第五話 葛藤
西の空が赤く染まったころ、俺たちはライトに別れを告げ、病院を後にしていた。ライトの病室を去る際、とてつもない圧を感じたのだが……一体なぜなのだろうか。
そんなことを考えていると、隣を歩いていたエルナが口を開いた。
「それで……神楽さんって今夜、結局どこに泊まるんですか?」
今まで考えたこともなかった宿にタダで泊まれるはずがないのに、なんであの時言われるまで気が付かなかったのか、不思議でならない。
今から仕事でもするか?いや、もう暗くなり始めているし、俺は仕事のための道具も何も持っていない。仕事をしようにもできないだろう。
なら、どうすればいい?村の中ならそれなりに平和だろう。その辺のベンチでも使って夜を越そうか?いや、それは流石にやりたくない。寝心地は悪いだろうし、何より変な目で見られるのは避けたい。
「どう……しようかなぁ……」
思っていたよりも絶望的な状況に、思わず泣きそうになる。
「もしかして、本当に今夜の事考えていなかったんですか?」
エルナが目を丸くしながら驚いたようにそう言った。
「あぁ……本当、バカだよな。タダで泊まれるはずがないってのに……」
はぁ、と深いため息をつく。エルナにお金を借りる、という手も考えたが、流石にそれは申し訳ないだろう。とはいえ、どうしたものか……
「うーん、これしかないですよねぇ……」
俺が宿泊先について迷っていると、エルナがそんな事を呟いたかと思えば、いきなり驚きの提案を口にした。
「私の家に泊まっていくのはどうですか?どうせ兄がいないので一人暮らしですし……」
数秒の沈黙が流れた。そりゃあそうだ、いきなりほぼ初対面の女性に「泊まっていかないか」と言われたんだ。言った本人はまだしも、言われた側はこうなるに決まっている。
俺がどう返答しようか迷っていると、エルナが不思議そうな表情を浮かべながら、
「どうか……しましたか?」
そんなことを尋ねてきた。
「どうもこうもねぇよ……」
エルナには聞こえないほどの声量でそう呟く。だが、結局のところ宿泊先に困っているのは確かだ。そうなってくると、俺は一体どうすればいいんだ?
そんなことを考えていると、エルナが前方を指さしながら口を開いた。
「見えますか?あれが私の家です。おしゃれでしょう?……ちょっと狭いですけどね」
微笑を浮かべながら、エルナはそう言った。エルナの家は遠目からでもわかるほど装飾が施されていた。
そうして、エルナの家があとほんの100mほどの距離まで来た頃、俺は決断を迫られていた。
俺にとって楽な手は、このままエルナの家に泊まっていくこと。これなら、暖かい家の中で夜を越すことができるだろう。だが、俺の倫理観がその道を選ぶのを引き留めていた。
そうしてもう1つは、恥を捨ててその辺で野宿すること。正直、出会って数時間の女性宅に泊まるよりかは、こちらの方が倫理的にいいだろう。だが、こちらも俺の羞恥心が選ばせまいとしている。
もう時間がない。どちらを捨てればいい?俺の羞恥心?倫理観?いや、答えは出ているだろう。羞恥心を捨てて、その辺で野宿する……それが最適解なのだ。そんなこと、わかりきっている。なのに……なのに俺は……!
「……お邪魔します」
エルナの家に泊まることを、選んでしまっていた。
俺は、俺自身に負けたのだ。俺自身の気持ちに負けてしまった。俺は……やっぱり無能神だ。
「さぁ、座ってください!すぐご飯用意するので!」
「あぁ……わかった……」
エルナに言われるがまま、俺は椅子に深く座り込み、ため息をつき……そうして、茫然と家の天井を見つめる。
あの時、巨大台風を作り出すなんてミスをしていなければ、俺の代わりにライトがこの椅子に座り、エルナがライトのために料理を用意して……そして、俺はその事実を知らずにいつも通り天界で無能神と言われる生活を送っていただろう。
俺は、どうして神として創造されたんだろうか?
ふと疑問に思う。俺を作り出した創造神は、何も神を作り出すことだけが仕事ではない。様々な生命を作り出すことも仕事の一部なのだ。別に俺という存在を、神として生み出す必要はなかったはずだ。俺を虫として生まれさせ、人間によって殺され生を終える……これでも良かっただろうに。
「変わったな、俺も」
ポツリとそう呟く。神だった頃は、こんなネガティブに物事を考えてなどいなかった。少なくともあの頃は、どうせ何とかなる……そんな風に――楽観的に物事を考えていた。
でも、今はどうだ?生まれてきた意味を考え、俺が虫として生を受けていたらなんてことを考えている。あまりにも性格が変わりすぎている。これも、人間という種の特性なのだろうか。
そんなことを考えていると、エルナがお盆を持ってこちらへと歩いてきた。お盆の上にはお椀が乗っており、お椀からは白い湯気が立ち上っていた。
「はい、お待ちどおさまです!」
二人分の料理をテーブルに並べるエルナに対し、俺は質問を投げかけた。
「なぁ、もしも自分が何にもできない無能だったら……しかも、そのせいで傷つく人が出てきたら、お前はどう思う?存在している意味ってあると思うか?」
そんな言葉を聞いたエルナは数秒間考えるそぶりをした後、口を開いた。
「人それぞれではありますけど……必要としている、いてほしいと思っている人もいるんじゃないですか?家族とか、友達とか……仮に神楽さんがそんな人だとしても、私は消えてほしいとか思いません」
「そりゃ、どうして?俺とお前は家族でも友達でも――」
「私は!……もう友達だと思っていますけど?」
思わず耳を疑った。そんな返答をされるなんて、思ってもいなかったから。
俺は視線をお椀の中の料理へと向けた。お椀から立ち上る湯気のせいか、少し耳が熱くなった。




