されど風車は虚しく回る
世の中には実に色々な人がいると言うけれど、私の目の前にいるこの人はそんな中でも変人に分類されるような人だ。
村の外れにあるオンボロ小屋で朝から晩まで窓際の椅子に座って、物憂げな顔で楽器をやったり詩吟をやったりしてる。
この辺りじゃあまり見かけない黒色の髪、それとは反対に色白の肌。すらりと通った鼻、形のよい唇。
黙っていれば恰好良い男の人なのだけれど、そう、黙っていればね。
「何だ、ビッチ。さっきからブツブツと。口を動かす暇があったらもっと手を動かせ、役立たず」
そう、この変人は口を開けば悪口雑言がついて出てくる。つまりその美麗な容姿や仕草に相反してまるで胸の内に悪魔でも棲んでいるのではないかと思えるぐらいに性格が悪い。
人使いも荒いし、労いの言葉なんて聞いたことが無い。
そんな性悪男の世話をする、それが今の私のお仕事。だから今、私は彼の肩を揉んだりなんかしている。
「おいビッチ。さっきから心が籠って無いぞ。腐れ女は肩揉みすら満足に出来ないのか」
「それはすいませんでしたね。それに何ですかさっきから私のことビッチビッチって」
「へっ、女はみんなビッチって決まってるんだよ」
下品低劣卑猥……この男の頭の中はそんなものばっかりがぎっしりと詰まってるんだろうな。
「そんなの偏見です。というか名前で呼んで下さいよ」
「ああ? お前の名前って何だっけ」
「ロッシュです。もう一カ月も経ってっるんだからいい加減覚えて下さいよ!」
あ、申し遅れました。私、ロッシュって言います。
理由あって、ひと月前から住み込みでこの変態男のお手伝いをやってます。
主な仕事内容は食事掃除洗濯……など、彼の身の回りの世話なのですが、見ての通りこの変態に振り回される毎日です。
形式上は村長さんが私の雇い主なので、お給金の方はちゃんと村の方で払って頂いているのです。さすがにこんな変態の下で只働きするもの好きはいませんよ。
あとお尻触られたりとかは無いですが、常日頃から下劣卑猥な罵詈雑言が浴びせられるのでここでの仕事が長続きする人はほとんどいないそうです。
私の前にいたお手伝いさんはなんでも二週間でやめたそうで……うん、わかりますよ、そのやめたくなる気持ち。
「ロッシュね、ロッシュ……覚えづらいからビッチでいいだろ?」
「ダ・メ・で・す!」
「ったく、コロコロ変わるビッチの名前覚えたところで意味ねえだろうが」
「何ですって! 私だってもっといい仕事があればこんなお手伝いなんてすぐやめてやるわよ」
「へっ、でもやめれないんだろ」
「う、それは……」
そう、最初はこんな仕事で大した稼ぎになるとは思って無かったんだけど、先日、今月分のお給料の額を見てみたら……驚いた。
どうして村はこんなただの変態にこれだけお金を掛けたがるのよ。
確かにあの常日頃の精神攻撃を考慮したらちょっと多く貰わなきゃわりに合わないんだけどさ。それでもこの額は多すぎよ。もしかしたら村会議員級のお給料を貰ってるんじゃないの、私って。
あーもう、これだけ儲かる仕事なんてそうそうないわよ。だからやめるにやめられないっていう矛盾、心の葛藤。
「おい、ビッチ。お手てがお留守だぞ」
「あ、はいはいすいません」
って、ビッチじゃないって言ってんだろうが。この変態野郎。
そんな感じで怒りを込めながら変態野郎の肩をぐいぐいと揉んでいると、ふと、窓の外の景色に心を奪われた。
立ち並ぶ風車が真っ赤な夕焼け空に包まれ、周りの景色と混ざっていく。そんな光景を私はすごく美しいと感じる。胸のどこかで何かが騒ぐ、そんな感じがする。
「……おい、また手が止まっているぞ」
「あ、すいません。ちょっと外の景色に見とれてて」
