江東の虎
残り30分
一気に出します
『……何をしてるんだろうな、私は……』
少女が呟く。後悔に押し潰されそうな声で、隣に立つ少年に吐露するように言葉を紡ぐ。
『蒲公英を人質にとられて、母さんの仇に手を貸して……!!』
少女から声が溢れだす。今にも大声で泣き出しそうな震える声。その目尻にも涙が溜まっていた。
『こんなの、母さんに顔向け出来ない……!』
『翠』
絞り出すような声を受けて、隣の少年が少女を抱き締める。
『自分を責めるな。馬騰様のことも、蒲公英のことも、君の責任じゃない。』
安心させるように、落ち着かせるように、優しく声をかける。
『これは俺達皆で、乗り越えなきゃならないことだ。君一人で、全部背負う必要はない。』
少年は少女の肩を掴み、少女と顔を合わせる。
『一緒に頑張ろう!そしてまた皆で、あの平原を駆け抜けるんだ!』
そう言って少年は笑った。例え僅かな可能性であっても、必ずこの願いは果たすと、そう心に決めて────
「う……」
頭から来る鈍い痛みを感じて、龐徳が目を覚ます。朧気な視界に写るのは、薄暗い空間。光源は小さな蝋燭が一つ。それ以外には何もない、簡素な空間だった。
「ここ、は?」
龐徳は体を動かそうとするが上手いように動けない。それもそのはず、彼の体は縄で縛られており、完全に自由を奪われているのだ。体力を消耗した彼では、それをほどくことは出来ない。
何も出来ずに時間だけが過ぎる。その間にも止まない痛みに、龐徳は自身が確かに生きていることを実感し始める。
(どうして俺は……)
「気が付いたみてぇだな。」
生かされていることに疑問を覚えたとき、前方から声がかけられる。龐徳は、その声に聞き覚えがあった。先程まで自分が殺そうとしていた相手であり、自分を殺そうとした相手だ。忘れるわけがない。
「お前…ッ!」
何故自分を生かしたのか。それを問いただそうと声を荒げるも、強烈な頭痛で黙らされた。
「動かねぇ方がいいぞ。死なねぇ程度とは言え、しばらく動けねぇくらいの一撃だったからな。」
カラカラと笑いながら、龐徳の前に座り込む。動けない彼は、せめてもの抵抗として終を睨み付ける。それを受けて、終は笑うのを止めるも、表情は笑顔のままだった。
「…殺せ。」
「そうはいかねぇ。お前には聞かなきゃならんことがあるからな。」
龐徳の要求をあっさりと断り、彼に問いかける。
「まどろっこしいのは嫌いだから単刀直入に聞く。―――――どんな弱みを握られた?」
その言葉に龐徳は驚く。なぜ、それを知っているのかと
「なぜ…?」
「お前らからは純粋な戦意が感じられなかった。迷いに迷って、どうしようもなくなって、ヤケになって無理して戦っている感じがしたんだよ。」
剣戟を交えたとき、己の行いに対する自問自答を繰り返すような感情を、終は敏感に感じ取っていた。ただの勘ではあったが、このまま切るのは違うと感じるには、十分な理由だった。
「まっ、ただの勘だったんだけどよ。後から軍師様に聞いてみれば、お前らの主君であった馬騰将軍。反乱軍に参加して死んだってな?」
「……」
その言葉に閉口しながら、龐徳は後ろ手に縛られた手を血が滲むほどきつく握りしめる。それが悔しさから来るものだと言うのはすぐに察せた。
「普通に考えれば可笑しな話だ。主君が望んで手を貸したのなら、迷う必要なんてねぇ。その上で討たれたとなれば、下の奴等は余計やる気を出すのが常だ。仮に迷うことがあるとしたら、そいつ自身が小心者か、そいつの主に人望がなかったか――――――そいつにとって大切な誰かを人質に取られたかしねぇとあり得ねぇ。」
