戦う理由
受難は続く
「恋。頼むから、あんなことは二度としないでくれ。」
「…どうして?」
「俺が大変なことになるから。」
「…?わかった。」
そうして恋との話を終わらせると、終は疲労感を一切隠すことなく深いため息を一つ吐いた。なぜ、彼がそんなに疲れているのか、恋は理解できないようで頻りに首を傾げていた。
場所は先ほどと変わって幕舎の中。どうにか混乱を収拾した後、恋の関係者という事で興味を持たれた終は、この場所に連れてこられたのだ。
「存じなかったとは言え、先ほどは大変失礼を致しました。ご無礼をお許しください。」
この幕舎にやってきて、終が次に行ったことは謝罪だ。現場が完全に混乱していたのと、この少女が単なる恋の知り合いだと思っていたので非常に馴れ馴れしい口調で話していた。しかし、後になって今いる官軍内の将軍、それも現在自分が所属している義勇軍の総指揮を任されている人物であると知ったため、こうして態度を改めたのである。己より上の身分の者に対して、馴れ馴れしい口の聞き方をするなど、相手によっては無礼討ちものだ。
「お気になさらないでください。状況が状況でしたから。」
そんな訳で終が深々と頭を下げると、それを受けた少女はやや困り顔でそう言った。実際、少女は気にしていなかった。義勇兵として飛び入り参加同然に参入してきた彼が自分の顔を知るはずがないとわかっているからだ。
「慈悲に感謝致します。」
その言葉から、彼女が本当に気にしていないことを知ると、終はほっと胸を撫で下ろした。
「申し遅れました。私の名は仁竜、字は神王と申します。どうぞ、お見知りおきを」
「私は董卓、字は仲穎といいます。それと、あまり畏まらなくていいですよ。少し、話しづらいですから。」
終が懇切丁寧にあいさつをすると、やはり困り顔で少女が、董卓がそういった。終は、それにどうしたものか思案し
「…そう言うなら、そうさせて貰うぞ。」
すぐに何時もの調子に戻した。元々堅苦しいのは嫌いな質であるし、何より周囲の様子からこれが完全に私事での会合であることを理解したからだ。
「うちは張遼、字は文遠や。堅苦しいのは嫌いやから、敬語はいらんで」
「華雄だ。」
続けて二人が自己紹介をする。さらしを巻いた女、張遼は終以上に馴れ馴れしい雰囲気で、一方白髪の女、華雄は非常に簡潔に自己紹介を終えた。
残るはあと一人、眼鏡少女だけだ。
「………」
「詠ちゃん、どうかしたの?」
残った最後の一人は、終が幕舎に入ってから頻りに何かを思い出そうとするように終を観察していた。董卓が心配そうに声を掛けても、それにすら気づかない様子で考え込んでいる。
(…なんかまずいことしたか?)
全く身に覚えはないが、気づかぬうちに何かしでかしてしまったのか。ここに至るまで、大小様々な問題に遭遇していただけに、思い当たる節が多い終は、何を言われるのか気が気でなかった。
(思考を中断させるか)
そう考えて終が口を開こうとしたとき
「…あなたもしかして、邢道栄じゃない?」
(――――やべぇ)
ようやく思い出した様子で呟くように放たれた少女の言葉に、終は非常にまずい事態になったと内心冷や汗をかく。
「邢道栄?邢道栄ってあの邢道栄かいな?」
「知ってるのか張遼?」
少女の発した名前にいまいち理解が追い付いていない華雄が、何やら知っている様子の張遼に問いかける。
「前に荊州の方で騒ぎになっとったやろ?そんときに孫堅と一緒に派手に暴れたっちゅうやつが邢道栄や。」
「功城戦の最中、たった一人で城内に侵入。反乱の首魁の首を討ち、しかも城門まで開いて勝利に貢献。その後の残党の殲滅にも多大な戦績を上げた武人よ。その凄まじい戦いぶりから、万夫不当の荒武者として荊州で名が通っているわ。」
