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おかえり、琥珀  作者: 月白ゆう


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9/12

第9話 約束の真実

「……じゃあ、何か?」

 聞き返した声が、自分でも驚くほど頼りなかった。

「俺はもう、一生お前から逃げられないってことか?」

「うん。そういうことだよ」

 冗談なら、少しくらい笑ってくれてもいい。

 けれど、こはくは笑わなかった。

 八年前、玄関先に立っていた小さな男の子も、こんな目をしていた。

「死ぬまで、ずっと僕のつがいなんだ」

「……死ぬまで?」

「妖狐にとって、それくらい大切な契りだから」

 そんなものだとは知らなかった。

 あの夜、俺がしたことなんて、本当にたいしたことじゃない。

 ハロウィンだから、栗味のチョコを渡した。

 名前を聞かれたから、栗が好きだというこはくに似合いそうな名前をつけた。

 来年も来ていいかと聞かれて、何気なく頷いた。

 俺にとっては、それだけだった。

 こはくにとっては、違ったらしい。

「……じゃあ、四年間は?」

「四年間?」

「お前が俺の前からいなくなってた四年間だよ」

「何してたんだ?」

「修行してた」

「修行って……何の?」

「秋人の隣に立つための修行」

 あまりに当たり前のように言われて、返す言葉が見つからなかった。

「僕が子どものままだったら、秋人の隣にはいられないと思ったんだ」

 昔のこはくは、本当に小さかった。

 俺の腰にも届かない身体で玄関に立ち、栗味のチョコを抱えて俺を見上げていた。

 あの子が四年後には、俺よりずっと大きな男になっていた。

「最初は妖力の扱い方からだったよ」

「妖力?」

「うん。昔の僕、力加減ができなかったから」

「……それは何となく分かる」

 嬉しくなると尻尾を振り回す。何かに夢中になると、周りが見えなくなる。

 今でも残っているくらいだ。子どもの頃なら、もっとひどかっただろう。

「一度、木を三本折った」

「何してんだよ」

「修行中だったんだから仕方ないよ」

「仕方なくないだろ」

「天狐様にも怒られた」

「そりゃ怒るだろ」

「湯飲みも二つ割った」

「二つ?」

「一つ目は力を入れすぎて。二つ目は、割れたのを直そうとして」

「余計なことするなよ……」

 俺が想像していた修行とは、ずいぶん違う。

 どうやら、湯飲みを割るところから始まったらしい。

「耳と尻尾を隠す練習もしたよ」

「今は普通に隠せるもんな」

「人間の中で暮らすなら必要だったから」

「……なのに、俺の前では出すのか?」

「秋人の前なら、いいかなって」

 そういうところは、昔と変わらない。

「人間の勉強もしたよ」

「勉強まで?」

「漢字が難しかった」

「だろうな」

「新聞も読めないし、書類も読めない。先生に教えてもらって、一から覚えた」

「大変だったろ」

「うん。でも、できるようになりたかったから。最初にちゃんと書けるようになった漢字は、秋人の名前だった」

「……俺の名前?」

「うん」

「なんで?」

「大切だったから」

 たった二文字の名前だ。

 俺にとっては、毎日使っているだけのものだった。

 こはくは、それを四年間の最初に覚えた。

「仕事もしたよ」

「仕事?」

「人間の会社で働いた」

「お前、会社員やってたのか?」

「うん。最初は何も分からなかった」

「何が一番大変だった?」

「全部」

「全部って……」

「時間を守ることも、仕事を分けてやることも、分からないことを聞くことも難しかった」

「電話も?」

「電話は特に怖かった」

「そんなに?」

「知らない人からかかってくるでしょう? 最初は何を言えばいいのか分からなくて、『はい』しか言えなかった」

「それは困るな」

「怒られたよ」

「だろうな」

「家に帰って、『お電話ありがとうございます』から練習した」

「そこからかよ」

「できるようになりたかったから」

 電話一本にさえ、そこまで練習していたのだ。

「失敗した?」

「たくさんしたよ」

「怒られた?」

「何度も」

「辞めたいと思ったことは?」

「ある」

「何度も?」

「うん。僕には無理なんじゃないかって思ったこともある」

「それでも続けたのか?」

「秋人に会ったとき、何もできない僕のままでいるのが嫌だったから」

 俺が会社へ行って、仕事をして、疲れて帰っていた四年間。

 こはくは別の場所で、知らないことを一つずつ覚えていた。

「人間の世界で暮らすなら、自分のことくらい自分でできるようになりたかった。誰かに助けてもらわないと何もできないままだったら、秋人の隣には立てないと思ったんだ。三年目くらいから、自分で会社を作ることも考え始めたよ」

「そこまでしなくてもいいだろ」

「最初は怖かった」

「今でも?」

「うん。自分の判断で、働いている人の生活まで変わるから」

「……ちゃんとしてるんだな」

「秋人に言われると嬉しい」

「褒めたつもりはない」

「でも嬉しい」

 嬉しいことを嬉しいと言うところは、昔のままだ。

「家を買ったのも、その頃?」

「うん。仕事が落ち着いてから」

「最初から俺と住むつもりだった?」

「もちろん」

「だから、俺の部屋まで用意してたのか」

「そうだよ」

「服まであったよな」

「秋人が昔着てた服を参考にした」

「……勝手に測ったのか?」

「洗ってあった服だよ」

「そこじゃない」

「ごめん。でも、秋人が帰ってきたときに何もないのは嫌だったんだ」

 帰ってきた。

 ただ山から戻ってくることを、こはくはそんなふうに言う。

「……四年間、ずっと俺のためだけに修行してたのか?」

「最初は、そうだったと思う」

「最初は?」

「途中からは、自分ができることが増えるのも楽しくなったよ」

「へえ」

「料理もできるようになったし、掃除もできる。お金の管理だってできるよ」

「随分成長したな」

「うん」

「四年間は、僕自身にも必要だったんだと思う」

「……俺だけのためじゃなかったんだな」

「そうだね」

 俺が知らないところで、こはくは自分の時間を過ごしていた。

 その中に、俺との約束も残っていた。

「でも、一番大事なのは変わらなかったよ」

「何が?」

「秋人のところに帰ること」

 あの夜の「来年も来ていいよ」が、こはくの中では「帰る」に変わっていた。

「……四年間って、長かったんだな」

「うん」

「よく頑張ったな」

「秋人に会えると思ったら、頑張れたよ」

「……こはく」

「うん?」

「ありがとう」

「何が?」

「分からない」

 何に対する礼なのか、自分でも分からない。

 ただ、今は伝えたかった。

「どういたしまして」

 八年前、玄関先で俺を見上げていたこはくを思い出す。

 栗味のチョコを抱えて、来年も来ていいかと聞いた小さな男の子。

 あのとき俺が何気なく頷いた約束を、こはくは四年間も抱えていた。

 つがいという言葉を受け入れたわけじゃない。

 これから先、こはくとどうなるのかも分からない。

 それでも、もう昔と同じ気持ちではいられなかった。

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