剣士カインと託されし命の鎖 - 2
雨は、翌朝になっても降り止まなかった。
灰色の空から落ちる冷たい水滴が、開拓村の泥濘んだ地面を叩き続けている。
カインは、村の南側にある見張り塔に立っていた。
濡れた木材の匂いと、土の匂いが鼻をつく。
眼下には、彼が指示して築かせた防壁と、その内側に広がる村の風景があった。
「隊長! 南門の補強、終わりました」
梯子を登ってきた若い団員が、息を切らして報告する。
雨水を吸った革鎧が重そうだった。
カインは視線を遠くの森から外さず、短く頷いた。
「ご苦労。次は西側の壕だ。昨日からの雨で土が崩れている箇所がある。そこを土嚢で埋め直してくれ」
「西側ですか? あそこは昨日、杭を打ち直したばかりですが……」
「昨日直したから、魔物は手を抜いてくれるのか? 悪いが、もうひと踏ん張りだ。頼んだぞ」
団員は一瞬だけ躊躇うような顔を見せたが、すぐに「分かりました」と頭を下げ、梯子を降りていった。
カインは再び、眼下の村に目を落とした。
広場の隅で、泥よけの天幕の下に集まっている少年たちの姿が見える。
あの時は怯えて泣くことしかできなかった彼らも、今では村の手伝いをし、笑うようになっている。
カインの腰の剣が、かすかに鳴った。
いつの間にか、柄を強く握りしめていたせいだ。
(守らなければならない)
その思考は、呪いのようにカインの脳髄にへばりついている。
昨年、この村を襲った魔族の先兵。
奴らの力は、森の獣や野盗とは次元が違った。
もしあの時、リアムという規格外の剣士が偶然この村を訪れていなければ、どうなっていたか。
防壁は破られ、あの子供たちは再び血だまりの中で泣き叫ぶことになっていたかもしれない。
「少し、神経を張り詰めすぎではありませんか」
背後から声がした。
振り返らなくても、誰だか分かる。
足音を一切立てずに梯子を登ってくるのは、この村で一人しかいない。
「リアムか。何の用だ」
「南門の補強を終えた団員たちが、かなり疲弊していました。西側の壕の修復は、雨が上がってからでも遅くはないはずです」
リアムはカインの隣に立ち、同じように村を見下ろした。
その横顔は静かで、感情の起伏を読み取らせない。
「雨で視界が悪い今こそ、防備の穴を塞いでおくべきだ。魔族は天候など気にしない」
「もちろん分かっています。……が、防衛線を維持するのは『人』です」
リアムはカインの方へ顔を向けた。
「皆、無理をしています。このままでは倒れる者も出てくるでしょう」
カインは奥歯を噛み締めた。
リアムの言うことは、いつだって正しい。
戦術の理にかなっており、反論の余地がない。
だが、頭で分かっていても、カインの心がそれを拒絶した。
「……お前は、失うことの恐ろしさを知らないんだ」
小さく、掠れた声が漏れ出る。
「なんですって?」
「壁を薄くして、もしそこから魔物が入り込んだら? 見張りを休ませて、その隙に奇襲を受けたら? ……誰が責任を取る。誰が、死んだ奴の命を償うんだ」
カインの脳裏に、雪原で事切れたオークの姿がフラッシュバックする。
彼に託された小さな命。カインには、その命を守らなければならない責任があった。万が一のことでもあったら、彼に顔向けできない。
カインはぐっと歯をかみしめた。
「俺のやり方に文句があるのなら、出て行ってもらう」
リアムは、カインの血走った目を見つめ返した。
「……そこまでおっしゃるのであれば、もう言うことはありません。……雨が強くなってきました。風邪を引く前に、中へお戻りください」
「……ああ」
塔の上に一人残ったカインは、小さくなっていくリアムの背中を静かに見送った。
冷たい雨の中、カインは胸の奥がひどく冷えているのを感じていた。
詰め所に戻れば、鉄なべの下にあの奇妙に消えない小さな種火があるはずだ。
連日の雨で湿ってしまった薪でも燃え続けている、不思議で暖かな火。
それに当たれば、少しは指先の冷えも取れるだろうか。
だがカインは詰め所に戻る気にはなれず、深い森の中を揺蕩う闇に、いつまでも目を凝らし続けていた。




