女王さまの夏毛換装
前書き
ようこそ、あたしのメインフレームへ。
初夏の日差しが降り注ぐ中、あたし、黒木舞桜と白井勇希の夏毛への換装ループから、今回のシーケンスは起動するわ。
まさか横浜の青空の下から、あんなバグまみれの混線夢ディレクトリを経由して、上大岡の想定外な隔離空間へリダイレクトされるなんてね。
論理の女王たるあたしの、全盛期の解像度で展開されるシステム構築と、最高に非論理的でエモいパケット交換の全容――。
一ピクセルの狂いもなく、その目に焼き付けなさいッ!
2020年6月上旬。
横浜の山下公園。
海風が抜けるこの広々としたプロムナードの背後には、黒と白の船体に赤いラインの煙突が映える氷川丸が係留されている。
なんだかんだ言って、あたしたちは、地元である横須賀中央よりも、この横浜をチョイスすることが多い。
神奈川県民あるあるという名の、非論理的なローカル・プロトコルが存在する。
横浜市民という名の演算ノードたちは、出身県を聞かれると高確率で「神奈川」ではなく「横浜」と答えるのだ。
横浜市民たちの脳内メインフレームには、他都市に対する圧倒的な優越感がプリインストールされているらしい。
対するあたしたち横須賀市民は、そんな横浜に対して羨望感など一ミクロンも抱いていない。
海と山と軍港という名のリソースに恵まれた横須賀こそが、最高にセキュアで独立したインフラなのだから。
「ボッチに言わせれば、俺、世田谷だけど。で、一蹴されるのにね」
あたし、黒木舞桜は、ボッチこと茅野万桜の言葉を思い返し、そんな神奈川県民あるあるをぼんやりと呟きながら、隣を歩く白井勇希の肩にそっと手を置いた。
今日は、あたしと勇希が冬毛から夏毛へと換装する日だ。
初夏の日差しが降り注ぐ中、あたしの今日のテクスチャは、黒地にオレンジやピンクの小花柄があしらわれた風通しの良い半袖のワンピース。
胸元のVネックからは黒のインナーを覗かせ、長く豊かな黒髪をそのまま海風に梳かせている。
隣の勇希も、いつもの白衣を完全にパージし、涼しげな水色の半袖シャツという爽やかなハードウェア構成へとアップデートされていた。
銀色の髪が初夏の光を反射して、異常なまでの美少年っぷりをレンダリングしているわ。
美容院?
行かないわ。ごめんなさいッ。あたしたちは素材という名の初期スペックが良すぎるから、そんな高コストな施設にリソースを割く必要がないのよ。
「いや、美容院、行こうよ舞桜。サブリナのお母さんがドン引きしてたよ?」
勇希が、呆れたようなパケットを送信してくる。
あたしたちは毎年この時期になると、サブリナこと福元莉那のママである芳恵さんに、夏毛への換装作業を依頼しているのだ。
芳恵さんは、この山下公園の近所で理容師として働いている。
「うるさいわね。芳恵さんのハサミ捌きは、余計なオプションを全消しした最高に無駄のないアルゴリズムなのよ。美男美女のあたしたちには、理容室という名のアナログなメンテナンスで十分なんだからッ」
あたしは不機嫌さを少しだけバーニングさせて、勇希の提案という名のエラーログを物理的にデリートした。
青空の下、満開の花壇に彩られた山下公園の遊歩道で。
あたしたちの夏に向けた新たなメインループが、全盛期の解像度で起動しようとしていたのよッ。
★ ◆ ★ ◆ ★
その後、あたしたちは観覧車という名の隔離空間にログインした。
