友達
犬にセキトと命名してから幾日か経った。
この数日間、終と呂布は一緒になってセキトと遊ぶ毎日を送っていた。
遊ぶ時間が増えたせいで鍛錬や読書をする時間が減ったが
彼は『楽しいから良いか』と考え、特に問題なく日々を過ごしていた。
彼等は今セキトを連れて散歩に出ていた。
「お~い、セキト。」
終は自分たちの前を走っていたセキトに呼びかけた。
セキトは首を傾げて彼等の方を見た。
「包帯解けてから日が浅いんだからさ、
あんま走り過ぎるなよ。傷口開くぞ。」
終はセキトに追いつくとその頭を優しく撫でた。
「おやおや、仲が宜しいことで。」
突然横から声が聞こえた。
終は一瞬驚いたが、声が聞いたことのあるものであったためすぐに平静に戻った。
「・・親父さん、心臓に悪いことは止めてくださいよ。」
「おっと、これは失礼しました。
あなたほどの人ならば声を掛けても
大して驚かないであろうと思っていましたので。」
親父は、喉を鳴らしながら笑うと頭を少し下げた。
「期待させて悪いですけど
俺、こう見えて結構憶病なんですよ。」
終は、何時もの笑顔を顔に浮かべながら言った。
「そうでしたか。
では、次回からは驚かせないように努力しましょう。」
それに親父も何時もの商人らしい笑顔になるとそう返答した。
「そう言えば親父さん。
何でここに居るんですか?」
終は親父に疑問をぶつけた。
今、彼と親父の居る此処は親父の店の前では無いからである。
「ああ、それですか。」
親父は終に背を向けると何やら沢山物が置かれている場所に足を向けた。
終も呂布にセキトのことを任せると親父の後について行った。
「昨日屋敷の整理をしたのですが
残しても仕方が無いものが多数出てきましたのでね。
行商人時期の思い出に浸るついでに売ることにしたのですよ。」
親父は、そう説明しながらそこに用意してあった茣蓙に座った。
「へ~、そうだったんですか。
・・・あっちの店の方は一体どうしてるんです?」
終が食事処のことを聞くと親父は深くため息を吐いた。
「ほとんど人が来ませんからねぇ。
はっきりと申し上げますと暇なのですよ。
まあ、人が来たところで店の者に任せていますから大丈夫です。」
「・・そうですか。」
終は、少し考えるようにそこにある商品を見た。
「ちょっと見ても良いですか?」
「構いませんよ。
ただ、買うとするのでしたら・・・分かりますね?」
「・・・そう言うのは、俺が見てからですよ?親父さん。」
商人の顔になった親父を終は諭した。
親父はクックと笑いながら「これは失礼しました」と言った。
「それにしても本当に沢山ありますね。
普通に使えそうな奴から、何か明らかに誰も使わなさそうな奴まで。」
終は、そう言いながら左手に猫の置物を持ち右手に蝶を模した仮面を持った。
「それは州一の食事処の店主ともなれば自然と集まってしまうわけでして、
中には自分で考えて選んだ物も在りますがほとんどは贈り物だとか
金の変わりだとか物々交換した物だとかですよ。」
「へ~、じゃあ聞きますけど
親父さんが自分で選んで買った物ってこの中のどれなんですか?」
終がそう聞くと親父は顔に笑みを浮かべた。
「そうですね。
まず、あなたが左手に持っているそれですかね。」
親父は終の右手にある蝶の仮面を指さした。
彼はそれを見てまるで信じられないものを見たかのように親父を見た。
その様を見て親父はクックと笑った。
「・・・冗談ですよ。
いくら私でも、そのような趣味の悪いものを買う気など起きませんよ。」
親父がそう言うと終は、ほっと息を吐いた。
「びっくりさせないでくださいよ。
もう少しで親父さんのことを『変人』と思ってしまうところだったじゃないですか。」
「クック、ならば言って助かったと言うべきですかな?」
「まあ、ある意味そうとも言えますね。」
終の言葉を聞いてまたクックと親父は笑った。
「では、今度は真面目に教えるとしましょう。」
親父は、終の左手にある猫の置物を指さした。
(・・・どっち道にしろ、すでに俺の手の中にあったのか。)
猫の置物を見てそんなことを思った終だった。
「それは私が行商人時期に揚州に寄った折に
同じ行商人仲間が見せて一目惚れしましてね。
あのころの私は今と違って若かったですから勢いで買ってしまったのですよ。」
親父はその時のことを思いだすかのように語った。