それを聞いて驚いたのは終の隣に居る小沙良だ。彼がただ者でないことは知っていたが、自分と会う前にそんなことをしていたなんて知る由もなかった。話を聞いた華雄は好戦的な笑みを浮かべて彼を見つめ、董卓は聞いただけでも凄まじい彼の話に驚いている。この場に居るものの彼への関心の内容が、恋の関係者である男から、凄まじい武勇を持つ男としてに変わっていた。
「まてまてまてまて!お前らは人違いをしている!俺は刑道栄じゃねぇ!仁竜神王だ!!」
終は直ぐ様自分は刑道栄ではないと否定するが、その焦りようからは説得力を全く感じない。むしろ、自分は本人ですと自白しているに等しい。
刑道栄は、彼が荊州にいた際に使った偽名だ。旅を初めてからこのかた、厄介ごとや面倒ごとに出くわすことが多かった彼は、名に縛られるのを嫌い事あるごとに偽名を使っていた。今まではそのおかげで、名を名乗るだけで騒ぎになることはなかったが今回は当てが外れたようだ。
「……恍けるならもっと上手くやりなさいよ。もっとも、恍けても無駄だけれど」
そう言って終に渡して来たのは、刑道栄の名前と自身の人相が書かれた紙だ。その人相書きは見事なもので、鏡で見た自分の顔と瓜二つである。
「あなたが孫家を去ってからすぐに、孫堅が荊州中にばら蒔いた人相書きよ。見つけたものには、相応の謝礼も出すと言っていたそうよ。」
(マジかぁ)
終は頭を抱える。まさか、彼女らがそこまで本気だったとは全くの想定外だったのだ。
「巷では、その才を恐れた孫堅に命を狙われていると専らの噂よ。」
続けて放たれた言葉に、いち早く反応したのは恋だ。自分が知らないところで、自身が思いを寄せている相手が危険に曝されていたと聞いて、未だあったことのない相手に殺意を漲らせている。
「一点訂正させて貰うが、その話は間違いだからな。別に命は狙われてねぇ。だから、恋。その殺気を引っ込めろ。」
流石にこれはまずいと思った終は、話に誤りがあることを指摘し恋を宥める。諸々の事情により、孫家に対してあまり良い感情は抱いていない終だが、勘違いで友人と殺しあってほしいと思ってはいない。
もう、ここに至っては言い訳できない。終は抵抗するのを諦めるのだった。
「命を狙われた訳じゃないなら、なんで孫堅はあなたを探してるのよ?孫家総出で捜索なんて尋常じゃないわよ?」
「……色々あったんだよ。」
当然浮かんでくる疑問に、終は曖昧に答えを返す。実際、この言葉に偽りはない。本当に色々あったのである。ありすぎて刺激的すぎてどこから話したものかというぐらい色々あったのである。
(どーかこのまま逃げ切れますように。)
誰に対するものかは本人も理解していないが、それでも彼女らに見つからないことを祈るのであった。
「うむ!よくわからんが、貴様は強いと言うことだな!」
「……まぁ、そうらしいな。」
実に簡潔な自身に対する世間の評価を口にする華雄。何やら嫌な予感を感じながら終はその言葉を肯定した。それを聞いた華雄は、非常に楽しそうな笑顔を浮かべる。何やら既視感を覚える光景に終の嫌な予感は、彼の脳内にしか聞こえない警鐘を大音響で鳴らしていた。
「よし!私と勝負しろ!」
そして、彼の予感は的中する。非常に楽し気な顔から、彼にとってとてもありがたくないお言葉が出た。
「…何故?」
「私が戦いたいからだ!」
(駄目だこいつ。真正の阿呆だ。)
終とて武人の端くれである。別に仕合自体は嫌いではなく、むしろ好んでいる節はある。普段であればそのまま華雄の誘いを受けているところだ。しかし、今日は恋との衝撃的な再会によって色々疲れたので仕合をする気が起きなかったのである。
(誰か止めてくれないかなぁ)
とりあえず、自身の前に居る人物の説得を早々に諦めると、周囲に助けを求める視線を向ける。
「ええんやないか?噂が本当か興味あるしなぁ。」
しかし、彼の思いは届かず
「まだ、戦が始まるまで時間はあるわ。あなたの扱いを決めるために、どの程度の実力なのか知る必要はあるわね。」
一番止めてくれそうな人物も納得するように頷き
「あの、お二人とも、くれぐれも怪我だけはしないでくださいね?」
