帰って災難
無口な娘ってなんか良いですよねぇ
星空の下に約束をした翌日
終達は遠回りをして并州へと戻って行った。
こうした理由は、帰りは確実に安全を確保しながら帰ろうと終が考えためである。
その帰り方とは、比較的人が多く
尚且つ并州に確実に戻れる道を行くことであった。
彼は地図の内容を頭に入れていたため道を逸れると言うことは起こらなかった。
結果としては安全に并州に戻ることが出来た
遠くに城壁が見える
だが、安全に来れたことの引き換えとして
帰りに10日も掛けてしまった。
「まさか安全第一でこんなことになるなんてな。」
城壁を遠目に見ながら彼は呟いた。
道中で賊に会ったことを考慮し
帰りも同じように直線で行くのは危険だと判断した結果
この方法を選択したのは良かったが予想以上に時間が掛ったため
若干疲れていたのだった。
(流石にこんだけ時間かけちまったら
城の人達に言い訳できないよなぁ・・・
取り敢えず母上には黙ってくれるように頼めるだけ頼んでみるか。)
終がそんなことを考えている間にも并州の城門は近づいてくる。
「ん?」
その時、終は違和感を覚えた。
并州の様子が行く前と少し違っていたのだ。
城から漂っていた何処か陰鬱とした雰囲気が無くなり
逆に光でも射し込んでいるように明るい雰囲気が漂っていた。
良く聞けば微かに喜びの声が上がっている。
「麒麟!」
城の様子が変わっていることが気になった彼は麒麟の名を呼んだ。
それに答えるように麒麟は城まで一気に駆けた。
城門に到着した時、城の中はお祭り騒ぎだった。
多くの人々が外に出て嬉しそうに笑っている。
中には昼だと言うのに酒を飲んでいる人までいた。
「・・・こりゃ一体全体どうなってるんだ?」
出た時の様子と比べて余りに変わり過ぎていたので
何がどうなっているのか全く理解できずに呆然としていた。
「おや、お帰りになられたのですか?」
そんな彼に声が掛る。
その如何にも商人風の喋り方と声を終は覚えていた。
「久しぶりですね、親父さん。」
終は麒麟から降りると笑顔でそう言った。
その人物は、并州一の食事処の店主であった。
「ええ、お久しぶりです。」
親父は、にっこりと笑いながら終の言葉にそう返した。
その笑顔は喋り方と同じように商人風の笑顔だった。
挨拶をすませると彼は、すぐさま質問した。
「早速、質問させてもらいますけど
これはどうなっているんです?何で皆こんな元気になっているんですか?」
「さぁ、何故でしょうねぇ。」
終の質問に親父は、「クックッ」と笑うと態とらしく惚けた。
それに終は少し不機嫌そうな顔をした。
「・・・多分、貴方が一番分かっているのではないのですか?」
親父は笑うのを止めると顔は笑顔のまま
しかし目は笑わずに、何処か彼を試すような雰囲気を出していた。
(・・親父さんも意地悪な人だな。
答えを知っているくせに教えてくれない。)
そう思いながらも終は思考を巡らせた。
(・・・并州の人達が暗かったのは匈奴の人達が近くまで攻めて来たから。
しかも匈奴の人達の勢いが凄かったからその暗さに拍車が掛っていた。
少なくとも俺が城を出る前、つまり10数日前まではそんな状態だった。)
彼は、さらに思考を加速させる。
(・・だとしたら俺達が出たこの期間の間に何かしらの変化があったということ。
自棄になっている雰囲気じゃなくて本当に喜んでいる雰囲気だから
少なくとも良いことがあったということ。て言うことは・・・)
終は自分が出した答えに首を振った。
納得出来る要素が少なかったのだ。
(いくらなんでも速すぎる
出陣した日数から言って20何日か・・
向こうもこっちに来ていたことを計算して
接敵するときは大体2,3日ぐらい・・・
そして敗北したのが接敵した当日だと計算、
さらにそれを伝えられる人が并州まで来るのに数日。
その時点で出陣してから長く見積もって10日くらい経っていることになるな・・・
