第五話 三回死んだ男
初陣から、三日。
マクスードの武勇伝は、拠点を一周していた。
「――で、龍と目が合ったわけだ。この距離で」
「近い近い近い」
食堂の長机で、身振り付きの五回目の講演が行われていた。
聴衆は同期の新兵たち。
ユセフは隣で、我関せずと芋を食っていた。
「火が来た。俺は叫んだ。『ラアド、下ッ』……ここの判断速度が生死を分けた」
「五回目から台詞が増えてるんだよなあ」
ユセフが芋を飲み込んで言った。
「あとお前、昨日は『下だラアド』って言ってたぞ。どっちだよ」
「細部はいい。魂の話をしてる」
「講演やめて伝記でも書けば?」
その時だった。
「――ほう。魂の話か」
長机の空気が、凍った。
振り向くと、編み込んだ黒髪の教官が、腕を組んで立っていた。
「ラ、ライラ教官」
「講演の続きは飛びながら聞こう。訓練場に来い、猪。……武勇伝の検証をしてやる」
にこりともせず、彼女は言った。
「竜も連れて来い。五分だ」
同期たちが、一斉に合掌した。
結論から言えば、マクスードは三回死んだ。
一回目。
「初動」
模擬戦開始の合図と同時に、ライラの黒竜は太陽を背にしていた。
眩しさに目を細めた、その一拍。
訓練用の緩衝槍が、喉元にぴたりと突きつけられていた。
「お前が龍に食らいついた時、太陽はどこにあった」
「……えっと」
「覚えてないなら死んでる。一回目」
二回目。
「腹の下は死角だ。確かにな」
再開して十数合。
マクスードは初陣と同じ、腹の下の死角へ潜り込んだ。
潜り込め――
――た瞬間、頭上の黒竜が、翼を畳んで落ちてきた。
空が、竜の腹で塞がる。
逃げ場が、消える。
「圧殺。二回目」
砂の上に転がりながら、マクスードは呆然と空を見上げた。
「死角ってのはな、猪。相手がお前を見失ってる場所のことだ。相手が見てる死角は、ただの罠って言うんだよ。あの龍がもし冷静だったら、お前は初陣で潰れてた」
三回目。
「じゃあ最後だ。……お前の一番の急所を教えてやる」
再開。
ライラの黒竜が、ふいに大きく旋回した。
攻撃ではない。
離脱の動きだ。
逃がすか。
追える。
この速度なら、追いつけ――
追った瞬間、視界の外から緩衝槍が飛んできて、マクスードは三度目の戦死を遂げた。
「追えると思ったら追う。行けると思ったら行く。それがお前の急所だ」
砂まみれのマクスードを見下ろして、ライラは初めて、わずかに息を吐いた。
「――『行ける』は、判断じゃない。ただの願望だ」
訓練場の隅の水場で、ラアドと黒竜が並んで水を飲んでいた。
竜同士は、存外あっさり打ち解けるものである。
その横で、マクスードは砂を吐いていた。
「……強すぎませんか、教官」
「八年やってるからな」
ライラは水筒を差し出した。
受け取って、マクスードは半分を一息に飲んだ。
「八年……。第百九期、でしたっけ」
「ああ」
「同期の人たちも、みんなこんなに強いんですか」
聞いてから、しまった、と思った。
ライラは、別に顔色を変えなかった。
ただ、視線だけを竜たちの方へ向けた。
「……どうだろうな。もう、あまり残ってない」
それだけだった。
それだけの言い方で、マクスードは、それ以上聞いてはいけないことだけは分かった。
「――おい、猪」
沈黙を破ったのは、ライラの方だった。
「三回殺されて、なんでそんな楽しそうなんだ、お前は」
「え」
自覚がなかった。
頬に手をやると、確かに、口の端が上がっていた。
「いや、その……三回とも、全部知らないことだったので。太陽の位置も、罠の死角も、願望と判断の話も。……ってことは、俺、今日だけで三回強くなったってことじゃないですか」
ライラは、しばらく黙ってマクスードを見ていた。
変な間だった。
「……伝記の英雄サマも、そういう理屈で飛んでたのかもな」
「! 教官もサラーフ伝を!?」
「読んでない。この国で育って、内容を知らずに済む方法があったら教えてくれ」
彼女は立ち上がり、黒竜の方へ歩き出した。
その背中に、マクスードは慌てて声を投げた。
「教官! また検証、お願いしてもいいですか!」
ライラは足を止めなかった。
止めないまま、片手だけをひらりと振った。
「五回死ぬ用意をしておけ」
やった、とマクスードは拳を握った。
隣でラアドが、心底不思議そうな顔で相棒を見ていた。
その夜。
寝台で、マクスードは伝記の第三章を開いた。
教練の章。
オルハン教官に、サラーフが三度落とされる場面。
――三度目に砂を噛んだ日、若者は師の背に問うた。「俺は、強くなっていますか」。師は振り返らずに答えた。「明日も来い」
……分かる。
分かるぞサラーフ。
「また来い」って言われるの、めちゃくちゃ嬉しいよな。
窓の外で、低い音が鳴いていた。
今夜はなんだか、機嫌が良さそうに聞こえた。