終は自分で言いながら、すぐさま先に言った二つの理由を切り捨てる。目の前の男が小物ではないことくらい、直接剣を交わして分かっていた。そもそも、小物が自らを犠牲にするような真似をしてまで、味方を救おうとする訳がない。馬騰の人望の話に関しては論外だ。益州に居た頃に、隣州の馬騰についての噂は良く耳にしており、いずれも良い話しか耳にしなかった。それに人望がないなら、話に出したときに悔しそうに拳を握るはずがない。
なら、残された理由は一つだけだ。
「お前らの助けになりたいんだ。話しちゃくれねぇか?」
確信を求めるために改めて問いかける。その言葉に偽りはなく、純粋な気持ちから助けになりたいという感情が読み取れる。
「……」
龐徳が目を瞑る。
瞼の裏に映るのは、何時かの景色。
どこまでも続く地平線。全身を打つ風の感覚。
そして自分の傍にいる、大切な『家族』の姿。
(蒼…)
何時も明るげで楽しげな少女
(鶸…)
苦労人で頑張り屋な少女
(蒲公英…)
いたずら好きで困ったところのある少女
(───翠)
そして、真っ直ぐに何処までも駆け抜けて行きそうな少女
龐徳が戦う理由
龐徳が戦場に出た理由
それは、武人としての本懐を遂げるためではない
大切な『家族』を守るためだ。
「…本当に助けてくれるのか?」
「もちろんだ。」
終は、その言葉を了承と受け取ると、龐徳の縄を解く。突然縄を解かれたことに驚くも、自身の前に差し出された手を見てすぐに冷静になった。その手の先に視線を向ければ、薄暗い空間でもはっきりとわかるほどの満面の笑顔を、自分に向ける終の姿がある。
ただ手を差し伸べ笑顔を浮かべているだけの終の姿は、龐徳の目には大きく映って見えた。
(……勝てるわけが、なかったか。)
迷いの有無、純粋な武力、そして己を殺そうとした者すらも笑顔で許す器
初めから何一つ勝てる要素はなかったのだと悟った龐徳は、清々しさを感じながらその手を取った。
「――――人質の名前は馬岱。現在の馬騰軍のまとめをしている馬超の従妹。馬超との仲は非常に良好で、姉妹のような間柄だって話だ。」
龐徳から話を聞いた終は、ことのあらましと人質のことを賈駆達に話した。
話の内容はこうだ。
反乱が起こった当初、馬騰は義兄弟の契りを結んだ韓遂から協力するように誘われていた。しかし、馬騰はこれを拒否。反乱軍に対して徹底抗戦の構えを見せる。龐徳と馬騰の娘達も馬騰と共に反乱軍と争う覚悟を決め、天水に籠城しそこを堅守した。馬騰達は反乱軍の猛攻をよく耐えたが、ある日の籠城の最中敵の勢いに恐れをなした一部の味方が反乱軍と内通。馬騰は馬岱を人質に取られ、動きを止められたところを討たれた。龐徳達は、人質を盾に反乱軍に協力することを強要され、今に至るということだ。
「俺も故郷に妹分がいるからな。従わざるを得なくなるのもわかるぜ。」
「逆を言ってしまえば、その方がいなければ、馬超殿が敵につく意味はなくなるわけですね。」
「馬超だけじゃないわ。勢いで参加していたその他の軍閥も、挙って離反するでしょうね。」
馬家は西涼ではそれなり以上に名のある名家だ。一時は材木を売って生活を営むしかないほど困窮していたが、現在は西涼でも有数の勢力を誇るまでに立ち直っていた。単純な数で言えば明らかに劣勢に立たされているところに、今回の敗北と有力勢力の離反が重なれば自然と反乱軍が瓦解するのは目に見えている。
「ほんなら、その馬岱?っちゅう奴を助け出しに行くんか?」
「それは無理よ。今彼女がどこにいるかなんてわからないし、何より今回の戦で私たちは目立ちすぎた。下手に動くわけにはいかないわよ。」
