5・僕の選択と赤い毛糸玉の行方
翌日普通に登校できた。
結果として昨日は大変だったが、今日は平凡な日常が帰ってきたと思えた。
鼻はシップと痛み止めで抑えられていると言っても、ズキズキとして不快な感じは抜けなかった。
処方された痛み止めを飲むと緩和されたが、授業中眠くて仕方なかった。
昨日と異なる点は、ついに問題の起点となった赤い毛糸玉が今目の前にあるという事だ。
一見して、いやいろいろ触っても特に何の変哲もない毛糸玉なのは変わらない。糸先もあるし、引っ張れば普通にほつれて使えそう。
さて、どうすべきか?
1・全部ほどいてみる
2・さっさと捨てる
3・一部をほどいて持ち歩く
古賀澤さんとの縁に関しては、パッと手放せるものではない。
本人曰く大丈夫と言われても、ケガをさせてしまったことは事実だ。
何となく犯人特定に関しては、生徒会長に知られたようだが、そこから情報が拡散された感じでもないし、駅員もどうやら緘口令が敷かれたのか、学校から協力要請が出たのかわからなかったが、僕に特定されてつるし下げられることもなかった。
だからと言って図々しく古賀澤さんにまとわりついていいという訳ではない。
生徒会長の干渉は、古賀澤さんを守るのは当然としても、僕にも気を使ってくれたような気がしなくもないわけではない。
結局、僕の結論は、あまり誰にも言っていない特性を生かしたものであった。
母は手芸が趣味だった。
毛糸さえあれば、セーターも手袋もマフラーも作ってくれた。
「私の故郷では、だいたいのことは毛糸で編んでつくったものよ…」
母は実家のことを話してくれることは殆どない。だけど、そのすべてを捨てた訳でも無さそうであった。
ネットもゲームも無い僕は母に教えてもらって手芸を身につけた。
役に立つことは多く無かったが、解れても使わなければならない制服や体操着の補修は自分でやった。
と言う事で、赤い毛糸玉を使い、クマのキーホルダーを編んでみた。
中々よく出来たと思う。
男子生徒が赤い毛糸のキーホルダーとか笑えるかも知れないけど、もし又古賀崎さんに会うことがあったら、気付いて貰えるかなとか淡い期待もあった。
母から「珍しいわね?健一がゼロから編み物なんて…」と言われてドキッとしたが、ちょっとね…と適当に誤魔化したら、何かを察したようにニコニコして黙ってしまったので、それはそれで少し困った。
次の日、登校する僕のカバンに少し目立つ赤いクマが揺れている。
桜並木を歩いて、学校の校門前に到着する。
やっぱりそんな都合よく古賀澤さんには会えないか…と思っていると、チリンとクマに仕込んだ鈴が鳴る。
ちょうど黒塗りのハイヤーが校門前に着けて、中から松葉杖と共に古賀崎さんが出てきた。
何というタイミングの良さだろう…ちょっとうれしくなるけど、僕から声を掛けるのは憚れた。
憚られたけど、立ち止まって見入ってしまった。相変わらず古賀澤さんは美しい。周囲の通学中の他の生徒も皆が注視する。
そんな中、古賀澤さんは僕を見つけるとニッコリ笑い「おはよう」と言った。
僕は信じられなくて、周囲を見渡したが、どうみても僕に向けているとしか思えない状況がそこにあった。
「えっと…あの、お、おは、お、おはようございます…」
返事を返さないのは失礼だと思い、詰まりながらも頑張って応える。
ハイヤーから降り立った古賀澤さんは松葉杖を着いてちらとハイヤーの未だ開いたままの扉の中に目線を送る。
意図は理解できたけど…僕なんかが出しゃばっていいのか困惑していると、古賀崎さんが少し悪戯っぽい顔をして「手伝ってくれるかしら?国木戸君」
明確に名指しされてしまった。
昨日まで貴方と呼ばれていたのに…ああ、そうか、生徒会長が僕に名乗らせていたっけ…古賀澤さんに名前を憶えてもらえるなんて…
っていけない、感傷に浸っている場合ではない。ハイヤーに近づき後部座席から美しく磨かれた革製の通学かばんを取り出す。
「ありがとう」やさしく微笑む古賀澤さんが手を差し出すが、杖をついて歩くのは困難だろう…思い切って「あの、え、と……き、きょ、教室までお持ちします…」と言ってしまった。
古賀澤さんは少しだけ驚いた顔をして「うれしい、よろしくね」と言ってくれた。結構ですと断られたら恥ずかしくて倒れるところだ。