そして俺が恋を連れて行った時を計算すると
空白とも言える期間は大体10日くらい・・・)
自分が出した結論にさらに困惑することになる。
(どう考えても無理だ。
守りを固めながら確実に時間を掛けて勝ったならともかく
この短い期間で、しかも話によれば手酷く負けた後で
軍を立てなおして、しかも勢いのある匈奴の人達を負かすのはどう考えても―――
「――――無理だろ」
ポツリっとそんな言葉が零れ落ちた。
「どうやら、答えには辿りついたようですね。」
その言葉を拾うように親父が終に話しかけた。
彼の目には先ほどのような試す雰囲気は無くなっていた。
「いや、でもどう考えても無理ですよ。
そんなことが、
母上達が勝利するなんてことが
こんな短い期間で出来る訳がないじゃないですか。」
親父の言葉を否定するように言い返した。
確かにこれしか人々が喜べる理由はない
だが、やはり彼からしたら無理と言える答えなのだ。
「ですが、それが事実だからこそ
皆このように喜んでいるのだと・・・そうは思いませんか?」
少し頑固とも言える彼の言葉に親父はそう返す。
だが、当の親父自身これを聞いた時は疑わざるを得なかった。
この吉報を報告してきた人物は
見た目は満身創痍と言っても良いような程にボロボロで疲れ切っていたのだ。
しかし気休め程度の目的で
并州刺史である彼女がそのような嘘を知らせるために
人を使わせるとは微塵も思えなかった。
それはここに住む民全員が知っていることだった。
だからこそそれが事実だと分かったのだ。
「確かにそうですけど・・・」
むむむと唸りながら終は腕を組んだ。
やはりそれしかないと分かっても俄かに信じ難いようだ。
「何がむむむですか!」
そんな彼にピシャリと親父は言い放った。
「彼女達は勝利した。
仮に勝利していなかったとしても
いずれ彼女達は勝利を掴むことが出来ます。
現に城下の人々は皆喜んでいるのですよ?」
親父に言われて終は改めて人々を見た。
皆一様に生気に満ちた顔をしていた。
「・・・事実を事実として受け止めることも時には大切ですよ。」
最後に、とでも言うように親父は話を締めくくった。
それから一頻り考えたが
「・・・事実なら仕方ないですね。」
親父の言っている事が正しいと判断し、そう答えた。
どの道にしろ彼女達が負けるなどとは微塵も思っていなかった彼だ
遅かれ速かれこうなることは分かっていた
その結果が速過ぎたから中々信じられなかっただけなのだ
何処か遠くから響いているように聞こえた歓声が
今は、はっきりと聞くことが出来た。
「それにしても本当に文字通りのお祭り騒ぎですね、これ。」
「今の今までずっと怯えながら過ごしていましたから
その喜びもまた大きくなるものです。」
「流石に騒ぎ過ぎな気がしますけど。」
「私はそれだけのことだと思いますがねぇ。」
椅子に座り、机を挟んで二人は話しあっていた。
あの後、城門の前で少し話をしていたのだが
恋が麒麟から降りてお腹が空いたことを伝えたため
親父の提案で今、親父の店にいた。
ガチャ
恋は終の隣で大皿を何枚も重ねている。
ちなみにその皿の中にはさりげなく彼の食べた料理の皿も入っている。
親父がついでに終も食べるように促したからだ。
無一文だったため始めは断っていたが
「丁原様からキッチリ頂きますから大丈夫ですよ」
と言ったため少しだけ罪悪感を感じたものの自分も腹が減っていたため
心の中で彼女に謝りながら食べることにしたのだ。
まぁ、彼が食べる量は
恋に比べれば遥かに少ないため信も大して気にしないとは思うが
「でも、流石にこんな昼間に酒を飲むのは如何かと思いますよ。」
そう言って店の外の人々を見る。
ほとんどの人が酒瓶を片手に顔を真っ赤にさせていた。
「あぁ、あれでしたら祝い酒と言う名目で
私が皆様に送らせていただいたものです。」
