【第1章 十三妹の日本刀】
ようこそ、「宝衣閣」の日常へ
【宝衣閣の日常】
東西、東西――! さてさて、お立会い。本題へと駒を進めてまいりましょう。 舞台は風光明媚にして潮風香る福建省、かの湄洲島を眼前に望む、斜面高台の良港でございます。 ここに暖簾を掲げまするは、都の古着から異国の渡来物までを取り揃えた大店、「宝衣閣」。 まずはこの店の、平穏にして賑々しき日常の風景から一席――。
表の店先を覗いてみれば、店を切り盛りいたします総番頭の趙賢恵に副番頭の呉毅が、新物・古物の反物から海を越えて届いた珍しい渡来品までを手際よく種別ごとに仕分け、風呂敷や油紙に包んでは「これは奥の蔵へ」「そちらは二階の棚へ」と手代や人夫たちへ的確に差配を飛ばしております。 一方、勘定方の関文静はと見れば、身の丈に負けず劣らぬ大きな鉄製のそろばんを肩からタスキ掛けにし、測った反物の重さに合わせて値段を書いた紙をペタペタと手際よく貼り歩き、在庫の改めに余念がございません。 さらに工房からはトントン、チクチクと小気味よい音が響き、服飾作りを一手に担う張勝が、弟子たちを従えて昨今の流行りを作り出さんと、凄まじい熱気で創作に打ち込んでいる。 これぞまさに、千客万来・活気あふれる「宝衣閣」の日常の絵図面でございます。
……が、しかぁし!
肝心要の我らが若女主人、十三妹の血を引く何蓮様は一体どこで何をしているのかと申しますと――? なんと昼間っから、店の顔たる大門からすぐ奥のの帳場にべったり突っ伏して、骨なしクラゲのようにダラダラと過ごしているのでございます! そればかりか、手元に置いた皿から何やら甘い菓子をつまんでは、口に放り込み、クチャラクチャラと咀嚼音を立てて至福の笑みを浮かべている始末。
「あ〜美味しい……。この冬冬糖ってば、外側のお砂糖はシャリサクッと軽やかで、中身はしっとりねっとり、口溶け滑らかで、しつこすぎないこの甘さ……。まさに上帝(神様)仕様の極楽の味ねぇ……」
うっとり頬を緩める何蓮様のその耳元へ、すたすたと足音荒く近づく影がひとつ。
番頭の趙賢恵でございます。
呆れ返った顔でため息をつくや、何蓮様の手元から冬冬糖の皿をサッと取り上げ、帳場の隣にある香堂に祀られております海の守護神・媽祖様の神棚へ、恭しくお供えし直した。
そう、困ったことにこの若女主人、あろうことか媽祖様へのお供え物を、神仏の目を盗んではこっそり自分のおやつにくすねていたのでございます!
「あぁ〜ん! 私の冬冬糖がぁ〜!」
「何が『トントンタン』よ! それはア・ナ・タが幼い頃、舌足らずでそう呼んでいたのを周りが面白がって合わせただけでしょ! 正確には冬瓜糖です。商人なんですから正式な名前で呼びなさい!」
何蓮様、唇を尖らせてムスッといたしますが、ふと(なぜ恵姉ぇは『アナタ』を強調したのかしら……あぁ、私が十三妹の孫だからか)と合点がいきます。
「それにこれは、天妃様にお供えしたばかりの大事な分ですよ! 默娘様は冬瓜糖が大好物でいらっしゃるのに、それを取り上げるなんて何という罰当たり! ……あぁ天妃様、申し訳ございません。この愚かで食いしん坊な妹をお許しくださいませ……」
賢恵は皿を捧げ持ち、媽祖様を祀る奥の香堂の神龕へ進むと、深々と叩頭を繰り返して平謝り。
そもそもこの宝衣閣が店を構えますのは、媽祖様信仰の総本山・湄洲島の目と鼻の先。莆田の文甲という所にございます。
海と急斜面に囲まれた土地ゆえ平地こそ少ないものの、深い水深と複雑に入り組んだ岬を活かした天然の良港として交易で栄えに栄えた場所でございます。
船乗りたちの命を預かる媽祖信仰は、そんじょそこらの神仏とは比べものにならぬほど熱烈なもの。
歴代の朝廷からも「天妃」「天后」と崇められる生ける大女神ですから、海運と切っても切れない宝衣閣にとりましては命綱。普段はめったに神頼みなどせぬ堅物の賢恵ですら、この通り信心の塊となるわけでございます。
そこへ――。
「ほら、若も来なさい!」
「ぎゃ〜痛い痛いってば、賢姉ぇ!」
店先から奥の香堂まで耳をぎゅぎゅっと引っ張られて引きずり倒され、ひんやりと冷たい敷き瓦へ、力技で頭をゴツンと擦り付けられる何蓮様!