だが、終は分からない単語が出て来たためそれを親父に聞いた。
「親父さん、話している途中で悪いですけど
『揚州』って一体どこにある地域なんですか?」
終がそう聞くと親父は彼が見た中で一番はっきりと表情を崩していた。
しばらくして顎に手をやると何か考えるように唸った。
「・・・一つお願いがあるのですが
あなたが知っている地名を全て言ってくれませんか?」
「俺が知っている地名?」
今度は終が顎に手を当てて考え出した。
「・・・并州、冀州、幽州、後は漢の中心である洛陽ぐらいですね。」
終が答えると親父は再び考え出した。
「ふむ、つまり自分が住んでいる場所の
周辺の地域と国の首都の名称は把握している。ということですかな?」
「・・・そう言うことになりますね。」
終は自分が言った地名の位置を思い出して気付いた。
「・・・よくよく考えますとあなたはまだ子供でしたね。
むしろそれだけ覚えているだけでも大したものだと思うべきでした。」
親父は、少しだけ自重気味に笑った。
「・・・何か何時も言われていることですけど
俺ってそんなに子供っぽく無いですか?」
「少なくとも、『普通』の子供とは呼べないですね。」
そう言いながらも親父は『それでも子供に変わりありませんがね』と思っていた。
「とにかくあなたは『揚州』が何処にあるのか知らない。
だから私に教えて欲しい。そう言うことですね?」
「はい。」
終は正直にそう答えた。
彼としては知らないままで恥を掻くより
正直に分からないものは分からないと言って
教えてもらった方が良いと思っているのだ。
「では、教えて差し上げましょう。」
親父は、そう前置くと説明を始めた。
「・・・揚州とは、この漢の東南部に位置する地域でして
気候も風土もこの地域とは間逆の場所なのですよ。」
「と?言いますと?」
「詳しく言いますと、あそこは雪が降りません。
あそこは雨が降ることはあっても熱い地域であるため
雪が降ること自体があり得ないのですよ。」
親父の説明を聞いて終は大いに驚いた。
この地域では当たり前のように降る雪が
向こうでは降らないと言うのだから当然ではある。
「次に肌の色も違いますね。
この地域は肌が白い方が多いですが
向こうでは褐色の方が多いのですよ。」
それを聞いてさらに終は驚いた。
自分の近所に住んでいた村人達は自分の母や自分、
そして一部の人間を除けば皆白い肌をしているからだ。
さらに并州に来る道中でも彼は白い肌の人間しか見ていなかった。
「・・何か眉唾な話ですね。」
「まあ、そう言われても仕方ないですね。」
終が言った言葉に親父はそう返した。
「ですが、これは私が自分の目で見た本当のことです。」
親父は、はっきりとそう断言した。
「・・・自分の目で、ね。」
その言葉を聞いて終は自分がしたいことを思い出した。
(俺もいつかは自分の目でこの国を見て回って、
道中で気の合う奴でも見つけて、そいつと友達になって・・・
そんな旅をしてみたいんだよな。)
「・・・ま、世間は広いってことですね。」
「その通りです。」
終の言葉に親父は頷いた。
「話が逸れましたけど、
結局この置物は何だったんですか?」
「おっと、そうでしたな。」
親父は終に促されてこの置物の説明を始めた。
「これは『幸運を呼ぶ猫』と言うものらしく
その名の通り、持ち主に幸運をもたらす置物なのだとそやつは言っておりましたな。」
親父がそれを胡散臭そうな顔で胡散臭そうに見ている様を見て
終は少し面白そうに笑った。
「偶然にもそれを買ってから
すぐに客が寄ってきて大儲けしたことには驚きましたがな。」
親父は、そう言って説明を終えるとそれを隅に置いた。
「これ以外だとどれになるんですか?」
「そうですね~、他には・・・」
親父は一番手前にあった二つの赤い腕輪を手に取った。
「これが一番思い出深い物でしてね。
私がまだ駆け出しの商人だったころに初めて洛陽に行った折に買った物なのですよ。」
親父は、またこれも懐かしそうに見つめていた。
「それで?それにはどう言った話があるんですか?」
「それは・・・」
親父は説明を始めようとしたが終の後ろを見て口を噤んだ。
終は、それを見て不思議に思ったが後ろを振り返って何故口を噤んだのか分かった。
その視線の先には、美味しそうな肉まんを売っている店があった。
「いや困るよ、お嬢ちゃん。
俺だって商売でこれ売ってるんだよ?
