『君に出会う前の夏』第3話『小さな命』
補習が始まって一週間が過ぎた。
毎日続く勉強と暑さに、少しずつ体は悲鳴を上げ始めていた。
それでも私は、休もうとは思わなかった。
休めば周りに迷惑をかける。
先生にも、親にも、友達にも心配をかけてしまう。
そう思うと、「大丈夫」と笑うことしかできなかった。
その日の補習を終え、私はいつもの帰り道を歩いていた。
照り返すアスファルトからは熱気が立ち上り、吹き抜ける風まで生ぬるい。
耳に届くのは、どこまでも響くセミの声。
相変わらず、その声は少し苦手だった。
生きようと必死に鳴いているようで、今の私には眩しすぎたから。
俯きながら歩いていると、不意に足元で小さな羽音が聞こえた。
視線を落とす。
そこには、一匹のセミがアスファルトの上でもがいていた。
何度も羽を動かしているのに、うまく飛び立てない。
強い日差しの中、小さな体だけが必死に動いていた。
「……こんなところにいたら。」
私は気づけばしゃがみ込み、そっと両手でその小さな命を包み込んでいた。
驚くほど軽かった。
ほんの少し力を入れただけで壊れてしまいそうなほど、小さな命だった。
近くにある公園の木まで歩き、静かに幹へ移してあげる。
セミはしばらく羽を震わせると、私の方を見上げるように止まったまま動かなかった。
「頑張れ。」
思わず、そんな言葉が口からこぼれる。
しばらくして、セミは小さく羽ばたき、青空へ飛び立っていった。
その姿を見届けると、胸の奥が少しだけ温かくなった気がした。
「……無事でよかった。」
それだけを呟いて、私は家へと帰った。
その夜。
疲れ切ってベッドに倒れ込むと、私は不思議な夢を見ることになる。
木漏れ日の中で、一人の少女が優しく微笑んでいた。
「やっと会えた。」
その一言だけが、妙に心に残った。
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