「うわぁ〜〜ん! ごめんなさい、もうしませんから〜! むぎゅっ!」
店の者たちが「また始まった」と苦笑いで見守る中、硬い床に頬を押し付けられたまま、
「媽祖様の冬冬糖を勝手に食べて申し訳ございましぇん! 以後、媽祖様のお許しをいただいてから食べるようにしましゅ〜!」
と、情けなく許しを乞う始末――。
「また冬冬糖って……」
呆れて力が緩んだ賢恵の腕をひょいとはらいのけ、何蓮様、ころりと起き上がるとニンマリしたり顔で胸を張る。
「いいじゃないの、この辺りじゃ皆そう呼んでるんだから! むしろ他の土地と差別化するために、この港町じゃ冬瓜糖を『冬冬糖』って呼ぶことにしたらどうかしら? ほら、『いい仲のふたりが海辺の街を歩いて、冬冬糖を食べつつ恋慕しませんか?』なんて売り出せば、大流行間違いなしじゃない?」
賢恵も一瞬呆気にとられたものの、あまりのおかしさに肩を震わせてクスクスと笑い出す。そこへ――。
「恋慕って……蓮、お前なぁ……」
ざわめく店先の雑踏を羽毛扇で軽やかにかき分け、香堂へぬっと顔を覗かせたのは、宝衣閣の知多星(軍師)こと副番頭の呉毅でございます。
「何よ! 何も恋人同士に限った話じゃないわよ! 夫婦だって仲良しの友達だって『いい仲』でしょ! どうよ、この冴えわたる何蓮様のひらめきは!」
ふふん!と鼻息荒く胸を張る何蓮様をサラリと受け流し、呉毅は賢恵へ向かって涼しい顔で口を開く。
「その『冬冬糖』の名称なら、すでに商品名として登録を済ませておいた。屋台を引く小商人から大店の寄合衆に至るまで、その通称で商いをするよう話を通してある。冬瓜糖などどの地方にもあるが、呼び名ひとつ変えるだけでこの街独自の名物になるからな」
胸元で人差し指と中指をすっと立てて語る姿は、まさに抜け目のない知恵者の風格! これを聞いた何蓮様、目を丸くして飛び上がります。
「さすがは知多星ね、諸葛亮も裸足ね!」
かつての大軍師・諸葛孔明も裸足で逃げ出す、と言いたかったのでしょうが、たかが冬冬糖の呼び名ひとつで天下の孔明を引き合いに出すとは、これはいくらなんでも大袈裟に過ぎるというものでございます。
「裸足って……お前なぁ。やれやれ……」
何蓮様のいつもの無茶振りに幼少から付き合わされている呉毅は、呆れ顔でため息をつくばかり。
幼い頃から何蓮の無茶振りに付き合わされてきた呉毅は、やれやれと首を横に振る。 何蓮様が「ふん!」とそっぽを向く横で、呉毅は西洋渡りの丸眼鏡を人差し指でクイと押し上げ、
「番頭、名称の使用についてだが、こちらから無理な制約は設けず、独占しない条件で各大店と合意を取りつけている。それから寄合衆との取り決めだが……」
と、事細かに商談の報告を始めたその刹那――!
(ドスンドスン!)
工房から中庭を抜け帳場からやって来て、大地を揺るがすような足音とともに、雷鳴のごとき怒鳴り声が香堂じゅうに轟き渡った!
「何がやれやれだ! 羽毛扇なんぞパタパタ煽ぎ散らしやがって、諸葛孔明気取りかこの野郎!」
目を怒らせ、怒髪天を突く勢いで乱入してまいりましたのは、服飾工房の主・張勝でございます!
「お嬢! 頼まれてた梅と桃の花をあしらった衣装と宝飾品の下絵が上がったぞ! まだ色は入れてねぇが、まずはこれを見てみな!」
張勝が「おい!」と弟子に命じ、抱え込んできた大きな紙をバッと広げさせる。
するとどうでしょう、先ほどまでふてくされていた何蓮様の顔つきが一変致しました!
