博士の再生計画
「どうだね、見たまえ田畑くん」
「なんですか?その試験管に入ってヌルヌルした液体は」
「フフフ、これぞ世紀の大発明だよ! なんとだな…」
「また若返り薬ですか?」
とある研究室に一瞬の沈黙が流れた。
試験管を持って助手を睨む老博士、それを無視する助手こと僕、田畑一朗。
「……田畑くん、話の腰を折らないでくれ」
「博士、これで何度目だと思ってるんですか? 103回目ですよ! しかも全て失敗。実験に付き合わされる僕の身にもなって下さいよ!」
「そうだったな。確か前回は肌がピチピチに若返る薬を飲んだが、逆に田畑くんの肌がピチピチに腫れ上がってて破裂しそうになったんだったな」
そんなことを言う博士は遠い眼でどこかを見つめていた。
おそらく僕がピチピチのパンパンになって破裂しそうになったときのことを思い出してるんだろう。
あの時博士は笑っていた。始めは涙まで出して必死に笑いを堪えていたが、パンパンになった僕と目が合うと堪え切れなくなって盛大に笑った。
「ぶふぉ!」
……博士が今吹き出した理由が何となくわかる。
「博士。今のはピチピチのパンパンに膨れ上がった僕のことを思い出したんですね?」
「い、いや、ソンナコトはないぞ。君がパンパンに膨れ上がったときは本当に心配したん……うっハハハハハハ! フヒヒヒヒヒ!!」
「笑わないで下さいよ!本当に死ぬかと思ったんですからね!」
「いや、フヒヒ。スマンスマン。君の必死な顔思い出したら笑いがハハハハ! まるで横綱みたいで……フヒッ、まあいいじゃないか。この私が天才的な頭脳を駆使して治してあげたんだから」
「時間が経ったら自然と元に戻っただけですけどね」
「あれ? そうだったか? ワハハハハハハハハハ!!!」
博士の笑い声で研究室の建物がひどく揺れた。
研究室のある地域で震度1の地震が観測されたのだがそれはまた別のお話。
「博士、いい加減に笑うのやめてください」
「うむ、いいだろう。ちょうど笑うのにも飽きてきたところだ」
そう言いながら、さっきの地震で頭上に落ちてきたフラスコを拾う。
博士の頭は落ちてきたフラスコのせいで漫画のようなコブを作っていたがそんなことはどうでもいい。
「田畑くん、どうでもいいとは何だね。どうでもいいとは。これ痛いんだよ、すごく」
「何でアンタは僕の考えてることがわかるんですかッ!」
この人は謎だ。この話はこのままエスパー物にした方がいいかもしれない。
「エスパーとか何とかは置いといて、本題に入ろうか田畑くん」
「……もういいですよ。突っ込むのも疲れました。で、本題っていうのはもしかしてまた僕がその薬の実験体になるんじゃないでしょうね?」
「よくわかったな、その通りだ」
博士は薬の入った試験管を僕に向ける。
「いやですよ。もうあんな危険な目はこりごりです」
「そうじゃな、では今回は私が飲むとしよう」
「!? ちょっと待って下さいよ! それで博士が死んだら真っ先に疑われるのは僕じゃないですか」
「ええぃ、うるさいわッ! この天才様が失敗なんてするわけないだろ。成功して、若返って、ギャルにモテてハッピーエンドじゃ」
「せめて遺書ぐらい書いてください」
僕が必死に止めるのも聞かずに、博士は試験管に口をつけて一気に流し込んだ。
試験管の液体は博士の口の中に滑るように入っていった。
「うっ、うがッ!」
すると、博士は呻きながら床に倒れこんでそのまま動かなくなった。
*
ああ、どうしよう。
僕は明日から犯罪者の汚名を来て生きていかないといけないのか?