「景色?」
「ええ、ここから見える風車が夕日と一緒になって混ざっていく瞬間が好きなんですよ、私」
「ふっ、俺にとってはただ耳障りな風車だよ」
そう言って、彼は窓の向こうのどこか遠くを見つめる。正確に言うと、彼は何にも見ていない。いや、何も見えていないのだ。
この稀有な変態がこの若さで私みたいな身の回りの世話をするお手伝いを必要とする理由はこのことに起因する。
彼の目はまったく光を通さないのだ。つまりは盲目。
彼がいつからそうなったのか、そもそもどうしてこんな村外れの小屋にいるのか、村はどうして彼をこれほどまでに手厚く世話するのか、そんなのは一切知らない。
私が知っているのは、キファーノと言う彼の名前くらいのものだ。それ以外は知らないし知ろうとしたことも無い。だって私はご主人様、私はお世話役、それ以上でもそれ以下でもないからだ。
だから彼の弾く楽器や謡う詩吟を上手いとか凄いとか思ってもそれについて「どうして」と尋ねる権利も理由も私には無いのだ。
「肩揉みはもういい。俺はもう寝る」
そう言って、椅子から立ち上がろうとする彼を私は横から支える。彼は腰元からぶら下げている剣を左手で大事に握りながら、寝室へと足を進める。
彼はその剣をひどく大事にしている。他人に触れさせることは決してない。それについても私が「どうして」と聞くわけにはいかない。
私は彼をベッドの上に寝かせると、部屋の明かりを消してそのまま自分の部屋へと戻って行く。彼の世話、それだけが私のお仕事。
*
どうもロッシュです。今日はあの変態キファーノさんは出かけてていません。
朝、村のお偉いさん方がやって来てキファーノさんと何かお話した後にそのままどこかへ出かけていったのです。
だから、私は今、この久々に得た束の間の休息を満喫しているのです。
さて、窓際に腰かけてアフタヌーンティーと洒落込みましょう。ラジオをカチャカチャと回して巷で流行りの音楽を聴いて身も心もリフレッシュです。
ふと昼時の睡魔に襲われますが寝てはダメです。キファーノさんがいつ帰って来るかも分からないのに昼寝なんかしちゃったら、キファーノさんに見つかったとき何を言われるか分かりません。
『何だ、ファッキンビッチ。食って寝て食って寝て、そのままぶくぶく肥って豚になっちまうぞ。ああ、でもお前はもう雌豚ビッチだから関係ねえか、ケケケ』
とか何とか言うに決まってます。だから、何としても寝るわけには、ねるわけに……。
「おい、ビッチ。ご主人様が帰って来たってのにブーブーいびき掻いてんじゃねえよ」
そんな罵声で私は叩き起こされた。あちゃあ、寝てしまったか。
「あ、ごめんなさい……ってどうしたんですか、その恰好!」
私が驚いたのは無理もない。帰って来たキファーノさんの恰好はどうしたら一日でここまで汚すことができるのかと言うぐらいドロドロに汚れていたのだ。
「何でもねえよ。俺はもう疲れたから寝る」
「そんな、せめてお風呂に入ってからにして下さいよ」
「ビッチのくせにうるせえな。俺が寝てる間にお前が拭きゃあ良いだろうが。ビッチは得意だろ、そういうの。あと、服が土とかで気持ち悪いから綺麗に洗っとけよ」
彼はそう言うと、私の肩に負ぶさった。私はその泥臭さに息を堪えながら彼を寝室に運び、服を脱がせてベッドに寝かせた。
洗面器にぬるま湯を張って持って来た時にはもう大きないびきをかいていて、私が濡らしたタオルで体をごしごしと拭くのもお構いなしにひたすら眠り続けたのだった。
ドブネズミのように汚れた服はよく見てみると血の塊みたいなのがこびり付いていたけど、何かの見間違いだと思うことにした。何かの事件に巻き込まれたらたまったものじゃない。