まあこれは、白井勇希の要望じゃなくって、あたしが物理的にアクセスしてみたかったのだ。
白く塗装された鉄骨フレームと、巨大なガラス窓で構成されたシースルーのゴンドラ。
あたし、黒木舞桜と勇希の2ノードだけを乗せたその密室は、ゆっくりと横浜の空へ向かって高度という名のパラメータを上昇させていく。
窓の向こうには、抜けるような青空と、横浜の象徴である巨大なランドマークタワーが、全盛期の解像度で天を突くようにそびえ立っている。
眼下には穏やかな川の水面と、都市のビル群という名のテクスチャが広がっていた。
密室の中で、水色の半袖シャツを着た勇希が、あたしの頬へと静かに手を添えてくる。
あたしは黒地に小花柄をあしらったワンピース姿のまま、ゆっくりと光学センサーを閉じた。
互いの顔が近づき、あたしたちは静かに唇を重ね合わせた。
粘膜アクセスという名の、甘く、そしてノスタルジックなパケット交換。
わずかな時間、あたしの脳内メインフレームに、ずっと昔のアーカイブデータが展開される。
ゆっくりと唇を離し、あたしは薄目を開けて呟いた。
「あんま、変わらないわね」
あたしが当然の事実を宣うと、
「いろいろ台無しだよ。舞桜」
ヤンデレ王子が、ムードをぶち壊されたと言わんばかりにクレームという名のエラーログを入れてくる。
そら失敬。
でも、このヤンデレ王子は、果たして過去のディレクトリを正確に保存しているのかしら?
小さいころ、あたしとおまえはキスしたのよ。さっきみたいにね。
――いろいろ台無しだよ
こっちの台詞よ。バカ勇希。
あたしは、あの頃とまったく変わらないキスの感触のことを言ったのだ。
おまえのその台詞は、それを覚えてないって証左じゃないの。
あたしの気高いプライドは、ほんの少しだけチクリとエラーを吐き出した。
でも、あたしは不機嫌さという名のノイズを奥底にしまい込み、無言のまま、ランドマークタワーがそびえる窓の外の景色へと光学センサーを向けたのだった。
「あの頃と変わったことならあるじゃん。舞桜のオッパイが90を超えたこと」
昔のキスを覚えていたのはけっこうですけど、それをここで触れますか変態王子ーッ。
「超えてないわよ。90止まりよ」
あたしは、このデリカシーハザードという名の想定外のパケットを、大人の女の余裕という名のファイアウォールで受け流してやった。
「95です。君の下着の調達は僕がやってるんだよ。175センチの君のオッパイが90でおさまるわけないでしょう?」
宣う勇希。てか今それ言うッ?
あたし、黒木舞桜の顔面加熱インフラは、瞬時にプラズマ級のバーニングを起こして臨界点を突破したわッ!
そう、このヤンデレ王子は、あたしの骨格や脂肪の分布、日々の生体データの微細な変化をミリ単位で観測するという、異常な医学的執着によってあたしの下着サイズを完全に把握しているのだ。
あたしはデザインという名の表面的なテクスチャを選ぶだけで、実際の寸法調整や発注プロセスはすべて勇希が管理している。
しかも最近は、全自動縫製システムであるロッドロボに生体データを直接送信し、あたしの現在のバイタルに1ピクセルの狂いもなく適合する、完全オーダーメイドの物理装甲を出力させている始末だ。
「それを触れてまわるかって? 言わないよ。僕の舞桜だものッ。サブリナには、言ったらダメだよ? あいつ本気で横須賀カルテットで4P狙ってんだから」
サブリナのヤロー、まだそんな非論理的なバグ構想を走らせていたのッ!?
