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第七話 体が勝手に

二度目の出撃は、休暇明けの二日後に来た。



 夜明けの広場。


 整列した新兵組の前で、ダウド班長が任務を告げる。



「龍、一頭。いつもの哨戒線だ。新兵組は後衛、討ち漏らしの警戒。……つまり、待機だ」



 待機。



 マクスードは、声に出さずに繰り返した。



 悪い言葉ではない。


 大事な役目だ。


 分かっている。



 分かっているのだが。



「……ラアド。お前、ちゃんと待てるか」



 竜舎から引き出した相棒に、小声で聞いた。



 深紅の若竜は、返事の代わりに、前脚で地面をがりがりと掻いた。


 もう穴が掘れていた。



「だよなあ」





 空に上がると、東の光の中に、黒い点が一つあった。



 龍だ。



 マクスードは、あれ、と思った。



 ――小さいな。



 いや、違う。


 龍が小さいのではない。



 驚いていないのだ。


 自分が。



 初陣では空を塞いで見えたあの巨体が、今日は「一頭の龍」として見える。


 大きさ。速さ。火の間合い。


 あの日、嵐みたいだった何もかもに、今日は寸法がある。



 太陽は右後方。


 風は東より、やや強い。


 前衛の組み手は右から二騎、左から二騎。



 見える。


 全部、見える。



「……なんか、面白くなってきたな」



 風の中で呟くと、ラアドが同意するように喉を鳴らした。



 前衛の戦いは、今日も正確だった。


 二騎一組が交互に死角を擦過し、翼膜を削っていく。


 龍は火を吐き、空振り、また削られる。



 四巡目で右翼が大きく裂け、龍は錐揉みしながら砂丘へ墜ちた。



 完璧な手順。


 後衛の出番は、ない。



 ――そのはずだった。





 墜ちた龍に、地上待機の槍兵たちが取り付いていく。



 豆粒みたいな人影が、砂丘を駆け上がり、長槍を構えて龍を囲む。


 いつもの、仕留めの手順だ。



 マクスードは上空からそれを眺めていた。


 眺めながら、無意識に、龍の尾を目で追っていた。



 癖になっていた。


 三度の戦場で、龍を見続けた癖だ。



 だから、気づいた。



 墜ちた龍の尾が、砂の中で、ゆっくりと、しなりを溜めている。



「――まずい」



 思った時には、尾は振られていた。



 横薙ぎの一閃が、槍兵の隊列を根こそぎ払った。


 人影が、二つ、三つ、宙を舞う。


 包囲が、割れる。



 割れた穴に向かって、龍が身をよじり、首をもたげた。


 落ちてなお、あの喉は、火を溜められる。



 地上の兵は、態勢を崩している。


 逃げられない。



 誰か。


 前衛は――遠い。


 降下を始めているが、間に合わない。



 誰か。



 誰か、じゃない。



「ラアド!!」



 叫んだ時には、相棒はもう翼を畳んでいた。



 降下。


 風が、悲鳴みたいな音を立てる。



 低空。


 砂丘すれすれ。


 暴れる尾が、視界いっぱいで唸っている。



 拍子を読む。


 一振り。二振り。


 振り切った尾が戻る、その一瞬の、止まり。



 ――今だ。



 死角へ、ラアドが滑り込む。


 マクスードは槍を構え、尾の付け根、鱗の薄い継ぎ目へ、体重ごと突き込んだ。



 ずん、と骨まで響く手応え。



 龍の尾が、止まった。



 溜めていた火が、あらぬ方向の砂へ吐き捨てられる。


 その隙に、崩れていた槍兵たちが跳ね起き、包囲を組み直した。



 長槍が、一斉に沈む。



 終わった。





「――後衛は、待機と言ったはずだが?」



 帰投後の広場。


 ダウド班長は腕を組み、真正面からマクスードを見下ろしていた。



「すみません!」


「何がすまないのか言ってみろ」


「命令を……その、体が勝手に」


「体が勝手に、な」



 班長は長い長い溜息をつき、額を押さえた。



「いいか、新兵。戦場で一番怖いのはな、龍じゃない。『どこにいるか分からん味方』だ。お前が勝手に降りた時、前衛も降下を始めてた。空中でかち合ってたら、龍より先にお前らが墜ちてた」


「……はい」


「返事」


「はい!」



 しばらくの沈黙のあと、班長は頭をがしがしと掻いた。



「……地上の連中が、礼を言ってた。あの尾が止まらなきゃ、二人は確実に死んでたそうだ」



 え、と顔を上げる。



「処罰は保留にしてやる。感謝と相殺だ。……次はない。分かったな」



 行ってしまう広い背中に、マクスードは深々と頭を下げた。



 下げながら――口の端が、勝手に上がっていくのを、止められなかった。



 二人。



 俺の槍が、二人、助けた。





 その夜、食堂は少しだけ騒がしかった。



「聞いたぞマクス、地上の兵隊さんが探してたぞ。命の恩人はどいつだって」


「もう三回聞いた、その話」


「何度でも語れ! なあ!」



 同期に囲まれて、マクスードは五回目の講演を始めようとしていた。



 その隣で、ユセフだけが芋を齧りながら、ぼそりと言った。



「……で、処罰は」


「保留だってさ」


「保留、ねえ」



 ユセフは芋を飲み込み、天井を見た。



「なあマクス。それさ、上手くいったから保留なんだぞ。分かってる?」


「分かってるって」


「尾の拍子が読めなかったら? 突きが浅かったら? 前衛とかち合ってたら?」


「読めたし、深かったし、かち合わなかった」


「…………」



 ユセフは何か言いかけて、やめて、芋の残りを口に放り込んだ。



「……ま、いいや。瓜でも食って寝ろ、英雄殿」


「英雄はやめろ。まだ早い」



 まだ、と言った自分に、マクスードは気づいていなかった。





 夜、寝台で伝記を開いた。



 第四章の、終わりのあたり。



 ――その頃から、戦場は若者の名を覚え始めた。崩れた場所に、いつも彼がいたからだ。


「崩れた場所にいつもいた、か...」


 毛布の中で、声に出してみた。


悪くないじゃないか。


 今日の俺の槍も、間に合った。



 なあ、サラーフ。


 あんたも最初は、こうやって一人ずつ、助けたのか。



 窓の外で、低い音が鳴いていた。


 今夜のそれは、拍手みたいに聞こえた。

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