唯一の希望と思った少女も、心配はしても止めてはくれず
「終様。ここで力を見せつければ、この軍での立場を確立することができます。お受けになられた方がよいでしょう。」
自称臣下は主の心中をくみ取らず
「…終、頑張る。」
最後の親友の一言で完全に止めを刺されるのであった。
その後、やる気に満ち溢れた華雄と、まったくもってやる気を感じられない終の仕合が、何事かと興味を抱いて集まったやじ馬たちに観戦されながら行われることとなった。華雄は待ちきれないのか頻りに自身の得物である戦斧を振り回しているが、終は心ここにあらずといった様子で空を仰いでいた。
「両者、準備はよろしいですか?」
「もちろんだ!」「いつでもいいぞ。」
審判役を買って出た小沙良の言葉に、対極的な空気を晒しつつ返事をする両名。これを見ていた衆人は、皆華雄が勝利するだろうと予想していた。それだけ華雄の熱気は凄まじく、終のやる気のない姿は弱々しく写っていた。
「では、尋常に―――――――はじめ!!!」
小沙良の合図とともに、先に動いたのは終だった。ただの一瞬で距離を詰め、華雄の懐に入り込む。
「なっ!」
まさか、先に仕掛けてくるとは思っていなかった華雄は、驚きながらも距離を取ろうとする。彼女の得物である戦斧は、接近戦には不向きである。自身の得物の有効射程をわかっているからこそ、距離を取るという選択を彼女はした。
だが、その行動は終の前では無意味だった。さらにもう一歩、力強く踏み込み、下から剣を切り上げた。
「っく!」
華雄は咄嗟に戦斧でその斬撃を受ける。甲高い金属音が鳴り響き、得物を手放してしまいそうになる。そうはさせまいと、戦斧を強く握りしめ、そのまま彼の剣を押し返そうとさらに力を籠める。
「勝負あり、でいいよな?」
何を言われたのか、華雄は理解できなかった。いや、自分に何が起きたのかすらも、彼女は理解できていなかった。その言葉が耳に届いたころには、視界が暗転し、彼女は意識を完全に手放していた。
終がやったのは、言葉にすればそれほど難しいことではない。華雄が力を掛けた瞬間を狙って、態と力を抜いた。そして、態勢が崩れた華雄の頭に、軽く意識が飛ぶ程度の一撃を加えた。たったそれだけのことである。それを実行するにはどれだけの技量を要するかなど、彼にとってはどうでもいいことだった。やれるからやった。彼にとっては、それだけのことなのだ。
「流石やなぁ!やっぱ噂は本当やったっちゅうことか!」
何が起きたのか理解できず、静まり返った場に張遼の賞賛の声が響く。それにより、華雄が負けたのだという事実を知った周囲は沸き立った。この陣内に置いて、華雄の実力はそれなりに高い。少なくとも、雑兵では手も足も出せない程度には強い。それが一瞬でやられた。ならば、あの男は何者だと盛んに話し合われていた。
「華雄がここまで一方的にやられるのはこれで二度目ね。」
「二度目?」
眼鏡の少女が零した言葉に、終は問い返す。華雄は彼女の指示で既に連れていかれ、勝敗を見ていたやじ馬たちも、それぞれの上司にあたる人物たちに叱られ持ち場に戻っていた。
「ええ、そうよ。一度目は恋と勝負した時。万全の状態でもなかったのに、華雄が一撃で倒されたときは、夢でも見てるのかと思ったわ。」
終が恋の方へ視線を向ける。視線を向けられた本人は、それに気づくと終を見て首を傾げた。それに終は、つい微笑んでしまう。彼女も強くなっている。それを友として嬉しく思いながら、彼女の隣に立つにふさわしい人間であるために、もっと強くならなければと覚悟を新たにした。
「なぁ、次はうちと「断固として断る。」なんでや!?」
しかし、覚悟を決めつつも現状の疲労は隠しようもなかったため、張遼の誘いをあっさり断った。
