第10話 約束の続き
四年ぶりに会ったこはくを、俺はまだうまく見られずにいた。
昔は見上げていた顔が、今は俺よりずっと高い位置にある。肩幅も広くなり、手も大きい。声だって、もう少年のものじゃない。
見た目だけなら、別人と言われても信じてしまいそうだった。
それなのに、ふとした瞬間だけ、八年前の面影が重なる。
「……なあ、こはく」
「うん?」
「お前、本当に俺のこと好きなの?」
自分から聞いておいて、妙に恥ずかしくなった。
こはくは少しも迷わなかった。
「好きだよ」
「……即答かよ」
「だって、本当だから」
「迷ったりしないのかよ」
「何が?」
「なんでもない」
首を傾げる仕草まで、昔と変わらない。
嬉しいことは嬉しい。好きなものは好き。
隠そうともせず、まっすぐ言葉にする。
「四年間、ずっと待ってたんだよな」
「うん」
「俺が忘れてるかもしれないとは思わなかった?」
「思ったよ」
「じゃあ、怖くなかったのか?」
「怖かった」
意外な答えだった。
「でも、秋人なら会ったら思い出してくれると思ってた」
「なんでそんなことが言えるんだよ」
「秋人は優しいから」
「買いかぶりすぎだろ」
「そうかな」
こはくがまっすぐ俺を見る。
そこに疑うような色は少しもなかった。
八年前の夜も、こいつはこんなふうに俺を見ていた気がする。
「……俺は、約束したことすら忘れてたんだぞ」
「うん」
「名前をつけたことも、たいしたことじゃないと思ってた」
「うん」
「それでも?」
「それでも、好きだよ」
返す言葉がなくなった。
こはくにとっては、昔の俺も今の俺も、ちゃんと同じ俺なのだろう。
俺には、その感覚がまだ分からない。
「……つがいってさ」
「うん」
「本当に、そんなに大事なのか?」
「大事だよ」
「一生って言ってたけど」
「うん」
「重くないか?」
「重いと思う」
「自覚あるのかよ」
「あるよ」
困ったように笑って、それでもこはくは視線を逸らすことはなかった。
「だから、秋人が嫌なら無理に受け入れてほしいとは思ってない」
「……お前」
「僕が勝手に大切にしてるだけだから」
こはくは俺に何かを押しつけているわけじゃない。
自分にとって大切なものを、ただ大切にしている。
「じゃあ……」
そこまで言って、うまく言葉が出てこなかった。
何を聞こうとしているのか、自分でも分からなくなった。
「秋人?」
「……いや」
黙ったままでいると、こはくの視線が俺の手元へ落ちた。
「……触ってもいい?」
「何を?」
「秋人に」
意味が分からなくて、思わず顔を上げる。
「嫌ならやめるよ」
こはくは、それ以上近づかずに俺を見ていた。
こはくの手が、俺の手のすぐそばにある。
昔なら、何も考えずに頭を撫でていた。
今は、同じように触れられるだけでも意識してしまう。
「……嫌とは言ってない」
「じゃあ、少しだけ」
指先が頬に触れた。
思っていたより、ずっと優しい。
頬骨のあたりをなぞり、耳の下へ降りていく。
くすぐったくて、わずかに顔をしかめた。
「……秋人」
「何だよ」
「顔、赤い」
「言うな」
「うん」
こはくの指が頬から顎へ移る。
軽く顔を上向かされ、視線が重なった。
「……近いな」
「嫌?」
「そういう意味じゃない」
口にしてから、余計なことを言った気がした。
こはくの指先が顎の輪郭をゆっくりなぞる。そのまま耳の下へ滑って、首筋に触れた。
思わず肩が震える。
「ここは?」
「……嫌じゃない」
自分でも驚くほど小さな声だった。
こはくの指が止まる。
「秋人」
「何だよ」
「本当に嫌じゃない?」
「……何回聞くんだよ」
「大事なことだから」
茶化す気にはなれなかった。
「嫌じゃない」
言い切ると、こはくの指が首筋から離れた。
その代わり、こはくの顔がゆっくり近づいてくる。
何をするつもりなのか、すぐに分かった。
逃げようと思えば、まだ逃げられる。
それでも、俺は動かなかった。
首筋に、柔らかな唇が触れた。
「……っ」
ほんの一瞬だった。
なのに、触れた場所だけ熱が残った。
こはくが離れる。
反射的に首筋へ手をやると、こはくが不安そうに俺を見ていた。
「……嫌だった?」
「嫌じゃない」
今度は、迷わず答えられた。
「よかった」
こはくの肩から、ふっと力が抜けた。
そんなに緊張していたのかと思うと、少し可笑しくなる。
「……お前も緊張するんだな」
「するよ」
「意外」
「秋人のことだから」
「俺のことだからって何だよ」
「大切だから」
また、そんなことを平気な顔で言う。
なのに今度は、嫌な感じがしなかった。
むしろ、呼吸の仕方まで少し分からなくなる。
こはくが俺の顔を見つめた。
「もう少し近くにいてもいい?」
「……今さら聞くのか?」
「聞くよ」
頬に、もう一度手が触れる。
振り払う気にはならなかった。
顔がゆっくり近づいてくる。
吐息が触れるほど近くなって自然と目を閉じる。
次の瞬間、唇が重なった。
「……っ」
短いキスだった。
触れたと思ったときには、もう離れている。
なのに、唇だけがその感触を覚えていた。
目を開けると、こはくも戸惑ったように俺を見ている。
「……もう一回してもいい?」
「それは駄目」
「なんで?」
「なんでもだ」
「けち」
「うるさい」
さっきまであんなに緊張していたくせに、こういうところは昔のままだ。
笑うつもりなんてなかったのに、口元が緩んだ。
「秋人」
「今度は何だよ」
「これからも僕の隣にいてくれる?」
その問いに、すぐ答えられなかった。
こはくの顔を見て、それから差し出された手へ目を落とす。
四年前、この手を離して山へ戻っていったこはく。
今は、その手が俺の前にある。
「……考えとく」
「うん」
「そこで嬉しそうにするなよ」
「だって、考えてくれるんでしょう?」
「まあ……な」
こはくが手を差し出した。
「じゃあ、手だけ」
「……それくらいなら」
重ねた手を、大きな指が包み込む。
昔は俺が、この手を握っていた。
今は、こはくのほうが俺の手を包んでいる。
指の間までぴたりと重なる感触が、くすぐったかった。
「……あったかいな」
「秋人も」
「何だよ」
「本当のこと」
「そういうの、いちいち言うなよ」
手を離そうとしたら、指が絡んだ。
振りほどくことはできなかった。
あの夜の約束を、俺はずっと軽く考えていた。
来年も会える。
そのくらいの意味だった。
こはくにとっては、違った。
四年間待って、俺のところへ帰ってきた。
すぐに同じ気持ちになれるわけじゃない。
つがいという言葉だって、まだ受け入れたわけじゃない。
それでも、今つないでいる手だけは、離したくなかった。