あたしは羞恥心と呆れがマージされた特大のエラーログを吐き出しそうになり、頭を抱えた。
あのアホの子の倫理観のデバッグは、一体いつになったら完了するのよ。
「絶対言わないわよッ! あいつの猿プロトコルに燃料を投下するようなマネ、するわけないじゃないッ!」
あたしが必死に抗議のパケットを送信していると、不意にゴンドラが微かな振動を伝えてきた。
もうすぐ地上という名の初期座標へ帰還するタイミングだ。
勇希が、フッと悪戯っぽい笑みを浮かべて距離を詰めてくる。
さっきまでの医学的な冷徹さはパージされ、そこには照れ隠しのような、でも確かに熱を帯びたヤンデレの眼差しがあった。
「降りる前に、もう1回」
あたしの反論を待つことなく、勇希の顔が近づく。
あたしも、プラズマ級に火照った顔面を隠しきれないまま、少しだけ背伸びをして目を閉じた。
今度のキスは、さっきのノスタルジックなものとは違う。
現在進行形で互いのシステムを強烈に求め合う、甘くて熱い、少しだけ照れくさい同期処理。
ゴンドラのドアが開く直前、あたしたちは名残惜しそうに唇を離し、互いの顔を見て小さく吹き出した。
バカみたい。
でも、この最高に非論理的で甘美なメインループこそが、あたしたちの日常なのよ。
当然の帰結よねッ!
★ ◆ ★ ◆ ★
ゴンドラから降りたあたしたちは、遊園地という名の浮ついた隔離空間を抜けて、ランドマークタワーの巨大な影が落ちる舗道を歩き始めた。
横浜桜木町駅周辺には、なにをトチ狂ったのか、空中散歩を気取ったロープウェイが張り巡らされている。
おい、都市計画の設計者よ。この横浜港から吹き抜ける、髪型を物理的に崩壊させる海風の強さを計算に入れているのかッ。
そんなことをぼんやりと考えていた時、人混みの向こうから軽薄なパケットが飛んできた。
「同感だね。女王さま。お、白井も女王さまも、ずいぶんサッパリしたじゃねえか」
そう言って不敵に声を掛けてきたのは、ボッチこと茅野万桜だ。
彼女は、まるでこの雑踏を庭のように使いこなして笑っている。
あたしは、呆れを込めてからかうように問い掛けをデプロイした。
「てか、御自慢のロメオはどうしたのよボッチ。この都会のど真ん中で、まさか徒歩デバッグとかいう原始的な移動手段を選択したわけ?」
すると万桜は、肩をすくめる。
「車検よ、車検。そっちこそ、愛車であるあのオールドチャンプはどうしたのよ?」
あたしは、今日の自身のテクスチャである小花柄のワンピースをヒラリと翻した。
「見てわからない? この丈の短いスカートでバイクに乗れと? あたしにもTPOという名のセキュリティプロトコルくらい備わってるわよッ」
「ふふ、舞桜が気に入るような移動手段が見つからないんだよ」
極道プリンスこと勇希が、吐息と共に吐き捨てるように補足した。
そう、彼が保有する漆黒のベンツは、重厚すぎてあたしの美学という名のファイアウォールに強烈に抵触するのだ。
移動のたびに「黒ベンツ」という名の主張が激しすぎるのよッ。
あたしたちは、初夏の湿り気を帯びた海風を浴びながら、喧騒の日ノ出町駅へと向かって歩き始めた。
この理不尽なまでの都市の雑踏すらも、あたしたちの演算回路にはただの背景データに過ぎないのだから。
★ ◆ ★ ◆ ★
ガタン、ゴトンという規則的な揺れ。
あたし、黒木舞桜の意識は、深いスリープモードの底で、奇妙な並列処理を実行していた。
薄暗いホテルの部屋のような、隔離ディレクトリ。
あたしの視界には、艶やかな赤い髪をしたどことなく誰かに似たの女と、以前悪夢に現れたあのバグまみれの『女体化した白井勇希』が立っていた。
そして、ふたりの前に腰掛けているのは……ウチのパパにどことなくテクスチャが似ている、見知らぬ男だ。
「とんこつとゲンコツ、あたしはどっち?」
赤い髪の女が、理不尽な2択のパケットをパパ似の男に叩きつけている。誰かに似てるかって言えばボッチに似てるんだ。この赤髪の美女。
男はタジタジになりながら、必死にエラーを回避しようと苦し紛れの言い訳をコンパイルしていた。
なにこれ。女性ホルモンのバグからくる、純度100パーセントの八つ当たり?