『老博士、謎の死』
『犯人は助手』
『田畑一朗容疑者(27)はフラスコで被害者の後頭部を殴り、薬品で殺害。動機は……』
明日の新聞記事が頭の中を駆け巡る。
……そうだ、事件になる前に埋めてしまおう。確かスコップは倉庫にあったはずだ。
「おいおい、死体遺棄は立派な犯罪だぞ」
僕がいそいそとスコップを探していると、後ろに先程死んだはずの博士が立っていた。
「ひいぃ、ゆ、幽霊!?」
「馬鹿モン! ちゃんと生きとるわい。ほれ、足もちゃんとある。だがちょっとあの薬は不味かったな。あまりの不味さに気絶してしまったわい」
気絶するほどの不味さってどれだけ不味いんだよ、と思いながら僕は無罪ということに胸を撫で下ろした。
「てことは結局失敗したんですね」
目の前の博士は以前と全く変わらず、少しも若返ってなどいなかった。
「うむ、失敗したはずないんじゃが……」
「うわっ! 博士、髪が!」
僕は目を疑った、博士のツルツルの頭から黒々とした髪が生えてきたのだから。
それは驚きだった。僕が博士に初めて会ったときからその頭は日光に照らされてギラギラと輝いており、その輝きが失われることなど夢にも思わなかったからだ。
「おおっ、やったぞ田畑くん! 戦火を越えた焼け野原に新たな命の息吹が芽生え始めたぞ」
「下らないこと言わないでください。それになんで若返りの薬が毛生え薬になるんですか」
「馬鹿モン! ツルツルよりフサフサのほうが若々しいだろ。そんなことも分からんのか」
「そういうことじゃありませんよ! それにしてもいつになったら止まるんですか?」
そう、僕たちがワイワイと騒いでいる間も、博士の髪は止まる事無く伸び続けている。
小野小町もびっくりするぐらいの長髪になった博士は正直言って気持ちが悪かった。
そして怖ろしいことにもう僕たちの足元は博士の髪で埋まっている。
髪の毛はまだまだ伸び続け、もう部屋は博士の髪で埋め尽くされてしまいそうだ。
「いやー、ここまで伸びるとまるで漫画だなハハハハ」
「笑い事じゃありませんよ! 髪の毛で溺死なんて僕はいやですよ!」
髪の毛はまだまだ伸び続け、もう部屋は博士の髪で埋め尽くされてしまいそうだ。髪の毛で溺死、これもあながち嘘ではなくなるのではないか。
「まあまあ、こうも漫画みたいなんだから漫画のセオリーに沿えば解決するんじゃないのか?」
「漫画のセオリー? 確かに昔こんな感じの漫画があった気もしますが。漫画みたいにするなら抜け薬っていうのが妥当なところですかね」
「そうか、抜け薬か」
「あるんですか? あるなら早く使って下さいよ! もう髪が肩まで来てるんですから」
「いや、ない」
その瞬間僕の右足が博士の腹部を捉えた。
「蹴りますよ」
「イタタタタ、蹴ってから言わないでくれ。まあ、そんなに怒らないでくれ。抜け薬がないなら作ればいいじゃないか」
「じゃあ早く作ってください! ああ、口の中に髪がああああああ」
「任せておけ! 私は天才的な科学者だぞ……って髪の毛で前が見えない。実験器具はどこだ!」
「もがもご! もごごむもぎがもご! もごご? もごごもごご?(馬鹿野郎! もうやってられない! ドアは? ドアはどこだ?)」
髪の毛で窒息しかけた僕は、薄れ行く意識の中、何とか研究室のドアを打ち破り無事生還することができた。
あえて博士を助けよう、などという考えが1ミリも浮かばなかったのは正常な判断だったと思う。
*
「それにしても、すごい量の髪の毛ですね」
地面に広がる抜け毛の残骸を見ながら僕はつぶやく。
博士の髪の毛はあれから三時間ほど伸び続けた。
最終的に髪の毛は研究室だけでは収まりきらないボリュームだったので、隣の研究室や隣接する大学や食堂にまで伸びてしまったそうだ。
不幸なことにその髪の残骸については知らぬ存ぜぬを突き通そうとしたのだが、他の研究員の密告により晴れて研究所長から残骸の片づけを仰せつかったのであった。
「博士、そんなところでショげてないで髪を片づけるのを手伝って下さいよ」
僕がそういった先には頭が以前と同じツルツルの博士が体育座りでうつむいている。
幸いなことに、博士の髪の毛は伸びるとこまで伸びたあと、自然と抜け落ちたのだ。
当然、博士の頭には一本も残っていない。
「いいじゃないですか、もともとハゲだったんですから。」
「お前に私の悲しみがわかるのか? フサフサになってスナックの若いネーチャン達にモテモテになるという崇高な計画が崩れ去……ぐはぁ!」
僕の右足が博士のアゴを捉えた。
「蹴りますよ」
「イタタタタ、だから蹴る前に言ってくれって」
「さっさと手伝ってください。一人でこれだけ集めるの大変だったんですから」
「そうだな、私が悪かったよ。よしッ、田畑くんはこのスポーツドリンクでも飲んで休憩しててくれ、残りは私がやろう」
「博士もいいトコあるんですね」
そう言いながら僕はベンチに腰掛けてスポーツドリンクを渇いた喉に一気に流し込んだ。
「いや、田畑くんにはずいぶん迷惑を掛けたからね。ところでそのスポーツドリンクはどうだい、美味しいかい?」
「ええ、すごく美味しいですよ」
「ならよかった。改良を加えたおかげだな」
「え!? も、もしかしてこれって……」
「その通りだ、味に改良を加えた若返りの薬さ!」
まさかの事実に血の気が引いていくのがわかった。
クソッ、博士を信用した僕が馬鹿だった。
「また毛生え薬ですか!? あんなにフサフサになって喜ぶのは博士だけですよ」
「いや、今度のはちゃんとした若返りの薬だ。それに分かったんだよ、私より君のほうが実験体に向いてるってこと……ぐへぇ!」
「殴りますよ」
「だから、殴る前に言えって言っただ……ぐはぁ!」
「ちくしょぉぉおおお! この馬鹿博士がッ!!」
「おや、田畑くん。声が高くなってきているぞ!若返ってきてるんじゃないのか!?」
「うるせええええ!!!」
とある研究室は今日もまた騒がしい空気に包まれた。
【完】
「はあはあ、血に包まれるかと思ったよ、田畑くん」
「待てええ! 逃げんな!」
博士の作ったスポーツドリンク風の薬はヘリウム程度の効果しかもたらさなかった。
だが、僕の声はずーとハイトーンのままで、逃げ回る博士を高い声のまま三日三晩も追いまわす羽目になったのだった。