「元々、この仕合は俺の力を測るためにしたことだろ?いくら時間はあると言っても、無駄に使って言い訳じゃないだろうが。それに、あんたとやり合ったらお互い無傷で終われる気がしない。董卓殿に怪我はしないし、相手にもさせないようにと言われたんだ。口先だけでも、約束を破るもんじゃねぇだろ?」
もっともらしい理由を早口で捲し立てる。それだけ彼は疲れていた。もう一仕合やる気もしなかった。
「全て、戦が終わってから。そう言うわけにはいかねぇか?」
「……しゃあないな。それで勘弁したる。」
その剣幕に若干押される形になりながらも、しっかりと言質を取ることができた張遼は、満足そうに笑って引き下がった。
「もういいかしら?」
それを見計らって眼鏡の少女が声を掛ける。終は内心『もう勘弁してくれ』っといった状態だ。
「自己紹介が遅れたわね。僕は賈駆、字は文和。董卓様の軍師をしているわ。」
今更ながら判明した少女の名前に終はしっかりとその名前を記憶にとどめながらも『さっさと話しを終わらせてくれ』という態度を鉄の意思で抑え込みながら黙って続きを促した。
「あなたの実力が本物であることを認めるわ。その上であなたに義勇軍を率いてもらいたいのだけど、受けてくれるかしら?」
寄せ集めでも軍は軍。それを纏めるものがいなければ機能しない。董卓軍内にいる義勇軍は、個々が集まった形で出来たものであり、纏め役がいない状態であった。初めは恋に任せようと思っていた賈駆だが、彼女が人を纏めることが出来るかは些か不安を感じていた。つい最近幕下に加わった将来有望な若手将校に任せることも考えていたが、当人が優秀過ぎたため生半可な兵では十全に力を発揮できないと判断し除外していた。そのため、荊州での反乱で軍を率いた経験があり、別に身内でも何でもない終の存在は渡りに船であったのだ。
「……謹んでお受けします。」
その言葉に終は、なぜ、と疑問を思い浮かべたが、疲労が極致に達していたのですぐにそれを受ける旨を伝える。それから、これまたすぐに今日は疲れたのでまた後日と伝えると逃げるようにその場を去った。
「お疲れ様です。終様。」
途中合流してきた自称臣下に水を渡される。終はそれに礼を言うと一気に飲み干した。恋との再会、それに合わせた一騒動、華雄との仕合、終いには義勇軍の指揮を任されると、今日一日だけで多大な精神的疲労を感じていた終は、もう何も考えたくない状態になっていた。それを小沙良も察しているため、心配そうに彼を見つめている。
「今日は色々有りすぎた。適当に寝るぜ。お前も好きにしろ。」
一先ず、いつまでも目の前の自称臣下を放っておくわけにもいかないので、自由にするように言う。時刻は既に日が夜の蚊帳が降り始めており、幕舎に入るもの、適当に空いた場所に横になるものなどもちらほらと見かけられる。
「承知しました。」
小沙良は、それを認めると終の前から去った。終と自分の寝る場所を確保するためである。
(俺のどこがいいんだか。)
そう思いつつも、大人しく彼女が寝る場所を見つけるのを待つことにした。
「終、寝る?」
(………忘れてた。)
それから少しして、終の前に現れたのは自称臣下ではなく。自身の親友であった。彼が疲労を感じる原因となった、彼女の旦那様発言による奇襲攻撃によって完全に忘れていたが、確かに彼女は自分と寝るも発言していた。
(小紗良に伝えねぇとな。)
彼女の様子から、どうあがいても自分は連行されるという未来を見た終は、未だ戻ってきていない自称臣下にどう伝えようか悩む。
「…終様」
すると遠くから自分を呼ぶ声が聞こえた。終がその方向に目を向ければ、すべてを察した様子の小沙良がとても良い笑顔でうなずいていた。それを端的に表すなら『どうぞおたのしみください』である。
(気ぃ効かせんのがはぇよ。)
さっさとその場を去っていく彼女に、感謝しつつも終はあきれる。
「……こっち。」
「わかった!わかったから引っ張るな!」
恋が終の腕を引く。それに抵抗するだけの気力もない彼は、されるがままに連れていかれるのだった。
「……はぁ」