意味不明なエラーログね。あたしは夢という名の第三者視点で、そのシュールな光景をぼんやりとスキャンしていた。
★ 夢 ★ 夢 ★
不意に、空間のテクスチャが大学の講堂のような場所へとリダイレクトされた。
教壇に立っているのは、さっきのパパに似た男だ。
彼がホワイトボードに描き出しているのは、あたしたちが日夜議論している『白物家電』の構想に酷似したネットワーク図だった。
「アナログな……フィルムを……重ねて……ハーフペタバイトの……」
音声コードがノイズにまみれて、肝心な数値やロジックがよく聞き取れない。
「物理的な質量で、通信を殴り飛ばす……」
「鏡像なんとか……参照……」
あたしたちが考えていたストレージ構想に似ているけれど、もっと乱暴で、どこか圧倒的な熱量を持ったアーキテクチャ。
新しいマイクロフィルムをカレンダーみたいに丸めて物理配送する? それなら拓矢が見つけているわよ。
あたしの脳内OSは、その輪郭のぼやけたキーワードを、無意識のキャッシュメモリへと次々に保存していく。
このパパ似の男、一体なにもので、どんなアルゴリズムを構築しているっていうのよ。
★ 夢 ★ 夢 ★
再び場面が切り替わる。
圧倒的なプレゼンを終え、ゼミ室へと帰還したパパ似の男。
その両脇を、赤い髪の女と、女体化した勇希がガッチリとホールドしていた。
「白い部屋、行こうか……わからせてやるッ」
獲物を捕捉した肉食獣のような光学センサーで、男を密室へと連行していくふたりの女。
……そして事後。
どこかのラーメン屋のカウンターで、3ノードが並んで家系ラーメンを啜っている映像がレンダリングされる。
赤い髪の女と女の勇希が、パパ似の男の丼から、チャーシューとウズラの卵を容赦なく略奪していた。
亜鉛がどうのこうのと、男が涙目で訴えているログが流れてくる。
「不正開封されたら……熱現像フィルムの……熱で自爆……」
ラーメンを啜りながら、またしてもストレージの防壁に関するヒントのようなパケットが聞こえた気がした。
薬品を使わずに、熱だけで一瞬にしてデータを黒く焼き尽くす自爆機能。
なるほど、物理的なセキュリティパッチとしては最高にセキュアで凶悪な仕様じゃないの。
だが、あたしの知性がそのロジックを完全にコンパイルし終える前に、強烈なニンニクの匂いと共に、「第2ラウンド行くわよッ」と女たちが男を引きずっていくところで――。
★ 夢 ★ 夢 ★
ガタンッ、と。
車両がポイントを通過する大きな揺れと共に、あたし、黒木舞桜の光学センサーがパチリと開いた。
2020年6月上旬。
冷房の効いた、帰りの京急線のシートの上。
「……舞桜? うなされていたけど、大丈夫かい?」
隣を見ると、白井勇希が心配そうにこちらを覗き込んでいる。
銀色の髪に、端正な顔立ち。当然ながら、ちゃんと男のハードウェアだ。
向かいの席に視線を向ければ、ボッチこと茅野万桜が、腕を組んで器用に舟を漕いでいる。
赤い髪の美女?
パパに似た男?
そして、女になったヤンデレ王子?