もちろん、貰うものはちゃんと貰っていますがね
そう言って小さな器に入れられた茶を一口飲んだ。
「・・・これは失敗だと思いますよ、親父さん」
終は店の前で口論をし始めた筋骨隆々の男二人を見て言った。
「望まれた時に望まれた品を用意し
それを相手に売ることの何処が失敗なのでしょうか?」
それに親父は、そう返した。
商人が利を得るために行動することの何処が失敗なのか
それを彼にやんわりと尋ねたのだ。
「確かに商人としては成功しています。
ですけど道端に酔っ払いが出てきて
色々面倒になっている点に関しては失敗だと思ったんですよ。」
「それも并州が平和になったからだと思いますがねぇ。」
「別の意味で平和から遠ざかっているとも思いますけどね。」
ついに殴り合いを始めた酔っ払い達を見ながら親父に言う。
「若い人達が喧嘩をするのも平和の一つですよ。」
「治安という点ではかなり悪いと思いますよ。」
「まぁ、たまには良いではありませんか。」
「良くないですよ。怪我人が出たらどうするんですか。」
「怪我人と言っても喧嘩をしている当人たちだけになると思いますがねぇ」
「はぁ・・・」
一つ溜息を吐くと終は椅子から立ち上がった。
そして酔っ払いを囲んでいた野次馬達の中から
突然文字通り吹き飛んできた男を受け止めた。
野次馬達の囲いにできた穴から
二人の酔っ払いの内の一人が拳を突き出し
もう一人が足がふらついたのか反射なのか背を屈めた格好でいた。
ジャリ
余程勢いがあったのか彼の体が若干後ろに下がった。
だが、それ以上下がることはなく男を受けきった。
そしてふぅ、と一つ溜め息を吐くと男をすぐ横に寝かせた。
「・・・たった今当人たち以外の怪我人が出ましたよ。」
親父の方に顔を向けると終は親父に言った。
「それも、たまには良いと思いますけどねぇ」
それに親父はそう返す。
巻き込まれて殴られることに一体どんな良いことがあると言うのか
そんなことを思いはしたが
巻き込まれる方の運がなかったと割り切ってその言葉は言わなかった。
「ああ、そういえば聞きたいことがあるんでした。」
終は并州に到着し、親父から話を聞いてずっと気になっていたことを思い出した。
「聞きたいこと、とは?」
「どうやって匈奴の大軍に勝ったのか、ていうことですよ」
取り敢えず勝ったという点は既に理解したし分かったことだが
一体どうやって勝ったのか、その過程が気になっていたのだ。
「・・・そのことでしたら、」
彼の質問に親父は少し口角を上げて
「貴方の後ろの方が詳しく教えてくれると思いますよ。」
彼の後ろに視線をやった。
同時に頭に乗る懐かしい感覚
時に自分を慰め、時に愛を込めて叱ってくれた
自分にとってただ一人の『母親』の手
縁の手であった
「・・・・・」
しかし今は触れた相手に
恐怖しか感じさせることの出来ない死刑宣告を知らせるための鐘である。
彼女は、まったくの無表情で彼の頭に手を乗せ無言で見下ろしていた。
全身からおどろおどろしい気を発している。
親父の口角がさらに吊り上がる
顔を引き攣らせているのだ
終は顔面蒼白になった。
「母上」と呼ぼうとしたが
あまりの気の強さに何も喋ることが出来なくなっていた。
(やばいヤばいヤバいヤバイ
如何するどうするドウスル)
必死になって思考を巡らしていると終は、ふと辺りが静かになっていることに気が付いた。
先ほどまで賑わっていた周囲が嘘のように静まり返っていた。
それこそまさに、『通夜』か『葬式』にでも来たかのように
「お、おい」
「あ、ああ」
先ほどまで殴り合っていた男たちは、
すっかり酔いがさめた様子でその場を離れていった。
それに続いて野次馬達、それ以外の人々と皆逃げるように去って行った。
店にいた店員達もそそくさと店の奥に入って行った。
「「「「・・・・・」」」」
そして残ったのは四人