夕焼け空が全てを赤く染め上げようとしている中、私は洗濯板にごしごしと汚れた服を擦りつけているのだった。
*
こんにちは、ロッシュです。今日は市場に買い物に来ています。
夕食の材料を買いに来たはずなんですけど、気が付いたらもう日がどっぷりと沈んじゃってます。はわわ、これじゃ完全にキファーノさんに怒られる。
『飯も作らずご主人様をほったらかすなんて、最近のビッチは良い御身分だな。どうせブヒブヒ言いながら拾い食いでもしてたんだろ』
で、でも、こんなに遅くなるまで出かける羽目になったのはキファーノさんにも原因があるんですよ。
『おい、ビッチ。市場に行くなら俺が今から言うもの買って来い』なんて言うから、彼の言うものをカリカリと紙に書いて市場に出かけたのだけど、全然見つかんないわ量が多いわで市場中を駆けまわってたらもうこんな時間になってしまったのだ。こんなお使いのせいで裏市の怪しげなお店とかにまで足を運んじゃったじゃないのよ。
どうせこのまま帰っても『なんだ、お使いも満足に出来ないのか、この腐れビッチ』とか何とか言うんでしょ、あの鬼畜主人は。
ああ、でも言われたものもようやく揃ったしとりあえずは戻れるわ。
「あ、ここからだと風車がこんなに近くに見えるんだ」
市場のすぐそばに風車が立っているから、あんな村外れの小屋から眺めるのよりもずっと大きい。
日暮れに見る風車は真っ黒な姿でそびえ立っていて、まるで大きな生き物のようにも見えた。
「んー、やっぱり夕焼け空じゃないとダメよね。何だかちょっと不気味な感じもするし」
目線を風車から薄暗い足下に戻して、私は荷物の重みをひしと感じながら市場を後にした。
「にしても暗くなっちゃったな。ランタンか何かあればよかったかな。夜道って何だか怖いし」
そんな独り言を呟きながら歩いていると、突然ズシンと大きな音が背後から聞こえてきて、市場の方が急に明るくなった。
「な、何があったの……って、嘘」
私が振り返ると市場から真っ赤な火の手が上がっていた。そして風車があったところには咆哮を上げる巨大な生き物がそびえ立っていたのだった。
続いて人々の悲鳴が上がって、その悲鳴は音の渦となってこっちに押し寄せてきた。
「ちょ、ちょっと待ってよ」
そう、押し寄せてきた音の波は市場から逃げてきた人々だったのだ。
ちょ、ちょっと私にはこの状況が何なのかさっぱりよ。何か大きな音がしたと思ったら、市場は燃えてるし大きなのはいるし、私はいったいどうすればいいのさ。
突然の出来事に混乱しながら、咄嗟に私は逃げ惑う村人の一人を捕まえる。
「ちょ、ちょっと、何があったんですか。それにあの大きなのは一体」
「俺も分かんねえよ。急にあのデカい竜みたいなのが飛んできて市場の一角を踏みつぶしちまったんだよ。そんでどっかから火の手が上がって……ああ、もうあんたも早く逃げろよ!」
村人はそう言うと私の手を払いのけて再び市場とは逆の方向に走り出した。
そ、そうね、私も逃げなくちゃね。背に腹は変えられないからこんな重い荷物はそこらに置いといて、と。よし、逃げよう。
私は思いっきり走り出した。そしたら……。
「ぶふっ!」
そう、走り出したとたん誰かにぶつかって、そのままひっくり返ってしまったのだった。
「誰ですか。こんなところでに立ち止まらないで下さいよ」
「そりゃあ、悪かったな。ファッキンビッチ」
その声には聞き覚えがあった。というか人に向かってファッキンビッチなんて言うのはあの人以外にいない。
「キファーノさん! 何でここに……」
「ああ? ファッキン召使いがいつまで経っても帰って来ないからわざわざ迎えに来てやったんだろ、ビッチ」
