火曜日
さくらー、お昼どうするの?
三時限目の生物の授業が終わり、お昼休みになると毎週声をかけてくれるのは、アジア系が多数派を占めるこの学校では珍しいほど金髪なクラスメートだ。いつ見てもお人形さんみたいな巻き毛、と眺めながら、用事があるから、と断るさくらにほっとした顔を見せるのもいつものことだ。来るなと願うなら誘わなければいいのに。冷ややかに彼女を差しそうになった視線をていねいに折り畳み、ありがとうと笑顔を向けた。うん、と微笑み、顔を真っ赤にしてぱたぱたと友達の輪に戻っていく。
HSIEの教室でひとり、売店で買ったチョコチップクッキーをかじる。しっとりした生地にチョコチップが砂糖の塊みたいに甘い。甘すぎてのどが痛い。いつもの席から、先生のデスクを見つめる。あの人が後ろのドアからひょっこり顔を出して、何してるの?と聞いてくれるのを、心臓がじんじんするほど願いながら。
「何してるの?」
心臓がどくんと跳ねた。恐る恐る振り返ると、そこには幼さの残るさらさらボブカットの少女。問いかけが日本語だった時点で気がつくべきだった。一瞬でも、何を期待していたんだろう。
「お昼。佳奈は?食べたの?」
「とっくに食べたよ!さくらちゃん、もう四時間目始まるよ?」
ふわりと標準語ではないイントネーションが混ざる彼女の話し方は、首都圏出身のさくらには好ましく、うらやましくすら思う。この学校で唯一、さくらに日本語で話しかけてくる存在だ。
「あのささくらちゃん…」
「何?」
「お昼一緒に食べる人いないんならさ…わたしのとこ来る?」
佳奈が上目遣いでそっときいてきた。
「え?」
「いっつも一人じゃん…さみしくないの?」
これはまた意外なことを言う。
「さみしそうに見える?」「え?…うーん、あんまり。」
さくらはおかしくなってきた。
「心配してくれてありがと、でもわたし一人の方が気楽なんだ。」
「…?気にしてないの?」
「全然。」
佳奈は明らかに理解していない顔をしている。
「ふーん…ならいいんだけど。」
次の授業何?
唐突に英語に切り替わる。
「経済学。」
さくらは構わず日本語で返した。手早く荷物をまとめ、席を立つ。
「じゃあまたねー。」
無邪気に手を振ってくる佳奈に、さくらはにこりと微笑みを返した。インターナショナルスクール育ちの佳奈は、日本語で話していても急に英語に切り替わる、英語で話していてもあいづちが「うんうん、わかるー」等、全人類がその二か国語を理解していると思っている節がある。まだ七年生、中一だからいいものの、高校で日本に帰ったら苦労するだろうな…と余計なお世話にもほどがあることを、たまに思う。それがさくら自身ほどの苦労もなく、二か国語をネイティブレベルで操る佳奈に対する仄かなやっかみであることは、さくらにもわかっていた。だが、佳奈の底抜けの明るさ、素直さに確かに救われてもいた。
– – –
さくらが一人で借りている部屋は、学校の目と鼻の先にある。放課後、図書館に立ち寄らず珍しくまっすぐに部屋に戻ったさくらは、窓辺で眼下に走る車を熱心に眺めた。一台の赤い日本製の軽自動車が静かに通り過ぎてゆく。その鮮やかな赤が視界から消えるまで、瞬きもせずに見つめる。また明日。今日は一度も学校で会えなかった彼に心の中で挨拶して、さくらはデスクに向き合った。
スマホでお気に入りのプレイリストをかける。かわいらしいイントロに続いて、合成音声の無機質な歌声が響く。自分の感情を乗せて歌わない機械音声で、どうやったらこんなに感傷的な歌が作れるのだろう。何度聞いても涙腺がゆるむ。震える様な歌声は、哀愁という言葉ではとても表しきれない。何も生み出さない恋にとらわれてしまった自分の不幸を嘆くのではなく、運命のいたずらにただ打ちひしがれるような声色は、ある意味で人間の歌手にはできない表現だと思う。
彼にとって、自分は生徒の一人でしかない。一個の人間としてすら認識されていない自分が、傍にいさせてほしい、なんておこがましいにもほどがある。笑って見せて、なんて、自意識過剰にもほどがある。この想いは、わたしと彼を結びつけることはない。意地でもわたしの中で完結させてやる。それでも、この体で暴れまわる熱は、客観的な状況判断も冷静で理論的な行動原理も吹き飛ばしてしまいそうになる。ぎゅっと目をつぶって、膝を抱えて、初めて味わうその衝動を必死に抑え込もうとした。