無表情の縁、頭を掴まれた終、それを正面から見ている親父
そして本能的に不味い気配を感じ、食事を中断した恋
四人が四人共に沈黙していたがそれぞれの沈黙の意味は全く違うものだった。
「・・・親子水入らずの再会です。
邪魔をしては失礼に当たるでしょう。」
親父は突然そう言って立ち上がった。
彼女が彼の背後に立った時点でかなり嫌な予感がしていたため
すぐさま逃げることにしたのだ。
「・・・・」
同時に恋も立ち上がる。
このままここに居てはアブナイと直感で理解できたのだ。
「では、ごゆっくり」
親父は、そう言うと恋と共にそそくさと店の奥に退避した。
ただ、恋だけは退避する寸前に
「がんばる」と彼に向って言っていた。
後に残ったのは
「・・・・・・」
少しずつ万力のように力を加え始めた縁と
「・・・・・・」
鈍い痛みを感じながらも、何処か達観したような表情をしている終だった。
それからの展開は、お察しくださいとしか言えないものだった
自業自得とは言え、ご愁傷様である
「はーはーうーえー」
それから数刻程経った夕方
現在、終は政庁にある一番高い木に吊るされていた。
もちろん全身を縄で巻かれて動けないようになっている。
「おねがいですからおろしてくださーい
ちゃんとはんせいしますからー」
涙目になりながら振り子のようにぶらぶらともがき、
必死に下ろしてもらおうと大きな声で哀願した。
しかし声が聞こえないほど遠くへ行ったのか
それとも聞こえないふりをしているのか、縁は姿を現さなかった。
「・・・はぁ」
ぶらぶらするのを止めると
終は考えを巡らすことにした
とは言っても今彼が考えていることは
(なぜ母上がここにいるんだ?)
ということだけだった。
彼は知らないが
ここ并州に吉報を知らせに来たのは縁だったのだ。
ただ知らせるだけなら彼女でなくとも良かったのだが
ある報告が并州から彼女達の元に届いたため
匈奴との戦が終わった後に残りの作業を全て信達に任せる算段を立て
真っ先にここに戻るついでに吉報を持ってきたのだ。
それが届いたのは数日前
匈奴の軍勢を并州から一掃する策の準備が整い
それを実行に移そうした時だった。
恋と終がいなくなった
并州から送られてきた使者は彼女たちの前に出ると慌てた様子でそう報告してきた。
それを聞いた瞬間、縁は間違いなく終の悪い癖が出たのだと確信した
常山にいたころに何度も経験したことなので
彼がいなくなることは何となく予想がついていた。
なので、ただいなくなっただけならば
罰として少し強めに小突いて説教するだけで済ませようと考えていた。
ちなみに彼が受けている彼女の小突くの威力は
それなりに体つきの良い大人でもしばらくの間悶絶するほどの威力である。
説教に関しては、もはや語るまでもない。
しかし、恋も一緒にいなくなったと聞けば話は変わってくる。
恋は彼女の見立てでは終のように放浪癖がなく
城の外に出ることはないとまずないと考えられていた。
実際、彼女の予想は大方当たっており
恋は城の外に出ることなく動物たちと戯れることを楽しんでいた。
だから、彼女がいなくなるとすれば
誰かが連れて行ったと考えたほうが妥当なのだ。
そしてその誰かも、いなくなった人物の名前を聞けば
必然的に分かることになる。
当然彼女は激昂した
その怒りは、まさに烈火の如く彼女の心中に渦巻いた
しかし、その時は状況が状況だったので如何にか怒りを抑えることが出来たのだ。
その後、見事策を成功させ
匈奴の軍勢を破り并州の人々に吉報を知らせ
それを終えた次の日に
親父の店で呑気に話をしている終を見つけ
今まで溜まっていたものが全て吹き出し
今の彼の状態になったということである。
(・・・母上に怒られることは、ここから出るときに覚悟していたけど
まさかこれ程までに怒るなんてね。)
取り敢えず何故縁が居るかについては保留し
現状をどうしようか考えることにした。
