第4話 八年目のチャイム
こはくが山へ行ってから、四年が経った。
最初に出会ってからなら、もう八年になる。
二十代後半になった俺は、相変わらず古びたアパートで、パッとしない会社員生活を続けていた。
変わったことといえば、部屋の静けさに、いつまで経っても慣れないことくらいだ。
あいつ、今頃どうしてるかな…
最初の二年間は、本当に酷いこはくロスだった。
秋が近づき、コンビニの棚に栗味の菓子が並ぶだけで、胸がズキリと痛んだ。
ベランダの窓を風が叩くたび、あいつかと思ってカーテンを開けた。もちろん、そこには誰もいない。
そんなことを何度繰り返したか分からない。
三年目、四年目と経つうちに、さすがに寂しさにも慣れてきた。
それでも、十月三十一日だけは特別だった。
もう来ないと分かっていても、仕事帰りにスーパーやデパ地下を回り、栗味のお菓子を山ほど買い込んでしまう。
それが、いつの間にか俺の習慣になっていた。
「……やっぱり、そう簡単には帰ってこれないよな」
ビールの缶から、ぬるくなった液体を喉に流し込む。
テレビから流れるバラエティ番組の音も、今の俺の耳にはほとんど入ってこなかった。
テーブルの上には、今年も食べ切れるはずのないマロングラッセや栗のクッキーが並んでいる。
時計の針は、夜の九時半を回った。
あの日、小さな頭を覗き穴から覗かせた、あの時間だ。
「よし、もう諦めて寝るか」
そう呟き、ソファから重い腰を上げようとした、そのときだった。
ピンポーン。
静まり返った部屋に、チャイムの音が響いた。
まさか。
そんなはずはない。
頭ではそう思っているのに、身体は勝手に玄関へ向かっていた。
震える手で、恐る恐る覗き穴に目を凝らす。
そこに映っていたのは――かつての「ぴょこ、ぴょこ」と背伸びをする、あの小さな頭ではなかった。
覗き穴に収まりきらないほどの、高い背丈。
仕立てのいい黒いスーツに包まれた、広い肩。
「……誰だ?」
落胆と同時に、背中に冷や汗が伝った。
さすがにこんな時間に、あいつがスーツを着た大人の姿で来るわけがない。
近所の住人か、あるいは何かの営業だろうか。
警戒しながらチェーンをかけたまま、ゆっくりと扉を引いた。
その瞬間、隙間から入ってきた夜風に混じって、どこか懐かしい香木の匂いがした。
「――トリック・オア・トリート。約束通り、お菓子をもらいにきたよ。秋人」
頭が真っ白になった。
昔の、あの少し低くなりかけていた少年の声ではない。
低く、よく響く、大人の声だった。
ゆっくりと扉を開く。
そこに立っていたのは、琥珀色の瞳をした青年だった。
黒髪の隙間から、見覚えのある獣耳が覗いている。
「こ、はく……?」
声が震えた。
俺より優に頭一つ分は背が高い。
広い肩に、見慣れない黒いスーツ。
目の前にいるのは、間違いなく大人の男だった。
「うん、僕だよ。ただいま、秋人。……やっと会えたね」
大人になったこはくは、そう言って笑った。
その背後から、昔とは比べ物にならないほど大きな琥珀色の尻尾が現れた。
ふさりと揺れたその尻尾を見て、俺はようやく確信する。
こはくだ。
四年前、山へ行ったあいつが。
約束通り、帰ってきた。
「……こはく」
名前を呼んだ。
それ以上の言葉が、出てこなかった。