龐徳から得られた情報は、人質救出による旧馬騰軍の離反から、連鎖的に複数の軍閥を造反させ、乱を終結させる決定打を与える可能性を示唆するものにはなった。だが、肝心の人質が何処にいるかはわからないままだ。そもそも、分かっていたらとっくに助け出した上で離反しているはずなので当然のことである。
それに、仮に分かっていたとしても先の戦いで命令違反を犯した董卓軍は、総大将直々に有難いお叱りを受けたばかりだ。次はないと言い渡されてすぐに動きを見せるのは良くない。
「まっ、命令違反の責を負わされて、義勇軍の隊長から外された俺には関係ない話だな。」
あの戦いの後、終は義勇軍の隊長から外されたこと以外、特にお咎めは受けなかった。命令違反を犯しておきながら、それだけで済んでいるのは、元々正規の軍でないことが起因している。これが敗戦だった場合は間違いなく打ち首ものだったが、結果的に勝てたのでこれ以上の罰は必要ないと判断されたからだった。
そんな訳なので、終はこの後陣を抜け出して馬岱捜索をする気満々だった。勿論、今回の件について反省の『は』の字も見せておらず、全く気にしたようすもない。
「関係ないってあんたねぇ……!」
賈駆が眉間に皺を寄せ、爆発寸前の火薬庫を思わせる雰囲気を纏う。次の瞬間には、これ以上ないほどの怒号が飛んでくるのが目に見えていた。
「…ください…は…」
「…うるせぇな!ここにあいつがいるんだろ!」
賈駆が口を開いたまま動きを止める。外から騒がしい声が段々と近づいてくるのを感じたからだ。
(……うそだろおい)
「……なに?」
終は絶対に聞きたくなかった声に固まり、恋は外の騒ぎように何があったのかと首を傾げながら目を向ける。
しばらくの間騒ぎは続いていたが、鈍い打撃音と人が倒れる音が鳴って、一瞬だけ静かになる。それからすぐに数人分の足音が、終達のいる場所へと向かってきた。
「よう!久しぶりだな!!終!!」
入ってくると同時に、満面の笑顔を終に向ける褐色肌の女性。その姿を認識した終は、この世の終わりのような顔をして俯く。他の面々は、突然現れた乱入者に只々呆然としている。
「…何しに来た、炎蓮。」
めんどくせぇ
そんな隠れた言葉が駄々漏れしながらも、呆然としている面々に代わって要件を聞いた。勿論、非常に嫌そうな顔をするおまけ付きだ。
「つめてぇなァ。俺とお前の仲だろ?元気にしてるか顔見に来たんだよ。」
「俺の記憶が正しければ、仲が良かったのは初めのころだけだ。」
肩を組もうとする炎蓮の腕を払いのけ、そっけない態度をとる終。それでも彼女は諦めずに組もうとしてくるので、肩を組もうとする炎蓮とそれを払う終の地味な攻防が始まった。
「あの、あなた様は?」
お互いに一歩も譲らない攻防は、董卓の問いに一瞬気を取られた炎蓮が攻勢の手を緩め、それを機と見た終に大きく距離を取られたことで幕を閉じた。
「ん?俺か?俺は孫堅。長沙太守の孫文台だ。」
その名乗りが上がると同時に、場に緊張感が走った。『江東の虎』の名は、遠く涼州にも届いている。その虎が、態々人相書きを撒いてまで行方を探した人物と会合する。何かが起こることは明白だ。
「……江東の虎が、ここに一体何のようなのかしら?」
「あー、悪いがそれは後で話させてくれ。今はこっちの方が大事なんだ。」
炎蓮が気配を消してその場を離れようとした終の襟首を掴む。終は速やかに退散しようとした勢いそのままに掴まれたため、首が絞まって「ぐえっ」っと変な声を出すこととなった。
「なぁ、終よぉ。例の話。やっぱ受ける気は「ない!何度も言わせんな!」
終は振りほどこうと暴れるも、炎蓮は力を緩める素振りすら見せない。
「この…!」
痺れを切らして炎蓮に肘鉄を食らわす。それを黙って受ける炎蓮ではなく、すぐに手を離して距離を取る。
「何が不満なんだよ?美人の嫁は出来るし、将来的に孫家の兵を自由にできる立場も手に入る。いいことづくめじゃねぇか?」