タダでやるわけにはいかないんだよ。」
困ったように店の店主らしき男が言う。
「・・・(ジー」
「くぅ~ん」
それを聞いているのか聞いていないのか
一人と一匹は物欲しそうに肉まんを見ていた。
「・・・・親父さん。」
「何ですかな?」
「この店っていつまで開くつもりなんですか?」
「そうですなぁ。
少なくとも、あなたが居る間は開いていると思いますよ。」
親父がそう言うと終は立ち上がった。
「それじゃあ、また今度来た時にでも教えてください。」
「構いませんよ。どの道暇ですからね。」
終は親父のそんな言葉を背に受けながら呂布たちの元に早足で向った。
「コラ、お前ら。
店の人に迷惑かけたら駄目だろ。」
終は二人の後ろに立つと注意した。
「りゅう」
呂布は振りかえると彼の名を呼んだ。
そして店先に並ぶ肉まんを指さした。
「あれ、ほしい」
そう言った呂布の顔は何時もと変わらず無表情ではあったが
その目は何時もより輝いていた。
(初めて名前で呼ばれた、って今はどうでもいいか)
「駄目だ。昼まで我慢しろ。」
終は、厳しい口調で呂布の願いを退けた。
それを聞くと呂布は悲しそうな表情をした。
「そもそも俺は金を持っていないんだ。
頼むだけ無駄って話だよ。」
終はさらにそう付け加えることで呂布と店との距離を離そうとする。
だが、呂布は諦めきれないのかまだ肉まんを見ている。
「・・・だああああ!!!
分かったよ!!そのうち食わしてやるから我慢しろ!!」
その言葉を聞くと呂布は一気に表情を明るくした。
「やくそく?」
念を入れるように呂布は聞いた。
「ああ、約束だ。」
終は自信の胸を叩いて言った。
「だからもうそこに立つの止めろ。
営業妨害ってやつだぞ。」
「・・・(コク」
呂布は素直にそこから離れて行った。
終は呂布が店から離れたのを見てその店の店主らしき男に頭を下げた。
「俺の友人が迷惑かけました。」
「いやいや、謝らなくても良いよ。
君のおかげで助かったようなものだからね。」
男は、そう言って笑いながら彼を許すと作業に戻った。
「やっかいな約束をしましたな。」
何時の間にか背後に居た親父がそう言った。
「やっかいって何がですか?」
「呂布ちゃんとの約束ですよ。」
親父は少し呆れたように彼を見た。
「そのうち食べさせてやる、と言っていましたが
あなた、あれを買うだけのお金を持っているのですか?」
物を買うには何かと金が必要なものである。
終もそんなことは分かっていた。
だから彼女に今はないから無理だと言い
あまりにも未練がましく見ていたため『そのうち』と約束してこの場から離れさせたのだ。
そのうち食わしてやる。
それはつまり
『近い将来、肉まんを買ってやるからそれまで待て』と言う意味なのである。
「ああ、それなら大丈夫ですよ。」
終は親父の言葉に笑いながらそう返した。
「母上から小遣いを少し貰っていますから。」
終は縁が出陣する前に彼女に頼んで少量の小遣いを貰っていたのだった。
「ほう、そうなのですか。
ならば「今は買うつもりはありませんよ。」・・そうですか。」
親父は少し残念そうな顔をしたが
終が『今は』と言ったのを聞き逃さなかった。
「では、気長に待つとしましょう。」
「ええ、そうしてください。」
終は親父に手を振りながら
少し離れた場所で自分を待っている呂布達のところへ歩いて行った。
それから昼になるまで散歩は続いた。
その間特に問題も起きず、
終と呂布とセキトの二人と一匹は城門近くを通っていた。
「なあ、呂布、セキト。
そろそろ昼になるし、もう帰らないか?」
「・・・(コク」
「わん!」
「よし。じゃあ、帰るか。」