いや、カバン持って隣を歩くのも衆目の的で恥ずかしいが、役に立てていることが嬉しいが先に立つ。
僕は邪魔しちゃいけないというのと、いざというときのためを思って少し遅れて後ろをついていく。
特進科クラスは三階なので、階段を上るのはさぞかし大変だろうと思ったが、先日も言ってた通りそこまで症状が酷いわけでは無さそうで、普通とまではいわないまでもスタスタと登っていた。本当に良かった…と安堵する。
教室の前で古賀澤さんはこちらを振り返り「ここまでで結構よ。ありがとう国木戸君」と言ってくれた。そして…
「毛糸玉はクマさんになったのね」
気づいてくれていた。
うれしくなった僕は「あ、えっと…コレ、差し上げます」とそのキーホルダーのクマを差し出す。
…また断られたら凹むことを後先考えずに…だが、そんな心配は杞憂で古賀澤さんは受け取ってくれた。
「でも、せっかく作ったものを悪いわね…」というので、すかさず……
「大丈夫です!実はもう一つあります」とカバンの中からもう一つを取り出す。
「あら」と言い、古賀澤さんは目を細めた。
冷静に考えて、予備を用意してますと言ったつもりが、ペアアイテムを押し付けているという超絶図々しいことをしていることに気づく。
「あ、えっと…その、か、毛糸はけ、結構な量があったので…全然、ぜんぜん予備も作れますって言う意味で…」混乱して余計な言い訳をし始めてしまう。
「大切にするわ」古賀澤さんが僕の暴走をやさしく止めてくれる。
そこに、「おはよう諸君」そう、桝村生徒会長が乱入してきた。
「む、ほほう…成程。国木戸君、君は実に器用な様だ…なかなか、この時代にスマホのタップ意外に指先を使わない人間が多い中で、それだけのクオリティの作品を、しかも一晩で…更に二つ迄!素晴らしい!」
古賀澤さんと僕との間に入って来た桝村生徒会長は、演説の様に僕の手芸品を褒めちぎった挙句…
「だが、没収だ」
「え?」僕は衆目を集めて困っている中、そのトドメの一言で硬直する。
「会長!それは…」古賀澤さんも困惑している。
そもそもこのサイズのキーホルダー等は市販品含めて今だった通り過ぎる通学中の他の生徒だってカバンに着けている。
それが許されているのは、通学かばんは基本的に学校指定があるからだ。昔はそれで統一されていたらしいが、今はそこまでではない。とはいえ、混乱を避けるための名札やキーホルダーなどの目印は容認されている。
そんな理屈は関係なしに、僕のクマは取り上げられてしまった。
古賀澤さんのクマは取り上げられてない。
一体どういう…と考える間もなく更に会長は「今後かばんは僕が持とう。一般クラスの生徒がわざわざ特進科クラスまで付き合う必要はあるまい――」
分かったらさっさと行きたまえ…という会長の言動は、僕が古賀澤の近くに纏わりつくことを今後赦さない…という、宣戦布告に見て取れた。
日陰に生きて、人との接触を避け、空気になって生きて行こうと思っていた僕に空気に戻りたまえ…と言う訳だ。
露骨な邪魔者の排除という訳だ。
しかし、生徒会長で衆目の的でもある桝村会長が、そこまで古賀澤に執心というのは正直意外というか、驚きを感じた。
その後ろに控える古賀澤は、少しだけ怖い顔をしている。
僕は少し勇気を出して、こう言った「そ、そ、そのク、クマちゃんは、か、会長に差し上げます。古賀澤さんとのペアですし」
取り上げたクマを返せと言われるならいざ知らず、差し出されたとなった桝村生徒会長はちょっと意外という顔をした。
古賀澤さんも、同様に少し驚いたような顔をしている。
すかさずボクは、カバンからさらにもう一つクマのキーホルダーを取り出す。
「こ、これでトリオですね。よ、よろ、よろしくお願いいたしますか、会長」
「んな?!」…イチャモンつけて取り上げたと思った運命の赤い糸を模した赤い毛糸のぬいぐるみが、実は自分に向けての運命として仕組まれていたもので、奪われて堕ちるはずの対象が、一つもダメージを受けておらず、もう一つ迄取り出してそれさえも運命だったと上回る行為は想定外だったようだ。
「ふ…ふふ、凄いわ…国木田君。桝村生徒会長…会長は一本取ったつもりで取られたわね」
古賀澤さんがとても楽しそうに笑っている。
それがうれしくて、見栄を張った甲斐があったと思った。
「で、では、し、失礼します。」僕はその場を後にして、自分のクラスに向かった。