炎蓮は、楽しそうに笑いながら終に問いかけた。話だけ聞けば誰から見ても好条件そのもの。嫌がる理由など見当たらない。あるとしたら、当人達の間にそうなるだけの理由があるからだろう。それも、終の側に正当なものだ。
ぷつん、と何かが切れる音がする。
あまり機能していない堪忍袋の尾が、完全に切れる音だ。
「あんなん美女の皮かぶった猛獣だわバアカ!!!どうせ薦められるならシャオの方が千倍いいわ!!!」「なら、そっちで話を」「勝手に進めようとすんなこのアホトラ!!!!!そもそも孫家の兵ってどいつもこいつも酒癖悪ぃやつばっかじゃねぇか!!!俺はお前らにぶん回されるのが確定している将来なんざ欲しかねぇんだよ!!!!」「なんだよ?まだあの時のこと根に持ってるのか?」「持つわド阿呆!!!宴の席で多対一の真剣勝負とかテメェらの頭は酒粕つまっとるんかこのボケガアアアアア!!!」
出会い方は終にとって不本意な形であった。当時、反乱を少しでも早く終わらせたいと思っていた終は、城攻めを行っていた孫堅軍に紛れ込み、単身で城内に入って首魁の首を取った。その後、人知れず去ろうとしたところ、運悪く炎蓮の娘に見つかり炎蓮と会合することになったのだ。
出会った当初は、それなりに良好な関係だった。炎蓮が噂通りの人物であったため、終は尊敬の念を抱いて炎蓮と接していた。また、炎蓮も単騎で敵陣に入り込む終の胆力と、それを成し遂げるだけの武勇に一目を置いていた。そのため、初めのころはそれほど問題なく交流していた。
『兵を貸してやるから、残りの奴等を蹴散らしてみろ。』
こう言われたのが出会った翌日の話である。有無を言わさず兵に挨拶をさせられ、何の説明もなく出陣させられた。この時点で終は、孫堅に対して不信感を募らせていた。唯一の救いは、兵達が皆素直で特に問題なく終の言葉を聞いてくれたことだろう。そのおかげで大事なく残党を殲滅することができたのだ。
彼の不信感が頂点に達し、さっさと逃げることになったのは、孫堅の元に戻り、羽休みを兼ねてしばらく厄介になっていたある日のことだ。
『余興だ!俺と勝負しろ!』
宴会の最中の突然の申し出。何の前触れもなく言われた言葉に、終が理解を示すのも待たず、有無を言わさず仕合うことになったのだ。しかも、酔って悪乗りした孫家の武将達ともなし崩し的に勝負することになった。真剣で、それも割かし本気で行われた、酔っぱらいどもの襲撃は、今も終の記憶に悪い意味で残っている。
炎蓮の娘との婚姻の話は、その勝負の最中に出たものだ。負ければそのまま孫家の一員となることを半ば強引に決めつけられてしまったため、その当時終は初めて兵を率いたとき以上に気合を入れて奮戦する羽目になった。
この勝負は最終的にどちらも酔いが回って自滅という引き分けの形になったのだが、この一件で終はこのまま孫家と共にいる不利を悟り、翌日こっそりと孫家を後にしたのだった。その後に、彼を捕まえるために孫堅を含めた孫家総出で追いかけられるのは、また別の話である。
「つぅかなんでお前がここにいんだよ!?長沙一帯の統治はどうした!?」
「中央からの要請で、ついさっき到着したんだ。なぁに、長沙のことは婆に任せてる。何も心配要らないさ。」
「心配しかないわ!!主に俺の身が!!!」
唯一炎蓮を真っ向から止められそうな人物が長沙で留守をしていると聞いて、終は絶望の声を上げる。これは彼にとって死刑宣告をされたに等しい。
ちなみに終は知らないことだが、その止められそうな人物も、彼を孫家に引き入れるためなら多少強引であってもいいと進言しているので、どっち道にしろ炎蓮は止まることはなかっただろう。
