第2話 旧鉱山の異変
翌朝、俺は街を出た。
旧鉱山までは徒歩で半日。街道を北へ進み、森を抜け、岩肌の続く山道を登る。
空は薄曇りだった。
風は冷たく、山の上から下りてくる空気には、湿った土と鉄の匂いが混じっている。
途中で、何度か魔物の気配を感じた。
しかし、どれもこちらへ近づいてくることはなかった。
森の鳥は鳴かず、草むらにいるはずの小動物も姿を見せない。
静かすぎる。
俺は足を止め、周囲を見回した。
遠くの木々の間に、何か白いものが落ちている。
近づいてみると、それは鹿の骨だった。
肉はすべて食われている。
骨には、噛み砕かれたような跡が残っていた。
大型の魔物がいる。
だが、骨の周囲に足跡はなかった。
「飛ぶ魔物か」
そう呟いた直後、頭上で枝が揺れた。
俺は反射的に右手を上げた。
気弾が一発、木の枝へ飛ぶ。
枝の陰から、黒い影が跳び出した。
翼の生えた獣が、爪を振り下ろしながら迫ってくる。
俺は横へ転がり、地面すれすれを飛んできた爪を避けた。
影はそのまま通り過ぎ、数メートル先で旋回する。
翼の大きさは人間ほど。
頭部は蝙蝠に似ているが、身体は狼のように大きい。
ハウンドバット。
森の上空から獲物を狙う魔物だ。
普通なら、地上から攻撃するのは難しい。
俺は魔力を集め、気弾を二つ作った。
片方は通常の大きさ。
もう片方は、拳ほどしかない。
ハウンドバットが再び降下してきた。
小さな気弾を先に撃つ。
狙いは魔物ではなく、その進行方向にある木の幹だった。
気弾が幹に当たる。
弾けた光が木の皮を削り、乾いた音が森に響いた。
ハウンドバットが音に反応し、わずかに進路を変える。
その先に、二発目の気弾を置いた。
気弾は直撃しなかった。
しかし、魔物の翼の付け根をかすめた。
翼の動きが乱れ、ハウンドバットの身体が傾く。
俺は三発目を放った。
今度は、落下してくる魔物の腹部へ。
気弾は深くめり込み、ハウンドバットを地面へ叩き落とした。
土煙が上がる。
魔物は一度だけ翼を動かしたが、それきり動かなくなった。
俺は息を整え、手のひらを見た。
魔力の消費は、三発分。
大きな負担ではない。
けれど、今の戦闘で気弾を一発でも外していたら、状況は変わっていた。
空を飛ぶ相手に、力任せの攻撃は通じない。
撃つ場所を選ぶ。
動く先を予測する。
それだけで、気弾は届く。
山道をさらに進むと、昼過ぎには旧鉱山へ到着した。
鉱山の入口には、木製の柵が立てられている。
だが、柵の一部は壊れていた。
近くには、鉱夫が使っていたらしい荷車が横倒しになっている。
車輪には泥がこびりつき、積まれていたはずの鉱石は散らばっていた。
俺は地面にしゃがみ込んだ。
人間の足跡が五人分。
入口から坑道の中へ続いている。
戻ってくる足跡はない。
その代わり、坑道の奥から妙な跡が伸びていた。
細く、深い線。
何か重いものを引きずったような跡だ。
俺は腰の袋から小さな石を取り出し、坑道の中へ投げた。
石は一度、二度と跳ね、暗闇の奥へ転がっていく。
音が消えるまで、十秒以上かかった。
坑道は深い。
俺は手のひらに小さな気弾を作った。
明かりの代わりに使うため、威力を極限まで落とす。
青白い光球が、頭上に浮かんだ。
光に照らされ、坑道の壁が姿を現す。
つるはしの跡。
崩れた木材。
壁に残った、赤黒い染み。
血だ。
量は少ない。
だが、乾いてからそれほど時間は経っていない。
俺は足元に落ちていたものを拾い上げた。
鉱夫が使う革の手袋だった。
指先が三本、綺麗に切り裂かれている。
獣に噛まれた跡ではない。
刃物のように鋭い何かで、引き裂かれた跡だ。
坑道の奥から、音がした。
カツン。
金属を叩くような音。
俺は壁際へ寄り、気弾の光を消した。
暗闇の中で、呼吸を整える。
もう一度、音がした。
カツン。
カツン。
一定の間隔で、何かが岩を叩いている。
生存者かもしれない。
俺は音の方へ進んだ。
坑道は途中で三つに分かれていた。
中央の道からは音が聞こえる。
左右の道には、引きずった跡が続いていた。
俺は中央へ進みかけ、足を止めた。
音が、消えた。
次の瞬間。
背後の暗闇で、何かが息を吸い込んだ。
俺は振り返りざま、気弾を放った。
青白い光が坑道を走る。
その一瞬、光に照らされた壁の上に、人間の手が見えた。
手だけではない。
腕が、天井から垂れ下がっている。
五本の指が、ゆっくりと動いていた。
気弾は壁に当たり、爆発する。
石片が飛び散った。
天井から落ちてきたものが、地面に叩きつけられる。
それは人間の腕ではなかった。
細長い節のある脚。
黒い甲殻。
そして、暗闇の奥で無数に開く、赤い目。
坑道全体に、何かの鳴き声が響き渡った。
俺は一歩下がり、右手に魔力を集める。
気弾が一つ。
続けて、二つ。
さらに三つ。
光球が暗闇の中に浮かび、坑道を青白く照らした。
その光の向こうから、巨大な蜘蛛のような魔物が這い出してくる。
身体の大きさは、馬ほどあった。
その背後には、引きずられた五人分の足跡が続いている。
俺は魔物を見つめた。
正面から撃てば、気弾は甲殻に弾かれる。
脚を狙えば動きを止められる。
だが、あの数をすべて撃ち抜くには、時間が足りない。
魔物が脚を広げた。
坑道の幅いっぱいに、その巨体が迫る。
俺は一発目の気弾を、魔物ではなく天井へ向けた。
「まずは、逃げ道を作る」
青白い光が、岩盤へ飛んだ。
爆音とともに、天井が大きく崩れ始めた。