終は呂布とセキトの返事を聞くと帰るために城門の前を通り過ぎようとした。
「おい!!その話は本当か?!!」
突然、城門から大声が聞こえてきた。
終は何事かとその方向に目を向けた。
旅人らしき男とここに残った住民らしき男が立っていた。
二人とも何処か慌てたような雰囲気を出している。
(何だろうな。)
「・・・ちょっと聞いてくるか。」
終は何を慌てているのか興味を持ちその場所へと歩いて行った。
呂布は昼飯を食べる時間が遅れると思い不機嫌そうな顔をしたが
一人で食べるのが寂しいのか、それともセキトが寂しがるからか
黙って彼の後へと着いて行った。
「本当の話だよ!
確かな筋からの情報だ!」
「出鱈目言ってるんじゃないんだろうな?!」
「こんな話を冗談で言えるものか!!」
二人はまるで言い争うように声を荒げていた。
そこに終は割り込むように混じって来た。
「あの~、すいません。」
「・・何だい君は?」
いきなり横から割りこまれたのを不快に思ったのか
ここに残った住民らしき男は棘の籠った声で聞いた。
「・・俺は訳あってここに残っている子供ですよ。
御二方が何故そんなに大声で話し合っているのか、
もっと言えばどんな話からこうなったのか興味があるんです。
よければ聞かせてくれませんか?」
終は当たり障りのないように返答をすると
自分が知りたいことを聞き出そうと質問した。
すると男は何処か言いにくそうに視線を逸らしたり
「それは・・・」とまで言って言葉を切ったりした。
「・・俺が教えよう。」
それを見て旅人らしき男がそう言った。
「おい、あんた!!
いくらなんでもその話を子供に教えるのは・・・」
「黙っていてもどうせ何時かは聞く話だ。
今話しても大して変わらん。」
旅人らしき男は住民らしき男の声を振り切ると終に男に話したのと同じ話をした。
「今から何日か前に匈奴の軍と并州の軍が戦ったんだが
その戦で并州側が多大な被害を被って敗北したんだ。」
男は、まるでその現場を見て来たかのように話した。
終は男の話が信じられなかった。
信と縁が率いた軍が負けたなどと言われて信じられるわけがなかった。
『あの』二人が負けるなどとは
「・・・丁原さんや、その配下の人達は無事なんですか?」
「いいや、俺にもそこまでは分からん。
ただ、『丁并州刺史率いる并州軍が負けた』っと聞いただけだからな。」
終は、それを聞いて表情を暗くした。
それを見かねたのか、男は「だが」と付け加えた。
「『丁并州刺史が死んだ』とは聞いていない。
だから、少なくともまだ生きていると思うよ。」
「・・・・そうですか。」
終は暗い表情を少し明るくした。
信が生きているということは
縁も生きている確率が高いと考えたからだ。
(丁原さんが生き残れるんだったら俺の母上も必ず生き残れる。)
「勝手に話に割り込んですいませんでした。
そして教えてくれてありがとうございます。」
終は二人に謝罪と感謝をした。
そして呂布とセキトと共に政庁へ戻ろうと後ろを振り返った。
だが、呂布もセキトもその場には居なかった。
呂布は走っていた。
まるで真実から逃げるように走り続けていた。
(しんが・・・まけた)
呂布の頭の中ではあの男の話した言葉が繰り返し響いていた。
始めは嘘だと思っていた。
あの人がそう簡単に負けるわけがないと
だが、終のあの表情を見て彼女はそれが事実であると
あの男は嘘をついていないのだと分かった。
・・・うそ
しんはまけない
しんは■とやくそくした
おとうさんとおかあさんのかたきをとる、いった
やくそくした
「・・やくそく・・・・した」
呂布は弱々しくそう呟いた。
(しまった!!)