その瞳の奥が不思議と光り、下絵をじっと見つめながら、どこか遠い異空を見通すような底知れぬ眼差しへと変わる。
この時の何蓮様の集中力たるや凄まじく、店内の賑やかな人々の音も耳に入りません。
さしもの暴れん坊・張勝も、胸を張ってふふんと威張りつつ、息を呑んで若女主人の言葉を待つ。
何蓮様はしばらくブツブツと呟きながら、紙と虚空を交互に見つめておりましたが、やがてパッと顔を輝かせた!
「勝姉ぇ、すごい! これ、絶対に売れるわよ〜! ……あえて言うなら、ここの柄が少し重くてくどい感じがするから、もうちょい引いて……」
「お嬢、そこは表の色をグッと抑えてだな、裏地に鮮やかな花柄を忍ばせるのさ! 風が吹いて旗袍の裾が翻った瞬間にチラリと見せるってぇ趣向よ!」
「それよ!」「だろ!」と、早くも年明けの春物商戦に向けて火花を散らす二人。
そこへ――。
「皆さん、こちらにいらっしゃったのですね……」
頭上高く、天井から降ってきたかのような鈴を転がす美声。
一同がハッと見上げますと、人々の頭二つ分は軽々と抜きん出た、身の丈およそ六尺(190センチ)にも届くスラリと手足の長い絶世の美女が、静かに香堂へ歩み入ってまいりました。 宝衣閣の勘定方・関文静でございます!
「あ、文姉ぇ! そろばん塾はもう終わったの?」
「ええ、塾生の子らは皆帰りましたよ。若からいただいた冬冬糖を大事そうに頬張って、大喜びで家路につきました。若、いつもお気遣いありがとうございます」
文静がぺこりと愛らしく頭を下げる。
「いいのよ、あの子たちが喜んでくれるなら。それにしても、やっぱり『冬冬糖』の名は着実に広まっているわね!」
「ふふ、若がまだ小さくて舌足らずだった頃を思い出しますね。あの頃の若は、そりゃあもうコロコロと愛らしくて……」
「わぁ〜〜! 文姉ぇ、昔の恥ずかしい話はやめてぇ〜!」
何蓮様、顔を真っ赤にして文静の口を塞ごうとピョンピョン跳び跳ねますが、悲しいかな、六尺の美女には背丈がまるで届きません!
「それはそうと勝、新しい図案ですか?」
「おう、文姉ぇにも見てもらおうと思ってたんだ」
その言葉を聞くや否や、関文静! 肩に掛けておりました大きな鉄そろばんを構えるや、神速の指先でパチパチパチパチッ! と珠を弾き始めた!
「この生地と染料ならば原価はこのくらい。仕立ての手間を差し引けば、売値はこのくらいの銀子で十分に利益が出ますね」
あっという間に原価から利幅までを弾き出す神技! これを見た呉毅が羽毛扇を胸に当て、
「さすがは関帝の末裔。そろばんを弾かせれば、福建はおろか天下に右に出る者はおりますまい」
「何をもったいぶってやがる! 文姉ぇの凄さなんぞ、てめぇに言われずとも百も千も承知だっつーの!」
張勝がどんぐりのような片目を吊り上げ、鼻をフンと鳴らして笑い飛ばす。
その騒ぎの真ん中へ、番頭の趙賢恵が両手をパンパン! と打ち鳴らして割って入りました。
「はいはい、そこまで! そろそろ晩御飯にしましょう。今日は海が凪いでいるから、大船の出入りは明後日以降よ。水夫や苦力(人夫)たちも港で待機だから、今夜は皆でゆっくり食べられそうよ。さぁ、手を洗って食堂へいらっしゃい!」
それを聞いた一同、顔を見合わせて声を揃えます。
「「「「はぁ〜い、お母さん!」」」」
「誰が、お母さんですかッ!!」
お決まりの怒鳴り声にドッと笑い声が弾け、皆が連れ立って食堂へと向かう――これぞ、掛け替えのない宝衣閣の日常の夕餉でございます。
何蓮・趙賢恵・関文静・張勝は、義姉妹の契りを結んでいます。
長女が賢恵・次女が文静・三女が張勝です。何蓮は末っ子です。
呉毅は何蓮とおなじ年齢です。
次回、ついに燕京の十三妹から厄介な手紙が届きます。来週、更新予定です。お楽しみに!