「……そこをどけ、炎蓮。俺にはやらなきゃならないことがあんだ。」
一旦深呼吸をして、息を整える。このまま感情のままに文句を言っても事態は進展しないことぐらい、終にはわかっていたからだ。
「そう堅ぇこと言うなよ。ちょっと話に付き合うくらいいいだろ?」
「答えが出た問答を繰り返す気はねぇ。」
しかし、炎蓮は動かない。終の行く先を閉じるように幕舎の入り口に立っている。そんな炎蓮にイライラしながらどう突破するかを考える終。状況は拮抗していた。
それを見てどうしたものかと董卓軍の面々は考えていた。これが終と炎蓮の問題であることは、嫌でも察することが出来るだけに、下手に首を突っ込むことが出来ないのだ。しかし、何時までもこのままにしては、自分達の今後の動きを決める話が出来ない。無駄な時間を過ごすつもりはないのだ。
「ちょっとあんたたち───!」
賈駆が文句を言おうと口を開く。しかし、その言葉は一人の人物が、終と炎蓮の間に入ったことで止められる。
「――――恋?」
炎蓮のすぐ目の前。そこに恋は立っていた。まるで初めからそこにいたように、何の違和感もなくそこに立っていた。
「…なんだお前?」
「…終が困ってる。」
恋は怒っていた。自分の大切な人が嫌がることをする、目の前の人間に怒っていた。少し前までの彼女なら、迷わず実力で廃していた。ここで手を出さなかったのは、周りが困ると分かっていたから。彼女が成長したからだ。
「道を開けろ。」
恋が炎蓮を睨み付ける。恋のそれは、並の人間なら肝を潰すほどの威圧感を持っている。だが、相対する相手は並みではない。
「…嫌だと言ったら?」
炎蓮の顔に笑みが浮かぶ。ただならぬ気配を放つ少女に興味を持った証拠だ。
「お前を倒す」
「言うじゃねぇか」
恋は間を置かずに言い切る。炎蓮の笑みがさらに深まる。手は既に腰の剣にかけてあり、何時でも抜ける状態にあった。一方の恋も、武器は持っていないが、作った握り拳を何時でも炎蓮に振るえる体勢にあった。
一触即発
恋は苛立っており、炎蓮はかなり乗り気だ。
いつ衝突が起こっても不思議ではない。
「ちょいちょいちょい!!落ち着け御両人!!」
そんな二人の間に終が割ってはいる。どちらの実力も正しく認識している終は、ここで二人に暴れられたら陣内に付けなくてもいい傷跡を付けることになることを見越していた。何としても、二人がぶつかることは避けなければならない。
「恋。助けようとしてくれているのはありがたいが倒すのはやりすぎだ。まだ待ってくれ。それと炎蓮。テメェもいい年して食って掛かるんじゃねぇ。それでも三児の母か?」
終が間に入り説得を行う。恋には感謝を示しつつも、その行動を嗜める。炎蓮には年長者として、そして一人の親としてとても誉められた行動ではないことを指摘する。
終の言葉を受けて、恋はすぐに臨戦態勢を解いた。炎蓮は、それでも剣に手をかけていたが、恋が完全にヤる気を失ったのを見て熱が覚め、手を剣から離した。
「…炎蓮。俺は今のところは、誰かの下につくことは考えてねぇ。だから、お前のその誘いを受けるつもりもねぇ。いい加減あきらめろ。」
終が炎蓮の誘いを受けない理由は至極単純で、まだ自由な身の上でいたいからだ。誰かに仕えるというのは、その時点で周囲の束縛を受けやすくなる。終から見た孫家は、少なくとも甘んじて束縛を受けてもいいと思えるほどの魅力を感じなかった。退屈はしなさそうだが、それ以上に疲れる未来が見えたのだ。
「…わかった。」
炎蓮、以外にも終の言葉に納得する。それに終は、ようやく分かってくれるのかと期待する。
「じゃ、この話は全部片付けてからゆっくり話すとするか。」
(あきらめろよ!)