終が連れてこられた場所は、陣の一番離れに立てられた小さな天幕だった。恋は終をそこに連れていくなり彼を押し倒し、そのまま横合いに抱き着いた。終は突然の出来事と腕から感じる柔らかさや恋からしたいい匂いなどで一瞬頭が真っ白になったが、疲労のおかげか今日一日で慣れてしまったせいか、却って冷静になっていた。このため息は、いわば諦めの極致に至ったが故のものだ。
「なぁ、恋。」
「……ん」
「その態勢辛くないか?」
「……(フルフル」
「……そっか。」
そんな短い会話を得て、二人の間に沈黙が流れる。最後に会ってから、既に数年の月日が流れている。互いに話したいことがないはずがなかった。だが、互いに何から話すべきなのか迷っていた。それがこの沈黙だった。
「……洛陽に行った。」
先に話したのは恋だ。彼女は、終が最も気になっているであろう、自身の墨のことを話すことにした。彼に隠し事はしたくない。ただ、それだけの理由だが、恋にとってはそれがとても大事だった。
「信は止めた。でも見たかった。」
端的に語られる、言葉の羅列。それを終は真剣に聞き取る。
「門の前で、犬が苛められてた。助けたら捕まった。」
罰を受けた理由は、とても恋らしいものだった。彼女の動物好きは、終がよく知っている。その犬がどんなことをされていたかなど想像もつかないが、彼女が誰の目から見てもしかめていると分かる顔をしていることから、相当凄惨な目にあっていたのは想像できた。
「……そうか。」
終は、それしか言えなかった。その場に自分がいたならば、という『たられば』を考えなくはなかった。だが、彼女は既に咎人になり、その体に墨を彫られている。それが、彼には溜まらなく悔しかった。
「…痛く、なかったか?」
「痛かった。」
墨のことを聞けば、当たり前の答えが返ってくる。体に文字通り彫られるのだ。痛くないはずがない。
「でも、終にまた会えた。」
それでも彼女は笑ってそういった。その笑顔に、終は胸を締め付けられる思いになりながらも、そういってくれたことに確かな喜びを感じていた。
「色々苦労したんじゃねぇのか?」
「……お腹は空いた。」
墨は罪人の証。罪人に対する世間の目が厳しいものであるのは当然のこと。しかも、それが食事を得られないことに直結してしまったとなると、その時の恋の苦労は想像に難くない。
「倒れたら、月が助けてくれた。」
「…ここにいるのは、その恩に報いるためか?」
「……(コク」
恋の言葉に、確認の意を込めて問えば、彼女は小さく頷いた。
罪人に施しを与えるなど、並の感性では行えない。下手をしなくとも、恩を仇で返される可能性が高いからだ。しかも、恋にはわかりやすく墨が彫られている。普通は関わろうなどとは考えない。
だが、董卓は助けた。見ず知らずの罪人である恋を助けてくれた。
「……月も詠も、霞も華雄も、今は恋の友達。」
恋を助けてくれた董卓の存在は、恋がこの場に居るのに十分な理由になっている。そして、その董卓を中心に関わることになった人物たちも、恋にとってかけがえのない存在となっている。
「友達を、助けたい。」
彼女がここにいる理由は、とても単純だった。ただ、それだけの理由だったのだ。
「──そっかぁ。」
終は笑った。恋に新しい友ができたのがうれしくて、その友のために戦うといって、それがうれしくて笑った。
「なら、俺も頑張らないとな!」
恋は親友である。その親友の友を守るのに、何の迷いがある。
「お前も、お前の友達も、俺がキッチリ守ってやるよ!」
終は言い切った。強い意思を持って、ハッキリと言い切った。
もう、彼女から何も奪わせない。必ず守り抜いて見せる。そんな決意を言葉に乗せて
「……なら、恋は、終を守る。」
それに恋も答える。強い意思を持って、ハッキリと答える。
「終も、皆も、恋が守る。」
もう、何も奪わせない。大切な人達を守り抜く。そんな決意を言葉に乗せて
「クハハ!それなら負ける気がしねぇな!」
