第六話 休暇と、英雄の銅像
初陣を終えた新兵には、二日の休暇が与えられる決まりとなっている。
様々な規則が形骸化して久しいこの拠点で、ちゃんと守られている珍しい規則である。
「街だ! 街だぞエミル!」
「はしゃぐな、田舎者に見えるぞ」
「田舎者だが!?」
拠点の門を出て、水路沿いの道を下ると、オアシスの街が開ける。
水音が、まず聞こえた。
街のどこにいても、水路を走る水の音がする。
それに乗って、市場の呼び声、荷車の軋み、子供の笑い声。
日干し煉瓦の白い街並みに、椰子の影が落ちている。
市場には、砂漠の国とは思えない果物の山。
瑞々しい瓜、真っ赤な柘榴、蜂蜜漬けの棗。
「……いつ見てもすげえな、ここは」
エミルが、眩しそうに目を細めた。
「後方の街と、そんなに違うのか?」
「規模は向こうがでかい。オアシスの数が違うからな。けど……なんだろうな。ここの水音は、向こうより近い気がする」
金髪の教育係は、首に巻いた布を直しながら言った。
この男、砂漠の日差しに弱い。
休暇二日目には必ず鼻の頭を赤くしている。
「ここは水が、街の全部に触れてる。……守るって言葉が、こんなに具体的な街を、俺は知らなかった」
「エミル、たまにいいこと言うよな」
「たまには余計だ」
街の中央広場に、それはある。
サラーフの、銅像。
偉丈夫であった。
彫りの深い顔、広い肩、片手に槍、片足を台座の縁にかけ、東の空を睨んでいる。
六十年前、国が総力で建てた英雄の像だ。
マクスードは、その真下に立った。
小さかった。
自分が、である。
「……でかいなあ」
「像だからな」
「いや、本当にこのくらいあったんだろ。そうに違いない!いや、そうであってくれないと困る!」
「何がお前をそこまで駆り立ててんだよ」
エミルは笑って、それから、こほんと咳払いした。
「よし。せっかくだから、あれをやるか」
「あれ?」
「第十一章。凱旋の場面」
二人は、像の足元で同じポーズを取った。
片足を上げ、東を睨む。
――英雄の像の下で、英雄の真似をする、褐色の童顔と赤鼻の金髪。
「……何やってんだあいつら」
通りがかった龍狩りの先輩が、心底うんざりした声で言った。
「伝記コンビだよ。放っとけ」
「伝記コンビか……。あの金髪、後方の出だろ? ここで生まれてもねえのに、よくやるよなあ」
聞こえていた。
たぶん、エミルにも聞こえていた。
だがエミルは、片足を上げたまま、にこにこしていた。
「気にしてないのか」
小声で聞くと、教育係は小声で返した。
「慣れてる。……それにさ、俺は自分で選んでここに来たんだ。言われる筋合いはあっても、へこむ筋合いはない」
かっこいい、とマクスードは思った。
伝記に書いてない台詞なのに、かっこいいと思った。
帰り道、水路の縁に腰かけて、二人で瓜を齧った。
夕暮れ。
水面が、朱に染まっている。
「なあエミル」
「ん」
「教官が言ってた。百九期は、もう、あまり残ってないって」
「……そうか」
「八年前って、どんな感じだったんだろうな」
エミルは瓜を齧り、しばらく考えた。
「拠点の古参に聞いたことがある。教官の頃は、訓練が一年半あったらしい」
「一年半? 俺ら、十ヶ月だったぞ」
「ああ。人が足りなくてな。……早く飛ばせたいんだろ、上は」
それだけ言って、エミルは瓜の皮を水路に投げた。
皮は、赤い水面を流れていった。
「まあ、俺らは十ヶ月で飛べたんだ。優秀ってことにしとこうぜ」
「だな!」
マクスードは、深く考えなかった。
瓜が甘かった。
水音が、心地よかった。
休暇は、あと一日ある。
明日はラアドを水浴びに連れて行こう、と思った。
窓の外で、低い音が鳴いていた。
街で聞くその音は、拠点で聞くより、なぜか少しだけ優しかった。