何よ、ファッキン召使いって。あんたが変なもん買いに行かせるから遅れちゃったんじゃない。
「というか、よく一人でここまで来れましたね」
「ふっ、舐めるなよ、ビッチ。たとえ目が見えなくても鼻と耳があれば一人でも出歩けるさ」
そうだったのか。何気に凄いなこの人は。あれ、それじゃ……。
「それじゃあ、いつも私がベッドまで運んでたりしたのは何か意味があったんですか!?」
「あれは俺が楽をするために必要なことだ。召使はご主人様が楽をするためなら何でもするもんだろ?」
何よ、こいつ。じゃあ、今まで私が担いだり支えたりしてあげたのは全部自分が楽をするためだったのね。ああ、ムッカつく。
「そんなことより何だ、この騒ぎは。五月蝿くて寝れやしねえ」
「あ、そうそう。市場に竜が出たんですよ。それにどこかから出た火で市場も燃えちゃって」
「は? 竜だと。ビッチ、お前ももっとましな嘘をつけよ」
「え、嘘じゃないですって。本当にあそこに竜が……」
「いくら腐れビッチでも、盲目をからかうのは感心せんな。どうせ風車が火事にでもなってんだろ」
そう言うとキファーノさんは竜の方に向かって歩き始めた。
「ちょ、ちょっと待って下さいよ! 危ないですから逃げましょうって」
私はキファーノさんを引っ張って必死に止めようとするけど、彼はそんなこと関係なしにズンズン進んで行く。私はそのままズルズルと引き摺られる。一体この細い体のどこにそんな力があるのよ。
逃げ惑う人たちとは真逆の方向に向かって彼と私はスタスタと歩いて行く。
気が付けば、もう竜とは目と鼻の先という距離まで来ていた。
燃える市場の火は空を紅く染め上げ、その空の真下では悪の化身のように凶暴な竜がどんとそびえ立っている。
「ちょ、今ならまだ間に合いますから引き返しましょうよ」
私が涙目になって懇願するけど、目の前のこいつは聞く耳持たずだ。
「ね、逃げましょうよ。命を粗末にするのはダメですよ、ね?」
「うるさい女だな。それにいい加減離れろ、ビッチ」
男の無謀を止めるべく必死にしがみついていたか弱い私を、あろうことかこの男は振り払ってドンと突き放したのだ。本当に最低な男。
「いいか、お前らクソどもは恐怖で目の前が見えなくなってんだよ。そんなチキンどもに俺が現実を見せてやるよ」
そう言うと、彼はいつも大事そうに腰からぶら下げている剣を鞘から引き抜いた。
「ビッチ、お前はそこで指でもしゃぶって大人しくご主人様の雄姿を眺めてるんだな」
彼はそのまま竜に近付いて行った。
ああ、もう分かったわよ。もう止めないわよ、勝手にやればいいじゃない。いいわよ、あんたが言うようにじっくり見てりゃいいんでしょ。
私は近くの安全そうな物陰まで移動して、彼の様子を眺めることにした。
さも勇敢に竜に立ち向かう彼だが、その剣はどう見ても切れそうには見えない。
いくら夜と言えども刃先は輝く素振りすら見せない。むしろ、真っ黒に濁った感じ。よく見るとあれは血で汚れているのか、だから黒く濁って見えるんだろうな。
血。ふと、私はこの前、彼がドロドロに汚れて帰って来た時のことを思い出した。もしかして彼は私の知らないところでかなり血生臭いことに巻き込まれているんじゃないだろうか。
と、そんなことを考えていると彼はもう竜のすぐ目の前にいた。そして切れそうにない剣をゆっくりと振り上げて、そのまま竜の足に突き刺そうとした。
そんな無茶な。竜はいかにも硬そうな鱗で覆われてるんだから、そんなどうやっても切れないような剣じゃ剣の方が負けてポッキリいっちゃうよ。
でも、私のそんな心配は無用なものだったことがすぐに分かる。
「ど、どうして」
剣は黒光りする鱗と鱗の間に入り込んで、ずぶりずぶりと深く深く竜の身に突き刺さっていたのだった。