当然期待は裏切られ、問題を無理矢理先送りされることで一応決着した。
「ほら、さっさと行きな。用事があるんだろ。」
非常に不本意な決着の付け方ではあったが、炎蓮が道を開けたのならこれ以上留まっている理由はない。終は馬岱捜索に取りかかるために彼女の前を通り外に出た。
「あー、そうだ。一ついいことを教えてやる。」
去ろうとする終の背中に、態とらしく孫堅の声が掛けられる。その声に、終は一旦立ち止まった。
「お前が今から探そうとしてる奴は、天水に居る。詳しいことは雪蓮から聞け。」
驚いて振り替えるも、炎蓮は既に董卓達と話を始めていた。なぜ自分が人を探そうとしていると分かったのか、なぜ人質の居場所を知っているのか、聞こうにも聞けなくなってしまった。
「…ありがとよ。」
借りが一つ出来た。そのことだけを理解した終は、小さく礼を口にした。
「終!久しぶりね!」
途中寄り道をして、今から探そうとしたとき、件の人物は自ら終の元にやって来た。炎蓮に良く似た女性を視界に収めると、終はなけなしの精神を統一させて、努めて平静を装う。
「……ああ、久しぶりだな。雪蓮。」
「何よしけた顔しちゃって。それが妻と再会できたときにする顔?」
「殺す」
早速平静は崩れた。初手から大失敗である。心中に抱いていた複雑な感情はそのまま顔に現れ、雪蓮は自分を認めた瞬間にそうなった終に揶揄うように文句を言い、それに然り気無く終に着いてきていた恋が悪い方向に反応すると言う先ほど以上の非常事態になった。
具体的には、終の嫌がっている反応と雪蓮の自称妻の情報から終が無理矢理手籠めにされそうになっていると思った次第である。
「恋。落ち着け。頼むから。」
「なに、その子?もしかして、終の妾?」「死ね」
冗談に殺気立つ恋を宥めるも、次いで放たれた言葉によって無駄になる。
恋の左手が消える。それと同時に雪蓮が後ろに下がる。体に遅れて靡く雪蓮の髪にチッ、と恋の拳が掠める。
「…中々やるじゃない。完全に避けたと思ったんだけど。」
「……」
地面に落ちた数本の髪。それを認めて、雪蓮は興味津々と言った様子で恋に笑いかけ、恋はほとんど表情を変えずに雪蓮を見つめる。
「だから落ち着けって恋!雪蓮も恋を煽るな!」
先ほどの展開の焼き直しを見ているようで、いい加減勘弁してくれといった感じで終が割ってはいる。こう立て続けに面倒事が続けば、終でなくともうんざりする。それも個人的に関わりのある人物同士の争いとなれば無視するわけにもいかないのだ。
終が間に入ったことで、二人の睨み合いは終わった。しかし、やはり互いに気になっているようで、明らかに意識している。雪蓮は興味、恋は苛立ち。間に入っている終は、気が気ではない。
(だれかたすけて)
二人の間に入りながら、やや現実逃避気味に祈る終。
「なにをやってるんだ、雪蓮。」
その祈りが届いたのか、彼にとって今最も居て欲しいと願った人物が現れた。艶のある黒髪を腰まで伸ばし、眼鏡を掛けた知的な女性だ。
「冥琳さぁん!!」
誰よりも終が一番最初に反応を示した。今にも泣き出しそうな顔で、これ以上ないくらい情けない声を出しながらである。そんな終の姿を一度も見たことがない恋は、無表情ながら心配そうな目を彼に向けていた。そして、その情けない姿を間近で見ている冥琳は、困惑した様子で彼を見ていた。
「どうしたんだ終?そんなに情けない声を出して。」
「出しますよ!?そりゃこんな声も出ますよ!!?こちとらアホトラ炎蓮が訪問してから胃痛がひどかったんですからね!!?しかもこの美女野獣が妻を自称するもんだから頭破裂しそうですよ!!!」
ウガー!!っと獣のような声を上げ、頭を掻き毟る終。奇異な目で見てくる周囲を一切気にせずにそれを行うところから、彼がどれだけ疲労を感じていたか察することができる。
「雪蓮……」
「あはは、ごめんごめん。ちょっと揶揄いたくなっちゃって」
取り乱す終の姿に、その原因の一端を担った人物に非難の眼差しを向ける。あまりの乱れっぷりに、冗談ではなく本当に参っているのだと分かった雪蓮は、バツが悪そうな顔をして反省した。
諸々の問題が発生はしたが、どうにか話を元に戻せそうだ。
「それで、母様からどこまで聞いてるの?」