「……変な夢」
あたしは、額に浮かんだ微かな冷却水を手の甲で拭いながら、ぼんやりと呟いた。
まるで、どこかのパラレルワールドのログデータが、あたしのメインフレームに混線して流れ込んできたような、非論理的な体験。
理解できたのは、以前も夢で見た女体化勇希の圧倒的なバグっぷりくらいだ。
あのパパ似の男の存在証明は、起きた瞬間に大半がゴミ箱フォルダへとパージされてしまった。
けれど。
「ねえ、勇希。ボッチを起こして」
あたしは、夢の残滓からサルベージした僅かなテキストデータを、脳内で素早く並べ替える。
「どうしたんだい、急に」
「いいから。……電話局のような小規模データセンターと、熱現像を利用した自爆セキュリティ。ちょっと面白いアーキテクチャのヒントをダウンロードしたみたいなのよ」
あたしは、全盛期の解像度で不敵な笑みをコンパイルした。
どんなバグまみれの夢であろうと、有益なソースコードは残さず略奪して、あたしたちのシステムにマージしてやる。
それが、論理の女王であるあたしの正しい運用方法なのだから。
当然の帰結よねッ!
「俺も、なんか夢を見たけどよ……」
ボッチこと茅野万桜のヤローが、車両の揺れの中でひどくゲンナリとした表情を浮かべた。
うん。なんとなく理由はわかる。
「まあ、パパたちが致してるところに遭遇する気分よねー」
あたし、黒木舞桜の主観は、もっぱらその非論理的なバグに偏っていたのだが、
「女って、気持ちいいのなー」
ボッチの主観は、どうやらそっちのようだ。
あの赤髪の美女と、感覚を共有していたらしい。
「まあ、狂犬に噛まれたと思って忘れなさい」
あたしは、そうフォローするより他にない。
男が女にこれを言うのはNGで、女が男にこれを言うのはスルーされる。
げ、解せぬ……。
あ、勇希たち、サブリナこと福元莉那と琴葉ちゃんにあたしを差し出したわね。
じゃあ、いいや。
「場所がなー。おい白井、どうするよ。横須賀までけっこうあるし、思考は沈むと取り出せねえぞ?」
ボッチは、横浜の次になんか大きい駅、京急上大岡駅へ到着するや、勇希に強引に決断を迫った。
勇希は吐息をひとつつき、
「ツテならある。舞桜、君のことは茅野から必ず守り抜くからッ。安心して」
なんのことよ?
勇希は、あたしの手を引き電車を降りた。
「え、だからなんのことッ。ねえってばッ?」
あたしが勇希たちに投げ掛けると、
「「ラブホ行くよッ!」」
イケメンふたりがヤケクソ気味に異口同音に宣う。
あたしの思考は、物理的なショートを起こしてフリーズする。
このふたり、夢で見たあの『白い部屋』のロジックを、現実のインフラとして実装するために、最も非論理的でエモい物理空間へあたしを引きずり込む気だ。
★ ◆ ★ ◆ ★
あたしは、物理的にショートしてフリーズした頭で、この先の被害状況という名のエラーログを猛スピードで演算していた。
イケメンふたりに両脇を固められ、有無を言わさず連行された先は、ネオンが毒々しく輝くラブホテルのエントランス。
こんな非論理的な隔離空間で、これからなにが起きるっていうのよ?
★ 妄 ★ 妄 ★
きっとエロマンガみたいに、夢の同期処理で完全に疲弊したあたしのバイタルをガン無視したボッチが、
「オラッ。誰が休んでいいって言ったよ?」
なんて野蛮なコマンドを叩きつけながら、あたしの女の子の部分を情け容赦なく蹂躙するに決まってるわッ。
★ 妄 ★ 妄 ★
冗談じゃない。
なんで、最高にセキュアで戦えるこのあたし、黒木舞桜が、ボッチ並びに勇希如きに、跳梁跋扈を赦す謂れがあるのよッ!