竜は悲鳴のような咆哮を上げたけれども、彼はそんなこと気にも留めずニタリと笑ってそのまま剣を引き抜いた。傷口からは真っ赤な血がドロドロと流れ出す。
すかさず彼は竜の体をよじ登る。足の痛みのせいでさっきから竜は暴れ回っているようだけど、彼はすいすいと駆け上がって行く。
落ちそうになったら剣を竜の体に突き立てて、体勢を整える。そしてまた登って行く。
そんなことが何度も繰り返されるものだから竜の痛みは尋常ではないようで、叫びも暴れ具合もますますヒートアップしていた。
激しい痛みに首を振り、あちこちの木々や岩にぶつけ、空と大地が割れそうなぐらいの声で叫び続ける。もう、その様子は何だか人間の私が同情するくらい痛々しい。
も、もしかして、彼はわざとやってるんじゃないだろうか。彼はもう結構高いところまで登っているからその表情はわからないけど、たぶんニタリと下品な笑顔を放っているんだろう。
まさに鬼畜だ。というか何者なんだろうか彼は。
さあ、彼はもう竜の頭頂部まで登って来ていた。これから彼が何をするのかは分からないけど、おそらくとんでも無いことが起きるんじゃないだろうかと私は踏んでいる。
竜と対等にやり合う常人離れの彼だけど、あれだけ剣を突き刺してもまだ生きているこの生物のタフネスさにも驚嘆の声を禁じえない。
だから流石の彼でもこの竜の息の根を止めるのには一筋縄ではいかないんじゃないだろうか。それに……。
竜はさっきからまるで頭の上にいるゴミを振り落とすようにギュンギュンと首を振り回している。彼は振り落とされまいと竜の鬣なんかを掴んでいる。
つまりは足場が極端に悪いわけだ。
確かにいつまでも足元ばかり攻撃しても決定打にはならないだろうけど、どんどん上に登ったところで振り落とされるかもしれないんだから結局無駄だったんじゃないかな。
でも、私のそんな考えなんて無視するように彼は竜の眉間の辺りに剣をずぶりと突き刺した。
すると竜は大地を震わす断末魔のような咆哮を最後にぴたりと動きを止めた。
「え、そんなあっさり……って」
息絶えた竜の大きな屍はそのまま崩れ去るようにして倒れ始めた、私の方に。やばい、逃げなきゃ潰される。
私は必死に逃げた。倒れ来る巨大な亡骸から必死に逃げた。高鳴る鼓動、背中を流れる嫌な汗、悲鳴を上げる前身の筋肉、それでも私は走った。
ズシンと地響きのような音を上げて、屍は地面に崩れ落ちた。
その巨大な屍と私との距離、有に1メートル。危なかった、けど無事に生還できた。
「やった、助かった……ケホッケホ……って、何よこの土煙、ゲホッゲホ」
私は竜の死骸が捲き上げた土煙のせいで盛大に咳き込んでしまった。ああ、目に砂が入って痛い。ちょっと早くこの土煙の中から出なきゃ。
「おい、ビッチ。ご主人様を置いて逃げるとはいい度胸だな」
「へ?」
舞い上がる土煙の中から現れたのは、血でドロドロに汚れたキファーノさんだった。
てっきりさっきの衝撃に巻き込まれて死んじゃったのかと思ったけど、生きてたんだこの人。
ま、とにかく私は彼の手を引っ張って土煙の中から何とか脱出した。
「はあはあ、やっと出れた」
「ったく。お前、俺が出てこなかったら本当に一人で逃げるつもりだったろ」
「いえ、そんなことはないですよ。後でちゃんと亡骸を探そうとか思って……あ、しまった」
「……クソビッチが。まあいい、疲れたからちょっと背中貸せ」
「はいはい、わかりましたよ」
そう言って私は彼を背負って、村外れの小屋へと足を進めた。市場の火事はもう静まってるみたいだし竜の死骸も他の人が何とかしてくれるでしょ。