「すいません!!俺の後ろに居た女の子が何処に行ったか知りませんか?!!」
終は先ほどまで自分に話をしてくれた二人に聞いた。
「すまないが、後ろまでは意識が行かなかったよ。」
二人は首を横に振った。
「クソ!」
終は二人に背を向けると我武者羅に走った。
終は余りにも話が衝撃的で気がつかなかったのだ。
彼女達を心配している人物が、自分のすぐ後ろに立っていたことに。
それから彼は走り続けた。
その途中で深紅の髪をした少女を見なかったかと
外を歩いていた人に聞いて回ったが、皆一様に首を振るばかりだった。
政庁の庭、親父の店、城壁・・・
彼は彼女が居そうなところを探し回ったが一向に見つからなかった。
「・・・何処に居るんだよ、呂布。」
終は呂布を見失った場所である城門の近くに再び戻っていた。
既に空は赤く染まり、外を歩く人もほとんどいなかった。
(・・何となく、呂布と仲良くなりだしたときの光景に似ているな。
違いと言えば、俺が迷子になっていないことぐらいか。)
別のことを考えて気を紛らわそうと終はこんなことを考えていたが
そんなことをしても事態が進展するわけでもない、と結論を出しまた歩きだした。
(それにしても本当にあいつは何処に行ったんだ?
城の中散々探し回ったってのに影も形もありゃしねぇ。)
「・・・もしかして、城の外に居たりしてな。」
終は、そう考えると城門の前で立ち止まった。
わん!
その時、後ろから犬の鳴き声が聞こえた。
彼はすぐに振りかえり、満面の笑顔になった。
なぜなら、赤い毛並みをした犬がこちらに向って走っていたから。
「セキト!!」
駆けて来たセキトを
終は大きく手を広げて抱きしめた。
だが、呂布が近くに居ない事にすぐさま気がついた。
「セキト、呂布は何処に居るんだ?」
終はセキトを離すとそう聞いた。
その言葉が理解できたのか
セキトは元来た方向へ走り出すと途中で止まり彼に向って吠えた。
(・・・ついてこい、って意味か。)
終はセキトの後を追いかけた。
一体何処まで走ったのか分からないほど、彼女は走り続けていた。
何時しか空は赤く染まり、辺りから人がいなくなっていた。
だが、流石に走りつかれたのか呂布は光の無い目で地面を見ながら歩いていた。
呂布が完全に歩みを止めたのは、石に躓いて転んでからだった。
「うぅ・・・」
呂布は走り続けた肉体的疲労と
『信が負けた』という精神的疲労の二つによって立つことが出来なかった。
わんわん!
すぐ近くから犬の鳴き声が聞こえた。
呂布は視線だけ少し上げると心配そうに自分を見ているセキトの姿が映った。
「セキ・・ト・・」
呂布は心配を掛けさせないために
頭を撫でるため手を伸ばそうとした。
だが、どんなに手を伸ばそうとしても腕は動いてはくれなかった。
(・・・どうして)
呂布は奥歯を噛み締めた。
何故自分の体は動いてくれないのか?
どうしてこんなときにだけ動いてくれないのか?
頭を撫でると言う動作さえ自分の体は許してくれないのか?