恋は強い。久しぶりに彼女に会った終は、一目見たときから彼女が誰よりも強くなったことを見抜いていた。そして、自分もまた彼女と共に戦える程度にはなったことを、今日の出来事で自覚していた。だからこその、自信に満ち溢れた笑いだ。そんな彼の姿を見て、恋も嬉しそうに微笑むのだった。
それから、数日の時が流れる。
「ごめん、俺の耳が悪くなったみたいだわ。もっぺん言ってくれないか?」
場所は董卓軍の天幕。義勇軍の大将に任じられている終は、緊急の招集があると聞いてここに訪れていた。彼の他にも董卓軍の面々が集まっており、この陣における主要な人物が一堂に会していた。
「明日の明朝、陣を出て反乱軍に突撃を敢行せよとの命令よ。それも、義勇軍を含めた董卓軍のみで」
自分の聞き間違いだと思いたかった内容を、ため息交じりに告げる賈駆。それを見て聞き間違いであってほしかったと終は天を仰ぐ。
「なぁ、賈駆さんや。うちの軍は総勢十万だったよな?」
「ええ。」
「その内八千が董卓軍で、義勇軍がおおよそ千。これで間違いなかったよな?」
「ええ、そうよ。」
「それで?敵の数はいくらだっけ?しかもその内の何割が騎馬だっけ?」
「軽く見積もって、五万。ほぼ全てが騎兵と見るべきね。」
ちなみに官軍十万の内、騎兵は董卓軍のものを含めて一万である。さらにそのうち最も練度の高い董卓軍の騎兵の数は五千、それも西涼騎兵の劣化版と言ってもいいものであり、とてもではないが太刀打ちできるものではない。つまり、野戦を仕掛けた場合、余程綿密な策と準備がない限り勝てないというわけである。
「……言いたくないが、敢えて言うぞ。今度の総大将は阿呆なのか?」
「終様。言いたい気持ちは痛いほど分かります。ですが、ここは厳に慎まれるべきです。」
総大将の交代。これはつい先日の話である。具体的に何があったかなどは知らされていないが、総大将であった皇甫嵩は洛陽に呼び戻され、代わりに張温という人物が総大将になった。敵が目の前に来ているときに交代という時点で、終は凄まじく嫌な予感を感じていた。それがものの見事に的中してしまったわけだ。
「まぁ、仁やんが言いたくなるんも分かるわ。うちから見ても、アホとしか言えんからなぁ。」
「涼州に董卓軍の武名を轟かせる良い機会ではないか!何故暗くなる!?」
「よし、いいこと思い付いた。このド阿呆を素手で敵陣に放り込もう。多少は混乱させられるだろ。」
総大将の無茶な命令に、あきれた態度を隠そうともしない張遼。その張遼に対して一人熱気を上げる華雄。その華雄に非常に分かりやすい馬鹿にした発言をする終。それぞれ、総大将の命に対して三者三様の反応を示すのだった。
「文句を言っても仕方ないわ。どんなものでも総大将の命令よ。やるしかないでしょ。」
「そうは言っても人数差がなぁ……」
九千で五万と当たる。それも味方の援護なし。
その場で自害しろと命令された方がまだマシと感じるほどの絶望である。
「夜襲を仕掛けて相手の士気を挫くべきではないでしょうか?このままぶつかっても、数で擂り潰されるのが関の山です。」
終の傍に居た小沙良が意見する。このまま馬鹿正直に突撃を敢行しても一瞬で全滅するのは誰の目にも明らかだ。ならば、少しでも優位に立つために、相手の勢いを削ごうという当然の意見である。
「残念だけれど必ず、明日の明朝での突撃を厳命されてるわ。しかも、違反した場合は厳罰に処すともね。」
「…あんたら向こうでどんな悪さしたんだよ。」
しかし、その少しすらも許されない。終は、この徹底的な無茶ぶりへの強行に、こちら側が何かしたのではないかと疑いを持った。そんなことはないとすぐに否定されたが
「詠ちゃん。大丈夫?」
心配そうに自身の親友兼軍師に言葉を掛ける董卓
「大丈夫よ、月。策は、ちゃんと考えてあるから。」
賈駆は、それに自信ありげに言葉を返すと、対西涼騎兵の策を語り出した。
長い一日が始まる




