第7話 琥珀色の新居
「本当に見るだけだからな」
「うん!」
返事が早すぎて、かえって不安になる。
昨日、こはくが買ったという新居の写真を見せられたときは、冗談だと思いたかった。俺と一緒に暮らすために家を買った。それも、俺の返事を聞く前にだ。
こんな話、普通ならその場で断っている。
なのに俺は、こうしてこはくの隣を歩いていた。
「秋人」
「ん?」
隣を歩くこはくが、当たり前のように俺の手を握ってくる。
「……何だよ」
「手、繋ぎたかった」
「人が見てるだろ」
「じゃあ、離す?」
「……いや、そうは言ってない」
「じゃあ、このままね」
嬉しそうに笑われて、握られた手を見る。
昔は、俺の手のひらに収まるくらい小さかった。
今では指を絡められるだけで、こはくの身体がずいぶん大きくなったことを思い知らされる。
「……本当に大きくなったな」
「褒めてる?」
「まあな」
「もっともっと褒めて」
「四年分?」
「うん」
「欲張りだな」
「四年待ったから」
さらりと言われて、返す言葉に困った。
角を曲がると、昨日写真で見たタワーマンションが視界に入った。
「……ここ?」
「そう」
見上げても、上のほうまで視界に収まらない。
「でか……」
「中はもっとすごいよ」
「お前、妙に自信あるな」
「秋人と暮らすところだから、いっぱい考えたもん」
「まだ俺は何も決めてないけどな」
「わかってますよ」
こはくはそれ以上何も言わず、俺の手を引いた。
エントランスを抜け、エレベーターに乗る。扉が閉まると、こはくが隣で機嫌よく笑っていた。
「何だよ」
「秋人と一緒に来られてよかった」
「そんなに楽しみにしてたのか?」
「うん。秋人に見てほしかったから」
こはくが嬉しそうににまにまする。
目的の階に着くと、こはくは俺の手を引いた。
「こっち」
扉が開き、こはくが先に降りる。
そのまま手を引かれて部屋へ入った瞬間、俺は思わず足を止めた。
「……広っ」
大きな窓の向こうに街が一望できる。
リビングだけでも、今の部屋がいくつ入るのか分からない。
「どう?」
「すごいな。こんなところ、よく買ったな」
「秋人と暮らすなら、これくらい欲しかった」
「基準がおかしいんだよ」
「そう?」
「そうだよ」
呆れながら窓の外を眺める。
足がすくみそうなほど高いのに、不思議と落ち着く。
「キッチンも見て」
こはくに手を引かれて向かった先には、広いキッチンがあった。
食器棚を開けると、二人分の皿や茶碗がきれいに並んでいる。
「……もう揃えてるのか」
「うん」
「気が早すぎるだろ」
「だって、秋人とご飯食べたいから」
こはくが一つのマグカップを取り出した。
「これ、秋人好きでしょ」
「……何で分かるんだよ」
「八年見てたから」
「八年って……」
「秋人の使ってるものとか、好きなものとか。けっこう覚えてるよ」
「そこまで?」
「秋人のことだから」
あっさり言われると、何だかむず痒い。
さらに奥の部屋を覗くと、クローゼットには俺に合うサイズの服が何着も並んでいた。
「……これも?」
「うん」
「いつ買ったんだよ」
「秋人が来たときのために、少しずつ」
「少しずつって……俺が来るって、決めてたのか?」
「来てくれると思ってた」
「気が早すぎるだろ」
「でも、嫌じゃない?」
「……嫌とは言ってない」
「じゃあ、よかった」
こはくは、ほっとしたように笑った。
家の広さよりも、こいつがここでどんな暮らしを思い描いていたのかのほうが気になってくる。
「一緒に暮らしたかったんだな」
「うん」
こはくは照れたように微笑む。
「朝、秋人と一緒に起きて、ご飯を食べたい。仕事に行く秋人を見送って、帰ってきたら『おかえり』って言いたい」
「……それだけ?」
「それだけでいい」
こはくは、じっと俺を見つめる。
「秋人が疲れて帰ってきたら、ご飯を作って待ってたいし、疲れてたら抱きしめたい」
「結局そこかよ」
「だって、くっつきたいから」
「素直だな、お前」
「秋人にはね」
また言葉が詰まる。
こんな大きな家まで買えるくせに、こはくが欲しがっているのは、驚くほど普通の毎日だった。
「……まあ、俺が一緒に住むなら、朝飯は作ってくれ」
「作る!」
「仕事から帰ったら?」
「おかえりって言う」
「疲れてたら?」
「抱きしめる」
「そこ即答なんだな」
「絶対ぎゅってする」
あまりの迷いのなさに、思わず笑ってしまう。
「……じゃあ、俺にもさせてほしい」
「何を?」
「お前が帰ってきたとき、『おかえり』って言うから」
一瞬、こはくが目を丸くした。
「……本当?」
「ああ」
「約束?」
「約束」
こはくは嬉しそうに笑った。
「じゃあ、ここに決まり?」
「そこまでは言ってない」
「そっか」
狐耳が少しだけ下がる。
それを見てしまうと、つい言葉を足したくなった。
「でも、悪くはないと思う」
「……ほんと?」
「何だよ、その顔」
「だって、秋人がそう言ってくれたから」
また尻尾が揺れる。
「まだ考えるからな」
「うん」
今度は、こはくもそれ以上は言わなかった。
帰る時間になって玄関へ向かうと、こはくが名残惜しそうに部屋を振り返る。
「秋人、また来てくれる?」
「そのうち、また来てもいい」
「次は泊まる?」
「調子に乗るな」
「じゃあ、泊まるかもしれない?」
「知らねぇ」
「分かった!」
「何が分かったんだよ」
「いつか泊まってくれるってこと」
「都合よく解釈するな」
こはくは楽しそうに笑いながら、俺の手を握った。
エレベーターを待つ間も、手を離そうとしない。
扉が開いて乗り込むと、こはくが俺の手を握ったまま、少し声を落とした。
「秋人」
「ん?」
「ここ、秋人が帰ってくる場所にしていい?」
さっきまでみたいに、すぐには答えられなかった。
この家に住むと決めたわけじゃない。
それでも...。
「……考えとく」
「うん」
こはくは、それだけで満足したように笑った。
エレベーターが静かに下降していく。
繋いだ手だけは、最後まで離れることはなかった。