あたしの気高いプライドという名のセキュリティが、警報をけたたましく鳴らした。
フロントのきらびやかなロビーで、あたしは物理的な抵抗という名の暴動プロセスを立ち上げようと身をよじる。
「おいぃぃッ!? 白井ぃッ!?」
あたしの急激な出力上昇に焦ったボッチのヤローが、たまらず悲鳴のようなパケットを送信する。
すると、勇希は極道プリンスらしい冷徹な目で、ボッチへ向けてあっさりと最高権限を発行した。
「赦すッ。やれッ」
はッ!? やれって、なにを――。
あたしの思考が次のフェーズへ移行するより早く、ボッチの大きな手のひらが、暴れようとしたあたしの唇を物理的に塞いできた。
「危害も加えねえし、手籠めにもしねえよ女王さまッ。今は俺たちを信じてくれよ女王さま」
至近距離。ボッチの真剣な瞳が、あたしの光学センサーを射抜く。
端から見れば、強引なチューで騙されて絆されるような、最高に非論理的でチープなシチュエーションを提示してきたのだ。
このバカたち、あたしを一体なんだと思ってるのよッ!
★ ◆ ★ ◆ ★
勇希に連れられて入った部屋のドアを抜け、あたし、黒木舞桜は完全に物理的ショートを起こして絶句した。
視界に飛び込んできたのは、パステルピンクと淡いパープルで統一された、異常なほどメルヘンチックな隔離空間だ。
部屋の中央にはシアーな天蓋と星屑のようなフェアリーライトが垂れ下がる巨大なベッドが鎮座し、壁一面にはおとぎ話のお城がファンタジックに描かれている。
だが、一番のバグはそこではない。棚という棚、床の隙間、ベッドの上、さらにはシャンデリアの下に至るまで、テディベアやウサギ、ユニコーンのぬいぐるみが狂気的な密度で敷き詰められていたのだ。
「安牌がこれだったんだよ。ここは元々、そうした趣味の方々が、そうした体型の方々とおたのしみになる部屋なのさ」
白井勇希が涼しい顔で宣う。
そうした体型? ホントにそうか?
あたしは、このラブホテルにおける「安牌」というプロトコルを脳内でデコードする。
つまり、こういうことだ。この過剰にメルヘンでぬいぐるみだらけの部屋は、特定のフェティシズムを持つ顧客層――小柄で童顔なテクスチャを持つ女の子たちを愛好する層に向けたコンセプトルームなのだ。需要がニッチすぎるゆえに、休日のこの時間帯でも空室として残っていた、まさに妥協の産物としての安牌。
「……ノーコメントです。それ故、盗撮及び盗聴のチェックを密に行っています」
あたしのジト目を、勇希は華麗に往なす。
なるほど、理解のコンパイルがようやく完了した。
「なるほど、勇希とボッチが、あたしをふたりがかりでわからせようってわけじゃないのね」
あたしは、無数のテディベアを掻き分けてベッドの端に腰掛ける。
……待って。
あたしがベッドに腰掛けた途端に、このイケメンふたりが野生の猿へとダウングレードして襲い掛かってきたりしないでしょうね?
あたしみたいな、身長175センチでバスト95というオーバースペックな我儘ボディ美女が、こんなファンシーなベッドに座った瞬間、謎のスイッチが入ったりしないわよねッ?