「………そっちが俺が見つけようとしていた人物のことを知ってることと、そいつがいる場所くらいだな。詳しいことはお前に聞けと言われた。」
「なら、移動しながら話すわ。ここだと、誰が聞いているかわからないから。」
「しっかりとした説明をくれるなら、それで構わない。」
「決まりね。」
一先ず、目的地に向かう途中で話すと言う方向でこの話は纏まった。互いに目的地が同じであることを知っているのなら、何処で誰が聞いているか知らない陣内で話すより、天水に向かう道すがら聞いた方が安全である。
「ところで、その子達も着いてくるの?」
話が纏まったところで、雪蓮は改めて終の後ろにいる人物達に目を向ける。
然り気無く終に着いてきた恋。
静かに終に追従する姿勢を見せる小紗良。
そして、縄を解かれ、終に協力することを決めた龐徳だ。
「……終は、恋の、旦那様。だから、恋が守る。」
「臣としての務めを、果たすだけです。」
「……俺は家族を救いたい。」
それぞれがそれぞれの理由を口にする。冥琳は、その言葉を信じるための根拠を得るために、終に疑わしげな目を向けた。
「……三人ともかなり腕がたつ。それに、龐徳は人質と知己の間柄にもある。この辺りの地理にも詳しいって話だから道案内も頼めるぞ。」
「信用できるのか?」
冥琳の問い掛けに、終はニヤリと笑みを浮かべる。
「こいつらは裏切らねぇよ。」
「何故そう言いきれるの?」
自信満々に答えた言葉に、雪蓮がその根拠を問う。終は笑顔を崩さずに答えた。
「恋は、俺の大切な友人だから。小紗良は、裏切りを行うぐらいなら自害を選ぶような奴だから。そして、龐徳は――――」
そこまで言って一拍置く。
恋は、彼が自信を持って友と言える存在だ。それだけで、信じる理由にはなる。小紗良も、益州を訪れた時からの付き合いがあり、その人となりもよく知っている。
だが、龐徳は違う。戦場で合い。虜にしたと言う程度の関わりしかない。彼がどのような人物かなど、知りようがない。しかし、終は自信に満ちていた。なぜなら、今から言う言葉こそ、唯一絶対の根拠になると、絶対の自信を持っているからだ。
「――――俺の勘がそう言っているんだ。」
力強く宣言するように、その根拠を言う。恐らく誰が聞いても根拠にならない答えに場が固まる、かに思えた。
「アッハハハハハ!!」
笑い声が響く。雪蓮の声だ。雪蓮は、心底からおかしくて仕方ないと言った風に、腹を抱えて笑っている。
馬鹿にしているのではない。終が自分が考えていた通りの答えを、寸分違わずに言ったことが可笑しくて、それが楽しくて笑ったのだ。
「ハハ、ハァ、ハァ……良いわ。あなたがそう言うなら、彼を信じる。」
「……まぁ、いいだろう。私も異論はない。」
終の勘は人を観ると言う一点に置いて、無類の精度を誇っている。彼が孫家の厄介になっている間に見出だした人物たちが、徐々に頭角を表しているという実績も、その勘に確かな信頼性を持たせていた。
ただの勘は、『終の』という頭文字が着くだけで、彼女たちの納得を得られるだけの根拠になるのだ。それが普通ではないと知りながらも、それで納得できてしまうことに、雪蓮と冥琳の二人は可笑しそうに、しかし楽しそうに笑うのだった。
「よし!なら行こうか!」
二人が納得したのを確認すると、終は一団の先頭に立って歩き始める。そして、彼の後に続いて一人を除いた一同が動き出す。
「どうした龐徳?速く行くぞ。」
纏まって数歩歩いたところで、終は一旦立ち止まって動く様子を見せない龐徳に声をかける。それを受けて龐徳は終の近くに歩み寄っていく。その顔には、これから家族を助けに行くのとは、また別の覚悟が宿っていた。
「……璃空だ。」
「うん?」
「俺の真名だ。信頼の証として受け取ってくれ。」
終と龐徳の関係は、それほど深いものではない。出会い方は最悪の部類であるし、親交を深めるだけの時間もそれほど経っていない。助ける側と助けられる側。たったそれだけの関係にすぎない。
龐徳が何を考え、何を思って薄い関係の男に真名を預けるのか、終にはわからなかった。だが、決して軽い気持ちで預けようとしているわけではないことだけは分かっていた。
「…わかったぜ!璃空!」
終が龐徳の真名を呼ぶ。
自らの真名を呼ばれた龐徳は、何処か嬉しそうな顔をしていた。




