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おかえり、琥珀  作者: 月白ゆう


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3/13

第3話 琥珀の涙、約束の檻

 四年目

 その年の秋、こはくがぱったりと来なくなった。

 いつもなら月に数回、ハロウィン以外でもひょっこりベランダから顔を出していたのに、この二ヶ月、姿を見せていない。

 何かあったんだろうか。

 山のキツネたちと、どこか遠くへ行ってしまったんじゃないか。

 そんなことを考えながら、俺は十月三十一日の仕事帰り、いつものスーパーで山ほどの栗のお菓子を買い込んだ。

 今年は奮発して、デパ地下にある有名店の栗のタルトまで予約してある。


「……遅いな」


 時計の針は、夜の九時半を回ろうとしていた。

 もう来ないのかもしれない。

 そんな考えが頭をよぎった、そのときだった。


 ピンポーン。


「っ……!」


 俺はソファから立ち上がり、玄関へ走った。

 鍵を開け、勢いよく扉を引く。


「こはく……」


 言葉が、喉の奥で止まった。

 そこに立っていたのは、確かにこはくだった。

 ただ、去年までとは違う。

 背は俺の胸元を越え、細かった手足もすっかり少年のものになっている。

 それでも、琥珀色の目も、頭の上の狐耳も変わっていない。

 変わったのは、声だった。


「遅くなってごめんね、秋人。……トリック・オア・トリート」


 少し低くなった声に、俺は一瞬言葉を失った。

 けれど、狐耳は元気がないのか、ぺたりと伏せられている。


「おう……。背、またずいぶん伸びたな。中に入れよ。お前の好きな栗のタルト、買ってあるぞ」


 努めて明るく言うと、こはくは頷いて部屋へ入ってきた。

 ソファに並んで座る。

 いつもなら、すぐに俺の腕にしがみついてきたり、尻尾をパタパタ振ったりするはずなのに、今日のごちそうを前にしても、こはくは膝の上で自分の手をぎゅっと握っていた。


「こはく? どうした、元気ないぞ。どこか具合でも悪いのか?」

「……ううん。元気だよ。ただね……」


 こはくが顔を上げた。

 琥珀色の瞳が、まっすぐ俺を見る。


「秋人、あのね。僕、明日から山にこもらなきゃいけないんだ」

「山に……? 修行か?」

「うん。一人前の妖狐になるための、大事な試練なんだ」

「……どのくらい?」

「分からない」


 こはくが俯く。


「長いのか?」

「うん。たぶん……すごく長い」


 こはくが小さな声で続けた。


「これを終えないと、僕は秋人と同じ時間を生きられないから」

 

 俺は息を呑んだ。

 キツネと人間。

 生きる時間が違う。

 こはくは、ずっとそのことを考えていたのかもしれない。

 こはくは白い着物の懐に手を入れ、小さな何かを取り出した。

 差し出された掌の上にあったのは、くしゃくしゃになった、古びた銀色のアルミ箔。

 四年前に、俺が一番最初にあげた、あの栗味のチョコレートの包み紙だった。


「これね、ずっとお守りにしてたんだ」


 こはくは包み紙を大事そうに握る。


「山での修行、すごく厳しいんだって。長い間、人間の世界には戻ってこられなくなる。秋人にも、もう簡単には会えなくなっちゃうの」


 こはくの声が震えた。

 その目から、大粒の涙がこぼれ落ちる。


「嫌だよ……っ。本当は、一秒だって秋人と離れたくない。僕がいない間に、秋人に他にお菓子をあげる人ができたらって思うと……嫌なんだもん……!」


 こはくが俺の首に腕を回した。

 甘えるような抱きつき方とは違う。

 離れたくない。

 そんな気持ちが、その腕から伝わってきた。


「でも、僕、絶対に強くなって帰ってくる。人間の姿を完璧に保って、秋人を一生、誰よりも幸せに養える力をつけてみせる。だから秋人、僕のこと忘れないで。僕の一番は、死ぬまで秋人だけだからっ」


 背中に回されたこはくの手から、熱が伝わってくる。

 俺はこはくの頭に手を置いた。


「……忘れるわけないだろ。俺の名付けた、世界に一匹だけのキツネなんだから」


 こはくの体を抱き返し、その髪を何度も撫でる。

 こはくは俺の胸に顔を埋めたまま、声を上げて泣いた。

     

 夜が明ける少し前、こはくは涙を拭い、俺の前に小さな小指を差し出した。


「待っててくれる……? 秋人」

「ああ。待ってるよ。気をつけて行ってこい」


 小指と小指を絡める。

 固い約束を交わした。

 こはくは絡めた小指をそっと自分の唇に押し当てた。

 そして、俺を見上げる。


「次に会うときは、もう絶対に僕から逃げられないようにしてあげるからね」


 その言葉の意味を、当時の俺はまだ理解していなかった。

 玄関の扉を開け、こはくは夜闇の中へ一歩を踏み出す。

 振り返ったその背後で、琥珀色の大きな尻尾が、名残惜しそうに一度ゆらり大きく揺れた。


「またね、秋人。絶対だよ!」

「……ああ。またな」


 それが、俺の目の前からこはくが消えた、最後の夜だった。

 

 テーブルの上には、二人で食べるつもりだった栗のお菓子が、山ほど残っていた。

 予約していた栗のタルトも、手つかずのままだ。


「……一人じゃ、食い切れないな」


 

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