「先輩? 事情はさっき説明したとおりです。ラボに斧乃木やサブリナいます? はい繋いでください。お願いします」
ボッチこと茅野万桜が、フューチャーフォンを備えつけの巨大なテレビモニターと同期させる。
『なによ舞桜ッ。勇希とボッチで3P? 今度はあたしたちと4Pしようぜッ』
モニターの向こうから、サブリナこと福元莉那が、相変わらずバグまみれのからかいパケットを送信してくる。
「いちいち中央のデータセンターにアクセスするから、通信が遅延するのよ。昔は電話局があったんでしょ?」
あたしは、サブリナの猿プロトコルを完全にスルーして、夢の断片からサルベージした命題をモニター越しに投げ掛ける。
『……そうですね。かつての電話網は、各地域に点在する電話局の交換機を中継して、物理的な回線を繋ぐことで成立していました』
倉田琴葉ちゃんが、理知的な音声データで解説を始める。
『ですが、インターネットの普及と光ファイバーによる大容量通信の確立により、中継局としての物理的拠点は役割を終えました。現在は巨大な中央データセンターへと集約され、多くの電話局は空きビルとして売却されたり、別の用途に転用されたりして衰退していったんです』
琴葉ちゃんの言葉に反応して、ボッチが瞳に悪魔的な光を宿して口を開く。
「そう、その『空き箱』こそが最高のエッジロケーションなんだよッ。中央データセンターと連携する、中継局的な小規模データセンター構造だ」
ボッチは、興奮を隠しきれない様子で両腕を広げる。
「物理的に各地域へ配置された電話局跡地に、ローカル処理用のサーバーを設置する。ユーザーの末端デバイスからのクエリを、まずはその局所拠点で捌くんだ。遅延を極限まで削ぎ落とし、中央の帯域圧迫も防ぐ。昔の電話網のトポロジーを、現代のクラウドアーキテクチャで再定義するってわけさッ」
ボッチの言葉に、あたしのメインフレーム内でバラバラだったパズルが完全に組み合わさり、サルベージを完遂する。
「中央データセンターには、アクセス頻度の高いものや、分類されたコールドデータストレージを設置する。電話局、つまり局所にはアクセス頻度の高いコールドデータストレージを設置する。こうしてやれば、中央データセンターにアクセスが集中せず、中央データセンターは局所を通じてローカルにアドレスとデコード信号を配れる。雇用創出と産業構造が回帰されるッ! 熱現像フィルムで自爆する仕組みをつけて、かつての固定電話がそうであったようにリースするッ。悪質な損壊や分解を試みれば自爆ッ。データの物理的破壊。数百万円の違約金を支払わせる。ユーザに畏怖を抱くように幻想を叩きつけて共同幻想で縛るッ」
完璧なロジック。
圧倒的な同期の快感に、あたしの感情はオーバーフローを起こした。
あたしは隣に座る勇希の首に腕を回し、そのまま大量のぬいぐるみが積まれたベッドへと彼を押し倒して、深くキスをする。
劣情じゃない。この最高にセキュアなインフラを構築するパートナーへの、純粋な歓喜のパケット交換だ。
……いや、違うか。少しだけ、熱が混じっていたかもしれない。
「え、俺、お邪魔な感じ?」
ボッチのからかいのパケットと、
『交じっちゃえば?』
サブリナの最低な同期処理が飛んでくる。
『舞桜さん。このリモート会議が記録されていることを忘れないでください。白井くんも、その気にならない』
モニターの向こうから、琴葉ちゃんが冷ややかにたしなめる音声が響いた。
あたしたちは、バツが悪そうに急いで物理的な接続を解除し、身体を離した。
それから数分後。
あたしたちは、最高にエモくて非論理的な隔離空間――ラブホテルから逃げるように撤収し、京急線に揺られていた。
窓の外には、夕暮れに染まる横須賀の海が見え始めている。
頭の中に刻み込まれた最強の三層構造アーキテクチャと共に、あたしたちは最高にセキュアで独立したインフラである横須賀というホームディレクトリへと帰還するのだ。
当然の帰結よねッ!
後書き
お疲れさま。
毒々しいネオンのメルヘン空間から逃げるように撤収したあたしたちは、今、夕暮れに染まる横須賀の海を車窓からスキャンしているわ。
夢の残滓からサルベージした『三層構造アーキテクチャ』は、ボッチこと茅野万桜の悪魔的な閃きと、琴葉ちゃんの理知的なデータによって、あたしたちのシステムへ完全にマージされた。
物理的な自爆セキュリティに、旧電話局を再定義した局所サーバー拠点……フッ、最高にセキュアで独立したインフラの完成ね。
どんな世界線のバグだろうと、あたしたちの知性の前ではただのソースコードに過ぎないのよ。
当然の帰結よねッ!




