッ!?」
あたしは思わず、気高い女王の仮面をパージして素っ頓狂なエラーログを出力したわ。
「大雅の言う通りだぜ。ウチもそうだが、黒木家も徹底してるよな。パパは離れのトイレ、ママは母屋のトイレ。この物理的なファイアウォールを絶対に越えない。これが長年システムを安定稼働させるための基本レシピだ」
力也さんが、ゴツい腕を組んで深く首肯する。
「ちょっと待ちなさいよッ!」
あたしは不機嫌さを極限までバーニングさせて立ち上がったわ。
「あたしの天才的な知性が導き出そうとした『家族の絆という名の深層心理アルゴリズム』が、そんな排泄物処理のルーティング問題に帰結するわけないじゃないのッ! 説明しなさいよ、勇希ッ!」
話を振られた勇希は、医学的エビデンスのコンパイルを開始したわ。
「いや、舞桜。生物学的な観点から見ると、それは極めて論理的なディフェンスシステムだよ。人間も動物である以上、排泄物に含まれるフェロモンや不快な揮発性有機化合物は、無意識のうちに相手への防衛本能や嫌悪パルスを刺激してしまうんだ」
「……なるほど。同じ釜の飯を食うというレガシーな格言の裏には、そんな生体防御プロトコルが隠されていたわけか」
あたしは高速演算で勇希の言葉をトレースした。
「その通りさ。適度な距離という名のファイアウォールを設置しないと、脳が相手を『愛する異性』や『大切な家族』ではなく、生存領域に侵入してきた『不快な外敵』として誤認識してしまう。文学界で有名な森鴎外の母親と嫁の激しい不仲説だって、同じテリトリーに二つの強力なマザーOSを同時デプロイしたことによる、システムクラッシュの典型例だよ」
「ガハハ! さすが医学生、俺たちの排泄物プロトコルをそこまで高尚な学術論文に昇華させるとはな!」
力也さんが胸板を叩いて爆笑し、泰造さんが漁協組合長としての圧倒的な説得力で頷いたわ。
「生存のための生々しいログを共有しすぎると、脳は相手を『野生の個体』じゃなく『無害な同居人』として処理しちゃうんだ。適度な距離というセキュリティパッチがないと、異性としての甘いパケットなんて一瞬で揮発しちまうのさ」
「どんなに全盛期の熱量で愛し合っていようがね、生活臭という名の日常バグをまともに喰らい続けたら、感情のソースコードなんて一瞬で摩耗するのよ」
清子さんが極道的な風格でニヤリと笑い、玲子さんも聖母の笑みの中に鋭い警告パッチを混ぜてくる。
「そういうこと。ウチの猿倅も、舞桜ちゃんの気高いフェロモンだけをサンプリングしていたいなら、将来の設計図にはトイレの複数デプロイを組み込んでおきなさいよ」
親世代の口から次々と語られる、生々しくも妙に説得力のある「フェロモン管理工学」。
長年連れ添った男女のシステムが「男と女」の全盛期ロジックを喪失し、ただの「家族」というインフラへダウングレードする残酷なバグ。それを回避し、互いを常に「異性」として正しくサンプリングし続けるための、最高にセキュアなパーソナルスペースの暗号化通信。
あたしは隣にいる勇希の華奢なバイタルをロックオンしたわ。
このヤンデレ王子が、将来あたしを刺激のないオブジェクトとして認識するなど、気高い女王のプライドが絶対に許容しない。
「いい、勇希ッ! あたしたちの未来の設計図から、外敵認定なんて不名誉なエラーログは一ミクロンも出力させないわよッ! あたしを一生、全盛期の角度の異性としてロックオンし続けるために、温泉帝国の最深部には、細胞レベルでお互いを尊重し合える『究極の専用離れ』を強制デプロイしてあげるわッ!」
あたしがプラズマ級の熱量で宣言すると、勇希は「僕のバイタルが正常に維持される仕様だね」と嬉しそうな同期信号を返し、親世代のノード群は豪快な笑い声をラウンジに響かせたわ。
自由すぎる親世代の、非論理的かつ完璧な生活の知恵。
温泉帝国という美食インフラに、男女が「異性」であり続けるための究極の最適化パッチがインストールされた。
当然の帰結よねッ!
後書き
最後までダウンロードしてくれて、心からの感謝を表明するわ。
ただの美食のレンダリングかと思いきや、悪魔の頭脳であるノイマンの亡霊や、社会構造という名の巨大なマルウェアへの怒りまで、かなりの高負荷処理を要求する仕様になったわね。
でも、親世代のトイレ分離プロトコルという究極のディフェンスシステムで締める構成は、あたしたちの未来の設計図に必須のセキュリティパッチだと証明できたはずよ。
勇希の華奢なバイタルを守るためにも、あたしの帝国のアップデートはまだまだ終わらないわッ!




