第36帳 包丁ではなく、人を呼べ
弓の次は、芋であった。
吉田城から、義信の文が届いた。
南蛮芋と丸芋を、薄い輪切り、または短冊に切れ。
水にさらし、よく拭き、油で揚げよ。
熱いうちに塩を振れ。
南蛮芋は甘くなる。
丸芋は腹にたまる。
どちらも薄く切るほど、外が鳴る。
ただし、丸芋の芽と青きところは捨てよ。
油火は、火元町の定めに従え。
蘭丸は、文を読み終えて顔を上げた。
「また揚げるのでございますか」
多米殿は頷いた。
「江戸だれ揚げに続く、油物にございます」
「芋まで」
「飯にもなり、菓子にもなり、番飯にもなります」
長可が、すぐに反応した。
「外が鳴るのか」
「御屋形様の文には、そうあります」
「ならば作れ」
蘭丸は、嫌な予感がした。
江戸で新しい飯を作る時は、たいてい何かが揉める。
◇
火元町の揚げ場に、南蛮芋と丸芋が積まれた。
宿町の女将たち。
火元町の油番。
菱屋の者。
黒菱衆の番飯役。
皆が集まって、芋を洗い、皮を削り、切り始めた。
だが、すぐに手が止まった。
「切れぬ」
「厚くなる」
「薄くしようとすると割れる」
「この包丁、刃が逃げるぞ」
蘭丸は、芋の切り口を見た。
厚い。
薄い。
斜め。
欠ける。
折れる。
同じ芋なのに、形がばらばらである。
試しに揚げると、さらに困った。
薄すぎるものは焦げた。
厚すぎるものは中が生だった。
南蛮芋は甘く、焦げると苦い。
丸芋は厚いと、もそもそする。
長可が一枚食べた。
「厚い」
もう一枚食べる。
「これは焦げておる」
さらに一枚食べる。
「これは悪くない」
蘭丸は言った。
「兄上、悪くないものだけ食べないでください」
「悪いものを食ってどうする」
「試しでございます!」
可隆が、切り場の包丁を手に取った。
「刃が鈍いな」
女将が言った。
「刀鍛冶の片手間に作られたものでございます。肉も魚も切れますが、芋を薄く揃えるには難しゅうございます」
蘭丸は頷いた。
「刀と違い、包丁は数も質も揃いませぬか」
「店ごとに違います。研ぎもまちまちにございます」
多米殿は、包丁を見てから芋を見た。
「これは、飯の問題ではなく、刃の問題にございます」
「刃」
「同じ厚みに切れねば、同じ味になりませぬ」
蘭丸は、焦げた南蛮芋を見た。
「確かに」
◇
長可は、突然、大島小四郎を呼んだ。
「大島!」
「はっ」
弓大会で早射ちを見せた、あの大島小四郎である。
長可は言った。
「確か、関の出だな」
「父、光義の縁にて、美濃関の鍛冶とは多少のつながりがございます」
「ならば、職人を呼べ」
蘭丸は、思わず声を上げた。
「包丁じゃなくて、人?!」
長可は当然のように答えた。
「包丁だけ送らせても、研げぬ者がいれば同じだ」
可隆が少し驚いた顔をした。
「長可」
「何だ、兄上」
「珍しく、先まで見たな」
「俺は見ておる」
「食う先だろう」
「食う先は大事だ」
多米殿は深く頷いた。
「ですが、長可様の仰せは正しゅうございます」
蘭丸は目を丸くした。
「多米殿まで」
「物だけ呼べば、壊れた時に困ります。人を呼べば、直し、作り、教えます」
大島小四郎は、少し背を伸ばした。
「関より、刀鍛冶だけでなく、包丁、鉈、鎌、矢尻、鍋金具を打てる者を尋ねましょう」
多米殿の筆が動いた。
「関鍛冶呼び寄せ控え」
「もう控えるのですね」
「人を呼ぶには、住む場所、火を使う場所、炭、鉄、砥石、銭が要ります」
「包丁一つでは済まない」
「はい」
◇
江戸には、すでに鍛冶屋はいた。
だが、多くは修繕で手いっぱいである。
黒菱衆の槍先。
町番の金具。
宿の釜。
揚げ場の鍋。
井戸の釣瓶金具。
馬具。
矢尻。
そこへ、芋を薄く切る包丁まで欲しいと言われたのである。
鍛冶屋の一人が言った。
「刀並みに切れる包丁など、そう簡単には作れませぬ」
長可が即座に言った。
「ならば作れ」
蘭丸は慌てた。
「兄上、簡単ではないと言っております」
「簡単なら、わざわざ呼ばぬ」
可隆が鍛冶屋へ向き直った。
「必要なものを言え」
鍛冶屋は少し考えた。
「良い鉄。良い炭。よく乾いた作業場。火を使ってよい場所。水。砥石。それと、研ぎ直しを頼める日を決めていただきたい」
多米殿が頷いた。
「火、水、音、煙。鍛冶は町の中に散らせませぬ」
「では」
「鍛冶町を分けます」
蘭丸は、また新しい町名が生まれる音を聞いた気がした。
◇
鍛冶町の候補地は、火元町の外れに置かれた。
宿町からは離す。
紙筆を扱う場所からも離す。
だが、黒菱衆本陣、揚げ場、馬留め、弓矢場へは届くようにする。
多米殿は、絵図に線を引いた。
「火を使う町は、火を使う町同士で寄せます。ただし、油火と鍛冶火は分けます」
「同じ火でも違うのですね」
「油は広がります。鍛冶火は飛びます」
「どちらも怖いですね」
「だから分けます」
火元控え。
炭控え。
鉄控え。
砥石控え。
研ぎ直し日。
包丁貸し出し控え。
刃こぼれ直し控え。
蘭丸は、目を細めた。
「包丁貸し出しまで」