ぼんやりとした意識の中で彼女は様々な疑問を思い浮かべていた。
だが、それに誰かが答えてくれるわけがなくただ時間だけが過ぎて行った。
セキトは彼女の前を行ったり来たりしていたがもう何処かへと走り去っていた。
・・・からだ・・いたい
め・・・みえない
・・くらい
・・・あのときと・・いっしょ
・・ひかり・・なくて・・・くらかった
・・・じめじめして・・・さむかった
・・・・おとうさん・・おかあさん・・いなくなった
・・・・・・・かなしかった
・・・おなかへって・・・・ねむくなったら
・・・・・おとがして・・・・ひかり・・みえて
・・しんと・・・あった
呂布は朦朧とした意識の中で
彼女が自分にした約束を思いだした。
『お前の親の仇は必ず私が取ると約束しよう。
だから・・・・お前も約束してくれ。』
その親の分まで、幸せに生きると
自分を抱きしめながらそう言った信の声を
彼女は、はっきりと覚えていた。
優しくて、それでいて力強い
まるでいなくなった自分の両親が一緒になって戻って来たように思えた声。
「・・・うそつき」
その言葉と共に溢れ出た彼女の感情は『哀しみ』だった。
「・・しんの・・・・うそつき」
呂布は今にも泣き出しそうな声でそう呟いた。
極度の疲労によって意識が途切れようとしたその時
「呂布!!!」
最近よく聞くようになった声が聞こえた。
呂布は薄らと目を開けると顔を上げた。
すると予想通りの人物が走って来るのが視界に入った。
「・・りゅう?」
呂布は目の前で、はぁはぁと息を吐いている終に掠れるような声で聞いた。
「やっと見つけたぞ、呂布」
終は額から流れ出る汗を拭うとそう言った。
(・・・セキトの尋常じゃねぇ走り方で
もしやとは思っていたが・・・・どうやら当たりみてぇだな。)
呂布が地面に倒れ伏しているのを見て終がまず思ったことはそれである。
セキトを追いかけていた当初、
彼は彼女に文句の一つでも言おうと考えていたが
セキトの尋常ではない走り方に『おかしい』と感じていた。
「・・・大丈夫じゃなさそうだな。」
だから自分の嫌な予感が当たった今、彼の口から文句が出ることはなかった。
「立てるか?」
終は膝を曲げて彼女に聞いた。
だが、彼女は自分の体を動かすことが出来ないのである。
首を横に振ることも出来なかった。
「・・・見た目通りにやばいってわけね。」
終は、そう言うと彼女を運ぼうと手を伸ばし、躊躇った。
彼女が誰かに触れられることを嫌っているのを知っているから。
だが、これ以外に案が浮かばなかった。
「・・・悪いが、これ以上いい案が思い浮かばないんでな。」
終は彼女の腕に手を掛け、そのまま彼女の体を自分の背に乗せた。
「今だけは我慢してくれよ。」
そして彼は、医者の居る場所へと駆けだした。
医者の元にはすぐに着いた。
呂布が途中で気絶してしまったため全速力で走ったからだ。
診断の結果、ただの疲労であると医者から聞いた時、
終が安堵のため息を吐いたのは言うまでもない。
それから彼は医者に礼を言うと彼女を背負って政庁へと戻っていた。
もう夜になる一歩手前になっていた。
「・・うっ」
呂布は誰かに背負われている感覚を感じるとゆっくりと目を覚ました。
「起こしちまったか?」
終は横目で呂布が目覚めたのを見るとそう聞いた。
彼女は自分を背負っているのが彼だと気付くとその背を押しのけようとした。
だが、体が動かないのでそれは叶わなかった。
「・・・・おろして」
呂布は小さな声でそう言った。
「いやだね。」
終は、ニヤリと笑うとそう返した。
呂布は不機嫌な表情になった。
「・・おろして」
「いやだ」
「おろして」
「やだ」
「おろせ」
「却下だ」
そんな感じで問答を繰り返していると政庁の門が見えてきた。
「・・・なんで?」
呂布は終が下ろしてくれないのを不服に思い、その理由を聞いた
「簡単な話だ。
お前がまともに動ける状態じゃないからだよ。」
「・・もう、うごける」
「嘘付け、動けるんだったらもうとっくに俺をふっ飛ばしているだろうが。」
「・・・」
終の言葉に呂布は何も言い返すことが出来なかった。
「それにな・・・」
終は、その場に止まると呂布を見た。
その顔は先ほどの嫌らしい顔ではなく、屈託のない良い笑顔だった。
「俺は友達を放って置くほど屑じゃないんだ。」
「・・・!」
呂布は驚いたように目を見開いた。
終は彼女に構わず話を続けた。
「友達が動けない時は、
手となり足となってそいつを助ける。
友達が悲しんでる時は、傍にいて慰める。
友達が危なくなったら、体張って一緒に戦う。」
「・・・・」
「俺が何故お前を背負うのか?
