母親
一月下旬
「孫犬丸様!孫犬丸様!」
雪が降り積もった庭を見ながら、近くのお寺のお坊さんに点ててもらったお茶を飲む俺の耳に、遠くの方から重政のような声が届く。
茶道というのは中々に良い。心が落ち着いて、気持ちが穏やかになり、色々と頭が楽になる。まさかここまでの効果があると思っていなかった。俺も最初は、茶道なんてと思っていたが・・・武士たちが好きになる理由が分かる。
「孫犬丸様!孫犬丸様!」
どう良いか?例えば、外の景色が綺麗に見える。雪が降り積もる音や風が吹く音、重政のような声までも風情に感じられる。世界が少しでもよく見えるということは、心が澄むということ。
最近ずっと忙しかったから、余計に心が落ち着く。
つい数ヶ月前に、初めて茶器を一式買ってみた。決して安いものではないけど、それなりに金を持っている俺からしたら、すぐに出せる値段。
自分で茶器を持つとよりお茶が美味しく感じる。美味しいということは、より心が落ち着くということだ。
そういえば、この前一色義忠に会ったな。あいつもお茶をしているらしいし・・・会いたい訳では無いし、俺とは住む世界が違うけど誘ってみようかな?
「孫犬丸様、重政殿が・・・」
すぐ横で一緒にお茶を飲んでいるのは、俺の警護を任されている磯野員昌と竹中半兵衛の弟の竹中重矩。
もう一人の新参、斎藤利三は別の用事があるらしく今はここにはいない。
ただ、こうやってお茶を飲んだりして頻繁に新参三人とはよく交流している。こうやって絆を深め合うのも、大切な仕事だ。
「どうした、員昌?」
「あ、いえ、急いだ様子の重政殿の声が―――」
「孫犬丸様!孫犬丸様!」
すぐ近くまで声が迫ってくる。そして少しして、その声が俺達のいる部屋の前で止まった。こうやって重政はバタバタしている時は、大抵よくないことが起こるんだよな。
「申し訳ありません、失礼します!」
襖を開ける重政は、俺が想像していたよりは汗を流していなかった。代わりに青ざめていると言うか、焦っていると言うか・・・まさか、
「どうした?!まさか、父上が―――」
「いえ、御館様は今のところは大丈夫のようです。医師が言うには山場は過ぎたようで、一旦は落ち着かれたとのこと。ただ、まだ予断は許されない状況です」
そうか、それはよかった。父にはまだ亡くなってもらっては困る。
・・・???だとしたら、何故重政はそんなにも顔を青ざめているのか?
「重政、何故そんなに慌てている?」
「それが・・・落ち着いて聞いて下さいね」
「なんだ、改まって?」
「何とか孫犬丸様には御館様に御目通りしてほしいと思い動いていたのですが、中々方法がなく」
「まあそうだろうな。道中を塞いでいる義頼の陣営をどかすのは簡単ではない。まさか、それができたというのか」
「ええ、まあ」
何故そんなにも歯切れが悪いんだ?
「できたなら良いじゃないか?」
「ええ、ですが・・・ある御方の力を借りて小浜に行くことができます」
「ある御方???」
「奥方様です」
・・・・・・・・・奥方、様?つまり、俺―――正確に言うと武田元明の母親。現将軍である足利義輝妹であり、父である武田義統の正室。あの義頼の母親でもある。
この若狭国・・・いや、一色や浅井などを含めた京北武田家領内で、血筋だけなら間違いなくトップである。
「母上が???」
「ええ、ただし条件があるとのこと。それは―――」
「嫌だ!」
「孫犬丸様、奥方様とお会いに―――」
「嫌だ!」
「孫犬丸様・・・・」
俺の頑固さに呆れる重政。
だが、誰がなんと言おうと、俺は絶対に母とは会いたくない。
「はぁーーー、ですよねぇーーー」
重政も分かっていたかのようにため息を付く。俺自身もそうだが、重政も、大抵の家臣も、俺の母のことは苦手である。
母は何と言うか・・・怖い。いや、冷徹の一言に尽きると言って良い。
とにかく近寄りがたく、ほとんとど喋ったことはない。
将軍家に生まれたため気品が高く、教養もあって、おまけに美人。非の打ち所が無い女性で・・・でもとにかに他人と自分に厳しい。
女性だからあまり政治に関わることはないけど、それ以外の事なら何でも口出しをしてくる。別にそれが悪いとは言わないけど・・・言い方がキツく、上から言われるため、ほとんどの人が関わるのをやめてしまう。
俺自身も年に一回の新年の挨拶でしか話すことはない。それ以外の時は、なるべき会わないように避けてきた。
何よりも、俺ら息子に対しての愛情も感じない。
「はぁーーーー」
「お気持ちはお察しします。御館様以上に奥方様を苦手というのは分かりますが・・・これとない機会です」
「うぐっ」
重政の言う通りなのは分かっている。仮にも俺の父である人に会いに行くのは息子として当然であり、会うことで色々と今後に有利に働く。
「でも、あの母上だぞ。何を言い出すか。・・・そもそも、何故俺と会うことを条件にしたんだ?全く分からん」
「某も理解しかねますが・・・ここで行くしか選択肢はありませんよ」
「分かっている。分かっているが・・・」
気持ちが動かないな。天下を取らなければいけないのに、何でこんなところで尻込みしてるんだ。
「孫犬丸様」
「分かっている、大丈夫だ。行く」
俺はまだ余っていたお茶をグビッと一気に飲み干す。
「和尚、途中で止めてしまって申し訳ない」
「いえいえ、大丈夫でございます」
「では、某はこれで失礼する」
「・・・孫犬丸様。親への敬を忘れないことです」
俺は和尚さんの言葉に頷いて、そのまま部屋を出ていった。
小浜 後瀬山城近くの館
本当に足が重い。これから苦手な人と会わなければならなかったら、誰だってこうなるだろう。
「孫犬丸様、大丈夫ですか?」
「え、ああ」
和丸が申し訳無さそうな顔をしながら、和丸は隣を歩く。今回の全ての原因は、こいつにあると言っても過言ではない。
「お前のせいだからな」
「ま、、待ってくださいよ!自分だって一番最後に考えていた案なのですよ」
「つまりうちの戦術家は、それほどしか案が無いということか」
「孫犬丸様、意地悪すぎます」
俺だってこんなこといいたくないんだけど、不貞腐れているのは許してほしい。嫌なものは嫌なのだから。
「・・・それにしても、和丸は背が伸びたな」
「そうですか?まだ重政殿には全然敵わないぐらいですが・・・」
この時代では十分大きい方だ。あんだけ小さかった和丸がこんなにおおきくなって・・・ものすごく親戚のおばさん気分だ。
「孫犬丸様、着きましたよ」
一つ部屋の前で止まる俺達。俺は深呼吸をしてから、ゆっくりと声を出した。
「失礼いたします、孫犬丸でございます母上」
「入りなさい」
聞き馴染みのある声が中から聞こえてくる。俺は襖を開けて目の前の女性・・・この時代の俺の母親を見た。
長くて黒い綺麗な髪に、豪華な服―――よりも先に、俺の目に入ったのは、母が持っているもの―――いや、子供だった。
「あ、え、」
「早く座りなさい」
「ま、待ってください!そ、その子供は誰ですか!?!?」
「何よ、貴方の妹よ」
俺の緊張は吹き飛んで、代わりに完全に頭がパンクした。




