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書籍化:門番の俺、スキル【見送る】でいつの間にか国を救っていた件  作者: 堀籠遼ノ助(ほりこめりょうのすけ)
第二部 第五章

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剣士カインと託されし命の鎖 - 1

 王都の東門(ひがしもん)


 秋の冷たい雨が、石畳を黒く染め上げていた。

 降り続く雨は音を立てて土を穿ち、跳ね返る泥が門の壁を汚している。


 門を行き交う人の流れは、数ヶ月前とは完全に逆転していた。

 王都から外へ向かう者はほとんどいない。

 代わりに、辺境から逃れてきた避難民の列が、途切れることなく門へと続いている。

 彼らは一様にうつむき、濡れた布を被り、泥を引きずりながら歩いていた。


 ヨハンは、濡れた石壁のくぼみに背を預けていた。

 使い込まれた雨外套のフードを深く被り、静かに空を見上げる。

 雲は厚く、陽光の欠片もない。


(……冷えるな)


 吐く息は、わずかに白い。


 ヨハンの視線の先、雨の向こう側。

 かつて、この門から一人の少年を見送った。


 カイン。


 その瞳に濃い暗い炎を宿し、錆びついた剣のように尖っていた少年。

 彼は、一人の心優しきオークの命と引き換えに、人間の子供たちと共に生き延びた。

 オークの遺志を継ぎ、人間を憎みながらも、誰かを「守る」ために剣を振るうことを選んだ。


 今は、北の開拓地で村を束ねているという。


 風の噂では、魔族の先兵による襲撃を自警団だけで退け、立派な指導者になっているらしい。

 先日、この門を出た若き剣士リアムも、無事にカインの元へ辿り着き、共に戦ったと聞く。


 だが。

 ヨハンの胸の奥に、小さな棘のような違和感が刺さっていた。

 数日前から続く、軋むような胸騒ぎ。


 かつて親友のダリアを見送った時に感じたものと、よく似ている。


 カインは、真面目すぎる。

 託された命。守るべき子供たち。背負った村。

 責任という鎖は、時に人を強く立たせる。

 だが、その鎖が重すぎれば、人の視野は狭くなる。

 守ることに意識を向けるあまり、失うリスクに過敏になっていないか。


(カイン。お前さん、今どんな顔をしてる)


 ヨハンはゆっくりと目を閉じた。

 周囲の雨音だけが、等間隔に響き続ける。


 祈りに、言葉は要らない。

 ただ、遠く離れた場所で張っているであろう背中を思い浮かべる。

 その冷え切った手元に、微かな熱が残るように。


 その時、脳内に、冷ややかな雨を切り裂くような、澄んだ音が響いた。


《ピーン! 遠き旅人へ、あなたの祈りが届きました》


《スキル【見送る者】が発動しました。対象者カインに、祝福『灯した火が、ほんの少しだけ長く燃え続けるようになる』を付与しました》


「……ヨハン爺さん。こんな日に、外に立ってなくてもいいだろう」


 交代の衛兵が、肩をすくめながら門番小屋から出てきた。

 雨だれを払いながら、呆れたようにヨハンを見る。


 ヨハンは目を開け、フードの位置を直した。


「ああ。……少し、遠くの知り合いを思い出してね」

「知り合い? 避難民の中にいたのか」

「いや。ずっと北にいる若者さ。立派にやってるらしいがね」


 衛兵は鼻を鳴らした。


「北の開拓村か。景気のいい話は聞いてるぜ。何でも、魔王軍のバケモノどもを、村の人間だけで撥ね退けたって噂だ。……俺たちも、あやかりたいもんだ」


「……ああ、そうだな」


 ヨハンは、もう一度だけ北の空を見た。

 雨足は、いっそう強くなっていた。



 王都から遥か北。

 峻険な山々に囲まれた、開拓村。


 今やその村は、外観だけを見れば『(とりで)』と呼ぶべき威容を誇っていた。

 丸太を隙間なく組み上げた防壁は高くそびえ、その外側には深い(ほり)が巡らされている。


 冷たい雨が、容赦なく砦を打ち据えていた。


 自警団の詰め所として使われている小屋。

 隙間風が吹き込み、屋根の端からは雨漏りが滴り落ちている。


 部屋の中央に置かれた鉄なべの下で、小さな焚き火が赤く明滅していた。

 薪は湿り切っており、本来ならとっくに消えているはずの状態だ。

 だが、その小さな種火は、不思議なほど粘り強く、パチパチと微かな熱を保ち続けていた。


 その火の前に、カインが座っている。


「……ここも、補強しておくか」


 カインが呟いた。

 壁に広げられた村の図面を見つめ、木炭で線を書き足している。

 目の下には、疲労を示す薄い隈があった。


「カインさん」


 背後から、静かな声がかけられた。

 小屋の入り口に立っていたのは、リアムだった。


 カインは図面から顔を上げず、手を動かし続けた。


「見回りの報告か、リアム」


「ええ。異常はありません。ただ……北側の防壁ですが、これ以上の土嚢積みを続ける予定ですか」


「ああ。丸太の隙間を埋める。魔物の力なら、あの程度の隙間でも抉じ開けかねない」


 カインの筆圧が、少し強くなった。

 先日、魔族キリアと戦った時の記憶が手元を硬くさせていた。


「万全を期すお考えは理解できます」


 リアムは小屋の中へ一歩踏み出した。


「ですが、備蓄の土嚢袋も残り少ない。これ以上防壁の補強に物資と人手を回せば、今度は夜間の見回りに支障が出ます」


「分かっている。だが、相手は魔族だぞ。いつまた、あれ以上の連中が来るか分からない。念には念を入れるべきだ」


 カインの主張は、決して間違ってはいない。

 脅威の度合いを知っているからこそ、可能な限りの防衛線を構築しようとしている。


「ええ、その通りです。ですが、今皆に必要なのは防壁の厚さより、体を休める時間かと」


 リアムの声は平坦だった。


「先日の一件で、自警団の疲労もピークに達しています。防壁の中の安全を確保することは重要ですが、少し、視界が狭くなっていませんか」


 カインの手が、ピタリと止まった。

 ゆっくりと顔を上げる。


「……俺は」


 カインの声は低かった。

 腰の剣の柄に、無意識に手が伸びている。


「俺は、あいつらを守ると……託されたんだ。少しの隙も、作りたくないだけだ」


 静かな小屋の中に、カインの押し殺したような声が落ちた。


 リアムはそれ以上反論せず、静かに目を伏せた。

 カインの背負っているものの重さを、そして彼なりの合理性を否定することは誰にもできない。


「……分かりました。明日の作業予定は、少し減らしておきます」


 リアムが踵を返し、小屋を出て行く。


 残されたカインは、再び図面に向き直った。

 過剰かもしれない。だが、もしものことがあれば、取り返しがつかない。

 その恐れが、カインの思考を内へ内へと縛り付けていた。


 湿った薪にくすぶる小さな火だけが、パチリ、と微かな音を立てる。

 ヨハンの祈りがもたらしたその火の暖かさに、カインはまだ気づいていなかった。

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