『君がくれた夏』第18話『葵の秘密』
美琴の家から少し離れたところにあるバス停で、私たちはバスを降りた。
家までは、あと少し。
けれど、さっきまでの楽しかった会話はなくなり、二人の間には静かな沈黙が続いていた。
しばらくして、葵がゆっくりと口を開いた。
「美琴……私の話を聞いてほしい」
私は葵の顔を見る。
その表情は、今まで見たことがないくらい真剣だった。
「葵の話なら、なんでも聞くよ」
そう言うと、葵は小さく頷いた。
そして、一度深く息を吸ってから、震える声で話し始めた。
「私……普通の人間じゃないの……」
葵の目には、今にも溢れそうな涙が浮かんでいた。
「もう……時間があまり残ってないの」
私は黙って葵の言葉を聞いていた。
「私の正体はね……美琴が助けてくれた、あのセミだったんだよ」
「……え?」
頭の中が真っ白になった。
「あの時、美琴が助けてくれたセミ。あれが……私だったの」
葵は涙を堪えながら、ゆっくりと言葉を続ける。
「セミが生きられる時間は、長くても二週間くらいなの。私が美琴に助けてもらった時には、もう一週間くらい経ってた……」
「だから、あの時から私に残されていた時間は、あと一週間くらいしかなかったの」
私は何も言えなかった。
「私が『葵』って名前を名乗ったのも、あの日が理由なの」
葵は空を見上げるようにして、少しだけ笑った。
「あの日、美琴が私を助けてくれた時の空……雲一つない青空だったでしょ?」
「その空がすごく綺麗で……だから、そこから名前をもらったの」
「『青い』っていう意味を込めて、私は『葵』って名乗ったんだ」
「だから……私には苗字がなかったの」
その言葉を聞いた瞬間、私は気づいた。
バスの中で感じていた違和感。
葵が「また遊ぼうね」と言った時に感じた、あの小さな引っかかり。
――「また」が来ないような気がした理由。
それは、葵自身がもう知っていたからだった。
私たちには、「また」が残されていなかった。
「……そんなの……」
声が震えた。
こんな別れ方なんて、あんまりだ。
たった四日間だった。
それなのに、葵と過ごした時間は、私にとって何より大切なものになっていた。
葵が寂しそうな顔をしていたこと。
私と離れるのを怖がっていたこと。
それを思い出すだけで、胸が押しつぶされそうになる。
私は涙を堪えながら、葵に言った。
「……せめて、最後の時まで一緒にいよう」
その言葉を聞いた瞬間、葵の目から涙がこぼれた。
「美琴と離れたくない……」
葵は泣きながら続けた。
「この先もずっと一緒に生きて、死ぬまで一緒にいたいよ……」
「また、この四日間みたいに遊びたいよ……」
それは、葵の心の奥から溢れ出した、本当の気持ちだった。
私も気づけば、葵を抱きしめていた。
葵の温もりが伝わってくる。
私は泣きながら、葵に言った。
「葵と出会ってから……人の温もりを教えてもらった」
「今まで何も感じられなかった世界に、色がついたみたいに感じたんだ」
「この四日間、本当に楽しかった」
「私、初めて好きになれたんだ……」
「葵のことも、夏のことも……セミのことだって」
言葉にするたびに、涙が溢れてくる。
それでも私は続けた。
「だからさ……最後の時間になるまで、旅行の振り返りとか、いろんな話をしよう」
「ずっと泣いていて、泣いたまま時間が終わってお別れなんて……葵も嫌でしょ?」
葵は涙を拭きながら、小さく頷いた。
私は葵と出会ってから、自分の気持ちを少しずつ言葉にできるようになっていた。
だからこそ、今の葵が本当に望んでいることも分かる気がした。
きっと葵が望んでいるのは、涙だけのお別れじゃない。
最後の瞬間まで、私と一緒にいること。
二人で過ごした時間を、最後まで大切にすること。
私たちは頑張って涙を拭いて、もう一度顔を見合わせた。
「……葵」
「うん?」
「あと、どれくらい生きられるの……?」
葵は少しだけ目を伏せてから答えた。
「……今日の日付が変わるまでだよ」
私はスマートフォンを取り出した。
表示されていた時刻は、夜の八時。
「……あと四時間」
残された時間は、たった四時間だった。
でも、私たちは顔を見合わせた。
「……この四時間、悔いが残らないように過ごそう」
「うん」
それから私たちは、美琴の家へ向かった。
家に着くと、私たちは部屋に座り、これまでの四日間を振り返った。
遊園地で乗ったアトラクション。
夜のプラネタリウム。
ログハウスで食べた夏野菜のカレー。
都会を歩き回った二日目。
ひまわり畑。
夏祭り。
花火。
そして、今日の海。
カメラに収めた思い出の写真を一枚ずつ見返した。
お揃いで買った白いクマの人形。
二人で選んだ、ひまわりのペンダント。
どれも、私たちにとって大切な思い出だった。
「この時の美琴、すごい顔してるよ〜」
「葵だって笑いすぎでしょ」
そんな他愛もない会話をしながら、私たちは何度も笑った。
そして、寂しくなるたびに、私たちはお互いを抱きしめた。
「もう少しだけ……こうしてたい」
「うん……」
その間にも、時間は刻一刻と過ぎていく。
時計の針は、静かに進んでいた。
そして――
時計が示していた時刻は、午後十時三十分。
日付が変わるまで、残された時間はあと一時間半だった。
私たちはもう一度、顔を見合わせた。
残された時間は、少なくなっていた。
それでも――
最後の瞬間まで、二人で笑っていよう。
そう思っていた。
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