昼から夕方までずっと吊るされているのだ
流石に頭に血が上ってかなり辛くなる。
「・・・さて、どうしようかな」
終は自分を縛っている縄に目を向けた。
縛られてからずっとこの縄を解こうとしているのだが
余程固く縛ってあるのか、どんなに力を入れても緩む気配すらなかった。
「あー、ちくしょう」
全く解ける気配がない縄に対して悪態をついた。
どんなに思考を巡らしてもこの縄を解く手段が思い浮かばない。
そうしている内にも時は進み
辺りは暗くなっていき東の空に月が見えてきた。
「・・・ん?」
ふと近くに気配を感じその方向に目を向けた。
そこに居たのは
「母上・・・」
彼をここに吊るした人物であり彼の母である縁だった。
昼間の時と変わらず無表情であったが
怒りは少し治まっている様子だった。
「・・・・・」
縁は、ゆっくりとした足取りで終に近づいた。
そして吊るされている彼の数歩前で止まった。
かなり高い位置に吊るされているため
彼女から見れば彼に見下ろされている位置にいる。
なので、今彼女は彼を見上げている。
しかし
ヒュッ カッ
それも一瞬だった
彼女が刀に手をやるのと
ほとんど同時に刀身が抜き放たれ
彼を吊るしている紐を切ったのだ。
「へっ?」
突然の出来事に終は全く対処できなかった。
何が起きたのか気づいたときには地面が目の前に迫っていた。
(・・これは、やばい)
そう思考した時には地面と激突する寸前だった。
彼は、せめて頭から落ちないようにしようと全力で体を捻ろうとした。
しかし、それはできなかった。
なぜなら
彼がそうする前に縁が彼を縛っている縄を掴んで
地面に当たる寸前で落下の勢いを止めたからである。
「・・ははう、グギャ」
終は母の顔を見ようとしたが
そうする前に彼女の手が離され、頭を地面にぶつけることになった。
地味に痛む頭を手で押さえようとしたが
縄で縛られているためまるで芋虫のように腰だけ上げて
地面に擦り付けるように頭を下げることでしか、この痛みを堪える術がなかった。
そんな彼を無視して縁は木に近づくと溜を作りそれを殴りつけた。
すると木が大きく揺れ、刀が地面に落ちた。
「・・・終」
落ちた刀を拾い、鞘に納めると
今日再会してから初めて彼女は彼の名前を呼んだ。
その声に即座に反応し縛られながらも背筋を伸ばす。
「何故、呂布を連れてここを出たのだ?」
前置きもなく、振り返りもせず、彼女は彼に問いかけた。
先ほどの比ではないが激怒していることに変わりはないようだった。
「・・あいつを元気付けたかったからです。」
その質問に終は正直に理由をはっきりとした口調で言った。
言わなければ何かされると思ったからではなく
隠す必要がないと思ったからでもなく
自分が自信を持って正しいことをしたと思えることだったからだ。
縁は視線だけ彼に向けた。
彼は胸を張りながら黙ってその目を見つめ返した。
東から昇った月の光が彼女を照らす。
腰まで伸びた美しい黒髪がその光を受けて輝いた。
「・・・ふっ」
縁は一頻り彼を見つめると一つ息を吐き振り返った。
その顔は怒りが消えて少しだけ嬉しそうな笑みが浮かんでいた。
瞬間、彼の視界から彼女が消えた。
パサッ
その数瞬の後、どんなに力を入れても
決して緩まなかったほど固く結ばれていた縄が軽い音を立てて地面に落ちた。
それに驚いた表情をすると自分の両手を見て開いては閉じを繰り返す。
「その話、詳しく聞かせてもらおうか」
背後からした縁の声に今度は終が振り返った。
悪戯が成功した子供のような顔を浮かべて
彼から何歩か離れた位置に立っていた。
「着いてこい。
腹が減っているだろう?」
そう言うと縁は食堂へ向う為に歩みを進めた。
終もそれに続こうとしたが
昼から今に至るまでずっと吊るされていたため
中々思うように体を動かすことが出来ず立てないでいた。
「何時まで座っているんだ?