だから私は後ろを振り向かずに歩き続けた。本当のことを言うと、背中の彼がもの凄く機嫌が悪そうだったから怖くて振り向けなかっただけだったんだけど。
「あの、一ついいですか?」
「……何だ、腐れビッチ」
「さっきの竜って最後あっさり倒れましたよね。最初は何度刺しても倒れなかったのに」
「ふん、あれか。いいか、どんなに図体がデカい奴もタフネスな奴も頭をやられたらお終いだ。だからあのウスノロの頭蓋骨かち割って、足りねえ脳味噌ぐちゃちゃにしてやっただけだ」
「脳味噌ぐちゃぐちゃって。うええ、何か気持ち悪くなってきた」
「お前は脳味噌空っぽだからそんなの関係ねえけどな」
う、相変わらずこいつは口が悪い。ああ、もうここに置いてってやろうかな。
それにしても、目が見えてないのにあの素早い身のこなしや剣の使い方は只者じゃないよね。まるで結構手慣れてるみたいだったし。
「あの、もしかしてこの前、ズタボロに汚れて帰ってきたときも今日みたいなことがあったんですか」
「質問は一つしか許可してないぞ、ビッチ」
ふんだ、何だよケチ。ちょっとぐらい教えてくれてもいいじゃん。
すると後ろから淀んだようなため息が聞こえてくる。ああ、ため息が首筋に当たって気持ちが悪い。
「お前らは目が見えてるせいで真実が見えてないんだよ」
「え?」
「なまじ目が見えるから敵を大きく見過ぎる。目で見た恐怖とかそんなんが敵をぶくぶくと大きく膨らませちまう」
「で、でも、あんなのが出てきたら怖いに決まってるじゃないですか」
「だが、現実はそんな大したことは無かったろうが」
「それはそうですけど」
「自分が創った恐怖像に怯えて、腰が引ける。それで手も出せやしないとなったら、それこそお笑い草だ」
気が付けば、彼は私の背中の上で寝息を立て始めていた。まるでさっきまでの邪気に満ちた発言とは裏腹の安らかな寝顔だった。
「偉そうなことを言う割に、寝顔は無垢な子供みたいなんだよな」
私は村外れの小屋へと続く長い坂路をゆっくりと登っていた。
*
あの事件があってから一週間、村は何の変化もありません。
市場はすぐに復興したし、竜の死骸は適当に片づけられてもう噂にすら上ってこない。
「何だか面白くないですよね」
「別にいいじゃねえか、誰が覚えてようが忘れようが。平和が一番だろ」
「平和が一番って、キファーノさんに一番似合わないことばですよね」
「何だと、ビッチ。そもそも馬鹿どもは真実を見ようとすらしてねえんだろ。自分に都合のいい虚像の方がずいぶんと楽なもんだからな」
「でも私はあんな怖い体験忘れられそうにないですけどね」
「じゃあお前が覚えてりゃそれでいいんじゃねえの」
「そういうことじゃないんですよ」
「ま、どうでもいいが、また怖い体験を味わいたくなかったらこんなとこでぶー垂れてないでさっさと働け、クソビッチ」
そう言ってこの腐れ下衆野郎は腰の剣に手をかける。わ、わかったわよ、しゃきしゃき働きゃいいんでしょ。
私は逃げるようにして洗濯物を外に干しに行った。
「でも本当にすべてが幻だったみたいだよね」
晴天の下、世界はいつも通りに回っている。
私はふと遠くの方を見た。するとそこには風車がゆっくりクルクルと回っていた。
あの風車も私と同じですごい近くでアレを見てたはずなのに、いつも通りに回っている。まるで何も無かったかのように。
これから彼と一緒にいれば同じように事件に巻き込まれて、それでも世界は何事も無かったように回るんだろうか。
まあ、でもそれもいいのかな。
ご主人様とお世話係の関係がずっと続いて前みたいな事件に巻き込まれて、それでも同じように毎日が回る。
そんな毎日。真実も虚像も入り混じった、風車のように変わらずクルクルと回る毎日を私たちは生きている。
(了)