「全員が良い包丁を買えるわけではございませぬ。ならば、揚げ場で使う包丁は、数を決めて貸し出します」
「なるほど」
「なくなれば揉めます。欠ければ揉めます。血が出ても揉めます」
「包丁は揉め事の塊ですね」
「よく切れるものは、よく揉めます」
◇
大島小四郎は、関へ送る文の下書きをしていた。
だが、字が固い。
蘭丸が覗き込むと、小四郎は少し困った顔をした。
「私は弓ならば早うございますが、文は遅うございます」
「それは仕方ありませぬ」
多米殿が、すっと別の紙を出した。
「職人を呼ぶ文は、職人に分かるよう書かねばなりません」
文には、こうあった。
江戸に鍛冶の町を開く。
刀のみならず、包丁、鉈、鎌、矢尻、鍋金具、馬具金具、井戸金具を打てる者を求む。
火を使う場、炭、鉄、水、砥石を整える。
腕ある者は、江戸にて仕事を得るべし。
蘭丸は、思わず言った。
「これは、包丁を頼む文ではございませぬね」
「町へ呼ぶ文にございます」
長可は満足そうに頷いた。
「関の者なら、切れるものを作る」
可隆が言った。
「長可、包丁で試し斬りをするな」
「誰がするか」
「顔に出ている」
「芋だ」
「芋だけだ」
◇
数日後、試しの包丁が鍛冶屋によって研ぎ直された。
刃を整え、柄を締め、薄く切りやすいようにしたものである。
女将が南蛮芋を切る。
薄い。
同じ厚みで、輪が落ちる。
次に丸芋。
短冊に切ると、白い面が揃った。
蘭丸は思わず声を上げた。
「おお」
長可は腕を組んだ。
「最初からこれを出せ」
鍛冶屋が苦笑した。
「最初から言っていただかねば、作れませぬ」
多米殿は即座に言った。
「では、包丁の形も控えます」
「形まで」
「厚く切る包丁、薄く切る包丁、肉を切る包丁、魚を切る包丁。用途を分ければ、刃も分かれます」
蘭丸は頭を押さえた。
「飯から刃物の種類が増えております」
「町が発展するとは、そういうことにございます」
◇
芋は、改めて揚げられた。
薄い南蛮芋は、油の中で反り、端が少し色づいた。
丸芋の短冊は、白く揚がり、外だけが軽く鳴った。
塩を振る。
熱いうちに、長可が食べた。
ばり、と音がした。
長可の目が少し開く。
「鳴った」
蘭丸も食べた。
南蛮芋は甘い。
そこへ塩が来る。
丸芋は腹にたまり、外が軽い。
「これは……売れますね」
多米殿が頷く。
「売れます」
可隆も食べた。
「番飯にもよい。持ち歩ける」
大島小四郎は、丸芋の短冊を見て言った。
「弓場でも食えます」
長可が即座に言った。
「奉納弓会で売れ」
蘭丸は叫んだ。
「まだ次の弓会は先でございます!」
多米殿は静かに筆を取った。
「奉納弓会売物候補」
「多米殿!」
「候補にございます」
「候補は、だいたい決まりではありませんか」
「江戸では、よくあります」
◇
その日の夕刻、火元町の外れに新しい定めが置かれた。
江戸鍛冶町取立控え。
火を使う職は、宿町、紙筆町、酒蔵町より離すべし。
油火と鍛冶火は分けるべし。
鍛冶町には、炭、鉄、水、砥石を備えるべし。
包丁、鉈、鎌、矢尻、鍋金具、馬具金具、井戸金具、町番金具を扱うべし。
揚げ場に貸す包丁は、数と刃を控えるべし。
刃こぼれ、折れ、紛失は、黙って済ますべからず。
関より職人を招くこと。
初例、芋が厚すぎたこと。
蘭丸は最後の一行を見て、少し笑った。
「芋が厚すぎたこと」
多米殿は真面目だった。
「大事な始まりにございます」
「包丁が切れなかったから、職人町ができる」
「はい」
「江戸は、変な発展をしますね」
「よく食べ、よく揉める町は、よく発展します」
長可は、揚げた南蛮芋を食べながら言った。
「関の職人が来たら、もっと薄く切れるか」
大島小四郎が答えた。
「腕の良い者ならば」
「呼べ」
「はっ」
蘭丸は、もう一度叫んだ。
「ですから、包丁ではなく、人が来るのですね!」
可隆が静かに頷いた。
「人が来れば、町になる」
蘭丸は黙った。
包丁を求めたはずだった。
だが、必要だったのは、包丁だけではなかった。
刃を作る者。
研ぐ者。
直す者。
火を扱う場所。
炭と鉄と水と砥石。
そして、それらを町の中に置く決まり。
南蛮芋と丸芋を薄く切るために、江戸には鍛冶町が生まれようとしていた。
江戸はまた、飯から一つ、町を増やしたのである。
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『森蘭丸江戸帳』は、石田源志による戦国歴史改変小説『武田義信転記』の外伝作品です。
武田義信が築く江戸自由市を舞台に、森蘭丸、森長可、森可隆、森可成、風魔小太郎、多米らが、商い、物流、治安、食、町づくりに関わる日々を描いています。
【本編・関連作品】
『武田義信転記』シリーズ・既刊一覧
https://genjiishida.blogspot.com/2026/07/blog-post.html
『森蘭丸江戸帳』はTalesでも連載しています。
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