さては飯が欲しくないのか?」
廊下まで歩いた縁が彼に届くような声で聞いた。
「そんな訳ありませんよ!」
終は、そう言い返すと若干ふらふらしながらも立ち上がり
ゆっくりとした歩みで彼女を追った。
それを彼女はジッと見つめていた。
「どうしたんです、母上。
何故そこから動かないんですか?」
不審に思った終は足を止めずに聞いた。
その歩みも少しずつ普通の歩き方になってきている。
「・・なぁに、お前の奇妙な歩きを見て楽しんでいたのよ」
ふっと笑みを浮かべると、人を見下したような目で彼に言った。
それに本気で殴りかかろうか歩きながら考えたが
自業自得であるのを自覚しているのと同時に
どうせ当たらないだろうと理解していたので
結局、彼女の目の前に来ても何もしなかった。
「さっさと行くぞ、私も腹が減っているのだ。
それに貴様の話も聞かなければならんからな。」
縁は再び食堂を目指して歩き始めた。
終もそれに続いた
まるで何事もなかったかのように歩むことが出来ていた。
それから彼は縁に促されて
食堂に着くまでに何故恋を元気付けたかったかを話し
食堂についてからは食事をしながら話を進めた。
もちろん、賊に遭遇したことは話さなかった。
彼女に心配を掛けさせたくないのも理由だったが
それ以前に説教か拳骨のどちらかが向けられるのが容易に想像できたからだ。
しかし相手は縁
彼の母である
数秒と掛らずに彼は嘘を見抜かれ
両頬を餅のように引き延ばされることとなり
結局、賊の話をすることになったのだった。
「・・・それで俺は、その役人さん達に
後のことをお願いしてその場から立ち去ったんです。」
終は話している間にも地味に痛んでいた頬を手で擦りながら話しを終えた。
全く話す気がなかった話を無理矢理話させられたので
顔には出さなかったが、かなり不機嫌になると同時に不安になっていた。
(大分怒りが収まっているからもうあの木に吊るすことはないとは思うが
拳骨か説教か、それとも両方が来ることは考えられるか・・・)
取り敢えずどちらが来ても大丈夫なように身構えた。
しかし
「・・・・・そうか、そんなことがあったのか」
拳骨をすることも説教をすることもなく
ただ簡潔にそう言うと何かを考えるように正面を見据えていた。
予想外の反応に終は戸惑った
あまりに彼女らしくなかったからだ
何時もの彼女なら彼が話し終えた後
彼が考えていた通りのことをするはずなのだ。
なぜなら、彼女は彼が危険な真似をするのを嫌うから
特に誰かを巻き込む程の危険な真似をすることを最も嫌っている
今回のこれは発案した当初
彼も流石に危険だと考えていたが
恋を如何しても元気付けたかったためにそれを承知で実行したのだ。
だが、理由がどんなに良いことであっても
他人を危険な目に合わせた点に関しては彼女は如何あっても許すことはない。
それは今までの彼女を見て知っていた
知っていたからこそ彼は今の彼女を見て動揺したのだ。
「母上?」
終は縁に声を掛けた。
しかし彼女からは何の反応もなかった
ただ、何かを思い出すかのように前を見据えている
何故かその顔は彼から見て少し嬉しそうに見えた
「・・あの、母上?」
「・・・ん?どうした、終。」
やや間があってから縁は終の呼びかけに反応した。
しかし、それも何処か薄いものがあった。
やはり今の彼女は可笑しい、
そう思い彼は彼女に問いかけた。
「大丈夫ですか?」
「何がだ?」
「いえ、ちょっと様子が可笑しいと思いまして」
終のその言葉に縁は明確な反応を示し、彼の方に顔を向けた。
「・・・・・何故、そう思った?」
少し強い口調で彼にそう問いただした。
何を思ってそのように聞くのか
彼は分からなかったが、少なくともはっきり答えた方が良いことは理解できた。
「・・今の母上がいつもと少し違うからです。」
だから彼は、若干の躊躇いがありながらも縁にそう答えることが出来た。
それを聞いて彼女は少しだけ目を細めると