これが当たり前のことだからさ。
なんて言っても俺とお前は友達なんだから。」
終は、そこまで言うと再び歩きだした。
「・・・おまえ、いいやつ?」
「さぁな、少なくとも悪い奴ではないと自負している。」
「・・・・」
終がそう言うと呂布は何か悩むような顔になった。
「ああ、言い忘れていたことがあった。」
終は、また立ち止まると呂布を見た。
「お前、丁原さんが死んだみたいに勘違いしているが
あの人が言うには、『丁并州刺史率いる并州軍が負けた』って聞いただけらしいぞ。」
「・・・?」
呂布は、いまいち彼が言おうとしていることが分からず考えるような顔をした。
「つまり、『丁原さんが死んだ』訳じゃないってこと。
要するに『丁原さんが生きている』ってことだよ。」
終の言葉に呂布は固まった。
(しんが・・いきている?)
「・・ほん・・・とう?」
「あくまで、そうは聞いていないってだけで確証はないけど・・・
きっと生きているよ。」
終は優しく微笑むとそう言った。
「・・よか・・った」
そう呟くと同時に呂布の目から涙が溢れ出た。
『哀しみ』ではなく『喜び』の感情として
「・・・」
終は黙ってその場に立ち続けた。
こんな姿を彼女は誰にも見られたくはないだろうと、そう思ったから。
呂布が泣き止んだあと、終はすぐに政庁に入った。
中の人に帰りが遅かったことや
呂布が背負われていることを言及されたがそこは終がうまく誤魔化した。
そしてそれが終わった後、
彼等が政庁に入ってまずしたことは飯を食うことであった。
二人とも昼を抜いていたため何時もより多く食べていた。
~政庁内・廊下~
「・・ありがとう」
夕食を食べ終えた後、
終がすぐに呂布から言われた言葉はそれだった。
夕食を食べたことにより少し元気が出たのか
呂布は歩けるようになっていた。
「いや、感謝されることじゃないよ。
俺は当然のことをしただけだからな。」
終は、手をひらひらと振りながらそう言った。
「おまえ・・いいやつ」
呂布はそう言うと、彼と出会ってから初めて
本当に『初めて』彼に対して笑顔になった。
「・・・何だ。良い顔できるんじゃねぇか、呂布。」
終もそれを見て笑顔になった。
これも何時も見せていた笑顔ではなく
本当に、素直に心から浮かべている、笑顔。
「・・・」
その顔を見て呂布は先ほどから悩んでいたことの答えを出した。
「れん」
「・・・え?」
終は一瞬思考が停止した。
今、こいつはなんて、いや、『何を』言った?
「・・・聞き間違いかもしれないから、もう一度言ってくれないか?」
彼がそう聞くと彼女は頷いてもう一度言った。
「れん」
呂布は迷いなく、はっきりとその『名』を言った。
「・・・それって『真名』だよな?」
「・・・(コク」
「良いのか?俺に教えて。」
「・・・(コク」
呂布は、ジッと彼を見た。
それがどういう意味なのか、終は理解すると少し恥ずかしそうに頭を掻いた。
「分かったよ。
・・・・恋」
終が呂布の真名を呼ぶと呂布は、恋はコクリと頷いた。
(・・・まさか真名を預けられるとはね・・・参ったな。
嬉しすぎて、危うく泣きそうになっちまった。)
終は頭を左右に振った。
「じゃあ、俺も預けるとしますかね。」
そして顔に笑みを浮かべながら、
しかし目は真剣そのものにして自分の名を言った。
「俺の名は仁竜、字は神王、そして
真名は終だ。」
終は、自らの真名を教えると恋に手を差し出した。
「改めてよろしくな。恋。」
「よろしく・・・しゅう」
恋は終の手を取ると強く握った。
冷たい、しかしどこか優しさを感じる風は、
二人の傍を静かに通り過ぎて行った。