「そうか」と一言だけ呟くように言った。
そしてしばらくの間会話が途切れた。
お互い既に食事を終えていたため
席を立ち、部屋へと戻って行った。
その途中縁が、賊と遭遇し
役人たちに後を任せた後の話をするように促したため終は話を続けた。
「・・・てな感じで
今日、并州に戻って来たんです。」
そう言って終は恋を連れて并州を出た経緯とその後の過程と結果の全てを話した。
場所は既に寝所に移っており
月も大分高い位置に昇っていた。
「ふむ、つまりお前の話を纏めてしまえば
呂布が私たちが大敗したという話を聞いて
元気をなくしてしまったから
お前は呂布を元気付けようと思って
私にも秘密にしている場所に連れて行こうと決意し実行した。
そして諸々の問題は起こったものの結果的には成功した、と言うところか。」
「まぁ、そんなところです。」
実に分かりやすく自分が話したことを纏めた彼女の言葉に終は頷いた。
確かに彼女の言った通り、問題は起こったが
彼女を元気にさせることが出来たので成功と言えるものだった。
「・・・けど、本当に驚きましたよ。
まさか母上が既に并州に戻って、しかも勝利の報を伝えているなんて」
「ふん、あの程度の雑兵に遅れをとる私ではない。
・・・お前は私が負けるとでも思っていたのか?」
その質問に終は「まさかぁ」と言って首を振った。
「母上が負けるなんて微塵も考えていませんでしたよ。」
「なら、何故驚いたのだ?
勝利すると考えていたならば何時帰ってきても可笑しくないと思うはずだろう。」
「確かにそうですけど・・・」
そう言って苦笑いしながら彼女を見て言った。
「普通に考えてこんな短期間で戻ってくるとは思わないでしょう。」
それを聞いて縁は顎に手をやると思案顔になった。
別に彼は間違ったことは言っていない
むしろ普通と言えることを言っている
「・・・終」
だが、その普通と言うのが
「何ですか、母上」
誰にでも通じる訳ではない
「そんなに速かったか?」
「速いです、速過ぎです。」
この会話を通じて彼は、そう学んだ。
「私としては普通だと思うのだが」
「手酷く負けてからほとんど時間を掛けずに匈奴の大軍に勝利する。
これをどう考えたら普通にすることが出来るんですか。」
「・・・ああ、まずそこからか」
縁は納得したように喉を鳴らして笑った。
「・・・何ですか?
何か間違ったこと言いました?」
「いや、間違えてはいないさ。
だが、当たってもいない。」
「はい?それは一体どういう意味ですか?」
疑問に思った終は、そう質問した。
「さぁて?
自分で考えてみたらどうだ?」
しかし縁は意地悪そうな笑みを浮かべるだけで答えようとしなかった。
この場合、彼女は絶対に答えを言わないことは分かっていた。
しかし、こればかりは答えを出すのにどうしても彼女の言葉がもう少し必要だった。
「考えろと言われましても、母上からの手掛かりが少なすぎですよ」
「そうか?私はむしろ多いくらいに思っているのだが?」
「それはあくまでも母上の基準じゃないですか。」
「自分の基準で物事を言わない人間があるか?」
「自分の基準を他人に押し付ける人間はいると思いますよ。」
そんな感じで口論を始めたが
夜も遅かったため終は段々と眠気に襲われ始めた。
「・・今日はもう遅い。
話の続きは、また明日にしよう。」
「・・・・そうですね。
流石に今日は疲れました。」
そう言うと終は寝台に体を預けた。
そしてゆっくりと瞼が閉じて行く。
「・・・そういえば・・・言い忘れていたことがありました。」
ふと思い出したように目を薄らと開けた。
縁がこちらを向いたのが何となくわかった。
きっと怪訝そうな顔をしているだろう
ぼんやりとし始めた頭でそう考えた。
そして言い忘れていた言葉を放った
「おかえりなさい、母上」
ただ一言、それだけ言うと終は眠りについた。
その時の寝顔がどんなものだったのかは
眠ってしまった彼には分からなかった。




